ウォークをしてから1か月近く経ってしまいましたが、やっとブログをアップします。このところ、またまたコロナの感染が拡大しているとのこと。東京の新規感染者数は連日500人を超え、三連休に行こうと思ってた藤枝→島田は見合わせました。また心おきなく街道歩きができる日を願いながら、前回の旅を振り返ります。
- 問屋場跡
- 初亀醸造
- 姿見の橋
- 佐護神社
- 高札場跡
- 弘法大師堂
- 光泰寺
- 問屋場跡
- 五智如来
- 東海道岡部宿の松並木
- 東海道岡部宿碑・山燈籠
- 岩村藩領傍示杭跡
- 慈眼寺
- 高札場跡
- 陣屋小路
- 橋向地蔵尊
- 地蔵祠
- 名残り松
- 岩村藩領傍示杭跡
- 田中藩領傍示石
- 名残り松
- 鬼島の一里塚跡
- 地蔵祠
- 御成道
- 秋葉神社跡
- 鬼島立場跡
- 須賀神社
- 鎧堂
- 松並木
10月24日、天気はまあまあ。9時に静岡駅のロータリーに降り立ちました。今回もここ7番乗り場から、藤枝駅行きのバスに乗ります。
前回、藤枝宿本陣前のバス停から静岡駅までバスで帰ったのですが、バス停の名前を意識していなくて・・・。「岡部宿柏屋前」という名前でした。今日はここからウォークのスタートです。時刻は10時2分。
前回見学しました画が、本陣柏屋の外観です。
今日も江戸の旅人が、お休み中?
コロナ禍での利用制限のお知らせです。前回、ちょっとガックリしたのですが、まだ続いています。今のような状況では致し方ないですね。
本陣の中庭を、門の外からチラ見。籠のようなオブジェがいっぱい。ありゃなんだ?
問屋場跡
本日最初のチェックポイントは問屋場跡。本陣のごく近くに、標石があります。問屋場は、ここ本町と少し先の内谷との二か所にありました。このような標石が設置されていました。
問屋場跡全景。中央下に標石があるのがおわかりいただけるでしょうか?
初亀醸造
創業寛永12年の造り酒屋さんです。どっしりとした外観を見て、何枚もパチリしてしまいました。
初亀醸造株式会社という立派な社屋が併設されていました。さすが。
これより左の旧道に入ります。
姿見の橋
小さな流れの上に掛かる小さな橋です
謎の絶世の美女として知られるあの小野小町が、晩年、、この橋の上から水面に映る自分の姿を見て、愕然としたんだそうです。普段から鏡とかなかったんですかね? かわいそうに。
姿見の橋から先、しばらくこのようなのどかな旧街道が続きます。
佐護神社
農耕・安産の神様を祀っているそうですけれど・・・ なんかちょっと草が茂っていて怖かったので、早々に失礼しました。(前回も書きましたが、私、草木恐怖症?です。草の葉っぱや藪が怖い。街道ウォークでは時々、困った場面に遭遇します。)
高札場跡
弘法大師堂の脇に、シンプルに標石がひとつ、ありました。
弘法大師堂
お堂の向かって右横に、高札場跡の標石がありました。
光泰寺
街道から少し離れたところにあります。街道を歩いていますと、このような案内表示がありましたので、それに従ってあるいて横道に入りました。
光泰寺には、木喰上人作の聖徳太子像と准胝観世音菩薩像があることで知られています。
こまめな案内表示、助かります。
着きました。山のふもとの静かな場所にゆったりと。
本堂です。
木喰上人聖徳太子像についての説明板です。寛政年間に完成したもの。木喰上人は全国各地を歩き、立ち寄ったところほとんどに、仏像を残しているんですって。93歳まで生きたって、この時代にはそうとう長生きですね!
こちらは准胝観世音菩薩像についての説明板です。木喰上人は、寛政12年(1800年)に2か月間、岡部に滞在して、こちらを始めいくつかのお寺に、仏像を納めたのだそうです。
問屋場跡
内谷の問屋場跡ですが・・・ここ、実は見つけるの大変でした。なぜって、これが標石なのですが、個人のお宅の素敵な植え込みの中にあって、それと気づくのにはかなりハイレベルな街道ウォークスキルが必要かと・・・。
こんな感じに、植え込みの中にさりげなくあります。
全景がこちら。ね、わかりにくいでしょう?
