久々に『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さん登場です。
弥次さんが藤沢の白旗神社で義経伝説を怖がって歌を詠んだのを最後に、物語の舞台は茅ヶ崎も平塚もすっとばして、大磯になっています。大磯と言えばやはり虎御前の伝説でしょうということらしく、延台寺の「虎が石」をためつすがめつ、やいやいと歌を詠んでおります。
此さとの 虎は藪にも 剛のもの おもしの石と なりし貞節 北八
😊曽我十郎の遊女・虎御前は、曽我十郎の死後は尼となって十郎の供養に一生を捧げました。喜多さんは「低い身分の者であるにもかかわらず、貞節を守って立派な心掛けの女性ではないか・・・」と感心しています。「剛のもの」に「香の物(漬物)」をかけて、漬物石に関連付けました。
去ながら 石になるとは 無分別 ひとつ蓮の うへにや乗られぬ 弥次
😊「そうはいってもお前、石になるなんて、考え無しだね。重くって一つの蓮の上に乗ることもできないじゃないか。二人で極楽に行けないぜ。」と弥次さん。
この後二人は、延台寺の近くにある鴫立沢に立ち寄り、西行の像を拝んで、自分たちも歌詠みを頑張ろうじゃないか、などと宣言したりしていますが、このあと・・・
このあとは、平成の現代でも、二宮・国府津と、海岸沿いの単調な国道をひたすら歩くことになるのですが、弥次さん・喜多さんも退屈してしまったようで、何を始めたかと思いますか?
1.おやつを食べた(茶屋とか、あれば、ですけど)
2.道行く人をからかった(誰か、いれば、ですけど)
3.名所・旧跡にツッコミをいれてみた(ツッコむものが、あれば、ですけど)
何もない一本道だったんでしょうね。二人が始めたのは「なぞなぞ」でした。
北「外は白壁 中はどんどんナアニ」
弥「べら坊め。そんな古いことよりおれがかけよふか。コレ手めへとおれと、つれだって行とかけてサアなんととく」
北「ソリヤアしれたこと。伊勢へ参るととく」
弥「馬鹿め、これを馬二匹ととく」
北「なぜ」
弥「どうどうだから」
😊馬を行かせるときのはやし言葉「 どうどう」と、道連れを意味する「同道」をかけているわけですね。いわゆるダジャレ。
すると、そういうことなら負けじと喜多さんもダジャレで攻めます。
「おいらふたりが国所はナアニ」(おいらが二人の出身は?」
弥二さんが「神田の八丁堀」と答えると喜多さんは「不洒落なこと言うなよ」と笑って「豚が二匹と犬っころが十匹さ」と答えるのです。その心は、「ぶた二ながら、キャン十(とお)の者」だからだとか。???ですね。キャンは犬のことですね。考え過ぎちゃだめですよ。そのまま読んで、「ぶたにながらきゃんとうのもの」→「ふたりながらきゃんとうのもの」→「二人ながら関東の者」
大人が二人でおかしいですね。あ、でも、私にも身に覚えがありますよ。若い時でしたけど、社員旅行で、同期3人でじゃんけんをして、負けた人が3人分の荷物を次の電柱まで持つという・・・。なぞなぞじゃないけどね。ヒマだったから。単調な道を少しでも盛り上げようという計らい。
なぞなぞといえば、息子が小学生の時、親子で成田から高速バスで都心に帰ってきたことがあったんですけど、バスに乗る前に売店で「好きなものを買ってあげるよ」と言ったら、ミニブックがついたキーホルダーを選びました。このミニブックが、なぞなぞの本だったんですね。小さな本に細かな字でびっしり。
さて、バスに乗って、遊び疲れた私は、しばし睡眠と思ったのですが、甘かった・・・!
「おじいさんが乗ったら、おならが出る車はなーんだ?」「ジープ」「ピンポーン♪」
「じゃあ、孫がおじいさんとするスポーツは、なーんだ?」「え、なに?」「ソフトボールだよ~」(祖父とボール)
終点まで2時間半、なぞなぞ大会になりました。
おっと横道にそれました。ところで、喜多さんが最初に出したなぞなぞ、弥二さんは「そんな古いなぞなぞ」と笑いましたが、定番のなぞなぞだったんでしょうね。答えは、結局書いていないのですが(つまり、だれもが知っていた定番)、解説によりますと、行灯(あんどん)だそうです。四角い行灯の三方に紙が貼ってあって、中で灯心が燃えているからです。
このあと、二人のなぞなぞ大会はさらにくだらなさがエスカレートして、やや下ネタ寄りにもなってくるので、ブログはここらでお開きに。
ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪問してくださると嬉しいです。
*今回の記事を書くにあたり、『東海道中膝栗毛』(岩波書店 十返舎一九作 麻生磯次校注)を参考にしました。