てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

音楽に飢えていたから

お題「#この1年の変化」

 

 高校時代の部活以来、合唱を趣味としてきました。ここ数年は毎年募集される市民合唱団で第九、メサイア、レクイエムなど外国の楽曲を。ところがコロナで募集は中止となり、無理もなかろうと納得していたのですが・・・

 なんか調子が悪いんですよね。何かが足りないというか・・・。あ、もしかして私には音楽が足りないんじゃないかと思い当たりました。歌ってない。鼻歌すらも。合唱団でクラスターが発生したとかいうニュース以来、合唱はすっかり世間からNG認定されましたからね。学校の音楽の時間だって、「マスクごしに小さな声で」とか「心の中で歌いましょう。」とか言われているようですよ。

 

 歌がダメならピアノはどうだろう? 音(音での表現)が恋しくなった私は、家の2階の部屋の片隅でしばらく放置されていた電子ピアノにかけてあった埃除けの布をはがし、これまたしまい込んであった大昔使ったソナチネアルバムの楽譜を引っ張り出して、あれこれ弾いてみたりしました。楽しい。ああ、こういうことに飢えていたんだなあと気が付きました。そう、あれは、春のステイホームの頃でしたね。今でも時々、ピアノに触ります。コロナが収まったら実家のピアノを弾いてみよう。それこそン十年ぶりに。母はびっくりするだろうなあ。練習しなくちゃね。

 ピアノを弾きたくなったこと。これが変わったことの一つ目。

 

 クリスマスが近いころ、仕事で音楽(クリスマスソング)を使いたいと思う場面があって、あーでもないこーでもないと試行錯誤し、Amazon Musicから音源をダウンロードしてスマホに保存するということに行きつきました。(若い人たちには当たり前なんでしょうが、こちらカセットテープとウォークマンの世代ですからね。大変なんですよー)  それがきっかけで、通勤の行き帰りにスマホで音楽を聴くようになりました。しばらくのあいだAmazon Musicから楽曲を購入しスマホの音楽アプリで聴いていたんですけれど息子が、「Amazon Music Unlimitedにすればいいじゃん。」と教えてくれてそのようになりました。コロナ以降、ちょいちょいアマゾンで買い物をすることが増えてプライム会員になっていたので、特別価格です。月額780円で音楽聞き放題というのは、聴きたい人にとっては悪くない話だなと思います。

 いろいろ聴いてみて気に入った曲はプレイリストに入れています。リストのフォルダには好きなアーチストの他、「テンション上がる」「応援歌」「懐かしい感じ」「心に沁みる」などの名前をつけて、どれにも分類できないのも、とりあえず「いいね」と名付けたリストに入れておきます。そうしましたら音楽を聴くのはもちろんですが、自分のリストが構築されていくのがすごく楽しくなりました。朝はいつも「テンションが上がる」というリストの音楽を聴いて元気に出勤。帰りはその時の気分でいろいろ聴いたり、リストに追加したり。

 通勤のお供に音楽を聴く楽しみができたこと。これが変わったことの二つめです。

 

 さて、Amazon Musicにしていますと、「あなたにおすすめ」ということで楽曲が紹介されます。昔懐かしい曲をググったせいか、およそ自分では聴かない懐メロとか、見事に外れたおすすめも多いのですが、あるとき、とあるアーチストの楽曲が流れまして、ハマりました。一目ぼれです。いや見えてはいないから、なんていうんだろう? まあそんなニュアンスです。わりと最近の話なのですがハマったらあっという間で、生配信ライブを視聴したり、過去のYouTubeをチェックしたり。

 おかしい。ン十年の人生で、私はこんなふうにアイドルとかアーチストとかにハマったことはなかったのに。コロナが私を変えたのか、私がコロナで変わったのか? (あ、どっちも同じ意味かな?)

 まあ、それはさておき、ライブの生配信はいいですね。音源は、CDなどの方が完成されているのでしょうが、いまここでという臨場感は格別です。それがファンの心理らしい。コロナがおさまったら、このアーチストのライブに行きたいです。絶対行くぞー。

 アーチストにハマる感じを知ったこと。これが変わったことの三つめです。

 

 子どもたちが成人し、一人の大人として私の手を離れていったところで、ステイホームの流れになり、半ば必然的にあれやこれやと今までにない楽しみが生まれたといったところでしょうか。これも悪くないなと思います。コロナを乗り切った(そうなると思いたい)次の1年後には、私の中で何が変わっているのでしょうか。

 

仕事の鬼かもしれない?

