てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

肘頭骨折 術後136日目 ハタチの頃

今週のお題「二十歳」

 

 せっかくなので(何がせっかくだか謎ですが)、「二十歳」ネタでもう一回。今度は自分のことを。

 

 あの頃を振り返ってみて、ちょっとおもしろいなと思うのは、今私のライフワークとなっている街道ウォークの片鱗があったことです。それは・・・

 

札所めぐり

 大学2年生から3年生になる春休み(つまり二十歳でした)に、秩父の札所めぐりをしました。埼玉県秩父市には34か所の札所があります。30番目以降は、それぞれの場所が離れていて、しかも山奥のとても不便なところにあるので巡るのが大変ですが、15番くらいまでならそんなに大変ではありません。(確か・・・) 

 で、私は、なぜか突然思い立って、春のうららかなある日、一人で出かけてみました。両親と住んでいた自宅は東京郊外。秩父まではさほど遠くはありません。

 先ほど、そんなに大変ではないと書きましたが、それでも3番4番あたりは距離がまあまあ離れていて歩き甲斐があります。ひたすらてくてく歩いて、おなかがすいてもお昼を食べるところがなかったので、よろず屋さんでエンゼルパイをひとつ買って、どこかのお寺の山門の脇で食べました・・・ これ、女子一人でやっているんですよね。変わり者だったかも。

 カメラを持っていきました。オリンパスの手のひらにすっぽり収まる小さなカメラです。あの頃、オートで撮影できるカメラが一般的でしたが、このカメラは、シャッター速度も絞りも距離もすべて手動。「今日の天気は晴れだから、絞りは11かな。」「距離は、景色を撮るから∞だな。」とか考えて、設定してからパチリします。フラッシュ機能はついていないので、夜景は、絞りを最大にして、シャッター速度を一番遅くして撮影するのですが、案外いい感じに上がり、嬉しかったです。

 修学旅行にも持って行った父親のこのカメラを、この時も借りていき、各札所や周辺の景色をパチリしました。

 「あれ? これ、今と変わってないぞ」と気が付いて、可笑しくなりました。

 

奥の細道

 3年生の夏休み(つまり二十歳です)、1つ下の後輩と二人で、東北旅行をしました。私が「奥の細道をたどる旅をしてみたいんだよね」と言ったら、「それ、やりましょう!」と彼女が言ってくれて実現しました。ルートは確かこんな感じ。

 上野→①仙台(松島)→②遠野→③平泉(中尊寺)→④⑤天童(山寺)(最上川下り)→⑥羽黒山→⑦酒田(車中泊)→上野 

 7泊8日の旅でした。

 遠野は松尾芭蕉とは関係ありませんが、民話の里ということに惹かれて立ち寄り、曲がり屋に泊まりました。

 あとは基本、芭蕉の句碑がある場所を訪ね、もちろん句碑をパチリしました。

 ありゃ、これも今と変わってないし・・・

 最近の年賀状によれば、くだんの後輩も街道を歩いている様子、「ありゃりゃ、キミも変わっていないね」と思いました。

 

 伊勢参り

 大学3年生の夏休み(つまり二十歳)、ゼミ合宿で伊勢を訪ねました。目的は、とある旧家の土蔵に眠る古文書の解読。蒸し暑い民家の2階で汗水たらしながらみんなで解読していると、その家のおばあさまが(おばあさまというより、気さくなおばあちゃんと言った方がイメージに近いのですが)、麦茶やらお菓子やらせっせと差し入れてくださったことを懐かしく思い出します。

 せっかく伊勢まで来たので伊勢神宮に参拝し、真っ黒なたれのかかったまっしろな伊勢うどんも食べました。見た目よりさっぱりしていてびっくり。そして、赤福本店で食べた出来立ての赤福の柔らかくて美味しかったことと言ったら・・・! また食べたいなあ。

 宿泊先は「麻吉旅館」というところでした。江戸時代創業の古い旅館で、すごく雰囲気のあるところでした。先日、ネットで検索してみたら、今でも続いているんですね。嬉しかったです。

