てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

納豆とのほどほどの付き合い

今週のお題「納豆」

 

 納豆ですか・・・ うーーん、きらい、かな?

 いや、どうなんだろう?

 

 子どもの頃は、確かに納豆はきらいでした。関西人ってわけではないですけれど、あのなんとも言えない匂いが苦手でした。母は日ごろから「好き嫌いしないで何でも食べるのよ」と有無を言わさない人でしたが、私は納豆だけは勘弁してほしいと頼みました。すると母は言うのです。「年の数だけ食べなさい。4歳だから4粒でいいわ。」

 納豆4粒、まずいですよ~。ねばねばが嫌なら、かき混ぜないでそのままどうぞと言われたのですが、そのままの納豆をごっくんと飲み込むのって、つらいです。薬みたい。あのころ、おなかが痛いというと取りあえず「飲みなさい」と言われた正露丸みたい。なんてまずいんだろうと思いました。

 5歳になって5粒、6歳になって6粒。そのうち小学生になったら一口になりましたが、なぜかそのころから、免除されるようになりました。10代以降は、そもそも家の食卓に納豆があった記憶がありません。母も、本当は納豆が特に好きではなかったんじゃないでしょうか。体にいいからとか、こどもに好き嫌いはよくないからとか、そんな理由で食べさせようとしていたのかも。今度真相を聞いてみよう。

 

 さて、そういうわけで、長らく納豆を食べずに年月を送っていました。ところが結婚相手は大の納豆好きで、新婚当初から、私が全く食卓に納豆を乗せなくても、いそいそと自分で買ってきて食べるのです。私が、ものすごーく嫌な顔をするので、(納豆嫌いには、目の前で食べられるのはたまったものではありません。)、そのうち私がいないときなんかに、2パックも3パックもドカ食いするようになりました。私が帰ってくるとちゃんとお茶碗もパックも洗ってあり、ワーワー言われないようになっていて、ちょっとかわいそうではありましたが、納豆嫌いとしては、そこは重要です。

 

 転機は、末っ子の出産でした。入院先の食事に、納豆が出たのです。個人でやっている小さな産院で、その時期の入院患者は私ひとり。食事はいつも大変美味しく(すぐ上の子の時にここの食事のおいしさに感動して、末っ子の時も同じ病院にしたとも言えます)、心のこもった家庭的な献立。3日目くらいには、「頑張って!」という感じでにぎり寿司が出たり、退院前日にはお赤飯と鯛のお頭だったり。味も良いけど、心遣いが嬉しい。

 そう、それで朝ごはんに出た納豆は、すでにたっぷりの刻み葱とたれと一緒によくよく混ぜてあって、「さあ、どうぞ」と言わんばかりにほかほかご飯に添えられていたんですねー。さすがに、これ、残したら申し訳ないなあと思いました。で、思い切って「えい」って口に入れたら、あら意外に大丈夫。てか、いけるかも。私、悟りました。納豆は単体で食べてはまずいのだ。温かいご飯と一緒に、もわもわもわ~っと食べれば美味しいのですね。10数年、損したかなと、ちょっと後悔しました。

 

 そうは言っても、それから急激に納豆が好きになったわけではなく、すごーく嫌いではないけど、あえて食べようとは思わないといった位置づけで、やっぱりほとんど自ら食べることはなかったです。

 

 第二の転機は、つい最近訪れました。昨年8月の肘頭骨折です。骨折について詳しくはこのブログをさかのぼって、お読みください。(つい最近まで、肘頭骨折ブログになっておりました。)

 骨折、痛いです。それに落ち込みます。もう以前のように動かせないのかしらとか、思いつめがち。頭の中は常にカルシウム。骨の癒合を助けるには、やっぱりカルシウム摂取でしょ、というわけです。

 「どうすれば、カルシウムをたくさんとれるか。」というテーマに向き合ってわかったことは、小魚、ビタミンÐ・ビタミンKと一緒に摂取するといいということ。ビタミンÐは干しシイタケに多く含まれ、あるいは日光を浴びるといいらしい、、、ふむふむ。ところてビタミンKってなに? これが多く含まれいる食品ってなかなかないんですよね。ところがひとつだけあった。納豆。

 「納豆、食べるか」。観念しました。骨折患者としては、骨によいと言われることは実行したい。

 それからは毎朝、納豆です。おかめ納豆の小さいパック。大きいのを食べるほど好きではないんです。でも嫌いじゃない。たれにからしも入れて、なんなら海苔もちぎって入れて、ご飯に乗せてもわもわもわ~っといただきます。忙しい朝には超便利。半年ほど、納豆の朝食を続けました。それが途絶えたのは、コロナが流行ってから。スーパーの棚からカップ納豆が消えてしまい、いつもの朝食(目玉焼きまたはオムレツ)に戻りました。

 

 この頃は、またカップ納豆が買えるようになり、1~2週間に1回の割合で食べています。たぶん、このくらいがちょうどいいです。つかず離れず、ほどほどに。それが私と納豆のつきあいのようです。