8月4日、日本中が酷暑でどうかなってしまいそうな日に、山中→三島ウォークを敢行(強行?)しました。
石畳のゴロゴロ道が延々と続く中、とにかく暑くて、これは熱中症になってもおかしくない(むしろなりそうな・・・)状況下、せめてペットボトルでの水分補給だけは気をつけました。帰ってきた翌日から膝が痛くて、しばらく歩くのが辛かったです。何をやっているんでしょうね? どっと疲れてブログにアップせず、今まで塩漬けにしていました。
やや曖昧になりつつある記憶をたどって、振り返ってみます。お付き合いください。
山中城跡
前回、最終地点とした山中城址バス停です。ここからスタートします!
そもそも、ここに来るまでがまず大変でした。都内から新幹線に乗ってしまいましたから・・・ 三島からバスに乗ってここに降り立ったのは9時19分です。
長い一日のはじまりはじまり~
馬頭観音
八里記念碑 司馬遼太郎
バス停のごく近くにある、最初のチェックポイントです。
ちなみに、チェックポイントとは、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で名所・旧跡とされているところです。
馬頭観音と記念碑は、同じ場所に仲良く並んでいました。
左側が司馬遼太郎の記念碑です。
「幾億の足音が 坂に積もり 吐く息が 谷を埋める わが箱根路にこそ」と彫られています。
辺りは、このようなしっとりした石畳の道です。このころはまだ、石畳もきもちがいいなあなんて、思っていたのですが・・・
くろやぎ(同行人・夫)が「タイヘンタイヘン、通行止めだ」と前日から気にしていたのですが、このことね・・・
地図の迂回道の通り進みます。迂回路には、チェックポイントの芭蕉句碑もあるので、却って迂回してよかったかも。
芭蕉句碑
芭蕉句碑は旧道ではなく、大きな通り沿い(今回は迂回路)にあるので、要注意ですね。旧道を歩いていても、ありません。
「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」貞亭元年(1684)の秋、芭蕉がここを通りかかりましたが、時雨れて富士山は見えなかったということを詠んでいます。芭蕉さん、残念! このあたり、富士見平と言われています。
迂回せずに石畳を歩いてきたとしたら、ここに出てきます。ご覧のように今回は工事中でした。
この先、再び石畳の旧道に入ります。「よかった、旧道だ」と思ったのですが・・・
こんな感じ。石畳の工事が終わって、開通ホヤホヤのようです。炎天下、ゴロゴロの石畳を歩きます。「別に石畳に改修しなくても・・・。ウッドチップにしてくれー」とぼやきたくなりましたが、やはりここは石畳でないといけないんだろうなあ。
途中「明治天皇休憩碑」というのがチェックポイントだったのですが、見つからなかったです。たぶん、見落とし。
石畳の道からいったん車道へ。大きなつり橋が売りの、「三島スカイウォーク」というレジャー施設です。車も人も、すごい混雑。アスファルトへのギラギラの照り返しにクラクラして、やけにゴージャスなトイレだけ借りて早々に退散しました。
テーマパークから一歩離れれば、またおなじみの石畳です。あれは何だったのだろう? あそこだけ別世界でしたよ・・・
馬頭観音
特に説明もなかったのですが、チェックポイントの馬頭観音。あやうく見落とすところでした。トタン屋根の祠の中におさまっています。
歩くにつれ、石畳がなんとなく荒れた感じに・・・ だから補修しているのかしらん。石の間から雑草がのびるにまかせられ、手入れが追い付かないような。
この区間の石畳、そろそろ終わりかなという頃の風景です。農家が点在し、畑が広がり、生活感があります。のどかだなーと思って歩いていたら・・・
えっ、野菜泥棒? 監視カメラあるの? こわーい!
のどかな気分が一気に吹き飛びました。
史跡箱根旧街道碑
旧街道の案内板を横目に、農家の脇を通る石畳を歩きます。この石畳は、現代のものですね。
あれ、笹原に出てしまいました。この辺りに「笹原の一里塚」あるはずなのですが、さっぱり見つからず。
オブジェ的なのはあるんですけど、肝心の塚はどこに?
