てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

(肘頭骨折 術後192日目) 第27回ウォーク 府中→丸子②

 コロナウィルス感染拡大防止で、学校も休校、塾も休校、観劇もスポーツ観戦も中止。春なのに・・・

 早くこの状況が良い方向に向かってほしい。

 

 ウォークなんて、今の状況ではちょっと考えられないなあ。でも、ウォークしたのは、1か月前だったのにね。急展開でしたね。

 たった3週間ほどながら、随分前に思える「府中→丸子」のウォークを振り返ってみます。静岡駅(府中宿)から安倍川までは、すでにアップしているので、その続きになります。

 

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 さて、前回は、名物安倍川餅を食べて、安倍川を渡る手前でブログを閉じました。さっそく、橋を橋を渡ることにしましょう!

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 長いですねえ・・・! 向こうが見えない。さすが安部川です。あ、これ、安倍川橋です。で、ここは、安藤広重さんの東海道五十三次の浮世絵スポットでもあります。

 

 はい、こちらです。「府中 安倍川」の絵です。

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 このブログでは、なるべく同じ場所からパチリしてアップしてきましたが、今回はこれ。

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 うーん、ちょっと橋が邪魔? でも、向こう側には歩道がなかったので、どうしてもこうなってしまったんです、あしからず。川幅は、あまり広くはないかな? 広重さんの絵の方が、ずっとずっと大変そう。いや、こうして橋の上から見ているからそう思うだけで、近くに降りて行ったらもっと流れが速くて、見るからに大変そうなのかしら。

 

 ちなみに、海の方向をパチリしたのがこちらです。

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 最後に、渡ってきた橋を振り返り、もう一枚。

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 本当に、ながーいながーい橋でありました。昔は、広重さんの絵のように、歩いて渡ったんですよね。旅をするのも大変でしたね。

 橋は工事中だったのですね。どおりで、フェンスとか多くて、パチリスポットを見つけるのに苦労したわけだ・・・

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 橋を渡り、しばらくチェックポイントはありません。てくてくと県道を歩きます。

 

心光寺

 街道から少し入ったところにありました。

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 ガイドブックには特に説明はなかったのですが、臨済宗の禅寺で、すっきりとしたたたずまいでした。

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 石庭も、きちんとしていて背筋が伸びます。

 

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 春のお彼岸の法話の案内もありました。

 

 背筋が伸びたまま、次のチェックポイントへ・・・

 

高林寺

 バイブルにしているガイドブック(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社)によりますと、元祖手越名灸所なのだそうです。

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 こちらも、禅寺ですね。

 中はこんな感じです。

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 説明板があったのでアップします。

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 いろいろ書いてありますが・・・子どもがいなかった夫婦にやっと授かった息子が亡くなってしまい、その法名が高林童子で、このお寺の名前に由来らしい。で、この息子が白馬にまたがり「我こそは駿河の国の神である」という父親が何度も見ていて、同じ夢を天皇も見ていることが判明して、社殿に祀ることになったのだとか。んーー、なんかよくわからん。

 バイブルによれば、「疎開馬、漆喰細工の鶴、多数の石仏がある」とのことでしたが、見当たらなかったです。代わりにパチリしたのがこちら。子育て地蔵尊です。子ども想いの夫婦の話が伝わるお寺なので、なんだか納得。

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子捨橋地蔵

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 はっきり書いてなかったけれど、たぶんこれかと。

 子捨橋地蔵とは・・・バイブルによれば、「殿の留守中に奥方が身ごもり、召使を責めたところ、手を当てて守ったといい、生まれたのは手であった」とか。なんか、穏やかならざる話ですねえ・・・

 

泉秀寺

 バイブルにしているガイドブックには特に説明はなく、現地にも説明板はありません。これはどんないわれのあるお寺なのでしょうね? 