 私の所属していたゼミは、「近世国文学ゼミ」と言いました。江戸時代好きはこの頃から。今と変わらない・・・

 

 人は二十歳のころには、趣味とか嗜好とかはある程度、できているんですね。

 対して、あの頃と変わってしまったのが、体力・健康。20代になりたての頃は、健康不安は皆無に等しく、実際、めったに病院のお世話にはならなかったし。

 ン十年後に、骨折でポンコツになり、あっちが痛い、こっちが痛いとブログに綴るおばさんになるとは・・・! そもそも、ブログってものが世の中にありませんでしたけれど。

 昨日書きましたように、今の世の中は電子機器の席巻する時代です。

 高度成長期に生まれ、「このごろの子どもは贅沢だ」と言われ(贅沢にさせているのは大人なのにね)、バブル崩壊前夜に二十歳だった私たちですが、そろそろ、電子機器時代の申し子のハタチ世代に、いろいろバトンタッチするとき。

 ちなみに、バブル期といえば、ディスコのお立ち台で踊るお姉さんたちの映像がよく流されますね。テレビを見ていると子どもたちに、「ディスコってあんな感じなのね?」と聞かれますが、私はディスコには一度も行ったことがありません。史跡めぐりが好きな、ちょっと変な女子でした・・・

 

 今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。

肘頭骨折 術後135日目 2000年生まれのハタチ

今週のお題「二十歳」

 

 我が家には2000年生まれの息子がいます。このブログにはあまり登場しませんが、骨折をしたとき、いち早く家族lineに反応して駆けつけてくれた(もっともそれまで爆睡していて、lineに気が付いたのは2時間後でしたが・・・)まあまあ頼りになる青年です。今回はサンプルをもとに、2000年生まれで今年二十歳になる(成人式は来年です)イマドキの青年について、書いてみます。もっともサンプルは1名ですので、汎用性に乏しいかもしれませんが、その辺はご容赦ください。

 

 イマドキの・・・と言いますと、私たちもン10年前は「イマドキの若者」でした。

 「イマドキの子どもはナイフで鉛筆を削れない。」だの「もやしっ子」だのと嘆かれ、成長すれば「シラケ世代」と揶揄され、バブルの時期に青年期を謳歌して「まったくイマドキの若者は・・・」と呆れられたものですが・・・

 

2000年生まれについて思うこと その1 電子機器時代の申し子

 2000年生まれは、当たり前ですが平成12年生まれです。昭和はかなり遠くになってしまってから生まれました。数は少なかったものの、パソコンを持っている家もありました。(一家に1台と言うほどには普及していませんでした。今では一人1台なのにね。)

 息子が幼稚園の時、携帯電話を持つママ友が増えました。普及は加速し、2005年頃には、持っていない私は少数派。メールできないという理由で、幼稚園の役員間での連絡が事後報告になり、正直不愉快だったこともありました。高校生の時は(つい最近ですね)、PTAの主な連絡手段はグループline。スマホを持っていない人は肩身が狭そうでした。こういうのって、多数決なんですよね。なんだかなあと思います。あ、話がそれましたね。

 何が言いたいかというと、2000年生まれは電子機器の急速な普及とともに成長してきた人たちなのです。

 7歳上の長女が小学生の時は、母親同士の連絡はすべて電話。クラスの連絡網には住所まで記載されていました。「〇〇ちゃんのうちに遊びに行く」と言われても、相手の家の場所がわかるので安心でしたが、彼の時はどこだかさっぱり・・・。個人情報に厳しくなったのも2000年以降なんじゃないでしょうか。

 中学卒業を前にスマホを買い与えました。若干遅めのタイミングでしたが、ちゃかちゃかいじって半日で操作をマスター。この年代の子は、電子機器の扱いに慣れている。私なんか、マニュアルに首っぴきでも、理解するのに丸一日以上かかりますから。さすが電子機器時代の申し子。

