てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第13回街道ウォーク 風祭→箱根湯本②

街道ウォーク・風祭→箱根湯本の後半です。

湯本の道祖神の近くでお昼ご飯を食べて、再び歩き始めます。

 

風祭からも道は緩い勾配でしたが、この辺りからは、はっきりと上り坂を意識するくらいの道になってきました。

 

白山神社

白山神社の入り口を上ると、最初に見えたごっつい岩。なんだ?

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 看板の説明によると、くくりひめという天照大神の伯母さんが降臨した岩だそうで、関東大震災の時にも動かなかったので、勝負の神様として信仰を集めているそうです。小田原攻めの時、この岩を背に秀吉が一夜城の戦略を練ったとか。秀吉め!!!

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 本殿です。境内暗くて、ちょっと怖いかな・・・・

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早雲寺

 早雲寺は白山神社の向かいです。こちら山門。

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 実は山門はちょうど工事中で、くぐることはできませんでした。迂回します。

 

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 本堂です。なかなか立派です。早雲寺は北条二代氏綱が創建したお寺です。

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 というわけで、こちら北条氏五代のお墓。因みに五代とは、早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直。五代もそろうと、なんだか壮観。

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 境内には、江戸中期の俳諧師・稲津祇空のお墓と、室町時代の蓮歌師・宋祇法師のお墓があります。

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 稲津祇空と宋祇法師についての説明板をアップします。気になる方は拡大してご覧ください。

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石垣神社

  石垣神社の入り口は目立たないので注意。大丈夫かな? なんかちょっと怖そう・・・ まずは鳥居の下の説明の看板を読んでみましょう。

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 起源はよくわからないけれども、秀吉の小田原攻めの時に鬼門除けとなったと伝えられています。この地域に大きな災害が起こっていないのも、この鬼門除けの神社の御利益だと言われているらしい・・・

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 へー、そうなんだとわかったようなわからないような。とにかく行ってみようと狭い急な階段を登り始めましたが・・・

 石段の隙間から草がちょろちょろ生えていて、進むうちにだんだん草ぼうぼうに。白状すると私、葉っぱ恐怖症です。噛みつくような葉っぱ、つる植物とか苦手。なので、こういうのも得意じゃないんです。特に今成長著しいとある植物は本気で苦手で、よく日陰に生えてるんだけど、たくさん生えていると頭がキンコンキンコンしてしまう。名前を文字にしてもキンコンしちゃうので、伏せますね。

 葉っぱ恐怖症の人って、たまにいるのかしらん。高所恐怖症とか尖端恐怖症とかは割とメジャーだけど。水玉模様恐怖症って人もいるから、私の場合は葉っぱ恐怖症と言っていいと思う。

 あ、話がそれましたが、つまり何が言いたいかというと、苦手な葉っぱが足元に増えてきて、ギブアップしました。この先は、くろやぎ(同行人・夫)が写真を撮ってきてくれました。

 

 なんと、こんな歩道橋を渡ったそうです。

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 小さなお社がありました。

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 戻ってきたくろやぎにお礼を言って、葉っぱ恐怖症から立ち直り、気分を変えて次のお寺を目指します。


正眼寺

  正眼寺は、曽我兄弟のゆかりのお寺として知られています。境内に、曽我兄弟にまつわる数々の史跡・文化財があるのですが、これがなかなか見つかりませんでした。

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 境内の入り口にある説明板が唯一の手掛かりと言っていいくらい。看板の左下の案内図が最終的に決め手になりました。

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 それでは、無事に見つけることができた史跡・文化財を紹介します。

 

 曽我兄弟の供養塔

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 松尾芭蕉句碑

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山路来て なにやらゆかし すみれ草

 

曽我五郎の槍突石

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 文化財ではないけれど、足湯もありました。ご自由にどうぞ、ですって!

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 チェックポイント、残すところあと4つ。少々集中力がとぎれてしまったのか、

道祖神を行き過ぎてしまい、戻りました。

 


道祖神

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 こちらが、一度通り過ぎてしまった道祖神。紫陽花にうもれて、確かに目立たなかったです。

 

男女双体道祖神

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 湯村茶屋があったという場所にある道祖神。その名も「茶屋の道祖神」です。石の祠と男女双体道祖神。お供え物の夏みかんがかわいい。小さいけれどほのぼのしてます。

 

一里塚跡

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 本日二つ目の一里塚跡です。日本橋より二十二里目。

 

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 右手に一里塚があります。いつの間にか、このような山間の狭いくねくね道に変わっています。


馬の飲み水桶

  先を行くくろやぎが、怪しい動き。ゴミ箱のふたを開けて中をのぞいている?

