「まちなみウォッチ」では、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)に名所・旧跡として記載されているチェックポイントとは別に、「ん?」とツッコミを入れたくなったちょっとおもしろいモノや、心に残った風景などを自由気ままに取り上げます。どうぞお付き合いください。
なお、名所・旧跡については、以下の記事にてレポートしています。合わせてご覧ください。
まずは、朝の静岡駅前のロータリーから。駅前は、たとえ何の変哲もなくても写真に残しておきたくなってしまう・・・と思っていたら、ロータリーの中の植え込み、お茶の木ですね。
ズームして撮ってみました。
青空にひときわ目立つ煎茶の看板も地方色があって、いいですネ。さすが茶どころ静岡。(ちなみに我が家は「狭山茶どころ」にごく近く、常飲しているのは狭山茶ですが、全国的な知名度では静岡茶にはとうていかないませんね。)
こちらのバス停から乗ります。丸子営業所を通り、藤枝駅へ行くバスです。
バスの窓についていた「まりこ」のマーク。キリンがかわいい。だけど、なぜキリンなんだろう?
バスが走り出すとなぜか車中に「トロイメライ」のメロディーが流れ始めました。センチメンタルな旋律と、地方都市の車窓。すごーく不思議なとり合わせなんですけど? トロイメライといえば夢の歌。運転手さん、大丈夫かな?
そのあとも曲が少しずつ変わるのですが、いずれもクラシック。その方面に強いくろやぎ(街道ウォークの同行人&オット)が、「これは〇〇という曲である」と逐一教えてくれました。(残念ながら曲名、忘れました。)
しばらく行きますと、社内の格調高い音楽環境を無視して、私の頭の中では ♪まりこの部屋へ~~~ 電話をかけて~~~♪ と中島みゆきの「悪女」の歌がリフレイン。なんでだろ? あ、車内アナウンスが「まりこ、まりこ」と言っている。そう、「丸子○○」と「丸子」が付く停留所が続くのでした・・・
よく揺れるバスと静かなクラッシク音楽。そして中島みゆき。旅の最初からツッコミあり。
「岡部宿柏屋前」のバス停で降ります。
こちらが前回の終着点の岡部宿本陣跡。コロナ禍のため、門からチラ見するにとどめました。
小野小町の「姿見の橋」あたりからしばらくは、大きな通りから脇に入った静かな旧道が続きます。
家々の軒下にこんな飾り物がちらほら。きれいな毬みたいだけど、「サッカーロードおかべ」と書いた短冊が揺れています。
近づいてよく見れば、なるほどサッカーボールみたい。
サッカーボールの飾り物、ここで作っているみたいですね。「藤枝てまり工房 サッカーロードおかべ」の表札に合点。
藤枝と言えば、サッカーの街なんですね。あまりわかっていなかったけれど。すみません。
上記ホームページより引用します。
日本の競技スポーツは学校体育の中から始まった。この地域においても同様であった。(中略)
大正13年(1924)4月、さまざまな問題を乗り越え、静岡県立志太中学校、のちの藤枝東高等学校は開校した。初代校長として着任したのは44歳の 錦織兵三郎 ( にしごりひょうざぶろう ) であった。この錦織兵三郎こそ、この地にサッカーの種を蒔いた最初の人であった。錦織は着任すると、生徒の体育を重視するために運動競技として「蹴球」、すなわちサッカーを取り入れることを言明した。当時、学生スポーツとしては野球が最も盛んな時代であったため、多くの反対があったが、錦織は自らの信念で蹴球を全生徒に練習させることを決めた。「校技」蹴球の始まりである。しかしこの地の大部分の者が蹴球という言葉を初めて耳にしたわけで、どんな競技であるかほとんど知らない。蹴球部の初代部長となる浜松師範出身の山口秀三郎が競技の概略を説明し、実際の指導を行った。
なぜ錦織はこの新設校生徒全員に蹴球をさせることとしたのか。蹴球は他の競技と比べて運動量が豊富であること、ボール一つあれば多くの者が参加できることなどをあげている。
藤枝東高校は、後に高校サッカーの強豪校となり、また藤枝市からは有名なサッカー選手も多数輩出され、現在でも「サッカーのまち藤枝」としてサッカーを核としたまちづくりが行われているのです。
サッカーロードで散見したなぞの物体。非常時に叩いて知らせるとか?