この茂みですかね? にしてはただの茂みにしか見えないけれど。
ふと目にとめた案内板をよく読んだら、なんと通り過ぎてしまったらしいことがわかりました。
笹原の一里塚跡
これが笹原の一里塚です。
八里記念碑 大岡信
一里塚の場所に、大岡信の記念碑もありました。
実は、さっき「これは現代の石畳だな・・・」などといいながら歩いた石畳風の道の一本裏が、旧街道でした。
この写真で見ますと、左側が石畳風の農家の前の道。右側が旧街道。その右の茂みが一里塚。野菜泥棒に警告する看板に気を取られ、道を間違えてしまったのでした。
一里塚がわかったところで、再び旧街道を進みます。
石畳ではなく、歩きやすいです。
道祖神・馬頭観音
チェックポイントの道祖神と馬頭観音です。向かいに高札場跡だということですが・・・ 特に表示はありません。
道路を挟んだ向かい側は、こんな感じになっています。
こわめし坂です。
あまりの急坂のため、背負ったお米が汗と熱でこわめしになったという言われがあります。確かに急です。
この日の朝、三島駅前のコンビニで「きのこの山」を買いリュックに入れていましたが、チョコ部分が全てとけて、小袋の中で一枚のチョコチップクッキーになってしまいました。こわめし坂ならぬ、チョコチップ坂。
山神社
山神社、またの名を天神社というようですね。土砂崩れで何度か流されたため「流の天神」ともいわれたという説明が印象に残りました。
急な長い石段ですが、覚悟して上りましょう・・・
石段の上から街道を望んだところです。いい眺めですね。
しばらく平坦な道が続きます。
松雲寺
東海道を行き来する参勤交代の大名たちの休憩所になったお寺です。生麦事件を起こした島津光久もここで昼食を摂りました。
明治天皇が座って富士山を眺めたという「御腰掛石」です。私も座らせていただきました。割と疲れていたので、ペットボトルの水を飲んでエネルギーチャージ。
富士山は見えませんでしたが、確かに眺めはいいですね。
またまた、このような平坦な道をひたすら歩きます。
大時雨坂
大時雨坂です。右手に見えるのが坂公民館です。
史跡法善寺旧址碑
法善寺というお寺があった場所を示す碑です。法善寺には後ほど立ち寄ります。
坂幼稚園
名所でも旧跡でもないのですが、バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)が名所・旧跡の赤印にしているので念のため写真をアップ。たぶん間違いですよね
幼稚園の右側の小道を下ります。
七面堂旧址碑
小道の途中にありました。足利尊氏の建立ですって!
題目坂
小道を下りると題目坂になります。
なぜ、題目坂というのでしょうね?
題目坂を下りると車道に合流。「出生馬の碑」が目の前に。碑の裏手が「山神社」です。
出征馬の碑
山神社
高い石段の先に何があるのか・・・ 何だかちょっとめげてしまい、続きはくろやぎに託してしまいました。
ほう、ちゃんと説明板も撮ってきてくていたようで。しかも、私より写真がうまい。カンペキ、くろやぎ。
法善寺
もとは題目坂の上にあった法善寺です。(先ほど、址碑をアップしています。)
お寺を後に、またまたてくてく歩いて行きますと・・・
六地蔵
突然、パッと明るい光景に。たくさんのお地蔵様が迎えてくださいました。まるでお花が咲いたような華やかさ。右手の建物が、地蔵堂です。
再び旧街道に入ります。
臼転坂
臼が転がるほどの坂だったから「臼転坂」。実際はそれほどの勾配ではありません。よかったよかった。
こんな感じのゆるい坂。
にしても、もう少し手入れをした方がいいのでは?
通せんぼしているようだけど、「入ってはいけません」という印ではありません。ただ、竹が倒れているだけです・・・
荒れ果てた道を進みます。ちょっと不安。ここ、通れるの?
馬頭観音
不安を抱えながら歩いて行くと、チェックポイントの馬頭観音。何気なくありますが、これ、文政5年(1822)の建立です。
旧道を出たところの道標です。この辺り、塚原新田です。
普門庵
石塔が集められているという「普門庵」は工事中でした。まさか工事中とは思っていないので、危うく見落とすところでした。気が付いたくろやぎ、ナイス!
