こんばんは。
2月になりましたし、そろそろウォークを実施しないと・・・
写真は、前回のウォークの終着点、身延線の柚木駅です。
富士川までいけるかな~と言いつつ、ふたを開けたら柚木までがいいとこでした。今回は、ぜひ頑張って、蒲原まで一気に歩みを進めたいです。
例によって、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で立ち寄り場所をチェックしましょう。
- 道標
- 護所神社
- 明治天皇小休所跡
- 水神社
- 光栄寺
- 常夜燈
- 清源院
- 小休本陣常盤家
- 八幡神社入り口と常夜燈
- 常夜燈
- 新豊院
- 常夜燈
- 岩淵の一里塚
- 川坂観世音道標
- 常夜燈
- 常夜灯
- 野田山実相寺寺標
- 常夜燈
- 宇多利神社社標
- 春日大社
- 常夜燈
- 明治天皇御駐車跡碑
- 新坂橋
- 馬頭観音群
- 光蓮寺
- 義経硯水の碑
- 一里塚跡
- 北條新三郎の墓
- 諏訪神社
- 東木戸跡
- 木屋
- 竜雲寺
- 正八幡神社
- 東潮寺
- 八坂神社
- なまこ壁の旧商家
- 問屋場跡
- 本陣跡
- 広重絵碑
- 馬頭観音
ふむ、40個。んー、行けるんじゃないかと? 40馬頭観音は、JR新蒲原駅の前にあります。帰りは、ここから乗ることになりますね。がんばりましょう。
4.水神社
『東海道名所図会』に「富士川右の山肌にあり、巌上に松栢生ひ茂れり…」と紹介された水神の森。
水神社の側にある「富士川渡船跡」には、
富士川水運の父「角倉了以の紀功碑」と「渡船跡を示す常夜灯」があります。
8.小休本陣常盤家
江戸時代後期に3軒あった内の現在まで残る1軒。1854年安政の地震後に再建された国の有形登録文化財。黒門と黒塀が残ります。
13.岩淵の一里塚
近くに富士市立富士川民族資料館があるようです。通りかかったらチェックしたい。
18世紀中頃の建築で、富士川流域農家の典型的な造りをしています。
26.義経硯水の碑
源義経が東に下る時に菩提所の涌き水を使って、浄瑠璃姫に手紙を書いたといわれています。
30.東木戸跡
蒲原宿の治安と管理の為、夕刻には閉鎖し、朝方には解放しました。現在は跡が残るのみです。
31.木屋
渡辺家の土蔵。渡辺家は、享保年間(1720年頃)から蒲原宿駅長・百姓代を務め、江戸後期には名主・問屋職・郡中総代などを勤めました。当主用の書斎兼文書保管用土蔵は、天保時代に四方転といわれる耐震工法で建造された三階建てです。
チェックポイントではありませんが、木屋の近くにあるのでちょっと気になる・・・
塗籠(ぬりごめ)造の商家・佐野家
周囲を土壁で覆っています。壁は土蔵ほど厚くはありませんが防火効果は大きく、贅沢普請と言われました。もともとは城郭建築用の手法です。
36.なまこ壁の旧商家
遷菓堂(吉田家)です。主に和菓子を製造・販売してきた菓子店で、「店の間」は広々とした昔の作りで、当時の「カステーラ」の看板も掲げられています。外側は海鼠(なまこ)壁の塗籠造で、塀は伊豆石で造られています。国登録有形文化財です。
38.本陣跡(平岡本陣跡)
土蔵の他に、大名が籠を置いたと言われる「お籠石」が残っています。現在は大正時代の洋風建築になっています。居住されており非公開です。
本陣前にある
旅籠和泉屋(鈴木家とお休み処)もチェック!
三和土の土間と2階外側には、櫛形模様を入れた手摺りのある天保建築で、このデザインは他の江戸期建築には見られない珍しいものです。1階中央の土間を挟んで左右には帳場と旅人が足を洗う店の間がそのまま残され、典型的な旅籠建築が見られます。梁や天井に施された文様も時代を感じさせる貴重なものです。国登録有形文化財です。
39.広重絵碑
昭和35年、国際文通週間記念切手に採用された記念に、銅版のレリーフにした記念碑です。もとになった広重さんの浮世絵はこちら。
雪に埋もれる静かな夜、という情景をしみじみと表現した広重さんの代表作ですが、現実の蒲原は温暖で、豪雪地帯ではありません。この画は、広重さんの虚構の世界なのではないかと言われています。なぜ、広重さんが蒲原をわざわざ雪の世界にしたのか。謎の多い画です。
買いたいお土産
江戸時代、岩淵一里塚周辺の茶屋で出された「栗の粉餅」。現在は岩淵~蒲原の街道沿いの「ツル屋菓子店」で販売されています。見付けられたらいいなぁ。
今回の記事は以下を参考にして作成しました。
『「東海道五十七次」の魅力と見所』志田威 交通新聞社
『広重と歩こう東海道五十三次』安村敏信 小学館
ここまで読んでくださりありがというございました。
ウォークを実施したら更新します。(近々ウォークを予定)
また訪ねてくださると嬉しいです。