てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

もしもの備え 適当でゴメン

今週のお題「もしもの備え」

 「備えあれば憂いなし」と言いますが、いくら備えても憂いはなくならない気がします。家でしっかり備蓄しても、街を歩いていて大地震に遭遇して、何かの下敷きになったら? どう防げるというのでしょう? 叱られそうですが、私はあまり備えていません。

 地震に限って言うならば、その時、頭を守ることがまず肝心かと。そのあとは逃げる。この時は危険察知能力みたいなのがものを言う。食料や日用品などの備蓄は、これらをクリアしたあとですよね?

 ところが、この段階になると、「命だけでも助かってよかった」という気持ちが何か別の感情に転じてしまい、人と人の間で心無いやり取りがあったり、デマが飛び交って混乱したりなどということもあるのでしょう。天災や病気は怖いけれど、それと同等、あるいはそれ以上に怖いのは人の感情かも。だから、私はどんなときでも感情が保てる人でありたいし、そのための努力をしたいと思います。それが究極の備えかな。

 

 これでお題が終ってしまうのもどうかと思うので、物的な備えについて少し書きます。

 水だけは、備えております。台所の床下収納庫に入るだけですが。5人家族なので、とても十分な量とは言えませんけど、これ以上は置く場所はないので妥協。

 食べ物は、乾パンやクラッカー(リッツ)の大缶を1つずつ、これも床下収納庫へ。アルファ米や非常用のレトルト食品はあまり美味しくないので、買いません。賞味期限が来ても嬉しくない。

 あえて非常用というより、日常の延長で、ツナ缶などは買い置きをしています。それと羊羹1本。カロリー高い&日持ちがする&チョコレートのように溶ける心配がないのが、その理由です。

 普段使いのカバンの中に必ず入れているもの。もちろんスマホ。そしてモバイルバッテリー。(イマドキのライフスタイルには欠かせませんね!) 一方でアナログのツールとしてスケジュール帳。(この中に、各種パスワード他、様々な覚書。マイナンバーの控えも。「個人情報だだもれじゃん」と子どもに馬鹿にされていますが。)手のひらサイズの傘1本。これは本当に重宝です。常に入っているのですが、突然雨が降ってもとりあえず慌てません。まさに「備えあれば憂いなし」) 荷物が重くなるのはいやだから、こんな感じですかね。あ、マスク1袋も。コロナ禍時代の必需品になってしまいました。

 

 もしもの備えが「もしも」で済みますように、願ってやみません。

体感のひと

今週のお題「怖い話」

 

 怖い話と言えば、口裂け女ですかね。マスクした女の人が「私きれい?」って聞くあれですね。中学生の頃、「とうとう新所沢にも出た」(地元でした)とか噂になって、怖かったなあ・・・ あ、トシがバレますね。

 今は女の人に限らず、マスクの人ばかり。マスクの下の顔はどうなんだろう? すれ違う人、どの人の顔も、マスクの下はわからないというのは、ある意味怖い。

 

 前置きが長くなりました。やっぱり都市伝説は怖いかな。リアルっぽくて。そうなると一番怖いのは、本当にあった心霊体験的な話。特に、知り合いが「本当に体験したんだけど・・・」というのはそれこそ本当に怖いんですけど。特に親類縁者の証言。

 

 この夏休み、実家の母を訪ねたときに、母の両親(私の祖父母)が書き残した記録を託されました。よくまあこんなにというくらい膨大な覚書の数々。昭和20年5月から21年10月にかけて、東京に残った祖父が疎開先の祖母に送った138通のはがきの束は、なかなか読みごたえがあります。戦時下から敗戦を経て、日本人の普通の一人の大人が何を考えていたかわかって興味深いです。字が読みづらくてまださっとしか目を通していないのですが、これからゆっくりひも解くつもりです。