山神社
山神社は普門院のすぐ裏手にあります。少々わかりにくいので注意。
またまた急な石段です。山神社って、必然的にこうなるのね。
上り詰めた先は、小さな社殿の静かな境内です。
永代鎮座
街道脇に何気にあった「永代鎮座」。これもあやうく見落とすところでした。「永代鎮座」って何でしょうね? 昭和十年と彫ってあるから、そんなに古いものではありませんね。
宗福寺
鉄牛上人という人が、菩薩像を運んでいましたが、ここで急に動かなくなってしまい、菩薩像をここに安置したと伝わっています。
足元の小さな小さな観音様に、心惹かれました・・・
ひなびた感じの小さなお寺ですが、「軒下の美術館」というのをやっています。(この辺りのあちらこちらで、「軒下の美術館」をやっているようです。)
石仏
はっきりとはわからないのですが、位置的におそらくこれがチェックポイントの石仏でしょう・・・
箱根路の碑
箱根路の碑。大きな石が目立ちます。
こちらもお見逃しなく。大きな石の碑に寄り添うように建っています。寛政3年(1791)の建立です。
実はこの辺りを歩いているときは、太陽ギラギラでクラクラしそうでした。大きな交差点(塚原新田の交差点)に立つと、アスファルトの照り返しの向こうに、「フルーツパーク」なるレジャー施設が見えます。とっくにお昼も回っているし、休憩か・・・と思わないでもなかったけれど、実際フルーツパークに呼ばれている気もしたけれど、ここで休憩したらそのままバスに乗って三島まで帰ってしまいそうなので、パス。
疲れて写真も手ブレです・・・
国道1号線に沿って、歩道のような近さで旧道があります。現代の石畳です。これが延々と続くことになるとは、この時はつゆ知らず。
歩き始めていくらもしないうちに、現代の石畳に悲鳴をあげたくなりました。歩きにくいことこの上なし。お散歩感覚で短距離をぶらぶら歩くにはいいのでしょうが、石畳、ウォーキングには全く向いていないと思います。
錦田の一里塚
大きいです。しかも両側揃っています。今まで見た中でも、ベスト5に(?)入るくらいの、立派な一里塚です。それもそのはず、国指定史跡です。
日本橋より28里目。木は榎です。
この辺りは、「箱根八里西坂」になるのですね。
歩道橋も石畳(現代の)。
ここの石畳、「静岡県まちなみ50選」なのですね。歩きにくくても、石畳でないと、ね。
石畳の遊歩道に並行している国道1号線。松並木が立派です。
初音ヶ原の松並木です。明治時代以降、街道の松並木は枯れる一方でしたが、ここだけは残った・・・との説明です。
旧道の碑
大根の碑・雲助備前繋の墓
チェックポイントの大根の碑はこれかしら? 同じところにあるという雲助備前繁の墓はよくわかりませんでした。
大根の碑がある横断歩道のところでしばし休憩。やっとみつけたコンビニで「いろはす」を買い、ここに座って呆然としたのでした。正直に言って、この時は熱中症一歩手前だったかも・・・
なんとか気を取り直して再び出発。終わったかと思っていた石畳がまた出現。そんなぁ・・・ 勾配は全く気にならないのだけど、靴の底が痛い。
愛宕坂です。説明板によりますと、江戸時代の道幅は、3.6メートルだったそうです。
愛宕神社というのがあったようですが、現在では、「三島東病院」の敷地になっています。
やっとい石畳から解放されました。
踏切を渡ります。ちょうど東海道線が通過したのでパチリしました。
踏切から眺めた線路。真っ直ぐでほれぼれしました。
真立寺
ガイドブックに説明がなく、現地に説明板もなかったので、どういうお寺かわからないままですが、チェックポイントですのでパチリしました。
ひなびた街道から郊外の景色に変わりつつあります。
宝鏡院・足利義詮の墓
足利尊氏の子、義詮(よしあき)のお墓があるお寺です。本尊の薬師如来は、あの運慶の作です。
源頼朝が参拝したときに笠を置いた石だとか・・・
参道の出口のところに「鞍掛け石」。見落としご用心。
「鞍掛け石」の説明です。参詣する人が馬を乗り降りした場所、ということですかね?
大場川に架かる新町橋です。
晴れていれば富士山が望めるビューポイントのようですね。
東見付跡
橋のごく近くに「東見付跡」があるということで探したのですが、それらしい表示は見つかりませんでした。残念。
この新しいお宅のあたりかな? 位置的に。
八幡神社
ガイドブックによれば、守綱大神を祀っているそうです。説明板はなし。
妙行寺
こちらも特に説明はありませんでした。(ガイドブックにも説明なし) 落ち着いた佇まいのお寺でした。
王子神社
同じく説明なし。写真だけアップしますね。この辺りまで来ますと、すっかり街中です。
光安寺
光安寺の説明は、この通りです。
今思ったんですけど、鼻取り地蔵ってどうしてそう言うの?
古い佇まいのお店だったのでパチリさせていただきました。肥料屋さんですね。
ようやくここまで来ましたね。後、残すチェックポイントは三嶋大社のみ。ここで大休憩を取りました。時刻はとっくに2時をまわっていて、お昼というよりおやつに時間に近かった。やっと会えたファミリーレストラン「デニーズ」で、ドリアを。デザートに桃のゼリーも食べました。クーラーのきいた店内が、ありがたかったです。
三嶋大社
いよいよ本日最後のチェックポイント・三嶋大社っです。大通りに面した参道、立派です。
鳥居より大通りを見たところ。「うなぎ屋」の看板に、「三島名物のうなぎ、食べたいな~」と思いました。残念ですが、ハードな街道歩きとグルメは両立しませんね。
門もとても立派です。
重厚な本殿です。
さんざん迷って、受験生の我が子に学業成就のお守りをいただきました。受験生くん、がんばれ。
街道ウォークの終着点は三嶋大社ですが、これはそのあと三島駅に向かって歩いた文学碑の並ぶ水辺の散歩道です。
三島駅前ロータリーに到着しました。
時刻は16時33分、28147歩の道のりでした。
ここまで長文にお付き合いくださりありがとうございまた。更新した折には、また訪ねてくださると嬉しいです。
どこまで行けるか東海道。本人たちにもわかりません・・・