今週のお題「鬼」

 

 私は今の仕事が好きです。オサイフ的にはキビシイけれど、一応好きなことが仕事になっている。だから仕事もプライベートも割とごちゃまぜ。かねてより65歳まで働きたいと思っていたけど、この頃は70までいってもいいかも(いけたらいいカモ)と思い始めています。どうせ年金は雀の涙。70まで働くことが推奨されてるようだし、ならば大手を振って仕事の鬼になってしまおうかと。

 

 週5日フルタイムではありますが、非正規です。コロナ禍になって今までにない業務が増えたこともあり、退勤時間を過ぎても長時間残業をしてしまったり、家でできることはやってしまったり。好きな仕事なので、その辺の垣根は低い。なんだかんだで自主的にタダ働きをたくさんしてたみたい。

 

 でも、最近、あることがきっかけで以前のような残業をやめることにしました。

 基本一人仕事なので帰ろうと思えば帰れる。ただ自分があとで苦しくなるだけ。残業をやめると言っても、そりゃ無理ってもんだわと思っていたんですけど、前倒しで出勤することにしました。つまり決められた始業時刻より1時間半、早く職場に着くんです。やってみてわかったのですが、早起き出勤組の固定メンバーがいて、ゆるい親密感があります。悪くない感じ。お尻(つまり始業時間)が決まっているからダラダラ仕事をしない。選別して優先的なことから片付けるので、はかどる。こんなに早く来てるのに、なんとなく時間が過ぎるのは悔しいから頑張る。他の人に影響されることなく、自分のペースでサクサクできる・・・・ などなど、そのメリットは思っていた以上にあるんですねぇ。すっかりハマりましたよ。

 

 しかしながら、早く出勤するということは当然早起きが必須です。早起きが得意だと公言しているオットは、家を出る1時間前の5時ごろからゴソゴソ動いていますけど、私にはそれはとても無理。最低でも5時50分までは寝ていたい。その代りと言っては何ですが、起きて40分で家を出るために、準備万端にしております。洗濯は前の晩からタイマーでセット(干すのは残る家族=子ども)、朝ごはん(2人の子どもと私の分)は具だくさんのお味噌汁を前の晩から作り置き、起きてから目玉焼きを作ってプラス。ゴミ出しも前の晩のうちに(ゴミ出しって意外とバタバタするんですよね)。

 そんなこんなを試みていましたが、それでも時間が足りない!! で、アマゾンでポチった家電が2つ。一つは「ゆでたまご器」です。前の晩に卵と水をセットしておいて、アサイチにスイッチオンします。10分で半熟卵ができるので、その間に身支度をします。

 二つ目の秘密兵器は一人分のコーヒーメーカー。よくあるバリスタとかじゃなくて、本当にたった1杯だけ入れてくれるおもちゃみたいなシロモノですが、これが助かるんですよ。朝、コーヒーを一杯飲んで出かけたいものの、コーヒーって蒸らしたり、ちょっとずつお湯を注いだり、結構じれったいですよね。うちにはコーヒーメーカーというものはなくて、ハンドドリップ派なんです。朝の一杯のためだけに高いのを買うのもねえ・・・ なので本当に1杯分だけのにしました。コーヒーカップに直接ドリップできるタイプので、前の晩から水もコーヒーの粉もセットしておきます。香りが飛んでしまいそうですけど、そこは目をつぶって。お味噌汁と半熟卵と白いご飯(もちろんタイマーセットして炊飯器で炊いたもの)を食べ始める直前に、コーヒーメーカのスイッチを押すとポコポコのどかな音がして、タイミングよく食後のコーヒーがドリップされます。

 食べ終わって歯磨きをして、6時30分に家を出るまで、流れるように最小限のことをしています。バタバタするとすぐ、6時33分になってしまうから、腕時計もマスクも、家のカギも、見えるところに出して置くのがコツ。さらにいえば、やはり起きてから40分で出るのは厳しいので、起床時間を10分早めて、5時40分にしました。

 

 とまあこんな感じで生活を変えて2週間が経ったところです。朝早くから出勤すると、この上残業するのはアホらしく感じてしまい、さっさと帰るようになりました。(そうは言っても1時間は残業しているけれど) 