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 幼稚園が併設されています。

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 ランドセルのご祈祷を受けつけています。こりゃ、つい、お願いしそうになりますね。

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白髭神社

 入り口はちょっとわかりにくいかも。街道沿いですが、目立たないです。

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 簡素で小さな社殿です。

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 社殿は簡素だったけれど、境内にとても詳しい説明板がありました。

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 延命長寿の神様です。

 「長老からの言い伝え」という項目が目を引きました。神嘗祭を怠ったら、その年は大火にあったとか。村の神様は大切にしないとね。

 第二次世界大戦中は、ここから出征兵士が多くの人に見送られていったという記述も。

 

西宮神社

  国道の擁壁を少し上ったところにありました。

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 途中の庚申塔に和みます。気を付けて行ってらっしゃいと言われているよう。

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 鳥居をくぐって、やや急な階段を上ります。

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 本殿です。

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 説明板アップします。

 福を授けてくださる恵比寿様がお祀りされているそうです。

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 眺めがよくて、気持ちいいです!

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地蔵堂

 国道1号線から、旧道に戻ります。

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 説明板がありました。読みにくいけれど、一応アップします。

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 昔、子宝に恵まれない夫婦が、ここのお地蔵様を一体借りて家に持ち帰ってお願いすると、子どもが授かったのだそうです。めでたく子どもが授かった人は、新しいお地蔵様をつくり、お礼参りをしたということです。

 なんだか、幸せな雰囲気の詰まった地蔵堂ですね。

 

さわたりの手児万葉歌碑

 街道をはさんで地蔵堂の真向かいにあります。

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 碑文に近づいてもう一枚。

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 さわたりの てごに行き逢ひ 赤駒が あがきを速み こと問はず 来ぬ

 佐渡に住む美しい少女と道で行きあったが、私の乗っていた赤馬の足が早いので、ろくに言葉も交わさずに来てしまった

 

 要するに、ナンパしそこねて残念・・・という歌? そう言っては、情緒もへったくれもありませんね。 馬のせいにしちゃって・・・。がんばって声をかければよかったのに。

 

 万葉集のなかに収められている歌です。これにちなみ、この辺り一帯は「さわたり」と呼ばれていました。

 (万葉集好きです。想いを隠さない素直なところが・・・)

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 このような道になりました。旧道らしい雰囲気が感じられます。

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名残り松

 街道の松並木の名残ですね。

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 説明板をアップします。

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 この場所は「大曲」と呼ばれ、道の両端には松を植える土手が築かれ、土手には笹が植えられていたそうです。

 

 土手も笹もありませんが、この看板は何?

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一里塚跡

 丸子の一里塚。日本橋より46里目。

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 歩道に石標がありました。いたってシンプル。

 

 このような道を歩きます。幅は広いですが、のどかな道です。

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丸子宿江戸見付跡

 実は、この頃、時間が押していて「走れメロス」状態でした。静岡駅周辺でゆっくりし過ぎたかなあと、うっすら後悔。同行者のくろやぎは、すでにやる気なし。しかしながら、ここは丸子橋まで行きたい。

 見付跡、なかなか風情のある看板です。「走れメロス」なのが、返す返すも残念。

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 説明板アップします。

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 街道に沿って350間、規模が小さいながら、正式な宿場でした。

 わかりやすい説明板ですね。知りたいことがきちんと書いてある。

 

 江戸見付跡を、街道の反対側から見たところです。

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 街道の様子です。郵便局やJAがあって、集落の中心でしょうか。

 

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 少し歩きますと、このようなしっとりとした街道に。山がすぐ近くに見え、西日がまぶしい。

 ああ、やっぱり、もう少し早くここへ来ればよかったなあ。こういう中を歩くのが、街道ウォークの醍醐味。

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水神社

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 水神社についての説明はありませんでしたが、階段下に丸子宿を通る街道についての説明板がありましたので、アップします。
 

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 丸子宿は、源頼朝に起源がある古い宿場なのですね。

 

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 天保14年に、宿内町並東西七町、惣家数211軒(うち本陣1軒)、脇本陣2軒、旅籠24軒、人口795人という記録残っているそうです。