真向かいに畳屋さんがあります。これを目印にするとよいかと思います。ガイドマップにも畳屋さんを書き込むといいのに。ね、八木さん。
私が参考にしているガイドマップは、『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)です。このガイドブックに名所・旧跡として表示されているところをチェックポイントとして歩いています。ブログ記事も、そのチェックポイントに沿って書いています。
静かな旧道は、この長嶋酒店でひとまず終わり。これより大きな道に合流します。立派な石灯篭がありました。長嶋酒店については、このあとアップする「まちなみウォッチ」でもう少し触れます。
五智如来
もとは、街道沿いの誓願寺というお寺にあったものでしたが、お寺が移転したため、こちらに安置されました。その名も五智如来公園といい、園内には小さな観光案内所があります。大通りに面していて、目の前はバス停です。
五智如来についての説明板をアップします。
この辺りを治めていた田中城のお姫様がお口が不自由でしたが、御両親が誓願寺のご本尊に一心に祈ったところ、満願の日に治ってお話ができるようになりました。感激した田中城のお殿様は、誓願寺にこの五智如来を寄進したということです。
園内の観光案内所のポスターです。岡部本陣の中庭の籠のオブジェの謎が解けました。土日限定で竹あかりをともすイベントをしていたのですね。
東海道岡部宿の松並木
結構な距離の並木で、壮観です。これだけの並木を維持するのは、それなりに大変でしょう。
藤枝ライオンズクラブが出資しているのでしょうか。ありがとうございます。
東海道岡部宿碑・山燈籠
内谷新田の立体交差のところにありました。京から来た時、西側からの岡部宿への入り口でした。
私たちのように江戸方面から歩いてきたものにとっては、岡部宿はここまでです。
立体交差をくぐりますと、道が二手に分かれます。右手(うなぎやさんの駐車場の看板の方)に進みます。
岩村藩領傍示杭跡
うなぎ屋さんの向かい側にあります。(例のガイドブックにも載っていますが、うなぎ屋さんを目印にしていくと、見落とさないです。)
傍示杭が復元されているのですが、割と地味です。
白い杭に手書きの案内表示もあるのですが、経年変化でやや読みにくいかな。
これよりしばらく、このような道が続きます。趣のある古い建物があるわけでもないのですが、静かでお散歩にはいい感じです。
慈眼寺
代官地蔵があるそうです。岩村藩横内陣屋三代目田中清太夫の徳を慕って造立されたとガイドブックに書いてありましたが、チェックし忘れました・・・
替わりにと言ってもなんですが、説明板をアップしておきます。田中清太夫という人は、人望の厚いお代官様だったのでしょう。
高札場跡
うっかりすると見落としそうな標柱があります。
標柱を含めた全体風景です。クリーニング屋さん?の横の赤いポストの脇にひっそりと。
奥に見える標柱には、郷蔵跡と書いてありました。
ガイドブックには、高札場跡の場所に、「並びに西村小路標柱がある」と書いてあるのですが、西村小路標柱は少し先にありました。
この路地の奥に西村小路の標柱があります。
陣屋小路
陣屋小路の標柱、見落としました。先ほどの西村小路の標柱を陣屋小路として、チェックしてしまいました・・・
場所的に、ちょうどそのあたりだったので。
朝比奈川にかかる横内橋です。
橋を渡りながら、前方を見たところ。街道がまっすぐ続いていくのがわかります。
橋上から見た朝比奈川。いい感じの景色だったので、ついパチリしてしまいました。
橋向地蔵尊
橋を渡って右側の岸辺にお地蔵様が安置されています。
ガイドブックによれば、子授川除地蔵だそうです。二つもご利益があるのですね。ありがたや。
地蔵祠
こちらは、橋を渡って左側にあるお地蔵様の祠です。
川除地蔵(水難除け)かな?