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 と思ったら、これが最終チェックポイントの、馬の飲み水桶でした。

 

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 江戸時代の馬立場で、馬が水を飲んだところというのはわかる。でもこれがその時の水桶ってのは、ホントかなあ? いや、このような説明もあるし、本当なのでしょうけど。

 

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 馬の飲み水桶は、「湯本茶公会堂」という小さな平屋の建物の玄関わきにあります。

 

 水桶の場所の先から、石畳の道が始まります。いよいよ石畳!

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 次回はここから箱根の関所跡を目指します。

 10時3分に風祭駅を出発し、14時45分に石畳入口に着きました。4時間43分、16227歩のウォークでした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近日中に、風祭→箱根湯本のまちなみウォッチについてアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 


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第13回街道ウォーク 風祭→箱根湯本①

 5月19日(土)、第13回街道ウォークを実施しました。前回買い物をした鈴廣かまぼこのある風祭駅に降りたのが10時3分。お天気は薄曇り。カンカン照りよりはすっと歩きやすいです。よかった。めざせ箱根湯本!

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一里塚跡

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 風祭の駅を降りてまず一里塚跡をチェック。前回は小田原市内ぶらぶら移動で短距離だったので、前々回ぶりの一里塚です。久しぶり!

 説明板によればかつては塚上に榎が植わっていたそうですが、現在は道祖神があります。日本橋より21里目。

 

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宝泉院

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 宝泉寺です。渋い構えです。

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 境内も質素で重厚。

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 この日は午後からチャリティコンサートの会場になるということで、本堂の中は準備の人たちの気配に満ちていました。

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 ちなみに宝泉寺は、永禄元年(1558)に北条時長による創建されましたが、間もなく天正18年(1590)の小田原合戦で焼失してしまいました。その後300年以上の時を経て、安政元年(1854)に十二世僧により再建されました。

紹太寺

 宝泉寺からしばらくは、箱根登山鉄道の北側の静かな旧道をてくてく歩きます。

 やがて見えてきたのが、紹太寺の参道です。なかなか幅広で立派ですが・・・

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 広大な敷地に七堂伽藍が点在する大きなお寺でしたが、幕末から明治にかけての火災で焼失してしまったということです。

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 かつては大きな門がありましたが、跡として石が積み上げられているのみ。

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 これがその石ですかね・・・

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 山門跡の近くにあった六地蔵。創建年はばらばらですが、どれも江戸時代のもの。ずべて江戸時代でそろっている六地蔵さまは、とても珍しいのだそうです。

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 唯一焼失をまぬかれた子院・清雲院。現在ではこちらが紹太寺の本堂になっています。

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 本堂です。

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 こちらは本堂の正面に掲げられた額。黄檗宗の開祖・隠元法師の書き下ろしです。

 

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 紹太寺は、江戸時代初期の小田原藩主だった稲葉氏一族の菩提寺です。

 第2代当主稲葉正則がこの地に移転した際に、祖母春日局の霊を弔いました。春日局は将軍家の乳母でした。

 境内にあるしだれ桜は稲葉正則が春日局を偲んで植えたもので、樹齢は約320年。満開の時は見事でしょうね。すごく混みそうだけど。

 

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 普茶料理の看板がありました。黄檗宗と言えば普茶料理。いつか食べてみたいなあ。

 

 この石段を登った先に、例のしだれ桜があるということで、途中まで行ってみましたが遠いので引き返してきました。ひとところであまりゆっくりできないのが街道ウォークの辛いところです。

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 境内にはこのように、いろいろ点在しているようです。これは山門の案内板。

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山神神社

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 紹太寺のすぐ近くの山神神社。うっかりすると見落としそう細い参道なので気をつけて。

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 境内は静まり返っています・・・ きちんと清掃されてはいますが、小さな神社です。

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 境内に道祖神がありました。なぜこれがチェックポイント(このウォークで大いに参考にしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』で名所・旧跡としているところ)なのか謎だったけど、これがあるからかしらん。


