街道ウォークのお宝、すなわち現地の説明板の数々、戸塚→藤沢の後半です。戸塚宿のはずれ、原宿村の大運寺から見ていきましょう。
大運寺
龍長院入口
諏訪神社
鉄砲宿
鉄砲宿の辺りの遊歩道にあった案内図です。今まで通って来た道を振り返ることができました。
旧東海道松並木跡碑(翠ヶ丘)
この説明にある安藤広重の東海道五十三次の松並木とは、どの画でしょうか? 「東海道五十三次}保永堂版で描かれている藤沢はあの有名な遊行寺で、松並木ではありません。広重はここ翠ヶ丘の松並木を描いていたのか? そうした画が特定出来たら、追記しますね。
一里塚跡
一里塚に植えられていた木は、目印であったことに加え、木陰を造ったり寄りかかったりして旅人が休憩できるような場所にしたというちょっと粋な計らいであったことを知り、嬉しくなりました。
遊行寺の近くの街道は切通が続いていましたが、あれはかつての道を掘り下げて作ったものだったのですね。納得。確かになんにも残っていなかった。
いつどんないきさつで、削ってしまったんだろう?
諏訪神社
遊行寺
長生院
遊行寺
遊行寺本堂手前の地蔵堂、こぎれいな建物だなと思っていましたが、平成26年にできたのですね。関東大震災で倒壊してしまって以来の修理で、お地蔵様の由緒がわかってよかったですね。
街道を旅する江戸時代の人たちが、健康を願ってお地蔵様をなでなでしたという説明にも、心が温まりました。私もしっかりなでなでさせていただきました。江戸時代の人に近づいた気分です。
大イチョウの紅葉が見事でしたが桜、藤、菖蒲も有名なのですね。四季折々、すてきな境内ですね。
見事な大イチョウでしたが、実は満身創痍だったのですね・・・ 台風で折れてしまったり、もっと前には火災に遭っていたり。それでも残っていて、生命力すごい。
ふじさわ宿交流館
ここは火除け地だったのですね。交流館の隣は現在消防団になっていましたが・・・? 関係ないかもしれないけど、面白い。
ちなみに、これがその消防団。
遊行寺橋
遊行寺橋の袂の案内板です。
橋の袂にあります江の島弁財天道標についての説明板です。
こちらは遊行寺橋より藤沢駅に向かう途中にあった道標の説明です。江の島道の道沿いには、道標が十数基も残っているのですね。
ここまで読んでくださってありがとうございました。この記事は、「第6回 戸塚→藤沢②」の補足になっています。もしよければ併せてご覧ください。
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