 祖母が書き残したエッセイ集のようなものの中に、ちょっと怖い(?)話がありました。

 実は、生前祖母と話していて、もしかして霊感があるのかもと、私は思ったことがありました。

 一つには、第二次世界大戦中に、出征している義兄(姉の夫)がしきりに頭を下げているという夢を見てまもなく、義兄がグアム島で戦死したという知らせが入ったと言っていたこと。もう一つは、高校生の私がひそかに思っていたことを、「あなたがこんなことを言っている夢を見たのだけど」と言われ、びっくりしたことがありました。誰にもしゃべったこともなく、絶対にわかるはずもなかったことだったので。霊感というか、なにかこう、スピリチュアルな世界に祖母はつながっているのかな、なんて気がしたんです。

 その祖母が書き残した不思議なエッセイを、ここに載せます。お読みください。

 

体感の文 ほほえみ

 霊魂(たましい)も楽しいいたずらをなさる。

 死別(病死)して数か月・・・・・・生前に度々お茶を飲んだ店に入り、いつもの席に独人で座る。前の席には故人が座っているつもりで、一寸っと茶目っ気のある楽しい笑顔とくつろいだ笑い声を思い出しながら。一人分だけ注文したコーヒーにお砂糖を入れながらなぜか自分も楽しくなる。空席の向い側にも一人分あると考え、あの手付き・・・・・・共にリラックスした気分を思い出し味わいながら。もう独人っきりなのに淋しくもかなしくもなく、むしろ喜びの時をゆっくり過ごして此の気持ちを大切に心にしまい、支払いの時に一寸驚きが有りました。

 私も随分金額が多いなと思ったので「変ね」と言ってレジに渡したら『お一人ですね』とキョロキョロ見て居ましたが『コレお二人分でした、すみません』と云って運んでくれた人と話し合って書き直して居ました。私は思って居ただけなのに。その姿がアノ人には見えたんですねキット。だけど運んだのは一人分そして書いたのは二人分。

 考え様では不気味だけれど・・・・・・アノ事ばかりはわざわざ何度も思い出しては楽しんでいます。残念ながらその店はもうありません。

 

 こうして書き写してみると、怖い話ではなかったですね。よく知っている祖母が言っていることだからかしら。

 温かくて穏やかな人でした。そのまま年をとり、ある日、眠ったまま亡くなりました。87歳でした。

 私は今でも、祖母の霊魂に守られているのではないかと思います。そのくらい優しい人でした。

釘抜きからその先へ

今週のお題「2020年上半期」

 

 早いですね、もう上半期が終るなんて。

 今年はもうコロナに尽きる・・・という感じですが、私としては肘頭骨折の抜釘手術という一大ミッションが無事終了し、ほっとした上半期ではあります。看護師さんから返してもらったボルトを見て、「おお。これか、これか。ご苦労さん。」と感動してしまいましたよ。

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 その感動も、そのあとのコロナ感染拡大と1か月超にわたる在宅ワークで、もう随分遠い出来事のように思います。

振り返れば、抜釘手術の入院中に志村けんさんが亡くなったのでしたっけ。病院のベッドで追悼番組を見ました。悲しいはずなのにドリフのコントがおかしくて笑ってしまった・・・

 私、生まれ育ちは東村山でして、小学校は志村けんさんと同窓です。東村山音頭が大ブレイクして誇らしかったかというとそうでもありませんでした。中学校から都内の私立に通ったのですが、「家はどこ?」と聞かれて「東村山」と答えると必ず「ああ、これね」とチョチョンガチョンの振り付けされるのが、なんかいやでした。そのあと決まって聞かれます。「で、なんちょーめ?」

 東村山一丁目とかいうのはありませんから。東村山市○○町1丁目となります。考えてみれば当然ですが。「東村山と言えば志村けん」というのはなんか嫌だったなあ。

 でもね、ここ数十年は、あんまり気にならなくなりました。もはや東村山市民でもないしなあ・・・。亡くなった時はすごくショックでした。ああ、東村山の志村けんさんが・・・。もっと長生きしていただきたかったです。コロナめ。