 高校に入学すると、入学式のその日のうちにクラスlineが作られたのにもびっくり。ちなみに4歳上の次女が高校に入学したときは、スマホとガラケーと半々でした。彼女が高校在学中に、急速にlineが普及します。

 私はと言うと、2年前までガラケーを使っていたのですが(これはかなり遅めですね)、スマホにしたときに当時高校生の息子が、あっという間に設定をしてくれました。いつの間にこんなに詳しくなったのだろうとびっくり。

 さらにはつい数か月前にパソコンを新しくしたときには、設定をすべてやってくれて本当に助かりました。そもそも日ごろからパソコン関連でわからないことがあるとすぐに彼に聞いてしまいます。「自分で考えな」とも言わずに対応してくれる彼は、本当に優しいです。そして私はどんどんダメになっていく・・・?

 

2000年生まれについて思うこと その2 災害とともに

 2000年生まれのハタチは、生きてきたちょうどその半分くらいの時期に、とてもショッキングな出来事に遭遇しています。東日本大震災です。小学校4年生でした。

 2011年3月11日のあの時、彼は学校にいました。ちなみに我が家は東京の郊外です。

 教室で帰りの会をしていますと、ガタガタと揺れだし、あっという間に大揺れに。教室の後ろのロッカーからランドセルがすっぽんすっぽん飛び出してきて、なぜか子どもたちはゲラゲラ笑ってしまったそうです。(本当に怖いと笑ってしまうこともあるらしい・・・) それを見て先生が(50代の女性の先生。いつもはとても優しい先生です。)、「いいかげんにしなさい!!!」と恫喝。それからハッと我に返り、「窓ガラスから離れなさい!」と。「先生が一番焦ってたよ。」と息子は言っていましたが、泣いている女の子もいたようで、パニックだったようです。

 息子は妙に落ち着いたところがある子で(もっと小さいときも、今も)、防災頭巾をかぶって校庭に避難しているとき、家の人が迎えに来ないと帰ってはいけないのに、「お母さんは家にいます」と言って帰ってきてしまったんです。

 私はこの日は仕事でした。今と同様、小学校の司書をしていました。地震発生時、図書室の隣は5年生の教室でしたが、静かです。見に行きますと、子どもたちは担任の先生の指示のもと黙って、机の下に潜っていました。経験したことのない揺れにすっかり動転した私は、後でわが身を恥じました。

 今年になってから、やはり学校でやや強い揺れの地震があったことがありましたが、子どもたちは何も言われなくても、サッと机の下に潜りました。平成生まれの子どもたちの防災意識はすごいです。

 そう、2000年生まれは、10歳というある程度大きくなった時期に、災害を経験しています。あの時、わが町は、確か震度4強でした。私が家に着いたとき、「お母さんは家にいます」と言って帰ってきてしまった息子は、姉とテレビに釘付けになっていました。そして、さらにその晩、家のテレビで見た衝撃的な映像の数々。数日後の原発のメルトダウン。東京も危ないのではないかと親も周囲の大人も不安を隠さずにいる中で、10歳の子どもたちは何かを悟ったかもしれません。

 東日本大震災の後も自然災害による被害は、あとを絶ちません。「日本は自然災害の国である。日本にいる限り、地震の不安からは逃れることができない。それでも自分は日本にいる。」という諦めのようなもの(悟り? 覚悟?)を持っているように思います。これは大人もですけれど。

 

2000年生まれについて思うこと その3 いつの時代も若者は・・・

 2014年、息子が14歳の時、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。世論では、これにより自衛官を志望する若者が減り、徴兵制が復活するのではないかという危惧も取り沙汰されもしました。私は、それはなかろうと思いつつ、年頃の息子を持つ母親として心穏やかにはなれず、彼に聞いてみました。「もしも、徴兵制になったらどうする? というか、徴兵制ではなくても、志願をすすめられたりしたら?」