駒ノ爪橋跡

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 かつて、小田原の入生田と湯本との境にあったという駒ノ橋があった場所。今は小さなモニュメントがあるのみ。見落としそうなので要注意。(実際見落として戻りました。)

 源頼朝が巻き狩りから帰る途中、この橋まで来ると馬が暴れて橋にひづめの跡を残したという言い伝えから、馬の頑健な脚にあやかりたいと江戸時代の旅人は祈願したと書いてあります。ほう・・・


有料道路の碑

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 有料道路って、明治8年ですから。びっくりぽん。さすが日本初。

 

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 旧道を歩いて行って、まもなく国道1号線に合流します。右手の斜面にある小さな四角いモニュメントが有料道路の碑。

 

達磨大師像

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 達磨大師像っていうからには、由緒正しい像かと思ったら、最近できた交通安全の標語みたいのが彫ってある、イマドキの碑でした。

 なんでこれがチェックポイントなのかな? 目印的な?

 しかもこれ、ガイドブックに示してあった場所とは違ってました。ガイドブックでは国道に合流してしばらく擁壁上を歩くとこの碑があるようになっているんですけど、実際は合流したところです。

 

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 国道の擁壁上から達磨大師像がある方向を眺めたところ。左斜めに伸びるのが旧道。真っ直ぐの道が国道。

 

 

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 そして擁壁が途切れたところで、またまた旧道との分かれ道になります。右手が旧道、左手が国道。分岐点に「交通安全箱根町モニュメント」があります。達磨大師像と同じ主旨のものですね、たぶん。

 このまま旧道を進みたいところですが、チェックポイント・山崎古戦場碑を探したいので、国道へ行きます。


山崎古戦場碑

 古戦場碑は、やや見つかりにくかったです。目印はこの「山崎」の信号。

 まもなく左手に碑が見つかります。

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 江戸時代末期、勤皇派と佐幕派が戦った場所。小田原藩の度重なる寝がえりの末、最終的にここが激戦地になりました。

 結局、小田原藩と官軍が勝って、遊撃隊は敗走しています。

 

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 碑の近くに小さなお地蔵様が。

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 すぐ近くに、また「山崎古戦場碑」が。さっきのはモニュメントで、碑はこっち?

 

 碑が見つかったので、旧道にもどります。

 これよりしばらくは、特にチェックポイントはありません。てくてくぽくぽく歩いて、再び国道に合流。さらにサクサク歩きますと、三枚橋と箱根湯本の駅が見えてきました!

 

 駅にはいかず、三枚橋を渡って旧道に入り、チェックポイントの道祖神を探します。


湯本村道祖神

 というわけで、こちら道祖神。とても小さな石の祠の中に、小さな小さな道祖神。

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 しゃがんでよーく見ると、中にはお二人ですね。

 

 さて、当初の予定ではこれにて終了だったのですが、まだ正午をまわったくらいでしたので、さらに先まで歩くことにしました。

 実は歩き始めて間もなく、このペースなら湯本の先の石畳の入り口まで行っておきたいなと考え始めていました。

 というわけで、目指せ石畳!!

 

 長くなりますのでブログはいったん閉じます。ここまで読んでくださりありがとうございました。近いうちに後半をアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

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先取りチェック! 風祭→箱根湯本

  晴れた日は街道ウォーク、雨が降ったら読書三昧。晴歩雨読の休日を目指して、ブログを綴っています。

 間もなく梅雨入り。お天気の休日が期待できる今のうちに、東海道ウウォーキングの一つ駒を進めておきたいところです。

 

 というわけで、次回ウォーク、どうしましょう? 前回は風祭まで歩きましたが、次はどこまで? やはり、箱根湯本から関所跡までと、関所跡から三嶋までは、ひとつのくくりとして固定でしょう。とすると次回はちょっと軽めなコースなりますが、風祭を出て湯本が終着点ですね。その先はハードそうだから、ここはゆるゆる行きますか・・・ いやいや、ここもそれなりにハードかな?