 

 話がそれました。えーとなんだっけ、そうそう、抜釘手術。おかげさまで成功し、さして痛みもなく、退院後はすんなり日常生活に戻れました。そのあとのリモートワークを経て、なんとなんと不覚にもコロナ太り?! すごく久しぶりになんとなく体重計に乗ってみて、ガーーーーーーン。

 という事情で、現在のマイブームは自宅筋トレです。コープ宅配でヨガマットを買い、アマゾンで2キロのダンベルをポチり、先日はホームセンターでバランスボールを買いました。

 筋トレにハマる前からうすうす気が付いていたんですけど、重いものを持つとき、肘に力を入れるのではなく筋肉に力を入れるといいです。そうすれば古傷に響くことはあまりありません。私は本を扱う仕事をしていますが、本がたくさん入ったコンテナを持つときは、上腕三頭筋や大胸筋を意識するようにしています。そういう面からも、筋肉を鍛える意味はあると思います。

 ただ、大胸筋を鍛えるのに最適な筋トレである「腕立て伏せ」だけは、痛くてできません。普通の腕立て伏せはもちろん、膝つき腕立て伏せもつらい。それで壁に向かってする腕立て伏せをやっているのですが、やっぱりちょっと違和感。傷痕がヒリヒリする気がする。それと、たぶん気のせいだろうけど、肘に鈍痛。なので、腕立て伏せは封印しようかなと思っています。事故車(ポンコツともいう)みたいな肘なんで、もう一度壊れたら困る。

 腕立て伏せのかわりに、ダンベルフライという筋トレをしています。あおむけになって、両手を横にまっすぐのばして、2キロのダンベルを持ってまっすぐ上にあげます。ダンベルを持っているのに肘には負担がかからず、胸と腕にはしっかり効くのがいい。私には向いているみたいです。

 骨折の時に上腕三頭筋も切れてしまってワイヤーでつないだという経緯があり、上腕三頭筋はぜひ鍛えたいところ・・・。

 

 というわけで、釘抜きからその先へ、再生に向かって身体を作っているところです。

 それとやっぱり「新しい生活様式」。コロナの影響で、仕事のやり方が大きく変わりました。最初はしばらくの間だろうと思っていたのですが、どうやら「しばらく」といのは、当初のイメージよりずっとずっと長そう。この頃は、「もう元には戻らないな」と思うようなりました。職場の人たちとも、「もう前のようにはならないね。新しい方法で生きていかねば」なんて話をよくします。

 それにしても、私たちは何を楽しみに生きていったらいいんでしょう? 歌は歌えない、旅もできない、人と隣り合って座れない。我が家の大学生の息子、半年近く学校に行っていない(ずっとオンライン講義です)。それでいて学費はきっちり払うというのも、釈然としない。いや、学費のことでケチケチいうのはともかく、大学に行かなくて大学生をやっている彼らは、どうなんだろう? これはいつまで続くのか?

 

 先の見えない上半期でしたが、後半はきっとなにか光が見えることを願って、いや、光を求めて、前に進んでいかねばと思います。

 

 

納豆とのほどほどの付き合い

今週のお題「納豆」

 

 納豆ですか・・・ うーーん、きらい、かな?

 いや、どうなんだろう?

