てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

私が雛祭りを祝う理由

今週のお題「雛祭り」

 

 女の子の幸せを願う3月3日の雛祭り。我が家には2人の娘がいますが、今年はどうやら対象のいない宴になりそうです。一人は1年前に家を出て一人暮らし、一人はバイトで遅くなるとやら・・・。延期する? いやいや、節分の豆まきを翌日にやる人はいないように、節句はその日にやりたい。で、何をするって?

 そうですね、まず、ちらし寿司は欠かせませんね。潮汁は蛤の有難味がわかる人が少ないから、普通の澄まし汁にします。ちらし寿司を作ることでたぶん燃え尽きるので、後は菜の花のお浸しと、食後の桜餅ですかね。

 

 雛祭りと言いますと、祖母の姿が思い出されます。

 私の母は、昭和20年2月25日に空襲に遭いました。ありがたいことに家族は全員無事でしたが、家もお雛様も焼けてしまいました。家には、母のお雛様の他に、母の姉と妹、母の母(つまり私の祖母)、母の祖母(私にとっては曾祖母)、全部で5人分、5組のお雛様がお座敷いっぱいに飾ってあって、毎年春になるとぱっと明るく、それは華やかだったと母から何度も聞かされました。それがその光景のままあっという間に燃えてしまったのですから、どんなに切なかったことでしょう。祖母は「お雛様には本当にかわいそうなことをしてしまった。」とこれまた繰り返し話していました。

   娘の私にお雛様を買うことは、母の悲願であり、私のお雛様は母にとって平和な時代に子育てができる喜びの象徴でもあったのでしょう。毎年、実家の和室に飾られる七段飾り。父や母が何より嬉しそうだったと、昨日のことのように思い出します。時は高度成長期。大人たちは明るく、世の中にも勢いがありました。

 そうそう、父方の祖母は大変な苦労人で、お雛様などというものとは、はなから無縁な少女時代でした。お雛様はお金持ちの家のお嬢様のものだというイメージを持っていたけれど、孫たちのきれいなお雛様を見るにつけ、何と幸せな時代になったことかと思うとしみじみ語っていたことがありました。

 母方の祖母は毎年この時期になると我が家を訪れてくれました。私の7段飾りの前に座り「お雛様、今年もお会いできまして嬉しゅうございます。」と語りかけながら深々と頭を下げるのでした。祖母はいつも必ず、「お雛様にお土産」と言って珍しいお雛菓子やちょっとした飾り物を持ってきてくれて、私はそれが楽しみでした。

 中でも、江戸前寿司の桶のミニチュアはとてもよくできていて私の宝物でした。現在は、我が家の娘のお雛様(木目込の立ち雛です)のガラスケースの中にあります。娘たちが幼いころ、いたずら心を出して「お雛様が出前を取ったのよ。」と言ったら、いくつかある中身のお寿司のうちのひとつが消えました。どちらかの娘の仕業か・・・。がっかりしたけど、お雛様が召し上がったと思うことにしました。ここで腹を立てることは、祖母は望んでいないでしょう。

 

 祖母や母の特別な思いを感じて育ったためでしょう。私は毎年、娘2人分のお雛様を飾り、3月3日には必ずちらし寿司を作ります。(実家では今でも両親が私のお雛様を出してくれていてありがたいことです。) 先ほども書きましたように、今年は主役の娘2人は不在ですが、男性陣(夫と息子)にちらし寿司をふるまい、私の幸せを願ってもらうことにします。

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