個人のお宅の庭先に不思議な無人販売。みかんやイチジクは普通として、手作りの絵葉書(ご自由にお持ちくださいというメモ)のほか、地元のお祭りやサッカーの写真、そしてイラストなど。地元愛、サッカー愛を感じます。
サッカーロードが大通りに合流するところにある長嶋酒店。
お店の前で売っている柿やミカンのオレンジ色が鮮やかです。
お品書き。くろやぎ、店内に入り吟醸酒を購入。
軒下に飾られているのは2年前のお祭りで打ち上げられた山燈籠です。お店の人に教えていただいて初めて知りました。ありがとうございます。
山燈籠とは・・・
玉露の里として知られる岡部町(藤枝市)で『朝比奈大龍勢』(あさひなおおりゅうせい)が打ち上げられます。中世の狼煙(のろし)が発達したものといわれるロケット花火の朝比奈大龍勢は今年が2年に1度の打ち上げの年。龍勢は、高さ約20mの常設櫓から発射され白煙を上げて上昇する様子が龍の昇天を思わせるのが名の由来です。(藤枝市・浜松・伊豆情報局HPより)
ずいぶん大掛かりな打ち上げですね。迫力ありそう。日本には面白いお祭りがたくさんあるのですね。
今年は2年に一度のお祭りの年でしたが、コロナ禍で中止になってしまったそうです。2年後には無事に打ち上げができますように。
長谷川酒店の向かいの本屋さん。
本屋さんでくろやぎが、「静岡県民手帳」を購入しました。手のひらサイズですが静岡県の情報がぎっしり。
大きな通りに合流しました。道幅は広いですが、旧街道っぽいお店が軒を連ねています。
「生栗の蒸し羊羹」の看板につられて暖簾をくぐりました。「すぎやま」という和菓子屋さんです。
生栗の蒸し羊羹は、期待通りのおいしさでした。栗が甘すぎなくて、ほくほくしてて素材の味がしました。家の近くだったら、また買いに来るのに。
静岡といえばみかんでしょ。え? たけのこもなのかな?
野菜の種の看板に心惹かれてパチリ。後で見たら「たけの子歯科」という看板が写り込んでいました。やっぱりこの辺り、筍の名産地なのかな。
見つけた。「とらや」の看板。羊羹のお店ではありません。この辺りではメジャーなドラッグストアです。(前回のウォークで知ったのですが。)
横内橋の脇にも山燈籠がありました。長谷川酒店の軒にあったのは先端部分でしたが、全体はこんな感じ。高いなあ・・・
ついパチリしてしまった「ドロボー撃退」の幟。 ほんと、ドロボーは困る。
久々にマンホールのふたをパチリしました。藤枝市のデザインです。
心惹かれた布地屋さん。和風パッチワークとかできたら素敵だなあ。
「サッカー最中」 藤枝名物 らしい。
「ショッピングモールさわやか」に入りました。街灯のデザインもサッカーボールです。「サッカーのまち ふじえだ」の文字も。
「100円商店街」ってなんでしょうね? そのときだけ、商店街の店先が百均ショップみたいになるとか?
ここの商店街、なかなかユニークだったので、ついついパチリパチリしてしまいました。ご覧ください。
「糸専門店って、この頃は珍しいよね」と思いながらパチリしたら、たばこも売っているらしい。
ハロウィンの顔はめ看板が、手作り感があっていいなと思いました。
あ、ここにもトラヤ。ここはドラッグストアというより、よろず屋さんっぽい。
ところでさっきのお店は「トラヤ」で、今度は「とらや」。とらのロゴは同じだけど。ひらがなとカタカナの違いはなんなのだろう?
長楽寺商店街の街灯です。こちらはサッカーではなく、東海道の宿場町を前面に。広重さんの「東海道五十三次」の藤枝宿の画も掲げられています。
宿場の中心に入りました。上伝馬商店街の街灯です。藤枝の名前の由来となった若一王子神社があるためか、「藤の里」と掲げてられています。
ハンコ屋さんです。時節柄、「頑張ってください」という気持ちをこめて。ハンコは日本の文化です。日常のビジネスの場面で使われなくなっていくかもしれませんが、完全になくなることはないでしょう。
老舗っぽいお米屋さん。
おすすめの小冊子、いただいて帰りました。
今回のウォークの終着点です。広重さんの「東海道五十三次」の岡部宿の画の問屋場があった場所に建つ交番。外観を宿場の雰囲気に寄せています。
終着点の交番からテクテクひたすら歩いてやっとたどり着いた藤枝駅です。これぞホントの終着点。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
年内にあと2回、ウォークをしたかったのですが、コロナ感染の第3波となり、見合わせました。またサクサクとウォークができる日が早く来ることを願いつつ、今年のウォークはこれにて締めたいと思います。
ウォーク以外の話題で、しばらくつなぐ予定です。またお越しください。
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