てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第30回街道ウォーク 藤枝→島田

 お久しぶりです・・・

 先日、10月22日(土)、コロナ禍で自粛していた街道歩きを再開しました。なんとまあ、1年ぶり! ブログの更新も3ヶ月ぶり・・・ 久しぶり続きで本調子ではありませんが、どうぞお付き合いください。

  ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)でのチェックポイント(名所・旧跡)に沿って振り返ります。

  約1年ぶりの藤枝駅です。前回は、最終地点の「藤枝宿・問屋場跡」で、バスの時間があまりに先だったので、ここまでぽくぽく歩きましたっけ。歩いているうちにどんどん日が暮れて、ぴゅうぴゅう風も吹いてきてみじめだったなあ・・・

 今回はご覧の通り、お天気もまあまあよくて、やる気のでる朝です。

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 駅前より、岡部行のバスに乗り、問屋場跡に向かいました。前回歩いた道を眺めているうちに、あっという間に到着。

問屋場跡

 なぜか、「交番だった」と鮮明に覚えている問屋場跡。くろやぎ(街道ウォークの道連れ&夫)の反応は「そうだったかな」と、???

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 こちらが前回の写真です。やっぱり薄暗いなあ。夕方だったものね。

 さて、いよいよ元気に出発です! 目指せ島田宿。

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正定寺

 本日最初のチェックポイント・正定寺の山門です。

「生きているか 生きていくか」という謎かけ問答のような言葉が掲げられているのが面白かったです。

   生きているし、生きていかなければならないんでしょうねえ・・・ 

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 門より一歩中へ入りますと、本堂に向かって右手の見事な枝ぶりの松に目を奪われます。

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 これで1本の樹だなんて、驚きです!

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 この「本願の松」は、田中藩主土岐頼稔が、享保15年(1730年)に、大阪城代に出世した記念に寄進したものだそうです。石碑と説明板をアップします。

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 古図などにも描かれているそうですよ。

 

 本堂軒下の言葉。「秋天一碧 雲一つない秋の空」 いいなあ、こういうの。

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西木戸跡

 バイブルによれば、「標識等はなし」。確かに何もなくて、おそらくこのへん?

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 これより宿場を出て、西へ。

 

 勝草橋を渡ります。下を流れるのは瀬戸川。

 「勝草」という橋の名前は、勝軍(かちいくさ)が訛ったものだとか。

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 田沼街道の説明があったので、ついでにアップしておきますね。

 

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志太の一里塚

 日本橋から五十里目の一里塚跡です。秋葉神社石祠と常夜燈も。

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 説明板をアップします。

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 一里塚跡の全体風景はこんな感じです。そうと知らなければ、ただの風景・・・(すみません)

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 ちなみに近くにあった案内板ですが、これによれば橋を渡って、道路をはさんで一里塚跡と常夜燈がそれぞれにあったようです。実際には、橋を渡って右側に常夜燈と一里塚跡が上の写真のように並んでいます。一里塚跡があったと思われる反対側には、お料理屋さんがありますが、一里塚跡らしきものはありません。かつては碑があったけれども、建て替えなどの時に、反対側にあった常夜燈の隣に移したのではないかと、推測しています。

 バイブル『ちゃんと歩ける・・・』には、現状通りの(片側に常夜燈と一里塚跡が並んでいる)の記述になっていますので、ご安心を。

 って、誰に言っているかって、『ちゃんと歩ける・・・』を見て街道歩きをする人ね。

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為善館跡

 明治6年(1873)、このあたりに寺子屋が寺子屋が学校化したような学舎が創設されました。

 明治19年に統合で前島学校志太分教室になりましたが、その頃は120名くらいの子どもが学んでいたそうです。明治23年、青島尋常小学校が開校したため、閉校となりました。

 先ほどこのあたり・・・と書いたのは、明治43年に、さっき渡ってきた瀬戸川の大洪水で学舎が流失してしまって、はっきりとした場所がわからないからです。

 唐突ですが、私の母校(公立小学校です)は明治7年に開校し現在に至ります。同じ頃開校した学校の運命に思いを馳せ、少ししんみりしてしまいました。

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葦中観音堂

 前述の為善館も流された明治43年の瀬戸川氾濫で、被害から免れたことから水除観音と呼ばれるようのなった観音堂です。

 ・・・なのですが、入り口、わかりにくいです。こんな木の立札がたっているものの、この先は私有地のような雰囲気ですが、ためらわず入っていってください。

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 観音堂というより、民家のような・・・。でも確かに観音堂です。水難の死亡者の供養碑があります。

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 軒下の短冊のひとつに「コロナ早く終息」というのがありました。本当に・・・切に願います。

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名残り松

 道路に大きくせり出した名残り松。がんばって。ビッグセールの看板が似合わな過ぎ。(ごめん)

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岡野繁蔵出生地標石

 明治27年(1894)に、ここ青島村で生まれた岡野繁蔵は、27歳でインドネシアに渡り「千代田デパート」を経営し隆盛を極めました。終戦に伴い日本に引き揚げた後は衆議院議員となり、昭和50年に81歳で亡くなりました。

 という、まあ、このあたりの名士なのでありましょう。街道の名所旧跡という気は、あまりしない。

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名残り松

 こちらも道路に大きく張り出した松。このあたり、風が強いのかしら?