 

 例によって、バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)によるチェックポイントをピックアップします。

 

  1. 一里塚跡
  2. 宝泉院
  3. 山神神社
  4. 紹太寺
  5. 駒ノ爪橋跡
  6. 有料道路の碑
  7. 達磨大師像
  8. 山崎古戦場碑
  9. 湯本村道祖神
  10. 箱根温泉道

 この中での見どころは 山崎古戦場の碑ですかね。
慶応四年(一八六八)五月二十六日に起こった、幕府遊撃隊と小田原藩を先鋒隊とする官軍との交戦の場に建てられた碑です。「戊辰戦争山崎の戦い」と呼ばれているものです。この一戦で、遊撃隊長の伊庭八郎は小田原藩士高橋藤太郎との一騎打ちに及んで左手を失い、高橋は討ち死にしました。
 

 ちなみに入生田の駅を過ぎると、小田原市から箱根町になります。

 ということで、箱根町や箱根町観光協会のホームページをチェックしてみたのですが、このあたりについてはほとんど触れられていなかったです。やっぱり湯本から先の石畳の道や、関所跡が観光スポットなんですね。

 箱根湯本の駅の近くに箱根町郷土資料館というのがあるので入ってみようかな。

 ホームページの説明によれば

当館では、箱根温泉が「七湯」であった江戸時代から、現在の「十七湯」となるまでの歴史をたどります。
 湯治場から物見遊山、そして温泉観光地へという温泉の利用形態の多様化や、道路や交通機関の整備をはじめとする、さまざまな近代化の動きをご覧いただきます。

だそうです。「箱根七湯」とは、箱根の湯治場のことのようです。箱根湯本の駅の近く、箱根温泉道(箱根七湯への道)というのがあるそうなので、併せてチェック。

 

 箱根町のホームページに「町のあゆみ」が掲載されていますので、要点を紹介します。

 

箱根町は、交通の要衝地として発展しました。
 箱根町に人が住み始めたのは、約1万2,3千年前の先土器時代後期といわれています。
箱根山に公道が開かれるのは、鎌倉時代、湯本から三島に抜ける湯坂道が最初で、江戸時代の初期には、湯本から畑宿を経て箱根に通ずる東海道が出来ます。後世に「天下の険」といわれる箱根山の往来は困難を極めたもので、徳川幕府は箱根を自然の要塞とみて芦ノ湖畔に関所を設けます。以後、箱根は交通の要衝として、関所を中心に宿場町へと発展することになります。
一夜湯治から国際観光地へ
 箱根八里と箱根関所は、旅人を随分悩ませたようですが箱根七湯といわれた豊かな温泉は魅力でした。江戸時代後期になって、温泉場での宿泊が「一夜湯治」の形で旅人にも定着するようになると、箱根は伊勢講・富士講など、庶民の旅で大変な賑わいを見せるようになりました。
 明治時代になって関所が廃止され、現在の国道1号線の原形となる幹線道路が開通します。交通が便利になるに伴って、箱根は湯治場としてだけではなく、避暑地としても有名になりました。大正時代に入ると、箱根登山鉄道が湯本から強羅まで開通します。

箱根町の誕生と発展
 1889年(明治22年)に町村制が施行された際、箱根は、湯本村、温泉村、宮城野村、仙石原村、箱根駅、元箱根村、芦之湯村の1駅6村でした。その後、町制の施行や町村合併によって5か町村となり、この5か町村が1956年(昭和31年)9月に合併して現在の箱根町が誕生しました。
 一方、1950年(昭和25年)に小田急線が小田原~箱根湯本間に乗り入れ、箱根は東京都心と直接結ばれることになりました。そして、昭和30年代の後半から40年代の日本経済の高度成長を追い風に、観光開発が急速に進められていきました。現在では、2,000万人もの観光客が国内外から訪れる、日本の代表的な国際観光地として発展しています。

 

 箱根町は交通の要所であり、かつ温泉場ということで観光地としての条件も整い、発展を続けてきたのですね。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねて来てくださると幸いです。

 

 

 

 

西城秀樹さんへ

今週のお題「あの人へラブレター」

 

 以前、今週のお題で「西城秀樹さん!」というタイトルで書かせていただきました。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 病気をされていたことはもちろん知っていたのですが、まさか亡くなるなんて・・・

 お昼にlineニュースが入った時には言葉を失いました。職場の同世代の女性に言うと、彼女も「えっっ」と絶句。

 

 あのブログでは「握手のマジックかも」みたいなことを書きましたが、いえいえどうして、西城秀樹さんだったから一瞬にしてファンになったんだと思います。

 あの日、西城さんが立っていた広間の一隅、そこだけ特別な空気感がありました。白いパンタロンスーツが似合っていて、ものすごく長身でスタイルがよくて、「これぞスター」というオーラを放っていました。でもそれだけではなくて、握手するとき一人一人に、長身をかがめておじぎしてくださる律義さに、心を打たれました。あれだけの大スターなら、雲の上の人みたいな態度も取れるでしょうに、誠実な人柄がにじみでているシーンでした。だから一瞬にしてファンになったんだと思います。

 

 ついさっきまで、西城秀樹さんの動画を見ていました。若い頃の、本当に爽やかでかっこいいこと! 

