てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

西城秀樹さん!

今週のお題「私のアイドル」

 今週のお題を見て、「困ったな」とつぶやいてしまった昭和生まれのオバサンです。もちろん、私が10代だった昭和50年代にもアイドルはいました。小学校の時は、ピンク・レディのミイちゃんとケイちゃんのどっちが好きかで盛り上がり、中学生の時には、キャンデーズが全盛で、百恵ちゃんがマイクを置いてステージから去っていき・・・。そういう社会現象はすごく印象に残っているのですが、私自身はあまり歌番組には興味がないという、ちょっと変わり者だったのです。アイドルに夢中になったという思い出がないので、「私のアイドル」と言われてもなあと頭を抱えていた時、ふっと一人の方を思い出しました。西城秀樹さんです。

 

 西城秀樹さんと言えば、「♪ロ~ラ!」と歌うお姿を思い浮かべてしまうのですが、西城秀樹さんを「私のアイドル」と思うのは、別に訳があります。

 大学生の時に、紅白歌合戦の裏番組のバックコーラスのアルバイトをする機会がありました。コーラスをしたのは、谷村新司さんの「昴」です。複数の大学が集まった「寄せ集めにわか合唱団」でしたが、谷村新司さんと何回か合わせ練習もして、なかなか楽しかったです。で、谷村新司さんのファンになりました・・・ではなく(もちろん、谷村新司さんは素敵な方だったのですが)、なぜ西城秀樹さんか?

 

 それは「握手」です。番組(生放送です)が終わってから高輪プリンスホテル(たぶん)に会場が移って、出演者の方々との打ち上げパーティーが始まりました。紅白に出場はされなかったものの、そうそうたるメンバーです。今思い返しても、びっくりするような方々を本当に間近で見るという、後にも先にもこれっきりの経験をさせていただきました。やがて新年のカウントダウンが始まり、「あけましておめでとう~!!」とみんなでヒューヒュー騒いだことも、いい思い出です。

 そんなにぎやかなパーティー会場の中に、ちょっと違った雰囲気の一角がありました。椅子に座っている男性の前に、並んでいる人たち。男性は、西城秀樹さんでした。その時の私の感想は、「おぉ! 本物だ!!」。歌番組に興味がなかった中高生だった私も、この頃にはまあまあミーハーな大学生になっていたので、列に並びました。さわやかな笑顔とともに、しっかり握手(まあ、3秒くらいですかね)してくださった西城秀樹さん。「プロなんだから、そりゃそうだよね」とはわかるんですが、アイコンタクト&握手で、一瞬にしてファンになってしまった私です。以来、ン十年、「お母さん、西城秀樹さんと握手したんだからね!」と我が子に自慢しまくり(「それ、聞いたし・・・」と言われるのがオチ)、雑誌などでお見かけすると、「あ! 西城秀樹さんだ!」とドキドキします。病気をされて、いろいろご苦労もされているようですが、どうかお元気でと祈っています。郷ひろみさんがバリバリ現役で、ブイブイ歌っている姿を見ると、西城秀樹さんの歌声もききたいなあとも思ってしまいます。

 

 この頃のアイドルは、CDを買ったりすると握手券がついてくるらしい。一般人でも近づける機会がある。アイドルは憧れるだけの存在から、手が届きそうな存在に変わりました。なんだか違和感があるなあと常々思っていたけれど、なんてことはない、私だって同じからくりの中にいたんだなと、さっき気が付いて、ひとりで笑ってしまいました。

 

 

「まちなみ」ウォッチ 大磯→国府津

 「第10回街道ウォーク 大磯→国府津」で、いいなと思った風景、「ん?」とツッコミを入れたくなった諸々のものたち、などなど気の向くままの「まちなみ」ウォッチです。どうぞい付き合いください。