 「ぼくは行かない。」と言うのではないかと、なんとなく思っていました。ところが彼はこう答えたのです。

 「そりゃいくでしょ。周りが行くのに、自分だけ行かないっていう選択肢はないよ。」

 こうして、70余年前も、軍隊に志願した人がたくさんいたのでしょう。戦後70年以上経っても、人々の根っこにあるものは変わらないのかもしれません。21世紀になっても、電子機器が進化しても・・・。「イマドキの・・・」と言うけれど、案外、若者の本質には普遍性がある。

 「自分だけ行かないという選択肢はない。」というわが息子の発言を、間違っているとか、長いものに巻かれているなどとは思いません。友だちとの関係の中で生きる自分を大切に考えるのは、この年齢の子どもにとって、ごく自然なことなのではないでしょうか? 順調に成長したのだなと感じ、私はまたまた自分を少し恥じました。

 だから・・・どうか若者の真摯な思いが砕けるような不幸な世の中になりませんようにと、願わずにはいられません。オリンピックイヤーもよいのですが、平和ボケをしませんように、私たち年長者は気を引き締めていかなければと思っています。

 

 これが、私の「イマドキの若者観」と、彼らへの想いです。

 

 今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。

肘頭骨折 術後134日目 曲げ伸ばしだけじゃない

 今週は4日しか働かなかったのに、週末がとても待ち遠しかったです。やっと金曜日。凝っている全身をほぐしたかったので、久々にスーパー銭湯に行きました。

 と言っても、今まで行っていたスーパー銭湯には事情があって行けなくなってしまったので、今回から別の所を開拓しました。慣れないのでシステムがわからず、ちょっとオタオタ。前のところは少々薄暗くてモヤっていました。そこがまた、妙に落ち着いたんですけれど。スーパー銭湯と言いながら、街の銭湯に近い親近感がありました。行けなくなったのは、本当に残念です。

 今度のところは、ギンギラギン。不便な場所にある分、敷地は広く、輝く殿堂みたいな建物。スーパー銭湯というより、スパ。リゾート施設っぽいです。新しい施設なので、お風呂スペースはとても気持ちいいです。天然温泉だし、お湯も上々。今日みたいに1時間くらいで帰るより、もっとゆっくり楽しんだ方がいいのかもしれないです。値段もちょっと高めだし、さっさと帰るのはもったいないかな。1か月に1回くらいプチ贅沢でリピートしようかしら。

 

 やっぱり大きなお風呂は全身がほぐれていいですね。そう言えば先月は、しきりに右手の親指の付け根が痛いとこのブログでも訴えていましたが、この頃は調子いいです。リハビリの先生に「腱鞘炎なら、使わないことの一択です。」と言われましたが、年末年始、確かに使わなかったんですよね。

 私は仕事で日常的に本棚の整理をしているのですが、それでかなり右手の親指に負担をかけています。思い返してみれば、冬休みで本の整理はしなかったですものね。納得。せっかく調子よくなったので、また悪くならないように気を付けなくては。仕事中は親指サポーターをつけるとか、作業は片手だけでやってしまわないようにするとか、気をつけること、いろいろありそうです。

 

 そもそも右手が痛くなったのは左手をかばうからなのですが、どのくらい左手を使っても大丈夫なんでしょうね? 腕立て伏せはまだNGですね。じゃあ、壁ドン腕立て伏せはどうなんだろう? 重い段ボールを両手で持つ勇気はないけれど、手提げ袋くらいなら、左手で持っていいのかな? 手提げ袋の重量によると思うけれど。

 左腕を使っていないから、筋肉が落ちているみたいです。見た目も細腕かも。筋トレしてもいいのかな? 500mlのペットボトルを上げ下ろしするトレーニングを以前にしていましたが、肘が痛いときがあるのでやらなくなっています。再開してみていいのかしら?