 病気をした後も、歩いたり話したりが大変だったりするのに、ステージに立つとすごく歌が上手い。還暦にしてさわやか。

 運命を受け止めて、それでもあきらめないぞという姿勢を私たちに見せてくださった西城さんは、本当に素晴らしい生き方をされたと思います。

 

 今週のお題がラブレターだということで、身の程知らずを承知しつつ、西城秀樹さんへのファンレターを書きました。

 ご冥福をお祈りします。

 

 

辻村深月『かがみの孤城』

 休日の過ごし方は、街道ウォークと、気ままな読書。

 今回は、本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』(辻村深月/著 ポプラ社)についてです。

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 読書ブログって難しいですね。ついついネタバレしそうになっちゃう。ネタバレしないように書こうとすると、手が止まる。

 

 本屋大賞受賞作ということで早速読んでみました。辻村さんの作品といえば『ツナグ』が印象深いです。あれはオムニバス形式で読みやすかったです。それでいて一つの世界が完結していてよかったですね。それに比べるとこれは、なかなか作品世界に入り込めなくて・・・

 

 この本の主人公は「安西こころ」ちゃん。中学1年生の女の子です。クラスの女子から理不尽な仕打ちを受けて深く傷つき、入学してひと月もしないうちに不登校になってしまいました。ある日、お母さんが仕事に行っていて昼間一人で家にいるとき、こころは自分の部屋の姿見が虹色に光っているのに気がつきました。鏡に手を触れてみると、ふしぎふしぎ、からだごと鏡の向こう側に吸い込まれてしまいます!

 顔を上げると、そこはお城の中でした。そして目の前にピアノの発表会にでも着ていくようなフリルのドレスを着て、なぜか狼のお面をつけた小さな女の子。

 女の子が言います。「安西こころさん。あなたは、めでたくこの城のゲストに招かれました!」

 

 鏡の向こうに吸い込まれるというのがまず無理。よくありそうな設定だけど、いきなりSFっぽくなってもついていけません。

 吸い込まれた先がお城というのもよくわからない。なんでお城? タイムスリップとかならまだわかるけど。そしてもっとわからないのが狼のお面の女の子。なんか、ハチャメチャじゃないですか? いったいどういう世界なの?

 

 お城にはこころと同じようにして鏡を通ってやってきた中学生がいました。

 イケメンの男の子

 ポニーテールのしっかり者の女の子

 眼鏡をかけたちょっと暗そうな女の子

 ゲームにはまっている生意気そうな男の子

 ハリーポッターのロンみたいな物静かな男の子

 小太りで気が弱そうな男の子

 こころを入れて7人の中学生です。7人の共通点は、たぶん学校に行っていないということ。

 

 狼のお面の女の子は、自分のことを「オオカミさま」と呼べと命令します。小さな女の子の声をしているのに、話し方といい雰囲気と言い、こわい。まさにオオカミ。

 「オオカミさま」が言うに、今日から3月30日まで、この城に自由に出入りしていい。城の中には「願いの部屋」のカギが隠されている。カギを見つけた人は、どんな願いでもかなえられる。願いがかなえられたら、その時点で解散。城に来ることはできなくなる。

 城が開いているのは日本時間の9時から17時まで。17時を1分でも過ぎたら、狼に食われる。

 

 このような説明をうけて、「こころ」たちは城で毎日を過ごすようになるのです。

 

 この設定にどうもついていけなくて。一つ一つが脈絡がなくてめちゃくちゃだから。

 でも、三分の二を過ぎたあたりから、俄然面白くなってきたんです。7人のメンバーが自分のことを話しお互いのことがわかり合ってくると、脈絡がなく見えた設定の一つ一つに意味があるらしいことがぼんやりながら見えてきて、パズルのピースが合わさってくる。そうなると読むのも早くなりますね。一気に読んでしまいました。

