7月13日(土)、久しぶりにウォークを実施しました。
家を出るとき、くろやぎ(同行人・夫)に、「傘、持って行く?」と聞いたら、「絶対いらない!」という力強いお返事。それを信じて、丸腰で出かけたのですが・・・
それはさておき、9時47分、興津駅に到着しました。お天気は、曇り。
まずは、前回、パチリしなかった一里塚の全景写真を撮るために、少し東へ戻ります。
一里塚跡
これが一里塚。
そしてこちらが、前回忘れた、一里塚全景写真。
一里塚のすぐそばのファミリーマートで、モーニング珈琲を飲んでシャキッとしてから、さあ出発です! 今日もガンバロー
龍興寺
リベンジが済んで、最初のチェックポイント、龍興寺。曹洞宗のお寺です。
こじんまりとして簡素ながら、シブイ。
六地蔵様もいらっしゃいます。
お掃除小僧? 紫の手編みの帽子がかわいい。
朝一番にふさわしい、シャキッと背筋が伸びるお寺でした。
理源寺
龍興寺の隣の理源寺。日蓮宗のお寺です。
こちら参道です。
堂々とした構えの本堂。
眼の神様、「意眼さん」のお墓だそうです。説明板、アップします。
この地域は、7月のお盆なのですね。今日はちょうど、迎え火の日なのですね!
興津宿公園
チェックポイントではないのですが、興津宿公園内の案内板が、今後に参考になりそうだったので、パチリしました。これは、公園の景色です。
公園内の道標です。
案内板には、江戸時代の屋号が書かれていて、面白かったです。
興津宿の由来の説明も、大変参考になりましたので、アップします。
興津の名前は、前回訪ねた、海の神様「宗像神社」の祭神「興津島姫命」に由来するのですね。
峠を越えてホッと一息の興津宿。確かに。
東本陣跡
ちゃんと石碑が立っています。見落とさないでよかった。
全景はこんな感じです。
水口屋脇本陣跡
堂々とした構の脇本陣跡。現在は鈴与研修センターとなっています。
ところで鈴与とはなんぞ? 家に帰ってから調べたのですが、物流会社のようですね。
一部見学できます。ガイド付き。しかも無料。太っ腹!
入って見ましょう
読みにくいですが、一応説明板をアップします。
水口屋の初代当主は、武田信玄の家臣でした。この地で塩や魚を買い付け、甲斐へ送る商いをしていました。江戸時代には、脇本陣として宿屋を営み、明治になってからは、大物政治家や著名文化人たちに、別荘旅館として、愛されました。昭和天皇、皇后も立ち寄られていて、当時宿泊された部屋が、今でも残っています。
水口屋は、時代の流れにうまくあわせて、存続されてきましたが、海側にバイパスができて、部屋からの景色がイマイチになったことも大いに影響して客足が遠のき、昭和61年に閉館しました。
望月氏と懇意であった鈴与の会長がこれを譲り受け、現在も管理維持をしているということです。
以上、説明板の内容と、案内人の方から伺ったお話をまとめました。
ギャラリーには、皇族の方が使われた食器など、豪華&貴重な展示品の数々がありました。
ほー・・と感歎のため息がもれるばかり。
なかばふわふわしながら、外に出て気がついたのですが、私たちが見学したギャラリーは広大な敷地に立つ複雑な建物ののほんの一部、それも女中部屋の部分なのでありました。
一般公開されていない部分は、どんなに豪華なのでしょうね?
まあ、一般人は、一生かかっても見ることはできないんだろうなあ。
西本陣跡
碑と全景をアップします。
ここを訪ねる方は、自転車屋さんを目安に探してくださいね、
茨原神社
街道脇の細道。この奥に鳥居が見えます。しかも、その前に、踏切が。
こういうところ、神奈川県エリアの街道ウォークにもあったけれど。
踏切を渡ったのはいいけれど、まさかの通行止め?