 

 子どもの頃は、確かに納豆はきらいでした。関西人ってわけではないですけれど、あのなんとも言えない匂いが苦手でした。母は日ごろから「好き嫌いしないで何でも食べるのよ」と有無を言わさない人でしたが、私は納豆だけは勘弁してほしいと頼みました。すると母は言うのです。「年の数だけ食べなさい。4歳だから4粒でいいわ。」

 納豆4粒、まずいですよ~。ねばねばが嫌なら、かき混ぜないでそのままどうぞと言われたのですが、そのままの納豆をごっくんと飲み込むのって、つらいです。薬みたい。あのころ、おなかが痛いというと取りあえず「飲みなさい」と言われた正露丸みたい。なんてまずいんだろうと思いました。

 5歳になって5粒、6歳になって6粒。そのうち小学生になったら一口になりましたが、なぜかそのころから、免除されるようになりました。10代以降は、そもそも家の食卓に納豆があった記憶がありません。母も、本当は納豆が特に好きではなかったんじゃないでしょうか。体にいいからとか、こどもに好き嫌いはよくないからとか、そんな理由で食べさせようとしていたのかも。今度真相を聞いてみよう。

 

 さて、そういうわけで、長らく納豆を食べずに年月を送っていました。ところが結婚相手は大の納豆好きで、新婚当初から、私が全く食卓に納豆を乗せなくても、いそいそと自分で買ってきて食べるのです。私が、ものすごーく嫌な顔をするので、(納豆嫌いには、目の前で食べられるのはたまったものではありません。)、そのうち私がいないときなんかに、2パックも3パックもドカ食いするようになりました。私が帰ってくるとちゃんとお茶碗もパックも洗ってあり、ワーワー言われないようになっていて、ちょっとかわいそうではありましたが、納豆嫌いとしては、そこは重要です。

 

 転機は、末っ子の出産でした。入院先の食事に、納豆が出たのです。個人でやっている小さな産院で、その時期の入院患者は私ひとり。食事はいつも大変美味しく(すぐ上の子の時にここの食事のおいしさに感動して、末っ子の時も同じ病院にしたとも言えます)、心のこもった家庭的な献立。3日目くらいには、「頑張って!」という感じでにぎり寿司が出たり、退院前日にはお赤飯と鯛のお頭だったり。味も良いけど、心遣いが嬉しい。

 そう、それで朝ごはんに出た納豆は、すでにたっぷりの刻み葱とたれと一緒によくよく混ぜてあって、「さあ、どうぞ」と言わんばかりにほかほかご飯に添えられていたんですねー。さすがに、これ、残したら申し訳ないなあと思いました。で、思い切って「えい」って口に入れたら、あら意外に大丈夫。てか、いけるかも。私、悟りました。納豆は単体で食べてはまずいのだ。温かいご飯と一緒に、もわもわもわ~っと食べれば美味しいのですね。10数年、損したかなと、ちょっと後悔しました。

 

 そうは言っても、それから急激に納豆が好きになったわけではなく、すごーく嫌いではないけど、あえて食べようとは思わないといった位置づけで、やっぱりほとんど自ら食べることはなかったです。

 

 第二の転機は、つい最近訪れました。昨年8月の肘頭骨折です。骨折について詳しくはこのブログをさかのぼって、お読みください。(つい最近まで、肘頭骨折ブログになっておりました。)

 骨折、痛いです。それに落ち込みます。もう以前のように動かせないのかしらとか、思いつめがち。頭の中は常にカルシウム。骨の癒合を助けるには、やっぱりカルシウム摂取でしょ、というわけです。

 「どうすれば、カルシウムをたくさんとれるか。」というテーマに向き合ってわかったことは、小魚、ビタミンÐ・ビタミンKと一緒に摂取するといいということ。ビタミンÐは干しシイタケに多く含まれ、あるいは日光を浴びるといいらしい、、、ふむふむ。ところてビタミンKってなに? これが多く含まれいる食品ってなかなかないんですよね。ところがひとつだけあった。納豆。

 「納豆、食べるか」。観念しました。骨折患者としては、骨によいと言われることは実行したい。

 それからは毎朝、納豆です。おかめ納豆の小さいパック。大きいのを食べるほど好きではないんです。でも嫌いじゃない。たれにからしも入れて、なんなら海苔もちぎって入れて、ご飯に乗せてもわもわもわ~っといただきます。忙しい朝には超便利。半年ほど、納豆の朝食を続けました。それが途絶えたのは、コロナが流行ってから。スーパーの棚からカップ納豆が消えてしまい、いつもの朝食(目玉焼きまたはオムレツ)に戻りました。