 一気に読んだ後、もう一度ところどころ読み返して確認したりもして、すっかり夜更かしをしてしまいました。お城も、狼のお面も、一つ一つきちんと意味があって、細かい設定があるんです。最後はすっきり。

 

 分厚いしページ数多いし、「なんだかなあ、これがなんで本屋大賞?」と最初は思っていたけれど、やっぱり本屋大賞ですね。ごめんなさい。書店員の皆さん、よく発掘しましたね。

 

 最後まで読んで、エンターテイメント性は高いけどテーマ性に薄いかなとも思ったんですが、テーマはありますね、やっぱり。

 この城に集まった7人は、5月に出会ったのに、自分のことを話すのが苦手でなかなかお互いに踏み込めないんです。最後の最後にすべての謎が解けるのですが、自分のことをきちんと話していれば、もっと早くわかったのに。

 7人は、それぞれ自分の現実世界を持っているけれど、お互いの通ってくる鏡を通じて、お互いの世界を行き来することはできません。城へのそれぞれのアクセスのみ。だから、自分の現実のことについて、話さなくてもいいし嘘をついてもわからない。城では現実世界での問題を考えなくていい。現実では学校に行けていなくても、友だちがいなくても、ここでなら普通の顔をしてつきあえる・・・と思ったらここでも人間関係の悩みはそれなりに生じたりするのです。

 城って、SNSにおけるバーチャルの世界みたいだなあと、ちょっと思いました。そして、城はいつまでもあるわけではない。城での時間が無駄だというわけではないけれど、やっぱり人は現実に帰るもの。現実は、避けて通れない。

  こんなテーマがうっすらと浮かぶのですが。 

 

 けれど、テーマなんて別にどうでもいいのかもしれませんね。面白ければ。やっぱり、書店員さん、よく発掘したなあと思います! 面白い本を教えてくださって、ありがとう。

 

ネタバレは申し訳ないので、ここまで。

読んでくださってありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

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母の日は嬉しい

 

今週のお題「おかあさん」

 

 この年齢で母親が健在なのは、本当に感謝しかないです。「お母さん、ありがとう。元気でいてくれて。」

 まだ子どもたちが小さくて我が家がある危機に陥ったとき、「私があなたを守るから、あなたは子どもたちを守りなさい。」とお母さんは言いましたね。あの時程、母の無限の愛を感じたことはありません。子どもたちが家庭を持って同じような状況に直面したとき、私はそんなことが言えるでしょうか・・・

 私は自分のことを優先してしまう母親ですが、これからはお母さんのことは最優先にしようと思っています。だから長生きしてください。

 

 ここまで書いたところで、最近ちょっと嬉しかったことを。

 

 一昨日職場で建物内の清掃をしてくださっている男性にいつもの朝のように「おはようございます!」と挨拶をしましたら、「あ、ちょっと待ってください」と部屋に戻られて、「これどうぞ」とチョコレートを二つくださいました。「もうすぐ母の日ですから、女性の方に差し上げています」と。

 思いがけないプレゼントをいただいて、とてもうれしかったです。意外でもありました。私、職場では子どもの話をしたことないし、見た目年齢が5歳くらい若いのではないかと勝手にタカをくくっていたので、まさか「おかん」に見えるとは思わなかったんです。家に帰って子どもたちに話すと「何言ってんの。おかんの雰囲気プンプンだよ。」言われてしまいましたが。

 チョコレートをくださった方は私よりもおそらく10以上は年上と思われ、「母の日だから」と言われるとくすぐったいような感じです。

 そういえば数年前の母の日、庭を手入れしていたご近所さんの男性が、大きなバラの花をハサミでパチンパチンと切って「母の日だから持っていって」と下さったことがあります。私の父ほどの年齢の方です。

 我が子に「お母さんありがとう」と言われるのももちろん嬉しいですが(最近は聞きませんね。それでいいですよ、もちろん。)、人生の先輩の男性の方に「母の日だね」と言われると、母親をやっている私に「お疲れ様、よくやっているね」とねぎらってもらっているようで、また別の嬉しさを感じます。「いえいえ、それほどでも・・・。あ、でも、ありがとうございます。」みたいな。母の日っていいですね。「おかん」に見えて結構結構。若く見えなくてもいいや。