 

 そうか、こういう疑問こそ、プロに聞くといいのですね。来週久しぶりにリハビリの予定があるので、質問してみよう。

 

 肘の曲げや伸ばしは、リハビリとしては大方目標達成まで来ていると思うのですが、リハビリってそれだけじゃないなあと実感するこの頃です。もっとしっくりくる腕にしたいし、筋肉をつけて強い腕にしたい。まだまだ探求は続きます・・・

 

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肘頭骨折 術後133日目 ローズマリーチンキのその後

 これを怪我の功名と言っていいのかは分かりませんが、主婦湿疹でガサガサだった私の手が、何十年かぶりですべすべです。なぜか? それは、左肘の手術痕にこまめにクリームをすりこんでいて、手についている余ったクリームをついでに両手にすりこんでいたせいだと思われます。手荒れの治療は、保湿に尽きる! この当たり前のことが、長年できていなかったんですね。

 肘にはまず、化粧水(特にこだわっていないのですが、私は手足用にちふれの保湿化粧水を使っています。)をすりこんでから、クリームを塗るとよくなじむことも発見しました。クリームは、皮膚科でもらったヘパリン類似物質のクリームでしたが(処方箋がないと手に入らないようです)、使い切ってしまったので、最近はドラッグストアで買ったリーズナブルな馬油クリームに切り替えています。

 

 ところで、以前、ローズマリーチンキについてブログに書きましたが、最近、このチンキを使った軟膏も使ってみたりしています。

 チンキを作ったときのブログはこちらです。

www.lupinus-shiroyagi.com

 

  元気に繁る庭のローズマリー、なにかイイコトに使えないかなーともくろんで、チンキを作りました。チンキとは、ハーブの成分をエタノールに浸すことで作られる液状の製剤です。といっても、難しいものではなくて、私は以下のようなレシピで作りました。

〈準備するもの〉

  • ローズマリー 20g(乾燥) 30g(フレッシュ)
  • 無水エタノール 100㏄
  • 広口ビン

〈作り方〉

  1. ビンに熱湯をかけて消毒する。
  2. フレッシュローズマリーはよく洗い、枝から葉っぱを外す。
  3. ビンの中にハーブを入れて無水エタノールを注ぐ。
  4. きっちり蓋をして、直射日光の当たらないところに2~3週間置く。

 たったこれだけなのですが、実は反省が。

 私は、フレッシュで作ったのですが、かさが多くて、無水エタノールにきちんとつからなかったのです。ビンをよく振って全体にいきわたるようにはしましたが。

 手間ですが、フレッシュハーブ30gを乾燥させて細かく砕いて(おそらく20gくらいになるのかなと)、無水エタノールをひたひたになるまで注ぐ(おそらく100㏄)といいのではないかなと思います。

 

 出来上がったチンキですが、ひたひたに浸かっていなかったので悪くなっていないか若干の不安が。念のためクンカクンカしてみて、大丈夫そうだったので軟こう製造に踏み切りました。

レシピは以下の通りです。

〈準備するもの〉

  •  チンキ
  • ワセリン
  • 大きめの広口ビン
  • ガラス棒
  • 保存用容器

〈作り方〉

  1. チンキは、コーヒーフィルターで漉す。(色がうつるので、茶こしより使い捨てのフィルターの方が無難)
  2. 漉したチンキの分量を量り、大きめの広口ビンに移す。
  3. 広口ビンの中に、チンキの倍量のワセリン(チンキ10mlなら、ワセリン20グラム)を投入。
  4. 小鍋に広口ビンを入れ、ゆせんにしながら、ガラス棒でよくよく混ぜる。
  5. 完全にまざってアルコール分が飛んだら、保存容器に小分けにする。
  6. 粗熱が取れたら固まるので、完成。

 

 こうしてめでたく軟膏が出来上がったわけですが、写真がないのは、実は失敗したからです。

 ワセリンとチンキが完全になじまず、分離してしまいました・・・

 でも、液体部分は捨てて固まった部分だけを残して、軟膏として使っています。

 