 

 この頃は、またカップ納豆が買えるようになり、1~2週間に1回の割合で食べています。たぶん、このくらいがちょうどいいです。つかず離れず、ほどほどに。それが私と納豆のつきあいのようです。

ジャンボ、白くま、ハーゲンダッツ

今週のお題「私の好きなアイス」

 

 好きなアイスは・・・ということですが、結論はタイトルの通りです。

 

 ジャンボは安いけれど、美味しい。コスパよし。もともとモナカアイスが好きですが、ジャンボは中にパリパリ板チョコが入っている点が◎。あれを考えた人は偉い。モナカは三つに切れ目が入っているから、ちまちま3回に分けて食べてもいい。なのに、たいていいっぺんに食べてしまう。

 

 白くまはカップ入り、バー、いろいろあるけどどれも美味しい。そうはいっても本当に暑い日には、カップ入りの白くまに限る。メーカーにはこだわらない。みぞれと練乳とドライフルーツとあずき。この組み合わせを考えた人のセンスはすごい。暑い日は白くまを買いにコンビニに走ってしまう。カチカチの白くまをスプーンでつついて掬いながら口に運ぶ幸せ。思い出すだけで涼風が吹くよう。

 

 ハーゲンダッツは特別の日に食べるご褒美アイス。私が今はまっているのはチョコミント味。ミニカップでいいや。たくさん食べたら、ちょっと後ろめたい。

 

 おまけ。

 本当は、一番おいしいのは家で作る手作りバニラアイス。結婚してから片手で数えるくらいしか作ったことはないけれど。子どもの頃、母がいつも作ってくれて、大きなタッパーに入って冷蔵庫に入っていました。母は偉い。私にはできない・・・

 

 さらにおまけ。

 私の祖母が健在だったころ、当時80近かったですが、自分が女学校に行っていた頃(大正時代です!)の昔話をしてくれた時のこと。

 祖母が学校から帰ってきて自室に入ると、祖母の姉が、クスクス笑いながら婚約者とアイスクリームの食べさせっこをしていたそうで。あわててぴしゃりとふすまを閉めたものの、しゃくさわって、今でもちょっとしゃくにさわると言っていました。祖母の姉は当時、東京の師範学校に通う才媛で、かつイケてる女子でした。大正モダンガール、いわゆるモガ? かたや祖母は、極めてまじめな女学生だったようです。

 ちなみにイケてた祖母の姉は、アイスクリームの婚約者とめでたく結婚しましたが、夫さんは軍人になり満州で亡くなりました。祖母の姉は教師になって、2人の子どもたちを育てました。大変な時代が来る前の、束の間の、自由な香りのするモダンな時代を象徴するかのようなアイスクリーム。どんな味だったんだろう?


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「博士の愛した数式」のような人です

今週のお題「お父さん」

 

 父は都立高校の数学教師でした。子どもが好きというより、数学が好きだから教師になったのだと言っていました。(そうは言いつつ、生徒を家に呼んだり、優しい人だったと思います。)

 

 数字を愛し、こだわっていました。小学生の頃、算数のノートに書いた数字が乱れていると、嫌というほど直されました。0と6、7と1など、まぎらわしく書かないようにとか、斜めではなくまっすぐに書くようにとか。問題の解き方を聞いているのに、まず数字を書き直すところからさせられるのです。

 中学生や高校生になって、定期試験の前にわからないところを聞きに行くと、最初から丁寧に教えてはくれるのですが、わかったので「どうもありがとう」と帰ろうとすると、「まだ別の解き方がある。こちらの方がスマートで美しい」などと言います。いやいや、明日試験なんで結構ですと言いたいところなのですが、何となくペースにはめられてふんふんと聞いてしまうのでした。そして結局、よくわからない。私には数学のセンスはないようで、いつもチンプンカンプンでした。