 このウォッチには名所・旧跡は含みません。名所・旧跡については、こちらをご覧ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 1月20日(土)一応晴れ。9時17分に大磯駅を出発しました。最初のチェックポイントは、島崎藤村旧宅。周辺は、古民家を利用したちょっとおしゃれなカフェなどがあって、閑静な佇まいです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122222728j:plain

 藤村邸は、狭い路地をたどってい行った先にあります。この写真右側は、藤村邸の垣根です。

 

 藤村邸を後に、再び東海道をてくてく歩きますと、立派な松並木になります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122223250j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122223459j:plain

 説明板がわかりやすかったので、近づいてパチリしたものを載せますね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122223612j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122223816j:plain

 次世代の松並木用に、ちびっ子松の木育成中。こうして長い目で見て手入れをしているからこそ、維持できているのだと納得。

 

 今日も追いかけます。「日本橋から(まで)〇〇km」の表示。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122224048j:plain

 

 滄浪閣の先で海側の路地を入ってみました。海がすぐそこに見えます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122224354j:plain

 せっかくなので、浜まで下りてみました。普段、海の見えないところで暮らしているので、海を見ると若干興奮してしまう・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122225037j:plain

 

 海を見下ろす斜面は、「大磯こゆるぎ緑地」と呼ばれていて、松林になっていました。かつて、伊藤博文の別荘・滄浪閣に追随するように財界人の別荘が立ち並んでいたのは、おそらくこの辺りでしょう。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122225111j:plain

 

 東海道の横から海側へ向かう細道の先に、キラリと海が光ります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122225531j:plain

 

 街道沿いの旧家。前回よりも、このような旧家を見ることが、格段に増えました。ローカル色が濃くなってきたように感じます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122225835j:plain

 

 日本橋から(まで)70km

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122230019j:plain

 

 

 宝前院の先の坂道。地名は中丸です。

 中丸の立場があったのはこの辺りでしょうか。坂の上で見晴らしがいいので、いかにも茶屋とか、あったような感じがするのですが。

 特に案内はなかったのですが、勝手に想像してみました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122230227j:plain

 

 

 日本橋から(まで)72km

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122230559j:plain

 

 二宮町に入りましたので、早速マンホールをパチリしました。

 大磯町のマンホールに比べると、ポップでゆるい感じ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122230732j:plain

 

 日本橋から(まで)73km

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122231008j:plain

 

 二宮駅のロータリーにある高木敏子さんのガラスのうさぎの少女の像です。

 写真ではわかりにくいですが、少女が抱いているうさぎは、本当にガラスです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122231102j:plain

 高木敏子さんは、1945年8月にここ二宮駅で、アメリカ軍の機銃掃射に遭い、目の前でお父さんを亡くしました。詳しくはこちらのブログをご参照ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 日本橋から(まで)74km

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122231749j:plain

 

 旧東海道の名残り

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122231857j:plain

 左が国道1号線、右が旧道です。やっぱり旧道はいいなあ。

 

 旧道を歩いていたら、醤油の蔵元がありました。「宮戸醤油漬物醸造」という表札が出ていました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122232319j:plain

 

 梅沢橋跡

 橋は架かっていません。暗渠になっています。道路の下で、水が流れる音がします。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122232648j:plain

 この道の下が、たぶん川。海に注ぎます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122232714j:plain

 

 街道沿いの旧家、たくさんあったのですが、特に印象に残った一枚を。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122232936j:plain

 

 日本橋から(まで)75km

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122233125j:plain

 

 またまた旧道都の分かれ道です。左が旧道、右が国道1号線。この旧道の先が押切坂で、茶屋本陣跡があります。押切橋で再び国道1号線と合流します。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122233301j:plain

 

 小田原市に入りましたので、例によってを。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122234402j:plain

 やっぱり、箱根駅伝なんですね。

 

 

 日本橋から(まで)76km

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122234526j:plain

 

 少々疲れてきましたが、行く手に見える海に励まされて進みます。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122234637j:plain

 

 塩小売業という看板を掲げたお宅を発見しました。珍しかったので、パチリさせていただきました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122234743j:plain

 

 ちょっとツッコミを入れてみたくなった看板だったので。「ちょっと君」と言われてもなあ。

 もちろん、地域で子どもを守るのは大事ですね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122234904j:plain

 

 おお、ほととぎす巻ではありませんか! ここに本社があったのかあ!

