てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

先取りふむふむ 藤沢→茅ケ崎②

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 藤沢→茅ケ崎ウォークの事前チェック後半は、茅ケ崎市に入った所からです。

 松並木

 

明治天皇御小休止跡碑

 

上正寺

 

 龍澤山龍徳院。浄土真宗西本願寺末。本尊 阿弥陀如来
相模風土記によれば、古くは郡中寺尾郷(市内小出町)に一宇を建て、
海圓院と号していましたが、数回の移転を経て上正寺に改称したそうです。

 「海圓院」のあったと思われる辺は、七堂伽藍跡と里称し、其の規模を
偲ぶ礎石が散在し、付近には同堂に因む 鐘ヶ渕の伝説などもあります。
 現小和田の地は、南北朝時代南朝方の豪族 鳥取五郎左右衛門尉
一族の所領でした。

 江戸時代には朱印地を与えられ、近郷の名刹でしたが、宝永元年
(1704)消失し、再興には鎌倉の寺堂を移して改修し、之を本堂とし、
ついで寺門、鐘楼なども落慶しました。 この間、地名に因んで「小和田山
と称したこともある。

 境内には聖徳太子堂があったという記録が残っています。「南無仏太子像」は、幾度
かの修理を加えられて現存しています。この像は、聖徳太子が2歳の時に、東を向いて「南無仏」と唱えると、手の中から舎利(釈迦の遺骨)がこぼれたという話をモデルにしたもので、室町時代後期から、江戸時代初期頃の作と考えられています。 
 また、境内より発見された 北朝の康永二年(1343)三月の板碑は、当地方の南北両朝の勢力分布交替を知る好資料となっています。

 

地蔵堂

 

千手院

 

 本尊は、千手観世音菩薩(坐像)。開山は、元和元(1622)年頃。 

 大山詣での登山安全を祈願するために、街道沿いまで出開帳していた歴史の有る、閻魔十王(立象10体と脱衣婆)。厄難消除のご利益の有る稲荷明神。小田原城主の眼病治癒で知られる、木食観正の石碑も建立されています。

 街道を挟んで目の前には、熊野神社が鎮座し、浜降り祭には数年に一度の間隔でお神輿が境内を練る祭事も行われています。千手院は、熊野神社参道入口に遊行していた僧侶が庵を設けたことが開基と言われています。

廣徳寺

  高野山真言宗山王山。本尊は千手千眼観世音菩薩。

熊野神社

 境内には弁天社、豊受稲荷社、乳母神社があります。 

旧道痕跡

 

牡丹餅立場跡

  牡丹餅が名物でした。この立場には紀州徳川家お専用の飛脚中継所である七里役所が設けられていました。

東海道の松並木碑

  茅ケ崎の黒松は幹回り(地上より1.2㍍)2.2㍍、推定樹齢400年の大きな松です。

海前寺

  天正19年(1591)の創建。領主丸毛権之丞の菩提寺。鐘楼の脇には仁王像が配され、境内には六地蔵が安置されています。

八王子神社

 境内には道祖神庚申塔があります。 

松並木

 

一里塚跡

 旧東海道の、江戸日本橋より14里目に当たります。
昔は1里ごとに築かれていましたが、道路の拡張、改修でほとんどが壊されて、ここに残る塚は大変貴重なものです。

 

【参考】

『ちゃんと歩ける東海道五十三次』 八木牧夫 山と渓谷社

茅ヶ崎市ホームページ

www.city.chigasaki.kanagawa.jp

上正寺公式ホームページ

http://joshoji.la.coocan.jp/annai.htm

千手院公式ホームページ

千手院の寺報(渡海千手観世音菩薩さまのお寺)

 

 ここまで、読んでいただきありがとうございました。今回の事前チェックも、情報集めに苦労しました。自治体のホームページだけでは足りなかったので、公式のホームページがあるお寺については、参考にさせていただきました。

 事前情報が少ないということは、裏を返せば、現地で得られる情報が貴重だということになります。楽しみです。

 

 


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先取りふむふむ 藤沢→茅ヶ崎①

 このタイトルを見て、「あれ?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。そう、茅ケ崎は宿場町ではないんですよね。宿場と宿場の間の「間の宿」と呼ばれるところらしいです。そのことについては後日、「クローズアップ茅ケ崎」で記事にしますね。

 さて、なぜ次の宿場・平塚まで行かずに茅ケ崎なのか? 理由は単純。藤沢→平塚の13キロの距離は、まあまあ遠い。歩けなくもないけれど、この間、見所・チェックポイントが多め。終着点に着く時間を気にして、見るのが駆け足になるのは残念です。

 ちょうど真ん中あたりが茅ケ崎で、しかもJRの駅の前を通ります。「ここでいったん休んだら?」と言われているようなもの。というわけで、次回は藤沢→茅ケ崎で決定です!