 人口795人って、ずい分多いですね。山間の小さな集落でしたが。

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谷津神社

 水神社の近くなのですが・・・街道から少し外れるので、泣く泣く立ち寄りを断念しました。「走れメロス」なので。

 

馬頭観音

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 馬頭観音と道路をはさんだ反対側に、このような建物がありました。

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 正面に年表がかかっていたのでパチリ。読みにくいですが・・・

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 わりと最近では、昭和49年に豪雨があって、丸子川が決壊したとのこと。それを受けて、消防鎌田出張所が完成しました。

 それと、さっき飛ばしてしまった谷津神社の「楠」が、昭和47年に静岡市天然記念物に指定されたという記載も。うーん、谷津神社、やはりチェックしたかったな。どんな神社だったんだろう?

 読みにくいけれど、見れな見るほど、発見の多い年表であります。

 

 ところで、この建物、何の施設なんでしょうね? 近づいて確かめようとしたら、地元の女性に話しかけられました。以前、ブログに書きました「ネーブルのおばちゃん」です。

 

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  その節は、親切にしてくださり、ありがとうございました。

 

 で、なんの施設か、確かめるのを忘れてしまいました・・・ なんだったんだろう?

しらい酒店

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 ガイドブックによれば、明治40年(1907)創業の酒屋さんです。純米吟醸酒「丸子の宿」を販売しています。

脇本陣跡

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 明治天皇御小休所跡の碑があります。

 

問屋場跡

 大きな看板が出ていたので、すぐにわかりました。

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 全体の様子です。

 

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 街道の様子です。右側に、問屋場跡の看板がある民家が写っています。

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本陣跡

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 本陣跡らしい立派なお宅ですね。当時の様子がわかるような気がします。

 

脇本陣跡

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 ガイドブックに寄れば、藤波家。

 ここにも明治天皇御小休所跡の碑があります。

 江戸時代の脇本陣は、明治時代になって天皇の行幸の際に、お休みどころとして大いに使われたんのですね。今までにウォークでも、このような例は非常に多かったですが、改めて気が付きました。

 

御七里役所跡

 紀州藩の飛脚役所だったところです。今ではこのようなのどかな風景に。

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 「お七里役所」跡を示す石碑の横で、白菜が干してあったのに和んでしまいました。

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細川幽斎歌碑

 いよいよ、この日の終着地点です。「走れメロス」、何とか日暮れに間に合いました。

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 細川幽斎は、安土桃山時代の大名で、歌人でもあった人です。

 春の大雨で水かさの増した丸子川の様子を詠んだもの。

 先ほどの謎のたてものの年表にもありましたが、丸子川は昭和47年にも決壊しており、昔からこの集落をなやませた暴れ川だったのですね。

 

 すぐ近くに、とろろ汁で大変有名な「丁子屋」があります。慶長元年(1596)創業です。

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 安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれています。つまり、私がチェックしている「浮世絵スポット」なのでした。

 

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 案内板にも、大きくどーんと浮世絵が。

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 丁子屋さんは、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場します。敷地内に碑がありました。

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「梅若菜 丸子の宿の とろゝ汁」という芭蕉句碑もあるそうですが、見落としてしまいました。帰ってから見落としに気が付きました。出来れば次回・・・。

 

 とろろ汁、美味しそうですねえ。食べてみたいなあ。でも、もう帰らなくては。安倍川もちを食べたのがおやつの時間だったから、とろろ汁は無理でしたね。街道ウォークは、なかなか食べ物チェックがちょうどいい時間帯にマッチしません。

 

 これより、バスに乗って帰ります。(静岡駅まで)

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 最後は駆け足になってしまい、反省。出来れば、次回、この辺りをもう一度朝の光の中で確認してから岡部を目指したいと思います。

 次回っていつでしょうね? コロナで外出もしにくいですし、もうすぐ手術だし。ボルトが抜けたら、ウォーク再開かなあ・・・となんとなくイメージしています。


 今日もお訪ねくださり、ありがとうござしました。