いえいえ、慌てないで、右向き矢印がついています。
こちらが茨原神社です。斜面に横付けに建っています。
読みにくいですが、一応、説明板をアップしておきます。
すぐ近くに興津不動尊があります。
説明板によれば、津波を食い止めたことから、波切不動尊とも言われているそうです。
結構ひっきりなしに、踏切が閉まります。東海道線、本数多いですね。
清見ヶ関跡
清見寺につづく石段をのぼる手前にありました。ただこれだけで、特に説明などはありませんでした。
ガイドブックによれば、大和朝廷の時代に、東北の蝦夷に備えた関だということです。
また、この後見学した清見寺は、関の鎮護として創建されたものだそうです
清見寺
幅広の長い石段を上ります。重厚な感じですが、なんと、この先に踏切があるのです。見えますか?
参道を鉄道が横切るのはたまにありますが(さっきもそう)、お寺の敷地を鉄道が横切るのは、初めてです。変なの・・・
踏切から、お寺の建物を見上げます。
手道に横切られても、その風格には影響なさそう。立派な山門が待っています。
見学料300円なり。
先ほどの水口屋ギャラリーの案内人の女性から、300円払ってでも見る価値があるからと強くすすめられていたので、迷わず見学。
家康が今川氏の人質としてこのお寺に預けられていた時、使っていた「手習いの間」です。違い棚は、当時のままなんですって! 確かに300円払ってでも・・・というのはわかる。
国指定文化財の名勝庭園です。
建物内、なかなか立派。
それもそのはず。
奥にあるのは玉座で、明治天皇がお泊りになられたのだとか。
本堂の広間です。たくさん椅子がありますね
二階です。
二階から見た駿河湾。真ん中の搭?を挟んで、左側が三保の松原、右側が日本平だそうです。地元の方が教えてくださいました。ありがとうございます。
鐘楼です。
小さくて見えづらいですが、説明板です。
300円払ってでも・・・は果たしてどうか。
トントンかな・・・
他にも価値のあるものがたくさんありそうだったけれども、いまひとつ、どれがどれなんだか、よくわからなかったので。
清見寺から出ますと、ポツポツと雨が。
「大丈夫。小さな雨雲しかいない」というくろやぎの言葉を信じて、次に向かいます。
と、ここで、事件が・・・!!
というのは大袈裟ですが、いったん階段を降り、次の理源寺を目指して、別のやや急な石段を上り始めて、なぜか転んでしまいました。
とっさに手をついたのですが、。手にはデジカメが・・・
デジカメに無残に傷がつき、SDカードの挿入口がこわれて外れてしまいました
なんたるおっちょこちょい!
すっかり気落ちして、ここから先は、くろやぎに写真撮影を代わってもらいました。
(デジカメは外側が傷ついただけで無事。SDカードにも影響はありませんでした。帰宅後、確認して安堵。)
というわけで、これより先は、くろやぎの写真です。
私より、たぶん上手だと思います。
瑞雲寺
清見寺と同じ斜面に立ちます。
私は、いったん階段を下りてしまったのですが、下りずに少し歩けば、ここにたどり着きます。
さっき、あまりにも大きいお寺を見たせいか、かえってホッとします。
寒桜です。
説枚板をどうぞ。
ざっくり解釈すれば、アメリカのワシントン・ボトマック河畔に贈った桜の兄弟の孫?
与謝野晶子さんも歌に詠んでいます。
寒桜 清見の寺に ただ一枝 忍ぶ昔に あるがごとく咲く
こじんまりながら。風格のある境内です。
境内のお釈迦様。説明板と一緒にどうぞ。
「性海庵の湧水」という立て札がありました。
裏山から湧いている水で、筧(竹の樋)で下の街道まで流し、街道沿いの人の生活用水や、旅人の飲み水に使われたそうです。
石の観音様。ほっこりして、パチリをお願いしました。
坐漁荘
坐漁荘は、瑞雲寺の向かいにあります。
西園寺公望の別荘を復元したものです。
本物は解体されて明治村に移築されています。
復元とはいえ、見事な復元で(なんか、変な日本語ですが・・・)、たいへん面白かったです。
案内人の男性の説明も、たいへん丁寧でわかりやすかったです。
こちら、入口の門。入場無料です!