 考えてみたらば、子どもたちは成人し、お弁当を作ることも学校に送り出す役目も私にはなく、遅起きの彼らには私がどんなに早く家を出ようが関係ないわけで。むしろ残業せずに早い時間に帰ってきた方が家族との時間が長いような気がします。あ、それは気のせい。なぜならば彼らは深夜のご帰還だったりで、私は彼らと顔を合わせることなく寝てしまう日も珍しくないから。

 年月とともに家族の生活スタイルは変わる。私も変わっていい。早起きばんざい。もはや仕事の鬼というより、早起きの鬼かも。いや、鬼というより、もっといい感じですね。鬼はやっぱり夜行性で、朝は早起きの神様がほほ笑んでいます。

 

 鬼は外。仕事の鬼改め早起きの神様。福は内の春到来。

 

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いい大人になりたい

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

 大人になったと感じたシーンはたくさんあります。高校を卒業して初めてお化粧したとき(メイクではなくてお化粧と言っていたのが、昭和っぽいですね。)、大学の学部新入生歓迎合宿でビールをついでもらったとき(昭和は、未成年でもこの辺りの線引きはおおらかでした)、就職して銀行員になって窓口に座ったとき・・・。ひとつひとつのシーンで、ちょっとばかり大人の自分を感じて嬉しかった。

 決定的なのは、初めて我が子を抱いたとき。退院する時病院の階段で「はい、お母さん」と看護師さんから渡されて足が震えました。後戻りできないなと思いました。ちょっとずつ大人になったつもりでいたけど、少しだけ子ども時代に片方の足のつま先を突っ込んでいたようなところがありました。このとき完全に、子ども時代とサヨナラしたんだな思います。

 けれどもそれからの日々を振り返ってみると、親になったとはいえ子どもっぽい部分が多々あったなとも。なかなかすぐには大人になれないものですね。

 

 子どもの頃、50歳の女の人はおばあさんでした。けれど今その歳を超えた私は、自分のことを少しもおばあさんだとは思っていない。間違いなく大人だけど、おばあさんではない・・・と思っているのですが、この2~3年で、同じ職場で働く人に我が子と同年代の人が増え、特に最近では上司が年下と判明し軽くショック。「もういいトシなんだな」と観念しました。

 「いいトシをした大人が・・・」と思われるのではなく、「いい年のとり方をしたね。」と言われるようになりたい。これからの人生は自分より若い人へのリスペクトを忘れずに、いい大人になりたいと思います。

年末ですね

 コロナ対応に明け暮れて、あっという間に年末。何だったんだろう?と思わなくもないですが、取り敢えずわが身は無事であることに感謝しないと罰が当たりそう。来年はコロナが終息することを願ってやみません。

 

 さて、年末年始ですが、我が家はもともと家で過ごす派なのでいつも通りです。さすがに高齢の両親宅には行きませんが。近くに住んでいるので会いたければいつでも会えるので、「コロナが落ち着いたら心置きなく会いましょう」ということになりました。すっかり気持ちが下向きになっている母には、「行きたいところを箇条書きにしておくように」と言いました。「お正月のお飾りは、今年は買わないわ」という母に、夫が(くろやぎです)「買ったらいいじゃないですか。いいことありますよ。」と言ったのに勇気づけられ門扉の松飾をしたと、昨日母が、電話で嬉しそうに言っていました。くろやぎ、いいこと言うね。ちょっと見直しましたよ。「お正月飾りしないと、福が来ないよー」と言いそうになった私でしたが、「飾ればいいことありますよ」の方がずっといいな。

 話を元に戻しますが、家派の我が家に欠かせないのは家族で囲むおせち。三日間で本格風おせちを準備しています。普段はあまり家事に時間をかけないし、やっつけ料理ばかりなのですが、この時期だけはなぜか頑張ってしまいます。

 頑張ってしまうと書きましたが、意外に頑張らなくてもできてしまうのが面白いところ。昨年その段取りを当ブログで紹介しましたので、もしよかったら、ご覧ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

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  というわけで、私もこれから三日間のおせちづくりイベントのための買い出しに行ってきます。

想い出にかわるまで

今週のお題「もう一度見たいドラマ」

 