 使った感想は・・・

 結構べとべとですが、よくよくすりこむとカサカサの皮膚がすべすべになります。マッサージクリームとしていいような気がします。

 いつも使っている馬油の方が何となく安心して使える気がするので(やっぱり自分で作ったので、イマイチ信用できない?)、少しずつ様子を見ながら使ってみます。今、まさに困っているガサガサのひび割れかかとに良さそう。

 

 ローズマリーチンキ&軟膏作りについては、まだまだ改良の余地があります。最大の課題は、どうすれば分離しないでなじませることができるのかと言うこと。軟膏は、きれいな緑色になります。分離しなければ、見た目もおしゃれ。

 近いうちにリベンジして、うまくできたら、写真とともにまた報告しますね。

 

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肘頭骨折 術後132日目 なにかが入っている

 今朝は3分だけストレッチをしてから出かけました。目標は5分だったのですが、しないよりいいですよね。これから歩くのでアキレス腱伸ばしと、一日の始めなので上半身伸ばしを。そのあと25分、せっせとバス停まで歩きますと、体が温まるような気がします。

 今日は始業式です。バスを降りて駅から職場に向かって、てくてく歩いていると、職場の子どもたちが、「あ!」と遠くから手を振ってくれています。私も手を振り返して近づいていくと、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。」と深々と頭を下げてくれました。お正月休みに、大人たちとこんなふうに挨拶をたくさんしたのかな? かわいい。

 そのあと「お年玉をたくさんもらった」という話に。「貯金した?」と聞いたら、「うん、ぶたの貯金箱に入れた。貯金箱、親戚のビンゴ大会で当たったの!」 「お年玉、貯金箱に入るの?」というツッコミは置いといて、楽しいお正月休みを過ごしたんだね。幸せのおすそ分けをありがとう。

 

 職場に到着すると、間もなく雨が降り始め、お昼前にはジョボジョボ雨になりました。こんなに降るなんて聞いてないゾ。今日は、昼から晴れるんじゃなかったっけ? 冷たい雨とともに、室内も寒くなってきました。

 

 大寒を前に、1年で一番寒い季節です。昼間も寒くて、特に今日みたいな天気だとテンション下がりそうになりますが、やはり朝の寒さが一番こたえます。

 もっとも10代の頃は、冬の朝のピリッと張り詰めた寒さが好きでした。枕草子の「冬はつとめて」という章を国語の時間に習って、「本当にその通りだなあ」と思いました。でも、今はだめです。まず、朝起きたとき、布団から出ている顔が冷たくてめげます。

 寒くなったら、あちこち痛いのが気になるようになりました。骨折した左肘、なんか変。なにか入っているのがわかるんです。なにかって、つまり釘ですけれど。この「何かが入っている感じ」は、わりと最近です。ここ1か月前くらいでしょうか。それまでは、もっとダイレクトな痛みが気になっていました。筋肉痛の激しい感じとか、骨に響く痛みとか。

 入院しているとき、同じフロアに抜釘手術を受けた患者さんがいて、「何か入っているなあという感覚があった。」と言うのを聞いて「どんな感覚?」と思ったけれど、今のこれだったんですね。

 この感覚は「抜けばなくなる」そうですが、抜くのは痛いですよねえ・・・ やはり入院中に聞いた看護師さんの話ですと、「痛さの感じは、最初の手術の時の10分の一くらいと、皆さんおっしゃいますよ。」とのことですが。

 

 抜釘手術の後は、今後怪我をしないように、釘をお守り代わりに持ち歩く人もいるそうです。(「私もそうしようかな・・・」と言ったら息子が、「頼むから俺に見せないでくれ。」と言いました。怖いのかな? 若者よ、君こそ、自転車走行を気を付けた方がいいヨ。)

 何はともあれ、抜釘手術まで、身体のメンテを頑張らなくては。寒さになんか、負けないゾ。

 

 とりとめのない話になりました。今日はこの辺りで、おしまいにします。

 今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。

 

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肘頭骨折 術後131日目 この頃のストレッチ

 遅ればせながら、本日仕事始め。朝からバタバタ。ご飯食べて片付けて、身支度して・・・あれ、もう行く時間。こんなに時間なかったっけ? 朝の5分間ストレッチはできず、肘のマッサージもできず、家を飛び出しました。バスは待ってくれないから、いつもの時間に出ないと。