 

 65歳で退職してからは、数独を始めました。とにかく数字が好きなのです。数独の問題を解くのではなく、問題を作るのが好きで、雑誌に応募します。出来上がった数字の並びに何らかの意味を込めるのが「スマート」なんだそうですが、受けはイマイチで、いまだ問題が採用されたことはありません。このセンスが、なぜ採用者にはわからないのだろうか(私にもわかりません)と嘆いている、大変ポジティブな思考の持ち主なのです。

 

 父はもうすぐ84歳になりますが、スイミングスクールに通い、児童館で小学生に将棋を教え、週に1回地域のふれあいサロンで同年代の人々と囲碁してカツカレーを食べて帰ってくるという、なかなかタフな高齢者なのです。

 けれどこのところのコロナ禍で、父のライフワークを実現できる場はめっきり減ってしまい、「私が今できるのは数独だけだな」とちょっと寂しそう。(コロナが高齢者にもたらす影響は、見過ごすことはできませんね。困ったコロナ。)

 それで、外出もままならないような父にせめて刺激をと、私はこの頃、週末ごとに実家に顔を出すようにしています。

 今日は我が家の近くの農家で穫れたプラムを持っていきました。父は果物が大好きなのです。母が「赤い色のから食べるといいわよ。甘いから。」と言いますと、まず赤い実のを一つ食べ、それから緑のを一つ食べました。

「あなた、赤い実からって言ったじゃない。」と憤慨する母に、「まず、両方食べてみないと、本当に赤い実の方が甘いかどうかわからないじゃないか。自分で確かめないと。」と答える父。さらに「どっちも同じくらい甘かった。色は関係ないことがわかった。」 とにかく理屈っぽい父なのです。

 先日は孫(私の娘)に、「〈千の風になって〉というけれど、なぜ千なのか? 百や万ではだめなのか?」と疑問を吹っ掛けていたらしい。「おじいちゃんは、やっぱり数字が気になるんだねえ。」と笑っていた娘は、私と同じく数学では苦労したクチです。

 今日は「NHKの〈シブ5時〉は、6時でも〈シブ5時〉と言っているのはおかしい。」と言っていて、私が「〈シブろく〉にすればいいのにね」と言ったら、「そう思う? いいことを言うね。」と久しぶりに褒められたのでした。ちなみに同じ質問を娘にもして、彼女は「番組の名前だから、変えられないんだよ」と説明したんだそうです。確かに・・・。

 という感じで、数字にはますますこだわり続ける父なのでした。

 

 小川洋子さんの『博士の愛した数式』を読んだとき、父に似ていると思いました。その頃はまだ父は、現役の教師でさほど年をとってはいなかったのですけれど、こんな老人になるんじゃないかしら・・・と思ったものです。

 あのお話は、ちょっと切ない。父にはまだまだ元気でいてほしい。数字が好きで理屈っぽくて、そして元気でいてほしいです。

 

 

外のことがわからなかった

今週のお題「外のことがわからない」

 

 5月25日の緊急事態宣言解除を受けて、あっという間に日常に引き戻され、本当に久しぶりのフル出勤。なんだか疲れてこの土日はヘロヘロです。医療や流通の最前線で働いてくださっている方には申し訳ありませんが。

 一人暮らしを始めた次女が休業になり家に帰ってきて、大学生の息子もアルバイトがなくなりオンライン講義。4月下旬から1か月ほどは、思いがけなく家族がそろった日々でした。もうこんなことはないでしょう。コロナは本当に困りますが、思い返すとちょっとしんみりしてしまう日々です。

 