 令和の時代から時計の針をぐぐーっと戻して、時はバブルの真っ最中。トレンディドラマなるものが流行していた頃。私は今も若い頃も、ドラマはあまり見ないのですが、1990年1月から3月にかけてTBSで放送された『想い出にかわるまで』だけは、なぜか印象に残っています。たまたま途中の回にチャンネルが合い(チャンネルって・・・古いですね、すみません。でもチャンネルだった。)、先が気になり、ついつい最後まで見てしまったという・・・

 主演は当時トレンディ俳優として売れに売れていた石田純一と、今井美樹。エリートサラリーマンの石田純一と今井美樹は婚約をしていたものの、なぜかしっくりいかずにいたところに、今井美樹の妹役の松下由樹が石田純一のことを好きになり、話がめんどくさくなるという流れだったように思います。

 思います・・・というのは、実のところ、結局二人はどうなったのか記憶にないというなんとも情けない状況なので。だからもう一度見てみたいと思います。

 なんでこのドラマが印象的なのかよくわからないのですが、自分も当時はOLで(またまたOLとは今では死語ですね・・・)、煮え切らない相手と付き合っていたこともあり、まあいろいろと自分を重ねてしまったからでしょう。

 今回の記事を書くにあたり、ネットで少しだけ動画を見てみたら、ミスターやさ男こと石田純一が若い! 確かにたぶん、かっこいい。30年後にこんなにツッコまれる芸能人になるとは、あの頃は誰が予想したでしょう? 対する今井美樹も美人。こんなにかわいかったっけ? 失礼ながら当時は「眉毛の太い人だなー」と思うくらいだったのだけど、今見たら眉毛なんか全然問題なし。最近の若い女性のメイクの濃さにすっかり慣れてしまったせいか、ここに出てくる女優さん、みなさん清楚。こうして「昔はよかった」みたいな発言をするのは老害になりかねないので、このくらいにして。

 今井美樹と松下由樹のお父さん役が伊東四朗さんなのですが、「ザ・昭和のおとうさん」って感じ。(実際は平成の始めですが。) 娘の結婚がこじれておろおろするお母さん役の佐藤オリエにせっつかれて、相手の家にお詫びの電話を入れたりしてる。

 そうか、この頃はまだ、結婚って「両家の問題」だったんだなあ。最近はもう、娘がある日突然「結婚が決まったので会ってくれる?」と言いにきたり、なんなら「もう一緒に住んでいるんだけど、籍を入れます。つきましては内輪で結婚式もするのできてね。」なんて事後承諾が珍しくないらしい。我が家にも年頃の娘たちがいますが、そう言われても驚かないかも。そもそも彼女たちの交友関係が把握できていないし。平成の30年間で、家族や親子の状況は変わりましたよね。この平成始めの「トレンディドラマ」を見ると、韓ドラに似た感じがします。韓国は今でも、家とか親子とか、すごく重要ですものね(たぶん。)

 で、ネットでついでに今、「想い出にかわるまで」のあらすじも見てみたんですけど、松下由樹は結局今井美樹から石田純一を略奪して結婚してしまうらしい。でも石田純一が結婚して2年経っても今井美樹のことを忘れられないでいることを知り、松下由樹は「取らないで!」と今井美樹の所へ訴えに行くらしい。え、取ったのは、そっちじゃないのかい? 

 にしても、こんな結末だったんだ。全然記憶になかった。(記憶しているのは、石田純一が煮え切らないヤツだったなということかな。あ、石田純一が煮え切らないわけではなく、石田純一が扮している男が、ですが) 

 肝心なことを何も覚えていないので、もう一度見てみたいと思います。ちなみに前述の「私が付き合っていた煮え切らないヤツ」とは、街道ウォークの同行人「くろやぎ」です。ある時、煮え切ったらしいです。

 

第29回街道ウォーク 岡部→藤枝 まちなみウォッチ

 「まちなみウォッチ」では、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫  山と渓谷社)に名所・旧跡として記載されているチェックポイントとは別に、「ん?」とツッコミを入れたくなったちょっとおもしろいモノや、心に残った風景などを自由気ままに取り上げます。どうぞお付き合いください。

 なお、名所・旧跡については、以下の記事にてレポートしています。合わせてご覧ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

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  まずは、朝の静岡駅前のロータリーから。駅前は、たとえ何の変哲もなくても写真に残しておきたくなってしまう・・・と思っていたら、ロータリーの中の植え込み、お茶の木ですね。

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 ズームして撮ってみました。

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 青空にひときわ目立つ煎茶の看板も地方色があって、いいですネ。さすが茶どころ静岡。(ちなみに我が家は「狭山茶どころ」にごく近く、常飲しているのは狭山茶ですが、全国的な知名度では静岡茶にはとうていかないませんね。)

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 こちらのバス停から乗ります。丸子営業所を通り、藤枝駅へ行くバスです。

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 バスの窓についていた「まりこ」のマーク。キリンがかわいい。だけど、なぜキリンなんだろう?

