てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

亀の歩みが止まっているワケ

 てくてくわくわく街道ウォークを読んでくださっている方々、いつもありがとうございます。

 日本橋を出発したのは、2017年の9月だったでしょうか。その間、同行人&オットの母(私にとっては義母)の他界、私自身の肘頭骨折(詳しくは、「肘頭骨折コツコツ日記」をご覧ください。)、新型コロナウィルス感染拡大に伴う自粛・・・・などなど数々の出来事・試練・困難があり、もともとゆっくりマイペースなプロジェクトだったのが、ますます亀の歩みになっておりました。昨年11月に金谷宿までたどり着き、来年中には(つまり今年)浜松にと決意を堅くしていました。浜松ではぜひ、一泊してうなぎパイの春華堂の工場を見学したいなあ・・なんて考えてもいました。しかし、またまた新たな試練が! 大井川を渡ったものの、足止めとなっております。

 

 何が起きたか? それは親の介護。1月の最後の日曜日の夕方、「左脚が動かない」とう実母からの電話から始まりました。その日のお昼には普通に会って話していたんですけどね。

 大動脈解離。こんな言葉知らなかったなあ。怖い病気です。心臓の血管が裂けちゃうんです。成功率は約半分という緊急手術を受けて、ありがたいことに一命をとりとめました。

 

 それからがまた大変でした。リハビリ病棟のある病院に移ったあと、急激に体力が落ち、何も食べなくなってしまいました。2度目のピンチ。一般的に、人間は何も食べなくなると2週間で亡くなってしまうらしい。10日目に、太い大きな静脈から高濃度の栄養を注入する「中心静脈栄養」にしてもらい、ありがたいことに何とか死なずに済みました。

 

 思うようにリハビリが進まない中、医療保険を使って入院できる150日という期限も迫ってきます。介護老人保健施設(いわゆる老健)を探し、面談まで済ませていたのですが、空き待ちだった施設が2か所ともコロナの感染に見舞われ入所のめどが立たないという問題に直面しました。結局、自宅で介護をするしか選択肢がなくなりました。ショートステイも当たったけれど空きがなかったのです。療養型の病院に転院するという道もあったのですが、療養型の病院では中心静脈栄養(点滴)のみで食事は出ないそうです。母は、点滴をしながら口から食べる練習もしていて、点滴は外せる見込みということで、老健に申し込んでいたのです。それなのに、また点滴のみになるなんて。寝たきりの生活を強いるようで、それはできないと思いました。

 

 そういうわけで今、在宅介護が始まりました。母は父と暮らしていて、父は健康で頭もはっきりしています。それでも85歳の父が母の介護をするのは大変不安で、私は実家に滞在して、母の身の回りの世話と両親の食事作りをすることにしました。

 父は買い物も洗濯も掃除もできるのですが、食事作りはしたことがなく、自分でも「絶対にできない」と宣言しているので、母が入院してから現在までの約半年間、毎日仕事帰りに実家に寄って父の夕食を作っていました。話し相手がいなくて寂しいだろうという思いもありました。私の気持ちでやっていたことですが、疲れました。自分の時間がほとんどないのですもの。家にいる時間もほとんどないし。それでも、ささやかな息抜きや気分転換のお楽しみを見つけて、楽しくご機嫌で暮らそうと思っていたところに、余儀なくされた在宅介護。でも腹をくくりました。日本は結局、公助も共助も薄くて、自助なんだなあ。某前総理のおっしゃる通り。

 私の仕事は、夏休み期間は休みが取りやすいです。この時期にこの状況というめぐりあわせは何か運命のようなものも感じます。8月いっぱいは実家で介護をしながら環境を整え、9月には仕事に戻りたいと思っています。仕事は大事。たいして収入を得ることのないささやかな仕事ですが、好きでやっている仕事ですし、実家、家族とは別の世界にも自分の場所があるって大事。自分の老後の資金のためにも大事。だから、仕事に戻りたいと思います。というか、必ず戻りますよ!

 街道ウォークにはいつ戻れるのだろう? 気長に待っていてくださると嬉しいです。