てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

肘頭骨折 術後135日目 2000年生まれのハタチ

今週のお題「二十歳」

 

 我が家には2000年生まれの息子がいます。このブログにはあまり登場しませんが、骨折をしたとき、いち早く家族lineに反応して駆けつけてくれた(もっともそれまで爆睡していて、lineに気が付いたのは2時間後でしたが・・・)まあまあ頼りになる青年です。今回はサンプルをもとに、2000年生まれで今年二十歳になる(成人式は来年です)イマドキの青年について、書いてみます。もっともサンプルは1名ですので、汎用性に乏しいかもしれませんが、その辺はご容赦ください。

 

 イマドキの・・・と言いますと、私たちもン10年前は「イマドキの若者」でした。

 「イマドキの子どもはナイフで鉛筆を削れない。」だの「もやしっ子」だのと嘆かれ、成長すれば「シラケ世代」と揶揄され、バブルの時期に青年期を謳歌して「まったくイマドキの若者は・・・」と呆れられたものですが・・・

 

2000年生まれについて思うこと その1 電子機器時代の申し子

 2000年生まれは、当たり前ですが平成12年生まれです。昭和はかなり遠くになってしまってから生まれました。数は少なかったものの、パソコンを持っている家もありました。(一家に1台と言うほどには普及していませんでした。今では一人1台なのにね。)

 息子が幼稚園の時、携帯電話を持つママ友が増えました。普及は加速し、2005年頃には、持っていない私は少数派。メールできないという理由で、幼稚園の役員間での連絡が事後報告になり、正直不愉快だったこともありました。高校生の時は(つい最近ですね)、PTAの主な連絡手段はグループline。スマホを持っていない人は肩身が狭そうでした。こういうのって、多数決なんですよね。なんだかなあと思います。あ、話がそれましたね。

 何が言いたいかというと、2000年生まれは電子機器の急速な普及とともに成長してきた人たちなのです。

 7歳上の長女が小学生の時は、母親同士の連絡はすべて電話。クラスの連絡網には住所まで記載されていました。「〇〇ちゃんのうちに遊びに行く」と言われても、相手の家の場所がわかるので安心でしたが、彼の時はどこだかさっぱり・・・。個人情報に厳しくなったのも2000年以降なんじゃないでしょうか。

 中学卒業を前にスマホを買い与えました。若干遅めのタイミングでしたが、ちゃかちゃかいじって半日で操作をマスター。この年代の子は、電子機器の扱いに慣れている。私なんか、マニュアルに首っぴきでも、理解するのに丸一日以上かかりますから。さすが電子機器時代の申し子。

 高校に入学すると、入学式のその日のうちにクラスlineが作られたのにもびっくり。ちなみに4歳上の次女が高校に入学したときは、スマホとガラケーと半々でした。彼女が高校在学中に、急速にlineが普及します。

 私はと言うと、2年前までガラケーを使っていたのですが(これはかなり遅めですね)、スマホにしたときに当時高校生の息子が、あっという間に設定をしてくれました。いつの間にこんなに詳しくなったのだろうとびっくり。

 さらにはつい数か月前にパソコンを新しくしたときには、設定をすべてやってくれて本当に助かりました。そもそも日ごろからパソコン関連でわからないことがあるとすぐに彼に聞いてしまいます。「自分で考えな」とも言わずに対応してくれる彼は、本当に優しいです。そして私はどんどんダメになっていく・・・?

 

2000年生まれについて思うこと その2 災害とともに

 2000年生まれのハタチは、生きてきたちょうどその半分くらいの時期に、とてもショッキングな出来事に遭遇しています。東日本大震災です。小学校4年生でした。

 2011年3月11日のあの時、彼は学校にいました。ちなみに我が家は東京の郊外です。

 教室で帰りの会をしていますと、ガタガタと揺れだし、あっという間に大揺れに。教室の後ろのロッカーからランドセルがすっぽんすっぽん飛び出してきて、なぜか子どもたちはゲラゲラ笑ってしまったそうです。(本当に怖いと笑ってしまうこともあるらしい・・・) それを見て先生が(50代の女性の先生。いつもはとても優しい先生です。)、「いいかげんにしなさい!!!」と恫喝。それからハッと我に返り、「窓ガラスから離れなさい!」と。「先生が一番焦ってたよ。」と息子は言っていましたが、泣いている女の子もいたようで、パニックだったようです。

 息子は妙に落ち着いたところがある子で(もっと小さいときも、今も)、防災頭巾をかぶって校庭に避難しているとき、家の人が迎えに来ないと帰ってはいけないのに、「お母さんは家にいます」と言って帰ってきてしまったんです。

 私はこの日は仕事でした。今と同様、小学校の司書をしていました。地震発生時、図書室の隣は5年生の教室でしたが、静かです。見に行きますと、子どもたちは担任の先生の指示のもと黙って、机の下に潜っていました。経験したことのない揺れにすっかり動転した私は、後でわが身を恥じました。

 今年になってから、やはり学校でやや強い揺れの地震があったことがありましたが、子どもたちは何も言われなくても、サッと机の下に潜りました。平成生まれの子どもたちの防災意識はすごいです。

 そう、2000年生まれは、10歳というある程度大きくなった時期に、災害を経験しています。あの時、わが町は、確か震度4強でした。私が家に着いたとき、「お母さんは家にいます」と言って帰ってきてしまった息子は、姉とテレビに釘付けになっていました。そして、さらにその晩、家のテレビで見た衝撃的な映像の数々。数日後の原発のメルトダウン。東京も危ないのではないかと親も周囲の大人も不安を隠さずにいる中で、10歳の子どもたちは何かを悟ったかもしれません。

 東日本大震災の後も自然災害による被害は、あとを絶ちません。「日本は自然災害の国である。日本にいる限り、地震の不安からは逃れることができない。それでも自分は日本にいる。」という諦めのようなもの(悟り? 覚悟?)を持っているように思います。これは大人もですけれど。

 

2000年生まれについて思うこと その3 いつの時代も若者は・・・

 2014年、息子が14歳の時、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。世論では、これにより自衛官を志望する若者が減り、徴兵制が復活するのではないかという危惧も取り沙汰されもしました。私は、それはなかろうと思いつつ、年頃の息子を持つ母親として心穏やかにはなれず、彼に聞いてみました。「もしも、徴兵制になったらどうする? というか、徴兵制ではなくても、志願をすすめられたりしたら?」

 「ぼくは行かない。」と言うのではないかと、なんとなく思っていました。ところが彼はこう答えたのです。

 「そりゃいくでしょ。周りが行くのに、自分だけ行かないっていう選択肢はないよ。」

 こうして、70余年前も、軍隊に志願した人がたくさんいたのでしょう。戦後70年以上経っても、人々の根っこにあるものは変わらないのかもしれません。21世紀になっても、電子機器が進化しても・・・。「イマドキの・・・」と言うけれど、案外、若者の本質には普遍性がある。

 「自分だけ行かないという選択肢はない。」というわが息子の発言を、間違っているとか、長いものに巻かれているなどとは思いません。友だちとの関係の中で生きる自分を大切に考えるのは、この年齢の子どもにとって、ごく自然なことなのではないでしょうか? 順調に成長したのだなと感じ、私はまたまた自分を少し恥じました。

 だから・・・どうか若者の真摯な思いが砕けるような不幸な世の中になりませんようにと、願わずにはいられません。オリンピックイヤーもよいのですが、平和ボケをしませんように、私たち年長者は気を引き締めていかなければと思っています。

 

 これが、私の「イマドキの若者観」と、彼らへの想いです。

 

 今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。