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 バスが走り出すとなぜか車中に「トロイメライ」のメロディーが流れ始めました。センチメンタルな旋律と、地方都市の車窓。すごーく不思議なとり合わせなんですけど? トロイメライといえば夢の歌。運転手さん、大丈夫かな? 

 そのあとも曲が少しずつ変わるのですが、いずれもクラシック。その方面に強いくろやぎ(街道ウォークの同行人&オット)が、「これは〇〇という曲である」と逐一教えてくれました。(残念ながら曲名、忘れました。)

 しばらく行きますと、社内の格調高い音楽環境を無視して、私の頭の中では ♪まりこの部屋へ~~~ 電話をかけて~~~♪ と中島みゆきの「悪女」の歌がリフレイン。なんでだろ? あ、車内アナウンスが「まりこ、まりこ」と言っている。そう、「丸子○○」と「丸子」が付く停留所が続くのでした・・・

 よく揺れるバスと静かなクラッシク音楽。そして中島みゆき。旅の最初からツッコミあり。

 

 「岡部宿柏屋前」のバス停で降ります。

 こちらが前回の終着点の岡部宿本陣跡。コロナ禍のため、門からチラ見するにとどめました。

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 小野小町の「姿見の橋」あたりからしばらくは、大きな通りから脇に入った静かな旧道が続きます。

 家々の軒下にこんな飾り物がちらほら。きれいな毬みたいだけど、「サッカーロードおかべ」と書いた短冊が揺れています。

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 近づいてよく見れば、なるほどサッカーボールみたい。

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 サッカーボールの飾り物、ここで作っているみたいですね。「藤枝てまり工房 サッカーロードおかべ」の表札に合点。

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 藤枝と言えば、サッカーの街なんですね。あまりわかっていなかったけれど。すみません。

  上記ホームページより引用します。

日本の競技スポーツは学校体育の中から始まった。この地域においても同様であった。(中略)

 大正13年(1924)4月、さまざまな問題を乗り越え、静岡県立志太中学校、のちの藤枝東高等学校は開校した。初代校長として着任したのは44歳の 錦織兵三郎 ( にしごりひょうざぶろう ) であった。この錦織兵三郎こそ、この地にサッカーの種を蒔いた最初の人であった。錦織は着任すると、生徒の体育を重視するために運動競技として「蹴球」、すなわちサッカーを取り入れることを言明した。当時、学生スポーツとしては野球が最も盛んな時代であったため、多くの反対があったが、錦織は自らの信念で蹴球を全生徒に練習させることを決めた。「校技」蹴球の始まりである。しかしこの地の大部分の者が蹴球という言葉を初めて耳にしたわけで、どんな競技であるかほとんど知らない。蹴球部の初代部長となる浜松師範出身の山口秀三郎が競技の概略を説明し、実際の指導を行った。

 なぜ錦織はこの新設校生徒全員に蹴球をさせることとしたのか。蹴球は他の競技と比べて運動量が豊富であること、ボール一つあれば多くの者が参加できることなどをあげている。

 藤枝東高校は、後に高校サッカーの強豪校となり、また藤枝市からは有名なサッカー選手も多数輩出され、現在でも「サッカーのまち藤枝」としてサッカーを核としたまちづくりが行われているのです。

 

サッカーロードで散見したなぞの物体。非常時に叩いて知らせるとか? 