門を入ってすぐのところに受付小屋があり、受付の方が、「中へどうぞ。案内人もいます」と教えてくださいました。
とても感じがよく、第一印象◎。
明治村の本物を見たことがあるくろやぎが、本物みたいと感心して、パシャパシャした一枚です。
こちらが玄関です。
一階には応接間があります。昭和に入ってから、各界の要人を招いての隠密な話し合いが、そこで行われたそうです。
二階に座敷があるのですが、こちらはもっとのんびりしていた時代に、客人を招いて使っていたとか。
これは、二階からの眺めです。
下は庭園。その先は、今では埋め立て地となって、バイパスも通っていますが、当時は海でした。
案内人の方が、「ここから三保の松原が見えます」とおっしゃいます。
なるほど、教えていただいた場所に座ると、大きな建物のわずかな隙間から、見えました。
当時は、建物もバイパスもなく、庭園と砂浜の向こうに海がひろがり、かなたに三保の松原も見えて、さぞかし絶景だったことでしょう。
別荘でお客様をおもてなしするのに、ぴったりのロケーションですね。
二階の廊下がギシギシいうので、「そういう風につくっているのね」と感心していたら、くろやぎが、「10年20年経てば、床ぐらい鳴るさ」と強気の発言。
いやいや、それは我が家のような建売住宅でしょ。
見よ、「鴬張り」と書いてありますぞ。
しばし、二階の座敷内をご覧ください。
二階にも一階にも、パネル展示があって、貴重な写真も見られ、興味深かったです。
また、私が特に感心してしまったのは、お風呂場です。
お風呂場の窓に竹の格子がはめられているのですが、なんと、竹の中には、鉄骨が入っているのです! 案内人の方が教えてくださいました。
お風呂は無防備な場所ですから、鴬張り同様、用心に用心を重ねていたのですね。
帰ろうとしたら、雨が降っていることがわかりました。
案内人の方が、ビニール傘をくださいました。細やかなお心遣い、ありがとうございます。
今回のウォークで、一番良かったのは、この坐漁荘です。
建物そのものもよかったし、案内人の方の説明も興味深く、なによりお心遣いがありがたかったです。
外に出てみますと、ポツポツ雨が霧雨に変わっていました。
このあたりから、今回のウォークの運が尽きはじめるのです・・・
万能膏屋跡
表示はなかったのですが、位置的にこれかなーと。
万能膏屋って薬屋さんですよね。街道を旅する人に、薬を売っていたのかしら。
これも薬屋さんだし。ってそれは根拠にならないけれど。
ところで、バイブルのガイドブックには、「万能膏屋跡」の横に、「西園寺公望の別荘跡」と説明がついていました。それ、違いますよね。別荘跡は、坐漁荘。
さっき見た坐漁荘とは別に、本当の跡地があるのかと、惑わされてしまいましたよ。
バイブルさん、訂正してください。
正直言って、バイブルには、間違いがチラホラあります。今回に限らず。
それで惑わされて、ぐるぐる歩き回ることが、ちょいちょいあるんですよね・・・
清見神社
清見神社は、またまた線路のむこうでした。先へ進みましょう。
踏切、ないですね(泣く)
雨は降っているし、時間もあまりないしで、パスします。
たぶんこのむこうにあるのでしょう。清見神社は。
街道は、バイパスと交差し、下をくぐります。
バイパス下の橋を渡って、左の細道に入ります。そして、突き当りに見える家を右へ。
こういう細道が、実は旧街道だというの、わくわくします。
街道ウォークの醍醐味です。
そうしますと踏切が見えてくるので渡ります。
もうこれで、チェックポイントが線路の向こうということはないのですね。
よかった。
ルートは再び、細道から一般の道路に合流します。
延命地蔵尊
「カットハウスサノ」の向かい側にあるとバイブルにありましたが、正にその通り。
バイブルさん、ありがとう。さっきは厳しいことを言ってしまったけれど。
(でも、間違いは困る)
小さな敷地に、目いっぱい建っているお堂。
地域で大切にされてきた感じ。
「病は治せるが寿命は延ばせない」という願いを叶えてくださるお地蔵さん。ありがたいですねえ。
現代ならば、「病を治し、寿命も延ばす」に加え、「ボケずにいられ、2000万円の貯えもある」というのが、みんなの願い。
廬崎神社
なんと! 地下道が参道になっております。
お祭りの準備中でした。
こちらも時間の余裕がないので、一枚パチリをして次へ。
東光寺
臨済宗のお寺です。
この山門は、勅使が興津川の川止めのにより泊まることになり、急遽造ったのだと、ガイドブックに説明がありました。
急に造れるものなのでしょうか。すごいなあ。
それか、とりあえず間に合わせて、後でちゃんとしたのを造り直したとか?