 あ、ほととぎす巻というのは、茅ヶ崎→平塚ウォークで、ふらりと立ち寄った落花生屋さんで売っていて、お店の人のトークにつられて買った思い出の一品です。

 そういえば、お店の人、「小田原の会社で作っていて・・・」と言ってたなあ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180122235059j:plain

 旧友に再会したような気持ちです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

 通りの向かいで、みかんをいっぱい売っているのが見えました。オレンジ色が

きれい。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180123000146j:plain

 

 日本橋から(まで)77km

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180123000302j:plain

 

 旅の終わりに、海を見ました。もうすぐ、国府津の駅です。夕方だからか、波が高いようです。波がしらが立っています。

 足元は砂浜ではなく、大小さまざまの丸い石でした。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180123000413j:plain

 

 日本橋から(まで)78km

f:id:kaz-mt-wisteria:20180123000628j:plain

 

 海を見た後、駅まで少し遠かったですが、てくてくサクサク歩きました。タイムアウトすることなく、予定をこなして目的地まで到着出来て、何よりでした。

 

 長々、お付き合いくださり、ありがとうございました。

 また、訪ねて来て下さると嬉しいです。

 


にほんブログ村

第10回 大磯→国府津②

 「第10回街道ウォーク 大磯→国府津」後半です。

これより、二宮町に入ります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121214245j:plain

 

名残り松 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121214548j:plain

 二宮町に入ってすぐのところにある名残松です。


塩海の名残り

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121214825j:plain

 塩梅の名残りとは、どんなところかとちょっと楽しみにしていたのですが、特に説明はなく、それを示す棒杭がひとつありました。

 ちなみに近くにあったお医者さんの看板から、「しおみ」と読むらしいことを知りました。

 

我妻神社

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215037j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215136j:plain

 我妻神社は浅間神社とともに大きな神社のようですが、例によって街道ウォークで先を急ぎますので、鳥居だけで失礼します。我妻神社は弟橘姫を祀っているので、それらしき絵が掲げられています。


小沢寺

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215317j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215454j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215519j:plain

 神社というので鳥居とかイメージしていて、見落としてしまいそうでした。小沢寺は、梅沢橋の近くにあって、神社というより小さな庵のような感じでした。

 小さな敷地の中に、道祖神がありました。


藤巻寺

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215738j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215855j:plain

 フジと梵鐘が見どころのようです。フジは樹齢400年。梵鐘は二宮町で一番古いそうです。説明板がわかりやすかったので、アップします。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220021j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121215929j:plain


道祖神(山西)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220104j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220130j:plain

 道祖神の側に幟があったのですが・・・

 遠目に「金目の寄付」(かねめのきふ)と読んでしまった私(汗)。お金になるものの寄付を呼び掛けているお店でもあるのかと思ってしまいました。(笑)

 正しくは「金目の煮付」(金目鯛の煮つけ)で、お魚料理のお店の幟でした。貧乏性でお恥ずかしい・・・

 どうでもいい話でスミマセン。


一里塚跡

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220302j:plain

 説明板によると、塚は街道を挟んで両側に置かれ、北側にはケヤキ、南側には榎が植えられていたそうです。

  
密厳院薬師堂

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220441j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220706j:plain

 薬師如来坐像が安置されているそうですが、よくわからなかったです。すごく狭いスペースにお堂があるのですが、道祖神もありました。

 なぜか、お堂の真ん前に遊具がありました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220628j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220737j:plain


茶屋本陣跡

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121230318j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220841j:plain

 緑色のお宅(和田さん)が、本陣のあった場所です。説明板がちゃんとあって、よかったです。ありがとうございます。

 押切坂を控えているため、間の宿だったという説明に納得。


稲荷神社

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121220915j:plain

 稲荷神社は、どう考えてもこの場所のはず。つい最近、お引越ししてしまったみたいです。


男女双体道祖神(押切坂)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121221257j:plain

 押切坂の崖っぷちの、切通が見えるところに、こんな小さな道祖神があります。昔から、こうして、旅人を守ってくださっているのですね。

 

いよいよ小田原市に入りました!