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 個人のお宅の庭先に不思議な無人販売。みかんやイチジクは普通として、手作りの絵葉書(ご自由にお持ちくださいというメモ)のほか、地元のお祭りやサッカーの写真、そしてイラストなど。地元愛、サッカー愛を感じます。

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 サッカーロードが大通りに合流するところにある長嶋酒店。

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 お店の前で売っている柿やミカンのオレンジ色が鮮やかです。

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 お品書き。くろやぎ、店内に入り吟醸酒を購入。

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 軒下に飾られているのは2年前のお祭りで打ち上げられた山燈籠です。お店の人に教えていただいて初めて知りました。ありがとうございます。

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 山燈籠とは・・・ 

玉露の里として知られる岡部町(藤枝市)で『朝比奈大龍勢』(あさひなおおりゅうせい)が打ち上げられます。中世の狼煙(のろし)が発達したものといわれるロケット花火の朝比奈大龍勢は今年が2年に1度の打ち上げの年。龍勢は、高さ約20mの常設櫓から発射され白煙を上げて上昇する様子が龍の昇天を思わせるのが名の由来です。(藤枝市・浜松・伊豆情報局HPより)

 ずいぶん大掛かりな打ち上げですね。迫力ありそう。日本には面白いお祭りがたくさんあるのですね。

 今年は2年に一度のお祭りの年でしたが、コロナ禍で中止になってしまったそうです。2年後には無事に打ち上げができますように。

 

 長谷川酒店の向かいの本屋さん。

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 本屋さんでくろやぎが、「静岡県民手帳」を購入しました。手のひらサイズですが静岡県の情報がぎっしり。

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 大きな通りに合流しました。道幅は広いですが、旧街道っぽいお店が軒を連ねています。

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 「生栗の蒸し羊羹」の看板につられて暖簾をくぐりました。「すぎやま」という和菓子屋さんです。

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 生栗の蒸し羊羹は、期待通りのおいしさでした。栗が甘すぎなくて、ほくほくしてて素材の味がしました。家の近くだったら、また買いに来るのに。

 

 静岡といえばみかんでしょ。え? たけのこもなのかな?

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 野菜の種の看板に心惹かれてパチリ。後で見たら「たけの子歯科」という看板が写り込んでいました。やっぱりこの辺り、筍の名産地なのかな。

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 見つけた。「とらや」の看板。羊羹のお店ではありません。この辺りではメジャーなドラッグストアです。(前回のウォークで知ったのですが。)

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 横内橋の脇にも山燈籠がありました。長谷川酒店の軒にあったのは先端部分でしたが、全体はこんな感じ。高いなあ・・・

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 ついパチリしてしまった「ドロボー撃退」の幟。 ほんと、ドロボーは困る。

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 久々にマンホールのふたをパチリしました。藤枝市のデザインです。

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 心惹かれた布地屋さん。和風パッチワークとかできたら素敵だなあ。

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 「サッカー最中」 藤枝名物 らしい。

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 「ショッピングモールさわやか」に入りました。街灯のデザインもサッカーボールです。「サッカーのまち ふじえだ」の文字も。

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 「100円商店街」ってなんでしょうね? そのときだけ、商店街の店先が百均ショップみたいになるとか?

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 ここの商店街、なかなかユニークだったので、ついついパチリパチリしてしまいました。ご覧ください。

 

 「糸専門店って、この頃は珍しいよね」と思いながらパチリしたら、たばこも売っているらしい。

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 ハロウィンの顔はめ看板が、手作り感があっていいなと思いました。

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 あ、ここにもトラヤ。ここはドラッグストアというより、よろず屋さんっぽい。

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 ところでさっきのお店は「トラヤ」で、今度は「とらや」。とらのロゴは同じだけど。ひらがなとカタカナの違いはなんなのだろう?

 

 長楽寺商店街の街灯です。こちらはサッカーではなく、東海道の宿場町を前面に。広重さんの「東海道五十三次」の藤枝宿の画も掲げられています。

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 宿場の中心に入りました。上伝馬商店街の街灯です。藤枝の名前の由来となった若一王子神社があるためか、「藤の里」と掲げてられています。

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 ハンコ屋さんです。時節柄、「頑張ってください」という気持ちをこめて。ハンコは日本の文化です。日常のビジネスの場面で使われなくなっていくかもしれませんが、完全になくなることはないでしょう。

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 老舗っぽいお米屋さん。

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 おすすめの小冊子、いただいて帰りました。

 

 今回のウォークの終着点です。広重さんの「東海道五十三次」の岡部宿の画の問屋場があった場所に建つ交番。外観を宿場の雰囲気に寄せています。

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 終着点の交番からテクテクひたすら歩いてやっとたどり着いた藤枝駅です。これぞホントの終着点。