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 青木の分かれ道です。なんと、3つに分かれていますが、真ん中の細い道が旧街道です。間違えないように。

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津島神社

 小さな祠です。祭神は建速須佐之男命。詳しくは、祠の軒下に掲げられていた説明書きをアップしますので、そちらをご参照ください。

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田中藩領傍示石蹟

 田中藩と掛川藩との境を示す傍示石があったところです。書家藪崎彦八郎の字で「従是東田中領」と刻まれた見事な傍示石だったそうです。

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秋葉神社

 またまた祠のような小さな神社です。脇道をほんの少しだけ入ったところにありました。バイブルに説明はなく、現地にも説明板はありませんでした。

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鏡池堂

 龍神が棲んでいる鏡ヶ池から出現したという六地蔵が祀られています。とても古いお堂で、東海道筋の霊験あらたかな由緒ある霊場として、人々に信仰されていたそうです。

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古東海道跡

 「瀬戸の山越え」と呼ばれる古東海道。東海道が新設されても、大井川が氾濫すると、人々はこの道を使った・・・とバイブルに書いてあります。

 なかなか趣のある細道です。つい、入ってみたくなります。ということで、入ってみましょう。この先に、次のチェックポイントの水神社があるようです・・・

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 好きだなあ、こういう道。街道歩きをしていて嬉しくなる瞬間。

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水神社

 しばらく歩くと開けた場所に、小さなこざっぱりした祠がありました。

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 裏手に小学校があって、子どもの声も聞こえます。

東海道追分

 この辺りは池や湿地が多かったので、かつてはそれを迂回するように山裾を行く古東海道が通っていました。

 東海道が鏡ヶ池の六地蔵を通るようになったのは、開拓が進んだからです。東海道と古東海道の分かれるところが、ここの追分です。

 という説明なのですが、地理や地名が頭に入っていなくて、いま一つ、明確にイメージできませぬ。説明板を上げておきます。

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千貫堤

 千貫堤は、大井川の氾濫から田中藩領の村々を守るために築かれた堤防です。寛永12(1635)年に田中藩主となった水野忠善が幕命を受けて築造に取り掛かりました。規模は、全長500m超、幅32m、高さ3.6mほどと推定されます。千貫もの莫大な費用が掛かったことから、千貫堤と名付けられたと伝えられています。

 現在も、長さ65m、幅約30mほどが残っています。

 

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 標石のある脇道がいい感じだったので、ちょっと入ってみました。

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 いくらも歩かないうちに、「千貫堤瀬戸染飯伝承館」(月曜休館・入館無料)の案内の幟があったので、見学することにしました。

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 瀬戸の染飯(そめいい)は、戦国時代から瀬戸町の茶屋で売られていた旅人のための携行食です。強飯(もち米を蒸したもの)を、くちなしの実で黄色く染めてすりつぶし、小判型に薄く延ばして干して乾かしたものです。くちなしは漢方薬としても知られ、消炎・解熱・鎮痛・利尿などの薬効があるとされていました。

 案内人の方が、親切に説明してくださいました。(コロナ禍に東京から来たにもかかわらず・・・) くちなしの実が、100円で売られていたので買いました。くちなしといえば、お正月の栗きんとんの色付けに使うくらいですが、いろいろレシピが紹介されていたので、試してみようかなと思いました。まずは染飯から。

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 伝承館を出たところの風景です。ここ、ちょうど堤の上らしいです。

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染飯茶屋蹟

 街道沿いに染飯の茶屋跡の標石があります。スズキモータースの右横です。

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 あの古東海道の頃からあって、新しい東海道が通った後も、お店の場所を移して売られたのですね。人気の秘密は、くちなしの鮮やかな黄色を竹の皮で包んで、今で言うならインスタ映え? 薬効もあるというし、いいことばかり。

 説明板によれば、くちなしの実は、足腰が強くなるとか。へえーーー。

 

延命地蔵堂

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 染飯茶屋跡のすぐ近くです。

 寛永4年(1627)大井川氾濫の犠牲者供養に建てられたお寺・無縁寺というのがあったけれども、なぜか廃寺になって、この地蔵堂が残されているようです。

 延命地蔵尊が建てられ、千貫堤ができた寛永の大井川氾濫・・・

 

育生舎跡

 明治初年の小学校、育生舎の跡です。

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 先ほど通ってきた為善館は、明治23年に青島尋常小学校ができたのに伴い、発展的閉校となったと説明板に書いてありましたが、この育生舎だったのですね!