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121221518j:plain

浅間神社 

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121221614j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222041j:plain

 庚申塔と道祖神があります。

 南側は、すぐ海です!


車坂碑

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222115j:plain

 源実朝、太田道灌、阿仏尼がここで歌を詠んだことを記念した碑です。詳しい説明板があったので、アップします。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222151j:plain


大山道道標

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222235j:plain

 風格のある道標ですね。この道が大山に続くのかぁ・・・

道祖神(前川村)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222340j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222549j:plain

 道祖神、こんな感じに風景に溶け込んでいて、いいなと思いました。

 道祖神(中宿公民館)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222415j:plain

 公民館(集会所のような小さな建物です)の玄関わきにありました。大切にされている感じがいいですね。

 

長泉寺

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222700j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222801j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222822j:plain

 北村透谷が逗留していたという長泉寺。海側ではなく、東海道線の線路をくぐった山側にあります。ぐるりと回ったので、旅の最後にちょっと疲れました。

 山門前に石燈籠がたくさん並んでいたのが印象的でした。


男女双体道祖神(前西川)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121222941j:plain

 本日最後のチェックポイントです!

 道祖神と道路を挟んで反対側にある石材店のわきの階段を下りると、海岸に出ることができます。絶景に、しばし疲れが癒されました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121223112j:plain

 

 最終地点、国府津駅です。なんか、昔ながらのJRの駅というか・・・ 無骨な感じ。 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121223350j:plain

 時刻は16時23分。7時間6分、24480歩のウォークでした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。次回はまちなみに焦点をあてて、レポートします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 


にほんブログ村

第10回 大磯→国府津①

 1月20日(土)、「第10回東海道ウォーク 大磯→国府津」を実施しました。旅の様子を、数回にわけてお伝えします。どうぞお付き合いください。

 まずは、事前にチェックしていたポイントについて、実際にはどんなところだったか、振り返ります。

  9時17分、大磯駅です。一応晴れ。さほど寒くはありません。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145100j:plain


妙昌寺

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145415j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145438j:plain

 この日最初のチェックポイントのお寺。何が見どころか、いまひとつわからなかったのですが、きれいなお寺でした。

 

島崎藤村旧宅

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145740j:plain

 島崎藤村の旧宅は、静かな住宅街の中の細い道をくねくねとたどって行ったところにありました。案内が随所にちゃんと出ていたので、迷うことはありませんでした。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145807j:plain

 9時より開館、入場無料です。静かなたたずまいのお宅です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145924j:plain

 島崎藤村は亡くなる前の2年間ほど、この家で暮らしました。真ん中の居間で、心臓発作になり、亡くなったそうです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121145943j:plain


上方見付跡

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150107j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150126j:plain

 説明板によりますと、このバス停のあたりに、見附があったそうです。


滄浪閣

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150245j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150349j:plain

 伊藤博文の別荘・滄浪閣は、大磯プリンスホテル別館になっています。オフシーズンのためか、人の気配はなかったのですが、営業はしているようでした。


宇賀神社

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150325j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150452j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150533j:plain

 鳥居をいくつもくぐった先にお社がありました。小さなお社ですが、脇に神主さんのお宅(?)もあり、きちんと管理されている印象を受けました。


八坂神社

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150751j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150733j:plain

 がら~んとした境内でしたが・・・なぜかステンレスのお賽銭箱だけが、ピカピカ目立っていました。


道祖神(小磯幼稚園入口)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121150950j:plain