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 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 年内にあと2回、ウォークをしたかったのですが、コロナ感染の第3波となり、見合わせました。またサクサクとウォークができる日が早く来ることを願いつつ、今年のウォークはこれにて締めたいと思います。

 ウォーク以外の話題で、しばらくつなぐ予定です。またお越しください。

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第29回街道ウォーク 岡部→藤枝②

街道ウォーク 岡部→藤枝の後半です。

「す〇や」の牛丼でチャチャッと昼食。エネルギーチャージして、再び元気に歩きだしました。先はまだまだ結構長い。がんばるぞー。

  しずてつストアをはじめ、この辺りお店が集まっていて、無事に昼食をとることができました。

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 県道を横断し、モスバーガーの脇を入ります。目印はモスバーガー。

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 モスバーガーを入ってから1本目を左折しますと、こんな静かな道に。

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名残り松

  確かに、名残り松。でも、さっき見てきた松並木の印象が強くて、あんまりびっくりしなかったです。ゴメンナサイ。

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東大木戸跡

 これより、藤枝宿になるのですね。と言いたいところですが、ここでいいのかな? 木の杭が1本立っていますが、文字が判読できないので確証がありません。位置的にここで間違いないとは思うのですが。

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 木の杭を含めた全景は、こんな感じです。

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濱小路

 標柱に、「是より焼津港まで一里余」と書いてあります。よかった、今度は判読できた。

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 標柱の先の道がこちら。濱小路。ここを行くと焼津港なのかぁ。なんか、すごいね。

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成田不動

 かの有名な成田山新勝寺の末寺です。

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 上の方が影になって読めないのですが、説明板をアップします。

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  建長四年(一二五二)後嵯峨天皇の第一皇子宗尊新王が将軍となるため京都から鎌倉へ上る途中、ここ藤枝で乗っていた御所車の左車輪が折れてしまいました。そこで車を修理する間、照光院というお寺で休息され、照光院は「左車山 休息寺」と改名しました。また、壊れた左の車輪は、お寺の裏に埋めて神社を建立し、左車神社と名付け、この辺りの地名も左車となりました。

 戦国時代になり、お寺は二度焼失し廃寺同然となっていましたが、明治になって成田山新勝寺の御分身を拝受し成田山の末寺としてぜんざいに至ります・・・

 といったことが書かれています。

 

左車神社

 さて、お寺とセットの左車神社ですが・・・

 お寺の裏手に回っても、それらしいものは見当たりません。

 このような案内表示がありましたので、その通りに細道を入っていきますと・・・

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 ん? なんだこれ?

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 位置的にはここで間違いなさそうですが、なにもないぞ。強いて言えば、イチョウの樹がご神木っぽいかも。たぶん、新しい道路を通すために、移転したか取り壊されたかしたのですね。本日最大のびっくり。
 他の方のブログ(2019年5月)を拝見したら、この場所に小さなお社が写っている写真が載っていました。現在、神社はいずこに?

町境標石

 左車神社のショックをやや引きずりながら歩いて行きますと、信用金庫の前にちょっと目立つ石像が。

 しかし、これに気を取られてはいけません。信用金庫の看板の足元の小さな標石こそ、チェックポイントの町境標石なのです。

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 近づいてよく見ますと、「従是西下伝馬 従是東左車」と刻まれています。

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 標石を含めた街道全景です。

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大手口

 田中城の大手木戸があったという「大手口」は、決め手になる表示が見つからず。モヤモヤしますがないものは仕方がありません。バス停の写真をアップしておきます。

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 この道が、田中城に続いていたのでしょうか・・・

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 チェックポイントにはなっていませんが、歩道上に「問屋場跡」の表示を見つけましたので、パチリしました。

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 「問屋場跡」表示のある場所の全景です。

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町内安全常夜燈

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 どっしりと目立つ常夜燈。これは見逃しようがありません。奥に恵比寿大神大黒天が祀られているそうです。ガイドブックに書いてあったのに、なぜか見落としました。なぜ見落としたんだろう? そのかわりなぜか、常夜灯が設置されている広場のベンチが七福神なのが面白くて、パチリした私です。ウォーク後半で、集中力がやや切れてきたかも。