 

田中藩領傍示石蹟

 このあたり、藩が複雑に入り組んでいたようです。説明板も併せてアップしますので、詳しくはそちらをご参照ください。

 それにしても、前方の松並木、いい感じですね。街道らしい風景。

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青島酒造

 創業明治元年(1868)、銘酒「喜久酔」の蔵元です。

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八幡宮

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 バイブルに特に説明はなく、現地にも説明板はありませんでしたが、チェックポイントの八幡宮でした。小さいけれど、きちんと手入れされた本殿と、きれいな明るい境内でした。

鞘堂

 バイブルによれば、天保4年(1833)建立の秋葉山常夜燈を収め、その隣には明治天皇御小休所跡碑があるのだとか。

 写真を撮影したのですが、真っ黒に写っていて失敗。記憶もあまりなくて。道が合流するところにあって車の往来も激しく、焦っていたのかも。失敗失敗・・・

 

上青島の一里塚跡

 江戸日本橋より五十一里目。塚木はエノキだったそうです。現在は標石のみですが、松林があって、なんとなく雰囲気がわかるような。

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 説明板の写真を興味深く眺めました。

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丸七製茶

 藤枝の有名な製茶会社らしいです。

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 ようやく市境まで来ました。コロナ禍の影響もあり、なかなか抜け出せなかった藤枝市。お世話になりました。

 

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 六合駅手前の分かれ道。前方斜め右が旧街道です。間違えないように。

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昭和天皇御巡察之處碑

 うっかりすると見逃しそうですが、昭和天皇の御巡察碑です。

 明治天皇や大正天皇の碑はたくさん見てきましたが、、、昭和天皇はあまりないですね。珍しいかな?

 歴史の方というより、私の年代では子どもの頃にTVでお姿を拝見しているので、このような碑になっているのは不思議な感じ。

 

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「一言商店」というお茶屋さんの軒下に、碑があります。

「ここでお茶を一服されたのでは?」とくろやぎが勝手に想像しておりましたが、さてどうでしょう?

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 一言商店の製茶所(?)の様子です。

 

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 現在営業している店舗が、製茶所の隣にあります。

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 中に入りましたら、お店の方がお茶を入れてくださいました。幸せが身に染みて、ついお茶を購入してしまいました。雰囲気のいいおしゃれなお茶屋さんです。

藍物川と藍物橋

 歩道橋の下に流れる用水路が、監物川のようです。

 あの千貫堤を建設した田中藩主水野監物忠善が、水不足に悩む村々のために大井川から取水した水路を開削し、農民は感謝してその水路に藩主の名前をつけたのだとか。

 田中藩主水野さん、水対策に奔走されたのですね・・・

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 説明板をアップします。わかりやすいです。

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 感謝した農民は、「監物川」だけでなく、橋にも、「監物橋」と藩主の名前を付けたのですね! 

 人望の厚い藩主だったのでしょう。

東見附跡

  いよいよ島田宿に入ります。東側の入り口があったところです。

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 説明板もアップします。読みにくいですが・・・枡形があったようですね。

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「ようこそ島田宿へ」の旗に、嬉しくなりました。

 

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蓬莱橋口

 「蓬莱橋口」という表示を見つけることはできませんでしたが、地図と照らし合わせますと、この和菓子屋さんの角のようです。

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 この道をまっすぐ行くと蓬莱橋に着きます。好みの雰囲気の道なので、しばらくずんずん歩いてみたのですが、くろやぎ(同行人&夫)が不機嫌に! まずい、午後三時を過ぎると、体力・気力・許容量ともに低下するくろやぎだったっけ。

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 蓬莱橋は、対岸の牧之原台地の茶畑開墾に従事する人たちの往来橋だったとのこと。この道を、昔の人もてくてく歩いていたのですね。ロマンチックだなあ・・・

 世界最長の木造歩道橋ということで、現在も屈指の観光名所です。遠くからでもいいからチラリと見てみたかったのですが、くろやぎとの友好関係を優先して引き返しました。

 確かに、ルートから大きく外れますし、日暮れも迫っていますからね。暗くなる前に島田宿に着かねば。

 

 途中に島田宿についての案内板があったので、アップしておきます。 

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島田の一里塚跡

 江戸より五十二里目です。説明板が控えめに立っています。

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 塚木は榎。塚は普通は両側にあるものですが、東海道絵図によれば、当時から片側にしかなかったようです。

 

 この後、バイブルによれば「刀匠島田顕彰碑」ということになっているのですが、それはなくて、問屋場跡の石碑&説明板に行き当りました。

問屋場跡

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 説明板にさらに近づいてパチリしました。

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 問屋場は、旅行者に人足や伝馬を提供する宿場の中心施設です。ここの敷地は、間口14.5m、奥行き9.1m。常備人足は136人、伝馬は100匹でした。当時の賑わいが浮かびます。

 

 ところで、「刀匠島田顕彰碑」は?