道祖神(切通橋)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151051j:plain

 今回、道祖神、多いですね。こういう、小さな石を積んだタイプが、特に多いかも。


旧吉田茂邸

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151306j:plain

 手前が日本庭園、奥の建物が、再建された吉田茂邸で博物館になっています。先を急ぐので、外から見学するだけにしました。説明板がわかりやすかったので、アップします。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151336j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151413j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151429j:plain

 管理棟前にある看板。インパクトがありますね。


西長院

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151458j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151642j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151812j:plain

 身代わり地蔵で有名な西長院ですが、お地蔵様の公開は年に一度だそうです。1月24日、大変な賑わいでしょうね。


宝前院

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151919j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121151944j:plain

 馬頭観音がありました。


国府本郷の一里塚跡

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152159j:plain

 左側に説明板があります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152231j:plain

 江戸から17里・・・ずいぶん来ましたね。感慨深いです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152254j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152314j:plain

 一里塚と同じ場所に、水準点もありました。


道祖神(大磯警察署)

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152434j:plain

 たくさんのお供え。大切にされていることがわかる道祖神です。心が温まります。


男女双体道祖神

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152537j:plain

 大小さまざまの石が集められています。


国府祭座問答石

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152739j:plain

 座問答の石とは何か? よくわからなかったのですが、訪ねてみて、何となく納得。まずは、これが、並んでいる石たちで、それぞれが、神社を表します。

 説明をお読みください。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152803j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121152904j:plain

 この二つ、川匂神社と、寒川神社が対立していて、他の神社が仲裁している・・・という様子を、石で表している、という理解でよいかと思います。

六所神社鳥居

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153149j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153844j:plain

 六所神社は、この鳥居のもっともっと先です。今回は鳥居だけ。

宝積院

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153611j:plain

 奥に見えるのが、樹齢200年を超えるカヤの木です。手前に西国巡礼塔が並んでいました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153653j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153721j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153759j:plain

 町内に現存する最古の梵鐘だそうです。

 
道祖神(六所神社そば)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180121153932j:plain

 道祖神の前にお稲荷さん。ちょっと道祖神が気の毒かな・・・

 

ここまでが、大磯町です。長くなるので、ブログをいったん閉じます。

また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 


にほんブログ村

『ガラスのうさぎ』と二宮町

 休日スタイルは晴歩雨読。晴れたらウォーク、雨なら読書。晴れても読書、でもいいかも。毎週金曜日は、週末の読書用に本の話題を、と思って二週目です。

 次回のウォークの事前チェックをしていて、二宮駅のロータリーに高木敏子さんの『ガラスのうさぎ』の少女の像があると知りましたが、内容を覚えていないので、読んでみたのですが、どうやら今回が初めてのようでした。

 この本が出版されたのは1977年だそうですが、確かにその頃、大そう話題になったことは覚えています。母親たちも、とても共感していたような。でも、肝心の当時の小学生だった私は、なんとなく敬遠してしまったのでした。

 なんで読まなかったのかなあ、この本。読めばきっと、子どもなりに感じることもたくさんあっただろうなと思います。でも、大人になって戦争についていろいろ知識を得たり、親になったりしたからこそ、身につまされるくだりもたくさんありました。児童書ですが、大人が読んでもいい。40年前に出版された本ですが、今読んでもいい。そんな感想を持ちました。

 

 この本は、高木敏子さんが子供の頃の戦争体験を綴ったものです。以下、少しだけ、内容を紹介します。

 

 東京の本所(墨田区)に生まれ育った「わたし」(高木敏子さん)は、空襲を避けて二宮の知り合いを頼って疎開していましたが、1945年3月10日の東京大空襲で、お母さんと二人の妹の消息がわからなくなってしまいます。お父さんだけは助かったのですが、離れ離れの生活が続きました。

