今週のお題「大切な人へ」
長生きをすると、自分より年長の人がいなくなるうだろうか? 今現在、私より年上の人を見ると、どうかお元気でいてくださいと思わずにはいられない。
職場では俄然若い人が増えました。かなりの高確率で自分より若い。娘と同い年、あるいは年下の場合も珍しくありません。いつの間にか自分は年を取ってしまったんだのだなあと愕然。がっかりすることではないのですが。
定年間近の方や再任用で働いている方と話すと、ほっとしている自分がいることに気が付きます。安心感があるというか。
町へ出ると、高齢者の方がたくさん。自分の両親くらい、あるいはもう10年くらい若い方々。
町のスーパーで料理レシピの棚を見ているときに、「これは、家で作れる。レシピにするほどのこともないよね。」とか「これはもらっていって作ってみてもいいかも。」などと、なぜか初対面の人と盛り上がったのは、私より10歳くらい年長のおばちゃんでした。
「まだ来ないねえ」と言いながら、あーでもないこーでもないと話しながら停留所でバス待ちした相手は、母くらいの年齢のおばあちゃんだった。
「おばちゃん」とか「おばあちゃん」と言ってしまっていますが、こうして話しかけてくれるのは、「おばさま」や「おばあさま」ではなく、気さくな方々。そしてなぜか私はよく話しかけられる。話しかけられるのは嬉しくて、「今日はいい日だったな」とその日一日幸福感が続きます。
昨年夏に骨折で入院したときも、同じフロアの患者さんたちと仲良くなりましたが、皆さん私よりお姉さんでした。特によく話をした鎖骨骨折のMさんは、「娘ほども年の離れた(それほどでもないのですが。正確には20歳差?)あなたとこうして親しくなれるなんて、骨折したけどいいこともあるわね。」と言ってくださいました。Mさんとは退院後も時々電話で話しています。抜釘の話はまだ全然、出ないみたい。部位によって違うのかな?
自分より年長で姉のように接してくださる方々。みなさん、私にとってとても大切な方々です。
でもね、最近、思うのです。そろそろ自分が、誰かの大切な年長者になる時かなって。家族(子どもたち)に対してもしかり。職場で一緒に働く方々に対してもしかり。
それから、職場である学校で接する子どもたち。以前は、自分の末っ子と同年代だったので、母親のような感覚を持ちながら接していましたが、この頃は明らかに、彼らの母親より年長です。「この人はいくつなんだろう?」というはてなマークが子どもたちの頭の中に浮かんでいるようで、「ねえ、何歳?」と聞かれることも。(ナイショと答えています。)お母さんより上で、おばあちゃんと呼ぶほどには年を取っていない不思議な人。そんな立ち位置で、私ならではの接し方ができたらいいなあ・・・
今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。