今週のお題「お父さん」
父は都立高校の数学教師でした。子どもが好きというより、数学が好きだから教師になったのだと言っていました。(そうは言いつつ、生徒を家に呼んだり、優しい人だったと思います。)
数字を愛し、こだわっていました。小学生の頃、算数のノートに書いた数字が乱れていると、嫌というほど直されました。0と6、7と1など、まぎらわしく書かないようにとか、斜めではなくまっすぐに書くようにとか。問題の解き方を聞いているのに、まず数字を書き直すところからさせられるのです。
中学生や高校生になって、定期試験の前にわからないところを聞きに行くと、最初から丁寧に教えてはくれるのですが、わかったので「どうもありがとう」と帰ろうとすると、「まだ別の解き方がある。こちらの方がスマートで美しい」などと言います。いやいや、明日試験なんで結構ですと言いたいところなのですが、何となくペースにはめられてふんふんと聞いてしまうのでした。そして結局、よくわからない。私には数学のセンスはないようで、いつもチンプンカンプンでした。
65歳で退職してからは、数独を始めました。とにかく数字が好きなのです。数独の問題を解くのではなく、問題を作るのが好きで、雑誌に応募します。出来上がった数字の並びに何らかの意味を込めるのが「スマート」なんだそうですが、受けはイマイチで、いまだ問題が採用されたことはありません。このセンスが、なぜ採用者にはわからないのだろうか(私にもわかりません)と嘆いている、大変ポジティブな思考の持ち主なのです。
父はもうすぐ84歳になりますが、スイミングスクールに通い、児童館で小学生に将棋を教え、週に1回地域のふれあいサロンで同年代の人々と囲碁してカツカレーを食べて帰ってくるという、なかなかタフな高齢者なのです。
けれどこのところのコロナ禍で、父のライフワークを実現できる場はめっきり減ってしまい、「私が今できるのは数独だけだな」とちょっと寂しそう。(コロナが高齢者にもたらす影響は、見過ごすことはできませんね。困ったコロナ。)
それで、外出もままならないような父にせめて刺激をと、私はこの頃、週末ごとに実家に顔を出すようにしています。
今日は我が家の近くの農家で穫れたプラムを持っていきました。父は果物が大好きなのです。母が「赤い色のから食べるといいわよ。甘いから。」と言いますと、まず赤い実のを一つ食べ、それから緑のを一つ食べました。
「あなた、赤い実からって言ったじゃない。」と憤慨する母に、「まず、両方食べてみないと、本当に赤い実の方が甘いかどうかわからないじゃないか。自分で確かめないと。」と答える父。さらに「どっちも同じくらい甘かった。色は関係ないことがわかった。」 とにかく理屈っぽい父なのです。
先日は孫(私の娘)に、「〈千の風になって〉というけれど、なぜ千なのか? 百や万ではだめなのか?」と疑問を吹っ掛けていたらしい。「おじいちゃんは、やっぱり数字が気になるんだねえ。」と笑っていた娘は、私と同じく数学では苦労したクチです。
今日は「NHKの〈シブ5時〉は、6時でも〈シブ5時〉と言っているのはおかしい。」と言っていて、私が「〈シブろく〉にすればいいのにね」と言ったら、「そう思う? いいことを言うね。」と久しぶりに褒められたのでした。ちなみに同じ質問を娘にもして、彼女は「番組の名前だから、変えられないんだよ」と説明したんだそうです。確かに・・・。
という感じで、数字にはますますこだわり続ける父なのでした。
小川洋子さんの『博士の愛した数式』を読んだとき、父に似ていると思いました。その頃はまだ父は、現役の教師でさほど年をとってはいなかったのですけれど、こんな老人になるんじゃないかしら・・・と思ったものです。
あのお話は、ちょっと切ない。父にはまだまだ元気でいてほしい。数字が好きで理屈っぽくて、そして元気でいてほしいです。