 いよいよ、一緒に暮らせる目途が立ったのは、8月になってから。お父さんが迎えに来てくれて、お世話になった家の人に別れを告げて二人で駅に向かいます。8月5日の朝でした。

 東海道のコンクリート道路の照り返しは、今日もとても暑い。父とわたしは汗をふきふき歩いた。約一年間生活したこの町とも、今日でお別れ。そう思うと、道の両側の見なれた風景が、せつなく感じられる。空を見ると空はどこまでも真っ青で、太陽がギラギラ照りつけている。

 希望に向かって歩いているかと思っていましたが・・・

 

 二宮駅の待合室は、東京や横浜方面から食糧を買いだしに来ていた人たちでごった返していました。そこへ突然の機銃掃射。「わたし」はとっさにいすの下に潜り込み、助かったのですが、お父さんは銃弾を3発浴びて亡くなってしまいます。

 せつないお話です。身寄りのない13歳の「わたし」が、たったひとりでお父さんを火葬するために奔走する場面は、本当に胸が痛みます。読んでいて、はっとしたのは、「わたし」がお父さんの遺体と一緒に牛車に乗って、火葬場のある小田原に向かう場面です。

 もうわたしは涙も出なかった。ただ車のギイギイ動く音をききながら、東海道の松並木を国府津、鴨宮とすぎて、大きな橋をわたっていった。

 まさにこれから私たちが歩こうとしている道。「海沿いでいいところだね~」「立派な松林だね~」という感想だけではすまされないなあと思いました。

 

 第二次世界大戦でアメリカ軍によって行われた機銃掃射は、一般人を狙った無差別攻撃です。これと同様のことが現代でも行われていることは、忘れてはいけません。

 『ガラスのうさぎ』を読んで思い出した本があります。『ナビラとマララ』(宮田律 講談社)です。

 パキスタンの少女ナビラさんは、2012年10月、アメリカ軍のドローンが撃ったミサイルによって祖母を失い、自分も大けがをしました。彼女は運動家でもテロリストでもなく、ただお兄さんといっしょに牛に水をやり、おばあさんは畑のオクラを摘んでいただけでしたが、ドローンに積まれたカメラを見ていたCIAは、テロリストだろ勘違いしてしまったのだそうです。

 一瞬、すべてが真っ暗になりました。悲鳴が聞こえて、それがおばあちゃんのものであると思いました。でも、私にできることは走って逃げることだけだったんです。

  本の中のこのナビラさんの言葉が、『ガラスのうさぎ』の二宮駅で「わたし」が見た光景に重なります。

 

 街道ウォークは、江戸時代の旅人に思いをはせながらの「てくてくわくわく」歩きですが、関東大震災や空襲で、甚大な被害・犠牲があったことも、行く先々で語られています。追悼の心も持ちながら、歩きたいと思います。

 

 長文をここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180120001543j:plain

 

 

 

 

 

 

繰り上げ当選ラッキーガール

今週のお題「受験」

 振り返れば、繰り上げ当選でやってきた人生でした。(まだ人生を振り返るほど老けてはいないけれど)

 

 最初は、おそらく大学受験。用意周到に準備を重ねて受けた第一志望はまさかの不合格で、望み薄だったチャレンジ校に合格。第一志望はかなり渋い学校だったのに引き換え、そこは燦燦と陽が降り注ぐようなキラキラな学校だったので、「えっっ、マジで?」(当時「マジで」という言い方はしなかったけれど、まあそんな感じ)と戸惑ったものです。明らかに自分のキャラとは違う気がして、どこかかゆいような、でもまんざらでもないような。

 もっとも、自分のキャラではなさそうと思ったのも束の間、のんきで気のいい人が多くて、生真面目だった私も、それまで持っていたとんがった感じをやめました。それによって達成できなかったこともあるけれど、たぶんこのことは、よかったのではないかと思います。