 始めは小走り、その後てくてくに戻して25分、バス停に着きました。あ、いつもの方々。一気に長いお休み気分が吹き飛びました。「どうも、今年もよろしくです。」と言いたいところですが、心の中にとどめます。

 それにしても、バタバタの朝はだめですね。新年の抱負で「余裕を持つ」と宣言したのに。明日は頑張ろう。

 

 寒くなったためでしょうか。この頃、何となく怪我した方の左肘が違和感。ちょっと痛いし、ピリピリすることもあります。神経? もう前と同じようにはならないのかしら。静かなあきらめ。現実を受け入れてきたというか・・・ 受け入れていいのかな? 受け入れざるを得ないのかな? それとも、あきらめちゃいけないのかな?

 さらに、なぜか右肘の方も痛かったりします。体のあちこちがこわばっているのかも。やっぱりこれは、ストレッチでしょう。

 

 ということで、この頃の私のストレッチは、部分的ではなくて体全体をストレッチするものに変わってきています。

 2年ほど前に、とあるスポーツジム(というか、マシンを使う体操教室みたいな)に行っていたことがあります。膝がカクカクして歩けなくなることが時々あったので、筋肉を付けようと思ったのです。でも私は、はりきりすぎたみたいで、たぶんやり過ぎで肩と腕が痛くなってしまいました。行かない方が調子がいいような・・・。それと、運動に付随するもろもろのもの(たとえばプロテインとか)を購入するように言われるのが憂鬱で、1年で退会してしまったんです。続けていれば、それなりに効果もあったのでしょうけれど。

 その時もらっていたストレッチのポスターが、実は今、役に立っています。4つに畳んでA4サイズ。全部広げるとA2サイズになります。紙はつるつるコーティング。全部で10のストレッチのやり方が、写真付きで表裏に載っています。

 このポスターのいいところは、全身の運動になるように、ストレッチが選ばれているところ。それと、意識するべき筋肉の場所について、写真上でしっかり指示していること。年末に引き出しを片付けていてこのポスターが出てきたとき、「これだ!」と思いました。以来毎日、寝る前の10分間にこのポスターを見ながら、ストレッチをすることにしています。

 片方ずつやるストレッチは、15秒。そうでないもの(両手を同時にのばすとか)は、30秒、ゆっくり数えます。イタ気持ちいくらいがちょうどいいそうです。あと、伸ばして止めている間、息は止めないこと。「そんなばかな」と思います? いや、まさかとは思うのですが、私、息止めてることあります。それに肩に力入っているし。ストレッチじゃなくて、例えば今みたいにパソコンに向かっているときも、知らず知らずのうちに、肩に力が入ってしまいます。力を抜くようにしないとね。

 

 ストレッチは大切だと思います。忙しいとつい、省略したくなるけれど、朝の5分、昼間のちょこちょこ、夜の10分。さぼらず頑張ろうと、仕事始めの今日、改めて思いました。

 

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肘頭骨折 術後130日目 「ハリー・ポッター」読了

 「ハリー・ポッター」読了しました。

 私は小学校の図書館で働いているのですが、「ハリー・ポッター」をちゃんと読んだことがなくて、学校司書なのにそれはないだろうと、昨年の4月から読み始めました。ハリー・ポッターシリーズは全7巻、私が今回読んだ文庫本だと、19冊になります。

 もともと本を読むのはあまり早くはないうえに、他にも何かと読まねばならない本があり、街道ウォーク同様、亀の歩み。骨折したとき、これは読み進めるチャンスかと、最終巻まで全部持ち込んで入院しました。

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 これは、9月8日に病院のベッドで撮影したもの。ちょうど5巻を読んでいますね。ラジオと本が友だちだった頃・・・と思いきやそうでもなくて、同じフロアの入院患者さんたちと井戸端会議をしたり、スマホでブログを更新したり、案外いろいろやっていたんですよ。だから、思ったほど読み進まなかったです。6巻までいったかな?