 困った時のグーグル先生・・・ということでググってみますと、どなたかのブログで碑があるとされている全景写真に写り込んでいる建物を前方に発見! 下の写真の向かって右側のビルの間にありました。

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 バイブルに書き込まれている場所ではなく、道路をはさんで斜め向かい側ということになります。皆様(これから街道ウォークをされるみなさま)、気をつけて。

 

刀匠島田顕彰碑

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 判読不可能ですが、石碑に近づいてパチリした写真もアップしておきます。

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 碑の隣に設置されている「島田宿案内図」に島田顕彰について説明文がありましたので、アップします。

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 これが「案内図」です。宿場全体が大変よくわかる立派な案内図でした。

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 案内図の木枠にこんな張り紙が。

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 向かいのこのマンション、最近建設されたもののようなのですが、もともとはここに「問屋場跡」の碑があったのでしょうか? もしかして、「刀匠島田顕彰の碑」もこのマンションの場所に「問屋場跡」と並んでいたのかな? でもって、マンション建設に伴い、「問屋場跡」は数メートル江戸方向へ移し(さっきの場所)、「刀匠島田顕彰の碑」は道路をはさんで斜め向かいのこの場所に移したのではなかろうかと、推測しております。どうなんだろう?

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 江戸方面を振り返ったところです。右手の大きなマンションの向こうに見える茶色い屋根の低層の建物の前に「問屋場跡」の碑があります。

 マンションとは反対側に大きな建物(立体駐車場?)がありますがその隣の建物横に「刀匠島田顕彰の碑」があります。

 位置関係をわかっていただけたでしょうか?

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下本陣跡

 置塩藤四郎がつとめた下本陣跡の標石です。

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 「島田宿本陣跡」として説明板が出ていました。

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 下本陣・中本陣・上本陣まとめて「本陣跡」としているようですね。

 

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 この道をしばらく行きますと、奥に「御陣屋跡」あります。観光客を意識したお洒落なお店が並んでいます。時間があれば、思わず吸い込まれそうなお店がたくさんありましたが、あいにく日が暮れかかっていたので足早に通り過ぎます。

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御陣屋跡

 「御陣屋」とは、バイブルによれば幕府領を支配した代官所のようです。現地に説明板があったのですが、パチリするのを忘れました。日暮れが近くなり焦ってました。やはり蓬莱橋に行き時間なんてなかったですね。

 それにしても、なんだか寂しい跡地ですね。

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中本陣跡

 大久保新右衛門がつとめた中本陣跡です。呉服屋さんの角に石碑があります。

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上本陣跡

 村松九郎治がつとめた上本陣跡です。ホテルのエントランスに石碑があります。

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 ホテルの写真をあと2枚アップします。

 本陣跡が現在ホテルだなんて、おもしろいですね。本陣の流を汲むホテルなんでしょうか?

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 ホテルの名前は「三布袋」です。

 

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 道の向こう側からホテルを見たところ。


俳聖芭蕉翁遺跡

 静岡銀行の敷地にあるので、見つけやすいです。説明板もバッチリ。よく手入れされています。静岡銀行、ありがとう。

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 芭蕉は島田を度々訪れ、塚本邸に滞在しました。塚本家は代々も孫兵衛を名乗り、元禄9年(1696)初代の川庄屋を代官から任命されています。三代目孫兵衛は「如舟」と号して俳諧をたしなみました。

 元禄4年(1691)、芭蕉は江戸に向かう途中に、俳人として知られていた如舟宅を訪れました。芭蕉48歳、如舟51歳でした。これより二人は親交を深めていったのでしょう。

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芭蕉句碑

 さっきは静岡銀行でしたが、こちらは島田掛川信用金庫。こちらもきちんと手入れされていて、説明板もバッチリです。感謝。

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するがの国に入て 

するがぢや はなたち花も ちゃのにほひ ばせを

 

 

 有名な句ですね。

 

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 本日最終地点の、島田駅に到着しました。

 何とか、日暮れ前に間に合いました。これからどんどん日が短くなって、街道ウォークには厳しい季節となりますが、年内にあと1回、行きたいものです。

 越すぞ、大井川!?

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 ながながお付き合いくださりありがとうございました。

 近日中に「まちなみウォッチ」をアップする予定です。

 その時はまた、お立ち寄りください。