 さて、私はというとやはり4月中旬より在宅で仕事をすることになりました。「えーっ、そんなの無理。出かけないと息が詰まる。」と思ったのは最初だけ、直に楽だということがわかりました。片道1時間の通勤時間がまるまる浮きます。8時半から仕事ということになっていますが、8時25分までキッチンでコーヒーを飲んでいていいのです。外出用に着替えなくていいし。夕方仕事を終えれば、体を動かすことを兼ねて買い物に。職場でさんざん働いた帰りにスーパーに寄るのとは全然違います。体に元気が残っている。

 リモートワークも悪くないじゃんと思ってしまったのは私だけでしょうか? もっとも私の仕事は、対人が前提ですから、リモートワークはもはやあり得ませんが。

 

 そういうわけで、味を占めてしまったリモートワークですが、もちろん欠点もありました。

 まずはなにより、オンとオフがあいまいになってしまうことです。「ここまでやったら終わりにしよう」と思っていると、どんどん時間が過ぎてしまう。「〇〇時になったら終わりにしよう。」と、ちゃんと時間で切らないと。そんなこともあって私は決まった時間になったらやめて、買い物に行くようになりました。土日は仕事のことは考えないようにしました。

 もうひとつの欠点は、「みんな何をしているんだろう?」と気になって仕方がないことです。まさに「外のことがわからない」状態。この場合の「みんな」とは、仕事仲間のことです。

 不安なのはみな一緒。程なくして、同じ仕事をしている人たちとのグループlineができました。「えっ、そうなの? 知らなかった。教えてくれてありがとう。」ということも多々あったのですが、「えっ、そんなことしているの? 私、していないけど。」という焦りも。

 「みなさーん、〇〇についてどう思いますか~?」と誰かがつぶやけば、あーでもない、こーでもないと様々な意見が飛び交い、ヒートアップします。みんな不安なんだな。だからトークがすごいです。これ、ズームだったらどうなんでしょうね? 私たちはそんなに若い年齢層ではなかったので、lineでしたけれども。

 ズームと言えば家に帰ってきていた次女が、ちょいちょいズーム飲み会をやっていました。「8時から飲み会だから、それまでにご飯終わるようにさせてね。」「ハイハイ」みたいなやり取りが何度かありました。その次女が言うのです。

「ズーム飲み会って案外さびしいんだよね。そんときは楽しいんだけど、終わる時、じゃあねーっていきなり画面から消えちゃうんだもの。ホントの飲み会なら、お店出てからもしゃべったりとかさ、一緒に電車に乗ったりとかするじゃない? 一人暮らししてて、ズーム飲み会の後、さびしいなーって思っちゃって、それで帰って来たんだよね。」

 池上彰さんのニュース特番も、長らくゲストのリモート出演が続いていたけれども、最近ようやくスタジオ内に一同が会すようになりました。池上さんもゲストの方々もお話が盛り上がっているように感じます。画面越しの人よりもやっぱりそこにいる人のほうがいい。

 

 話がそれました。外のことがわからなくて、lineが飛び交いヒートアップして、なんだかなあと感じたという話でしたね。そう、巣ごもりはそれなりに居心地よかった(だって自分の巣ですもの)けれど、巣で仕事をするのは限界がありますね。普段、人とかかわる形で仕事をしているので、外のことがわからないで仕事をするのは、結構不安でした。外に出て行けば、「これってどうなんです?」って直に聞けるし、「違う」と言われれば「じゃあ、これでどうでしょう?」と次のことが言えるでしょ? 在宅勤務だと、一生懸命考えて資料まとめて、たまに出勤したときに提案すると、「これは要・急ではないから」と却下されてがっかりしたり・・・ 外のことがわかって仕事をした方が効率的だし、傷つかないな。

 なので忙しくなってしまったけれど、出勤できるようになったことを感謝して、また明日から頑張ろうと思うのです・・・

 

 みなさまも、良き日々をお過ごしくださいね。ここまでお読みくださりありがとうございました。

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