街道ウォーク・風祭→箱根湯本の後半です。
湯本の道祖神の近くでお昼ご飯を食べて、再び歩き始めます。
風祭からも道は緩い勾配でしたが、この辺りからは、はっきりと上り坂を意識するくらいの道になってきました。
白山神社
白山神社の入り口を上ると、最初に見えたごっつい岩。なんだ?
看板の説明によると、くくりひめという天照大神の伯母さんが降臨した岩だそうで、関東大震災の時にも動かなかったので、勝負の神様として信仰を集めているそうです。小田原攻めの時、この岩を背に秀吉が一夜城の戦略を練ったとか。秀吉め!!!
本殿です。境内暗くて、ちょっと怖いかな・・・・
早雲寺
早雲寺は白山神社の向かいです。こちら山門。
実は山門はちょうど工事中で、くぐることはできませんでした。迂回します。
本堂です。なかなか立派です。早雲寺は北条二代氏綱が創建したお寺です。
というわけで、こちら北条氏五代のお墓。因みに五代とは、早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直。五代もそろうと、なんだか壮観。
境内には、江戸中期の俳諧師・稲津祇空のお墓と、室町時代の蓮歌師・宋祇法師のお墓があります。
稲津祇空と宋祇法師についての説明板をアップします。気になる方は拡大してご覧ください。
石垣神社
石垣神社の入り口は目立たないので注意。大丈夫かな? なんかちょっと怖そう・・・ まずは鳥居の下の説明の看板を読んでみましょう。
起源はよくわからないけれども、秀吉の小田原攻めの時に鬼門除けとなったと伝えられています。この地域に大きな災害が起こっていないのも、この鬼門除けの神社の御利益だと言われているらしい・・・
へー、そうなんだとわかったようなわからないような。とにかく行ってみようと狭い急な階段を登り始めましたが・・・
石段の隙間から草がちょろちょろ生えていて、進むうちにだんだん草ぼうぼうに。白状すると私、葉っぱ恐怖症です。噛みつくような葉っぱ、つる植物とか苦手。なので、こういうのも得意じゃないんです。特に今成長著しいとある植物は本気で苦手で、よく日陰に生えてるんだけど、たくさん生えていると頭がキンコンキンコンしてしまう。名前を文字にしてもキンコンしちゃうので、伏せますね。
葉っぱ恐怖症の人って、たまにいるのかしらん。高所恐怖症とか尖端恐怖症とかは割とメジャーだけど。水玉模様恐怖症って人もいるから、私の場合は葉っぱ恐怖症と言っていいと思う。
あ、話がそれましたが、つまり何が言いたいかというと、苦手な葉っぱが足元に増えてきて、ギブアップしました。この先は、くろやぎ(同行人・夫)が写真を撮ってきてくれました。
なんと、こんな歩道橋を渡ったそうです。
小さなお社がありました。
戻ってきたくろやぎにお礼を言って、葉っぱ恐怖症から立ち直り、気分を変えて次のお寺を目指します。
正眼寺
正眼寺は、曽我兄弟のゆかりのお寺として知られています。境内に、曽我兄弟にまつわる数々の史跡・文化財があるのですが、これがなかなか見つかりませんでした。
境内の入り口にある説明板が唯一の手掛かりと言っていいくらい。看板の左下の案内図が最終的に決め手になりました。
それでは、無事に見つけることができた史跡・文化財を紹介します。
曽我兄弟の供養塔
松尾芭蕉句碑
山路来て なにやらゆかし すみれ草
曽我五郎の槍突石
文化財ではないけれど、足湯もありました。ご自由にどうぞ、ですって!
チェックポイント、残すところあと4つ。少々集中力がとぎれてしまったのか、
道祖神を行き過ぎてしまい、戻りました。
道祖神
こちらが、一度通り過ぎてしまった道祖神。紫陽花にうもれて、確かに目立たなかったです。
男女双体道祖神
湯村茶屋があったという場所にある道祖神。その名も「茶屋の道祖神」です。石の祠と男女双体道祖神。お供え物の夏みかんがかわいい。小さいけれどほのぼのしてます。
一里塚跡
本日二つ目の一里塚跡です。日本橋より二十二里目。
右手に一里塚があります。いつの間にか、このような山間の狭いくねくね道に変わっています。
馬の飲み水桶
先を行くくろやぎが、怪しい動き。ゴミ箱のふたを開けて中をのぞいている?
と思ったら、これが最終チェックポイントの、馬の飲み水桶でした。
江戸時代の馬立場で、馬が水を飲んだところというのはわかる。でもこれがその時の水桶ってのは、ホントかなあ? いや、このような説明もあるし、本当なのでしょうけど。
馬の飲み水桶は、「湯本茶公会堂」という小さな平屋の建物の玄関わきにあります。
水桶の場所の先から、石畳の道が始まります。いよいよ石畳!
次回はここから箱根の関所跡を目指します。
10時3分に風祭駅を出発し、14時45分に石畳入口に着きました。4時間43分、16227歩のウォークでした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近日中に、風祭→箱根湯本のまちなみウォッチについてアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。