 入学直後のフレッシュマンキャンプで学部長の教授が、「今年度はちょっと取り過ぎました」と苦笑いされたのを見て、「私だ」と思ったものです。確証はありませんが、おそらくこれが最初の「繰り上げ当選」。

 

 就職活動はそこそこ苦労しました。バブル前夜。平凡な文系女子でしたので、売り手市場といえる状況ではなかったのです。

 とある会社に断られたあと、サークルの合宿に出かけておりましたところ、自宅から電話が。「〇〇×△(会社名)から電話が来てるけど。折り返しかけてほしいってよ。」 当時は、携帯電話なんて普及していませんでしたから、企業からの連絡はもっぱら自宅の電話にかかってくるのです。落ちたので、電話はかかってこないと思って、合宿に来ていたのですが・・・

 今でも思い出します。田舎の民宿の黒電話から、言われた電話番号を回した夏の日の情景を。電話に出たのは、面接を担当されていた若手の男性でした。

「今、どこにおるん?」(関西系の企業なのです)

「あ、新潟です。サークルの合宿に来ています」(さすがに、かなり恐縮しています)

「合宿かあ・・・! ええなあ。懐かしいわあ。」

「すみません。」

「僕も行きたいわ。あ、そうそう、一人欠員が出たんで、どうかなと思って。」

 二度目の繰り上げ当選が言い渡された瞬間でした。

 この会社には4年弱、勤めました。希望の仕事ではなかったので悩ましいときもありましたが、会社の「人」のことは、真面目でそれでいてどこかおおらかで、好きでした。同年代の若い社員が多く、半ば学生時代の続きのような雰囲気さえありました。親しくなった人たちとは、今でもやり取りが続いています。

 

 三度目の繰り上げ当選は、現職です。現在進行形なので詳しいことは書けませんが、採用ではないが名簿に搭載する旨、通知が来たのです。名簿有効期限は1年間だというので、「それなら、1年以内にひょっとしたら、いいことあるかも」「果報は寝て待て」くらいのつもりでいたのですが、意外にも2週間後に連絡が来ました。「一人退職者が出たのでいかがですか。」

 現在の仕事に就いて、結構な年月が過ぎました。経験者が有利な職種であるのに、潜入出来たのはラッキーでした。繰り上げ当選のおかげです。

 

 パシッと合格すれば、それはとてもかっこいいけれども、きっかけは繰り上げ当選だっていい。入ってからが、本当のはじまり。その学校で、どう過ごすか、その職場でどんな仕事をするか。真摯に向き合って、認められたらうれしい。繰り上げ当選を引け目に思う必要は全然なくて、むしろすごくラッキーなことだと思います。

 私は、繰り上げ当選のラッキーガールです。(ガールというのは、図々しいか・・・) 

 

 世の受験生の皆さん。ラッキーをつかんでください! 繰り上げ当選も、悪くないですよ。

 

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180118234730j:plain

 

弥次さん、喜多さんを追いかけて 大磯→小田原

 久々に『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さん登場です。

 弥次さんが藤沢の白旗神社で義経伝説を怖がって歌を詠んだのを最後に、物語の舞台は茅ヶ崎も平塚もすっとばして、大磯になっています。大磯と言えばやはり虎御前の伝説でしょうということらしく、延台寺の「虎が石」をためつすがめつ、やいやいと歌を詠んでおります。

此さとの 虎は藪にも 剛のもの おもしの石と なりし貞節 北八

😊曽我十郎の遊女・虎御前は、曽我十郎の死後は尼となって十郎の供養に一生を捧げました。喜多さんは「低い身分の者であるにもかかわらず、貞節を守って立派な心掛けの女性ではないか・・・」と感心しています。「剛のもの」に「香の物(漬物)」をかけて、漬物石に関連付けました。

去ながら 石になるとは 無分別 ひとつ蓮の うへにや乗られぬ 弥次

😊「そうはいってもお前、石になるなんて、考え無しだね。重くって一つの蓮の上に乗ることもできないじゃないか。二人で極楽に行けないぜ。」と弥次さん。

 

 この後二人は、延台寺の近くにある鴫立沢に立ち寄り、西行の像を拝んで、自分たちも歌詠みを頑張ろうじゃないか、などと宣言したりしていますが、このあと・・・

 

 このあとは、平成の現代でも、二宮・国府津と、海岸沿いの単調な国道をひたすら歩くことになるのですが、弥次さん・喜多さんも退屈してしまったようで、何を始めたかと思いますか?

