歩いてパチリして集めた説明板の写真は、街道ウォークのお宝。ガイドブックでもホームページでも謎だったことが、霧が晴れるようにわかることがあります。だから、お宝。
清源院
芭蕉の句碑です。
芭蕉の句碑というと、「なぜここにあるのか?」気になってしまいます。芭蕉さんが立ち寄ってここで詠んだ句なのかな、とか。
この場合はそうではなくて、戸塚の俳人・露粛が、尊敬する芭蕉さんの句碑を地元に建てたと解釈すればいいのでしょうか。
「 世の人の見つけぬ花や軒の栗」
心中句碑は、珍しいようです。清三郎とヤマさんの心中。どんな理由があったのでしょうか。やや気になります。
「井にうかふ番い(つがい)の果(はて)や秋の蝶」
悲しい情景が浮かびます。井戸の底の水面に、死んだ蝶のつがいが浮かんでいます・・・落ち葉も一緒に浮かんでいたかな・・・
内田本陣跡
間取りの図、なかなか立派なお宿ですね。というか、こういう記録が残っていることって、すごいですね。
脇本陣跡
大名のお泊りがないときは一般人も泊まれた豪華なお宿。ミーハーな(この言い方古いかも)人なら、絶対泊まってみたいだろうなぁ。今だって、有名人が泊まったお部屋に泊まりたい願望ってありません?
沢辺本陣跡
戸塚宿創設に尽力した沢出さん。この裏のおうちも、沢辺さん宅です。
海蔵院
像を見ることはできませんでしたが・・・ というか境内のオブジェに気をとられて、思い至らなかったです。このお寺、とても不思議なオブジェがありました。どのように不思議だったかは、「第6回 戸塚→藤沢①」をご覧ください。
八坂神社
面白い&珍しいお祭りが、伝わっていて、今も行われているのですね。7月14日、見に来ようかしら?
「お礼まき」は、町内の男子が女装するのがきまりなんですね。こりゃ、確かに、珍しい。
冨塚八幡
戸塚八万について、大変わかりやすく解説しています。教育委員会の説明板と違って、神社の説明ってわかりにくいことが多いのですが、これは過不足なくてありがたいです。
ここにも芭蕉句碑。なんで芭蕉句碑?と気になりますが、この場合は、戸塚が鰹の水揚げの場所だということから、戸塚の俳人たちが芭蕉が鰹について詠んだ句に碑を建てた・・・ということらしいです。清源院も地元の俳人が尊敬する芭蕉さんの句碑を建てたようでしたね。戸塚は、俳人のグループがあって活動が盛んだったのかな?(グループとか活動とか、今どきの表現で変だけど、他に適当な言葉が思い浮かばない・・・)
「鎌倉をいきて出けむはつ松魚(かつお)」
上方見付跡
昔の写真が残っていることに、しばし感動。こういう写真を案内板に載せてくれること、ちょくちょくありますが、ありがたいです。
大阪
一番坂、二番坂の他に、白土坂もあったようです。
お軽勘平道行碑
昭和46年に建てた碑です。昭和46年なんてそんなに昔の気はしませんが、碑文はそれなりに風化していますね。
天保4年3月、江戸河原座で初演以来、大ヒットし、フィクションでありながら実際にあったことのように哀れな二人に感情移入をして、訪れる男女が跡を絶たなかった・・・というようなことが記されております。了解なり。
原宿一里塚跡
ここの一里塚、この説明にありますように、なんの痕跡も残っていませんでした。明治になって不要なものはどんどん取り払われたって・・・ 近代化への波は、古いものへは容赦がなかったのですね。
ここでブログをいったん閉じます。明日は大運寺からアップします。また訪ねてくださると幸いです。
なお、今回の記事は、下記の記事の補足です。もしよければ、併せてお読みください。
kaz-mt-wisteria.hatenablog.com