 

 チョコレートをくださった方には、「父の日」に何かお返ししようかと一瞬考えたのですが、それはちょっと違うかなと思い直しました。やっぱり男性には、バレンタインデーがいいかな、と。「おとん」であるより、いつまでもナイスな感じでいてほしい。

 

 今年の母の日も、あちらこちらでたくさんの「ありがとう」がかわされますように。

 

 

 

 

まちなみウォッチ! 小田原→風祭

 「まちなみ」ウォッチは、当ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)に記載されているチェックポイント以外で立ち寄った場所や、ちょっと気になったスポット、心に残った風景などを自由にレポートします。

 チェックポイントに沿った旅の記録については、前回・前々回の記事をご覧ください。

 

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

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  小田原駅より「なりわい交流館」に向かって歩いて行くとひときわ目を引く建物があります。「だるま料理店」です。

だるま料理店

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 明治26年(1893)創業の料理店です。関東大震災で建物が倒壊しましたが、ブリの大漁で得た資金をもとに大正12年に再建し、今日に至ります。唐破風入母屋造りの建物は国登録有形文化財に指定されています。

 詳しくは説明板をぞうぞ。

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 メニューを見たところ、丼もの等も多くお値段はさほど高くはありません。心惹かれますが、ウォークとは両立しませんので、いつかの楽しみに取っておきましょう。

 

 なりわい交流館より東海道を歩き始めますと、個性的な老舗が立ち並びます。

済生堂薬局小西本店

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 「薬博物館」を名乗っていて、昔ながらの薬屋さんの道具を展示してるらしいです。残念ながら日曜・祝日は定休日ということで、見学できませんでした。

 建物は、やはり関東大震災で倒壊した明治時代のものを大正年間に復元したものです。

 

ういろう

 大きな通りを挟んで小西本店の向かい側に、存在感たっぷりの株式会社ういろうの店舗です。

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 ういろうは、500年前からこの地で外郎家の営む薬屋・和菓子屋です。詳しくはホームページをご覧になるのがよいかと思います。

www.uirou.co.jp

 明治18年築のお店の蔵を利用した「外郎博物館」が併設されています。こちらも大変魅力的だったのですが、先を急いで今回はパスしました。小田原駅に近いので、いつか見学したいですね。お昼はだるま料理店で(笑)。

 

欄干橋ちん里う

 小西本店から少し歩いたところにあります。小さいながら独特の雰囲気を持っているので、誰でも思わず足を止めてしまいそう。ちょっと覗いてみましょう。

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 「梅万資料館」を名乗って、古い梅干しとかいろいろな梅干しの種を展示していますが、その他にも梅みそやご飯のおともになりそうなもの、珍しいものがいろいろ売られています。お財布のひもがゆるみっぱなし(汗)。

 

 報徳二宮神社にお参りした後、近くの清閑亭に立ち寄りました。(街道からやや外れますが、これよりしばし、近代の文化人・財界人の庭園・邸宅をめぐります。)

清閑亭

  清閑亭は、黒田長成(貴族院副議長や枢密顧問官などを務めた伯爵 1867~1939)の別邸です。

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 入り口前の説明板です。明治39年(1906)の造営で、格式張らない近代数寄屋建築の建物と、お座敷からの相模湾の眺望が特徴だそうです。

 なお、清閑亭の土塁は小田原城三の丸土塁の一部だそうです。見晴らしのよい立地にうなずけます。

 予備知識はこのくらいにして入ってみましょう。

 落ち着きのある佇まいです。写真には写っていませんが、右手が玄関です。

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 爽やかな風が吹き抜ける和室。

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 二階からの眺望はさすがです。時のたつのを忘れて、いつまでも眺めていたいです。

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 バイブルには載っていませんが、ここは立ち寄りスポットとして追加したいくらいおススメです!