 1.おやつを食べた(茶屋とか、あれば、ですけど)

 2.道行く人をからかった(誰か、いれば、ですけど)

 3.名所・旧跡にツッコミをいれてみた(ツッコむものが、あれば、ですけど)

 

 何もない一本道だったんでしょうね。二人が始めたのは「なぞなぞ」でした。

北「外は白壁 中はどんどんナアニ

弥「べら坊め。そんな古いことよりおれがかけよふか。コレ手めへとおれと、つれだって行とかけてサアなんととく

北「ソリヤアしれたこと。伊勢へ参るととく」

弥「馬鹿め、これを馬二匹ととく」

北「なぜ」

弥「どうどうだから」

 😊馬を行かせるときのはやし言葉「 どうどう」と、道連れを意味する「同道」をかけているわけですね。いわゆるダジャレ。

 すると、そういうことなら負けじと喜多さんもダジャレで攻めます。

 「おいらふたりが国所はナアニ」(おいらが二人の出身は?」

 弥二さんが「神田の八丁堀」と答えると喜多さんは「不洒落なこと言うなよ」と笑って「豚が二匹と犬っころが十匹さ」と答えるのです。その心は、「ぶた二ながら、キャン十(とお)の者」だからだとか。???ですね。キャンは犬のことですね。考え過ぎちゃだめですよ。そのまま読んで、「ぶたにながらきゃんとうのもの」→「ふたりながらきゃんとうのもの」→「二人ながら関東の者」

 

 大人が二人でおかしいですね。あ、でも、私にも身に覚えがありますよ。若い時でしたけど、社員旅行で、同期3人でじゃんけんをして、負けた人が3人分の荷物を次の電柱まで持つという・・・。なぞなぞじゃないけどね。ヒマだったから。単調な道を少しでも盛り上げようという計らい。

 なぞなぞといえば、息子が小学生の時、親子で成田から高速バスで都心に帰ってきたことがあったんですけど、バスに乗る前に売店で「好きなものを買ってあげるよ」と言ったら、ミニブックがついたキーホルダーを選びました。このミニブックが、なぞなぞの本だったんですね。小さな本に細かな字でびっしり。

 さて、バスに乗って、遊び疲れた私は、しばし睡眠と思ったのですが、甘かった・・・! 

 「おじいさんが乗ったら、おならが出る車はなーんだ?」「ジープ」「ピンポーン♪」

 「じゃあ、孫がおじいさんとするスポーツは、なーんだ?」「え、なに?」「ソフトボールだよ~」(祖父とボール)

 終点まで2時間半、なぞなぞ大会になりました。

 

 おっと横道にそれました。ところで、喜多さんが最初に出したなぞなぞ、弥二さんは「そんな古いなぞなぞ」と笑いましたが、定番のなぞなぞだったんでしょうね。答えは、結局書いていないのですが(つまり、だれもが知っていた定番)、解説によりますと、行灯(あんどん)だそうです。四角い行灯の三方に紙が貼ってあって、中で灯心が燃えているからです。

 このあと、二人のなぞなぞ大会はさらにくだらなさがエスカレートして、やや下ネタ寄りにもなってくるので、ブログはここらでお開きに。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪問してくださると嬉しいです。

 

*今回の記事を書くにあたり、『東海道中膝栗毛』(岩波書店 十返舎一九作 麻生磯次校注)を参考にしました。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180117010527j:plain

 

 


にほんブログ村