 退院したら忙しくなって、そのまま亀の歩みが止まりました。このままでは、今まで読んだ記憶も薄れてしまう。(ハリー・ポッター、話が込み入っていますから)。お正月休みに一気に読みました。7巻の「死の秘宝」、話が複雑でしたが、シリーズの終結に向かって、ワーッと話が展開するので、気になってどんどん読んでしまいました。読み終わったのは、本日午前2時。夜更かしで、今日はもう、眠いのなんの・・・。

 

 「ハリー・ポッター」では、ハリーはしょっちゅう大けがをするので、入院中の私は、読みながら痛くなりそうでした。あ、これは半分冗談、半分本当です。

 退院して職場に戻ったとき、「ハリー・ポッター」好きの6年生の女の子に、「ハリー・ポッターを今、読んでいるのよ。」と話したら、骨折している私を見て「ハリー・ポッターなら、魔法で治してもらえるのにね。」と同情してくれたのが、ありがたいやら可笑しいやら。

 小学生の子どもたちに「ハリー・ポッター」は大人気。こんな込み入った話、よくわかるなあと感心してしまいます。高学年ならともかく、たまに低学年の子も借りていくことがあります。「ちょっと難しいかもしれないよ。大丈夫?」と言うと、「前に読んだことがあって、2度目だよ。」とか。すごい。もっとも、映画の方を見ていて、本は何となく確認で借りているという場合もあるみたいですが。

 退院したばかりの頃、やはり子どもたちに「骨折して手術したのよ。」と言ったら、「復活したの?」と尊敬の(?)まなざしで見つめられたことがありました。ハリー・ポッターは、大けがをしても治り、何度窮地に立たされても立ち上がりますよね。そんなところも、人気の一つなのかしら?

 

 私は「ハリー・ポッター」が好きかと聞かれれば、それは微妙かもしれません。文庫本の最終巻のあとがきに安井泉さんという方が、「ハリー・ポッターは勧善懲悪のストーリー」と書いていらっしゃいますが、そうでしょうか? 悪の帝王のヴォルデモートは死に、ハリーも、親友のロンもハーマイオニーも生き残ったけれど、一緒に戦った大切な人たちがたくさん命を落としていることを考えると、「勧善懲悪」とは思えないのです。

 それに、魔法の杖の一振りで人がいとも簡単に殺されるのが、なんだかゲームの世界みたい。そんなに簡単に死んでいいの? 怪我をしても魔法で治るのもゲームみたい。あ、そういうところが子どもたちに人気の理由なのかしら。

 「ハリー・ポッターを大人になってから読んだら矛盾に気が付いた」とブログで語ってらっしゃる方がいますが、私も同感です。「魔法世界最大の悪と戦うという重要な任務を、なぜ年端のいかない子どもにさせるのか? 大人は何をしているのか?」というツッコミもありましたが、確かに・・・。まあ、その「子どもが立ち向かう」と言う設定が、子どもたちの心を捉えるのかもしれませんね。

 私が面白いと思ったのは、魔法で傷つけられた怪我は、マグル(魔法使いではないただの人間)のどんな高等な医療技術をもってしても治らないというくだり。なるほどと、妙に納得してしまいました。魔法の怪我は魔法で治す。

 ともあれ、子どもたちが大好きな「ハリー・ポッター」は、ツッコミどころ満載。そこが面白いような気がしてきました。もう一度読み返すのは大変だけど(他の本も読まなければならないから)、読み返すと気が付くことがたくさんありそう。

 とりあえず、映画のDVDを借りてこようかな。本を片手に最初から観てみようかと。ハリー・ポッターに、はまったかも。

 それからUSJのホグワーツ城に入ってみたい。行くぞ、大阪! いやいや、間違えた。てくてくわくわく街道ウォーク、目指すのは、浜松でしたね。

 

 今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。