名残り松
県道に合流するやや手前にあります。
岩村藩領傍示杭跡
植え込みの中に復元杭と説明板があります。
復元杭には「従是東巌村領横内」と記されています。つまり、私たち江戸からの者にすれば、岩村藩はここまで。
説明板もアップします。
岩村藩は、美濃国岩村城を居城とし、松平龍登守が三万石の領地を持っていて、駿河の国にも領地があり、今しがた歩いてきた横内村に陣屋(地方役所)を置いて治政を行っていたと書いてあります。
歩道橋の上から、岩村藩領傍示杭跡を見たところ。旧道と県道が合流するところに植え込みが見えますね?
田中藩領傍示石
歩道橋を渡りますと、今度は田中藩になります。
こちらは、立派な石柱。「従是西田中領」と刻まれています。
写真だと読みにくいのですが、記録として、説明碑の写真をアップします。「広幡の歴史を探究する会」の方が、建てられました。ありがとうございます。
県道に合流したのは一瞬で、広幡交番の左わきの旧道に入ります。
名残り松
趣のある板塀と松並木。
板塀に囲まれた敷地は、広幡尋常小学校のあったばしょのようですね。どうりで・・・
鬼島の一里塚跡
鬼島の一里塚を探していたら、こんな表示が。赤くて目立つので、ついパチリ。
チェックポイントである一里塚の標柱はこちら。見逃しそうなので要注意。
一里塚標柱を含めた全景です。民家の外壁に沿ってさりげなく。
地蔵祠
葉梨川の土手の上にあります。土手の上というのがちょっと意外なので、プチ要注意です。
街道側から見たところ。祠は土手の上にあって、川の方を向いています。
御成道
葉梨川にかかる八幡橋を渡りますと・・・
正面が御成道です。案内表示はありませんでしたが、位置的に間違いないかと。田中城に至る道らしいです。往時は賑わっていたのでしょうね。
旧東海道は御成道へは行かず、90度右へ折れます。こんな道です。
秋葉神社跡
これはすぐには見つからず、行きつ戻りつしてしまいました。民家の傍らの草むらのなかに埋もれるように手ある小さな石杭です。秋葉神社の「秋」の字がやっと除いています。でもこうして、石柱を残してくださっているのはありがたいです。そうではない神社もありましたし。 (次のブログで触れます)
石杭を含めた全景。電信柱の後ろの草むらの中です。こりゃ、見落とすわ・・・
鬼島立場跡
こちらはしっかり見つけられました。火の見やぐらと木造灯篭が目を引きます。
やや読みにくいですが、石碑もありました。
『東海道中膝栗毛』の一説が刻まれていました。
須賀神社
樹齢500年の楠のご神木で有名な神社です。
大きくてカメラに収まりきりません。どっしりとした幹ですね。ご神木という言葉がぴったり。
境内の狛犬さんがイケメンだったので、パチリ。
鎧堂
こちらが入り口で、奥の階段上にお堂が見えます。
説明板がありましたので、まずアップします。
葉梨川の鎧ヶ淵に、家康が戦勝を祈願して鎧を沈めたという伝説が残っていること、『東海道中膝栗毛』で歌が詠まれていることなどか書かれています。『東海道中膝栗毛』の歌は以下の通りです。
ここもとは 鞍のあぶみが淵なれば 踏ん跨がりて通られもせず
こちらがお堂です。
松並木
立派な松並木がひときわ目を引きます。
ここは水守中央公園になっていて、その一角が松並木に整備されています。
公園内にはなぜか南国調の木が一本。松並木とはミスマッチで、ちょっとツッコミたくなったのですが・・・
1962年から2003年の間、このあたりに東海積水工業株式会社があって、そのシンボルとして、敷地内にこのヤシの木があったのだとか。藤枝市土地区画整理事業に伴い、会社跡地周辺に竣工された水守中央公園にこの樹を寄贈。「積水の樹」として現在も親しまれているのだそうです。公園内の説明碑に書いてありました。
さてこの辺り、しずてつストアを始め飲食チェーン店も多数ありましたので、昼食休憩といたしました。ウォーク中、なかなか昼食を食べるべき時間に飲食店に巡り合えず、食べそびれることも多いのですが、今回はラッキーでした。
ブログも、ここで一旦休憩といたします。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。近々、続きをアップしますので、またよろしくお願いいたします。