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養命寺

 常夜燈のある広場の向かいにあります。弘法大師作の石地蔵があるそうです。確かに、「南無延命地蔵菩薩」という赤い幟が出ていますね。

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 これよりアーケード通りとなります。

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 その名も「ショッピングプロムナードさわやか通り」。

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白子由来記碑

 アーケード通りの歩道上に、まず表示がありました。

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 こちら小川眼科医院の入り口にあります。手前の大きな看板に目が行ってしまいますが、奥の石碑がそれです。

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 石碑には、なぜこの辺りを「白子」と呼ぶのか、地名の由来が説明されているようです。それだけではどうもわかりにくいので、看板にていねいな説明書きが掲げられていました。なかなか親切。

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 織田信長に招かれて徳川家康が上洛していた時に、折しも本能寺の変が起こり、畿内が大混乱となってしまいます。家康はなんとか伊賀路を超えて伊勢の国の白子に到着。小川孫三が白子港から夜に紛れて小舟を出して、無事に家康を三河へ送り届けました。後でこのことを詳しく聞いた家康は、当地に居住することを許し、この地を新白子と名付けました。

 ということが書いてあります。書き出しが「家伝によると」となっているので、この看板を設置したのは子孫の小川眼科さんなのですね。ありがとうございます。

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慶全寺

 街道より一本入った静かな通りにあります。ガイドブックによれば、長篠の戦いで戦死した田中城主三枝虎吉の息子三人の菩提を弔っているお寺とのことですが、門が閉まっていたので外観のみです。

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蓮生寺

 街道から、このような参道に入ります。しっとりとした静かなお寺です。

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 ガイドブックによれば出家した熊谷直実が泊まり、念仏十篇を唱えると、池に清蓮花が咲いたとか。肝心の池は、この本堂のある場所よりさらに北にあります。足を延ばしたいところですが、時間が限られているので先を急ぎます。

秋葉山常夜燈

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 長楽寺というお寺のもののようですね。

 

藤枝だるま店

 創業170年の老舗という、大変有名なお店です。楽しみにしていたのですが、この日はお休みでした。もっと大きなお店を想像していたのですが、意外にも普通の感じ。

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若一王子神社御神燈

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若一王子神社

 藤枝の地名の由来になった神社です。

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 説明板をアップします。

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 源義家が奥州争乱を平定するために下向した際、ここ若王子神社に立ち寄り武運長久を祈願しました。そのとき神社の古い松の木に今を盛りと藤の花が咲いていたのをみて

松に花咲く藤枝の一王子 宮居ゆたかに幾千代をへん

という和歌を詠み、自身も松を手植えしました。その後、この松を千歳の松と呼ぶようになり、この辺り一帯は藤枝と呼ばれるようになりました。

 ということが書いてあります。

 

 境内には現在は松というよりは、様々な樹木が繁り、こんもりとしておりました。

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 「疫病終息祈願」 

 はあ、これに尽きますね! 世界全人類の願い。

 

神明神社

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 ガイドブックによれば明治天皇藤枝行在所址碑があるそうですが、見落としました。(今回そういうの、多いですね。反省)

 替わりにと言ってはなんですが、大きな銀杏の木に目が奪われておりました・・・

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大慶寺

 日蓮上人お手植えの久遠の松(樹齢700余年)が有名だそうですが・・・

 あ、これですね! 塀の外からでも目立ちます。

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 説明板をアップします。

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 田中城祈願のお寺です。

 

下本陣跡

 下本陣跡・上本陣跡・問屋場跡と、ごく近くにまとまって、歩道上に表示があります。こちら、まず下本陣跡。

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 跡地はこのようになっています。

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上本陣跡

 続いて上本陣跡の路上表示と跡地風景です。

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問屋場跡

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 問屋場跡は交番になっています。

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 大きな看板もありました。江崎パーキングさん、ありがとうございます。

 

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 安藤広重の東海道五十三次の版画になった場所です。

 版画はこちら。

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 問屋場跡を含めた街道の様子。なーるほど。

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 さて、この日のウォークはここで終了となりました。が、実はこの後、街道ウォークとは別に過酷な時間が。というのもここからバスで藤枝駅まで行くつもりだったのですが、ちょうどバスがなくて、寒い中をじっと立って待っているよりはと、せっせと歩いたのであります。あー疲れた。

 

  藤枝駅です。次回はここから先ほどの場所までバスで戻ってウォークをスタートさせます。

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 ここまでお読みくださりありがとうございました。そう遠くないうちに、今回のウォークの「まちなみ」について書きます。またよろしくお願いいたします。

 

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