今週のお題「カメラロールから1枚」
ちょうどひと月前の土曜日のことです。玄関のドアを開けて門へ向かう敷石の間に咲いていたたんぽぽの写真です。そこだけスポットライトを浴びているかのようにパッと明るかったので、思わずパチリしてしまいました。左肘を骨折した際に入れたボルトを抜くために入院していて前日に退院したばかり。久々の外の光がまぶしい一方で、世の中はコロナの感染拡大でいよいよ緊張が高まってきた頃。小さいけれど元気カラーのたんぽぽを見つけて、嬉しかったのです。
パチリしたのにはもう一つ理由があります。早速この写真を、離れて暮らす次女にlineで送りました。「ここにたんぽぽが咲いているのはナイショね。」と書きますと、珍しくすぐに返信が。「あ、これ、いつものネタだねー。なつかしいな。」
そう、たんぽぽをめぐっては、私と次女の間にはちょっとしたネタがあるのです・・・
我が家の子どもたちは、長女、次女、長男の3人です。長女と次女は3学年、次女と長男は4学年離れています。
恥かしい話なのですが、長女が小学校に入学したとき、私は「あれ? ○○(次女の名前)ってこんなにしゃべるっけ?」と感心して知人に笑われたことがあります。「○○ちゃん、前からしゃべってたよ。気がつかなかったの?」
私は、長女のことにいっぱいいっぱいでどうも次女のことをあまり見ていなかったんですね。ところが長女が学校に行き、初めて二人っきりで手をつないで外を歩きますと、無口だと思っていた次女が、ボソボソと結構しゃべるんです。
そんなある日のことです。散歩をしていてトコトコと先を歩いていた次女が、いきなりしゃがみ込んでじーっと地面を見つめています。「なあに?」私も隣にしゃがみました。次女が見ているのは、マンホールの縁からけなげに咲いている一輪のたんぽぽでした。あら、こんなところに・・・と思って見ていますと、次女がささやくようにいいました。「ここにたんぽぽが咲いているのは、★★ちゃん(長女の名前)にはナイショね。」
ナイショにしますとも。こんなナイショでいいのなら、いくらでもナイショを作ろうよ。
長女はどちらかというと、心配事の多い子でした。長女だからなのかもしれませんが。日々の生活は、長女中心に回っていました。長女はよく通る声でよくしゃべりました。それにひきかえ次女は、無口。照れ屋なのか、ボソボソとしかしゃべらない。よく動き、運動神経もよく、行動は派手なんですけれど。元気で心配なくてよかったよかった・・・なんて思っていて、次女のおしゃべりにちゃんと耳を傾けていなかったのかなと、前述の知人の指摘もあってちょっと反省ていた頃。私とナイショごとを作りたがった次女を、とてもいとおしく思った出来事でした。
それからは、彼女となるべくたくさん話すようにしました。「ママ、あそこにモグラ穴があるよ。ほら。」と言われまして、指さされた方に目を凝らして見ても、何もなくて。それも「ナイショ」だよと言われました。うん、わかった、ナイショね。
ふたりで駅前のミスタードーナッツにも、ちょいちょい行きました。彼女のお気に入りは、一口サイズのドーナッツが6個のっているセット。ここへ来るのももちろん姉の★★ちゃんにはナイショです。お散歩もミスタードーナッツも、自転車ではなくて、いつも手をつないで歩いて行きました。おなかにもうすぐ生まれる長男がいたからです。
夏の暑い日、公民館の1階の喫茶室でかき氷を食べたのが最後のナイショのお出かけになりました。息子が生まれる2日前です。かき氷を食べた後、駅前のサンリオショップで何か買ってあげると言ったら、「もう、もらったからいいよ。」と言います。数日前にスヌーピーの小さな手提げバッグを買ってあげたことを言っているのでしょう。たった3歳なのに、なかなか遠慮深いのだなと感心しつつ、ちょっと複雑でもありました。
長女の入学から長男の誕生までの4か月弱は、私と次女が最も濃密に過ごした日々であり、今でも私の思い出の中できらきら輝く宝物です。小さな一輪のたんぽぽは、その象徴なのです。
ちなみに、次女は今では家の中で誰よりもおしゃべりです。地声も大きい陽気な人です。あの無口でボソボソとしゃべる照れ屋の○○ちゃんは、どこに? 次女は、今回のコロナ禍で仕事が休業になり、帰ってきています。一気に家の中の雰囲気が変わり、何やら賑やかになりました・・・
私と次女のナイショ話にお付き合いくださり、ありがとうございました。