座禅の会など、催しも豊富。
境内の様子です。
名残りの松
名残りの松は、袖師鋼板のすぐ横にあります。
かつては、松並木が続いていたのですね。
今の景色からは想像できませんが。
馬頭観世音菩薩
ガイドブック(バイブル)によれば、袖師の交差点を渡ったところににあるということでしたが。
交差点は歩道橋になっていて、どちらの側にもそれらしきものは見当たりませんでした。
移転したのかな?
これは、ここにあったのではないかと思う場所です。
津島神社
おっと、見落とすところでした。
よかったよかった。
バイブルには、常夜燈があると書いてありましたが、これかしら。
細井松原跡
分かれ道の間に松があります。
旧街道は、右の道になります。
説明の碑をアップします。
昭和19年、松の根の油を取るために、松並木の松をたくさんばっさいしたとのこと。
その際、東海道を旅して倒れた人たちの骨がたくさん出てきたとのこと。
なんだか、ちょっとこわいな。
町内の人は、人骨をお寺に埋葬に、碑を建てたとのこと。
これが、その碑かな?
この松は、昭和19年からあるのでしょうか?
あとから、植え替えたのかしら?
秋葉道入口
案内表示など特になく、確信が持てなかったのですが、ここかしら?
ロードマップと照らし合わせればよかったのですが、小雨が降っていて、紙は濡れるし、傘で両手はふさがっているしで、追及する気が萎えてしまいました。
家に帰って、ロードマップとバイブルとGoogleマップを照らし合わせ、やはりここかしらと思いましたが、確信が持てません。
高札場・一里塚跡
これまた確信が持てません。
説明板は特になかったです。
過去にウォークされた方のブログを見ますと、説明板がアップされていたりするのですが、見つけられなかったです。
位置的に、ここではないかと。
ここを一里塚跡として掲載しているブログもありました。
モヤモヤしております。
本要寺
すぐ隣に妙蓮寺があります。
こちらがチェックポイントの本要寺。
この頃には、先ほどのような理由で(小雨、時間切れ、モヤモヤ)、じっくり見学する余裕はなくなっていました。
東木戸跡
こちらもモヤモヤでした。
説明板はなく、小雨で、位置的にはここかなと。
今回は、最後に来てモヤモヤで達成感が薄かったです。
江尻宿の東側、説明板はないのでしょうか?
何人かの方のブログを拝見しますと、説明板をアップされているものもあるのですが。
何らかの事情で、撤去されたのでしょうか?
モヤモタしたままではすっきりしないので、もう一度家で、じっくり下調べをして、次回、「秋葉道入口」からリベンジしたいと思います。
説明板が見つからなくても、ロードマップやグーグルマップと突き合わせて、位置的に確信が持てればいいかなと。
16時4分、本日の終着地点に到着しました。6時間44分、20420歩でした。
JR清水駅、流石に大きいですね。
いつもの電車には乗れず、この日はなんと新幹線を利用して帰りました・・・
ここまで読んでくださりありがとうございました。
ちかぢか、まちなみウォッチをアップします。
またよろしくお願いします。