 

静山荘

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 実業家・望月軍四郎(1879~1940)の別荘だそうです。

 「望月軍四郎って?」と気になる方は、説明板をアップしますのでご覧ください。

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 一般公開はしていません。

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小田原文学館

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 小田原文学館の敷地内には、白秋童謡館と尾崎紅葉の書斎もあります。こちら、そのことを説明する看板です。

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 文学館の建物です。幕末の志士で元宮内大臣でもあった田中光顕伯爵の別邸で、昭和12年の建築です。南国調。おそらくとても洒落た建物だったのでしょうが、外壁など老朽化が目立っていて少々残念な印象。庭にはヒメジオンがちらほら・・・ せめて外回りなどもう少し手入れすればいいのになあと、思ってしまいました。(すみません) 中に入る気はしなくて、観覧券は買いませんでした。

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 敷地内にある尾崎紅葉の書斎です。市内にあった旧宅のうち書斎部分を移築したそうです。中に上がるには文学館の観覧券が必要だと言うので、外からの見学にさせていただきました。

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 白秋童謡館は、リニューアルオープン待ちのようですね。

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 敷地内にあった白秋の童謡碑。あの「赤い鳥小鳥」は小田原にいるときの詩なのですね。

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 小田原文学館界隈は、閑静な住宅地になっています。高級住宅街? 

 小田原邸園(邸宅と庭)散歩を勧める立て札もありました。近代文化人に思いを馳せながら、静かに散歩をするのもロマンチックでいいですね。

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 私の好きな白秋の詩が紹介されている看板があったのでアップします。

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栗鼠、栗鼠、小栗鼠、

ちょろちょろ小栗鼠、

葡萄の房が熟れたぞ、

啼け、啼け、小栗鼠。

 

 板橋見付跡より、旧道に入ります。静かで、心なしか古い佇まいの道です。

 

 現在も営業中の、昔ながらの店構えの畳屋さんがありました。

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下田豆腐店

 こちらは、各種パンフレットにも紹介されているお豆腐屋さん。「まちかど博物館・とうふ工房」を名乗っています。

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 この日は閉店でした。とても残念。

 メニュー、いろいろあって興味津々です。

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 お豆腐屋さんから旧道を振り返ったところ・・・

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 お豆腐屋さんの隣にパン屋さんが。「金太郎牛乳パン」の看板に、妙に心をわしづかみされました! 

 普通の地元のパン屋さんなのですが。「ここに来て、わざわざパンを買うかな?」と思い一度はお店を出たのだけれど、結局「古希庵」を見学した帰りに(お店の向かいが、古希庵に至る道です)また入ってしまいました。

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 金太郎牛乳パンというのは商品名ではなくて、ここで売っているパン全般のことを言うみたいですね。

 イチオシだという「軟フランスパン」を購入。

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 お昼時だというのに、それらしきお店は皆無。軟フランスパンを食べながら歩きます。

 

内野邸

 パンを食べ食べ歩いていると、古い構えの建物が見えてきました。

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 明治36年(1903)築。お醤油屋さんを営んでいた内野家の店舗兼住宅だそうです。

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 普段は見学できるようですが、この日は音楽会を開催中とのことで入れませんでした。隣接するカフェに寄っていきませんか?と勧誘されたのですが、お腹はすいていてもカフェという気分ではなかったので、ごめんなさいしました。

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 通り沿いの掲示板のチラシ。

 「あなた、いい肩してますね!!」ですって。北条五代祭り、大きなお祭りだと聞いています。担ぎ手さん、集まったかな?

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 旧道が終わり、ふたたび国道1号線に合流です。

 頭上を箱根登山鉄道が走ります。

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 これよりしばらくは特に見どころ・チェックポイントもなく、線路と並行してひたすらてくてく1号線の歩道を歩きます。

 かつて登山鉄道の車窓から眺めた景色。あの見慣れた景色を今歩いているんだなと思うとちょっとわくわく。

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 風祭駅手前の踏切まできました。

 単線にロマンスカーのアンバランスが面白い。

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 風祭駅踏切です。ここを渡ると、鈴廣のショッピングセンター「かまぼこ博物館」に至ります。

 

 青空にはためく大きな幟。もちろん鈴廣の。さすが。

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 鈴廣本店。ショッピングセンターとは違い、明らかに高級そう。入ったら買わずには出てこられない雰囲気。なので、外からパチリするにとどめました。

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 私たち庶民なので、ショッピングセンターの方でお買い物をしました。帰りは鈴廣のショッピングセンターから直接、風祭駅に行くことができます。ほんの数十メートルで駅です。

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 駅の改札脇のつくばい。

 かまぼこ製造用の石のすり鉢だそうです。

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 まちなみウォッチ最後の写真は登山鉄道で。これに乗って帰ります。よかったよかった( ´∀` )

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 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 


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