 早速、事前チェックをしましょう。

 

紙問屋(桔梗屋


 桔梗屋は、旧東海道藤沢宿で茶・紙問屋を営んだ旧家です。本社は横浜に移転しましたが、現在も藤沢の店蔵は支店として営業を続けています。土蔵造の店蔵は、黒漆喰仕上げで1階に重厚な観音開きの塗籠戸を吊るなど、優秀な左官技術を伝えています。文庫蔵は当地で近世に遡る貴重な例で、店蔵とともに東海道の旧宿場的雰囲気を伝えています。


藤沢御殿跡


 妙善寺から東に五分程歩くと御殿橋があり、足をのばして川沿いに登ると陣屋小路の石仏郡があります。江戸時代の初め頃、藤沢にはまだ本陣がなかったので、将軍は自らの宿泊のために今の藤沢一丁目あたり(藤沢公民館付近)に藤沢御殿をつくりました。絵図面によると東西約193m、南北約113mの長方形の区画で、記録によると「慶長五年(1600)に家康が宿泊して以来、寛永十一年(1634)に家光が使用したのを最後に廃止の道をたどりました。御殿の周辺には御殿を管理する代官陣屋が配置され、陣屋小路をはじめ御殿辺などの地名や陣屋橋、御殿橋といった橋の名に今では往時のなごりをとどめているのみです。


本陣跡(蒔田源右衛門本陣跡)


 このあたり一帯が藤沢宿のあったところで、歩道には本陣跡を記す案内板がたっています。本陣というのは、宮家、公家、大名が休泊した施設で、13間あり、一般庶民は休泊できませんでした。江戸時代初期は大久保町の堀内家が藤沢宿の本陣でしたが、類焼のため坂戸町の蒔田家が明治三年まで約百二十年間その要職にありました。総坪数約400坪、門構え庭園等があり堂々たる家でしたが、現在は妙善寺にその墓域を残すのみとなってしまいました。藤沢宿には、享和三年(1703)当時で、本陣1軒、脇本陣2軒、旅篭46軒がありました。また、人馬の割付・管理を行う問屋場が旧大久保町(近藤眼科医院付近)と旧坂戸町(消防署本町出張所付近)に設けられていました。

 

松屋

 旅籠小松屋源蔵跡
 


妙善寺

 白旗神社から白旗川ぞいに東に向かい、市民病院前から道沿いにカーブして南へ進みます。100mほどいった十字路を左折すると、左手に妙善寺(日蓮宗)のいらか屋根の山門が見えます。創立は永正元年(1504)、墓地の一角には本陣職を務めた「蒔田家」の墓が往時の隆盛を偲ぶようにたっています。


常光寺


 旧東海道(現国道467号線)から消防署の脇を入ると、明治五年に警察署の前身である「邏卒屯所(らそつとんじょ)」が置かれた常光寺(浄土宗)があります。創立は元亀三年(1572)、本堂左脇に市指定文化財の「庚申供養塔」が2基あります。万治二年(1659)の銘をもつ庚申塔は、庚申講中が建立した浄土宗系のものとして貴重です。もう1基(寛文九年銘・1699)は、笠石が軽快な感じを与えます。墓所を包むようにひろがる約7900㎡の静かな寺林は、天然記念物として市の指定を受けています。ひときわ目を引くのは、高さ約25m、推定樹齢300~400年にもなるカヤの巨木で、県選定の「かながわの名木100選」にも挙げられています。境内には、英文学者で詩人の「野口米次郎(1875-1947)」の碑があります。米次郎は「ヨネ・ノグチ」の名で英・米詩壇で認められ、帰国後も浮世絵をはじめ日本の文化、文芸を世界に紹介しました。碑には、彼が詠んだあじわい深い詩が刻まれています。


永勝寺


 旧東海道(国道467号線)から農協藤沢支所の手前を入っていくと、やがて永勝寺浄土真宗)に着きます。創立は元禄四年(1691)、山門を入ってすぐ左の墓所に、旅籠屋を営んでいた小松屋源蔵の墓を囲むように39基の飯盛女(食売女・メシモリオンナ)の墓が、ひっそりと立ち並んでいます。天保六年(1835)当時、主に大鋸から遊行寺橋にかけて、27~28軒の飯盛女をかかえた飯盛旅籠屋がありました。飯盛女は、遊女に代わって出現した公認でないいわゆる私娼で、旅籠屋1軒につき2人までしか置けないことになっていました。なかにはそれを守らず数人の飯盛女を置いていたところもあったようで、実際には、全盛期で100人近い飯盛女が藤沢宿にいたとみられています。こうした女性たちの多くは、宿内や周辺の年貢課役に苦しむ農村、あるいは伊豆、遠江駿河等の出身で、借金の返済などのために働いていたのですが、その扱いはひどいもので、小松屋のように墓を建てて葬るというのは大変珍しいことでした。


義経首塚


 旧東海道(国道467号線)沿いのかながわ信用金庫とマンションの間の小道を入っていくと、公園の片隅に伝義経首洗い井戸があります。義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)藤沢泰衡は亡父秀衡がかくまっていた義経を攻め、ついに衣川で義経を自刃させました。平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたといわれています。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたということです。一説によれば、鎌倉に入る前に首実検に備えて化粧を施したとも、また、夜間に鎌倉方面から、首が目を見開いて亀の背に乗り飛んできたとも伝えられます。


白旗神社


 旧東海道(国道467号線)の白旗交差点を北に向かうと、藤沢宿西方面の総鎮守である白旗神社の大きな鳥居が見えてきます。古くは寒川比古命を祀っていたといわれます。
 また、奥州平泉で敗死した義経の首級は鎌倉で首実見された後うち捨てられ、これを里人が拾って井戸で洗い清め葬り葬られたと伝えられるところから、宝地三年(1249)義経も合祀するようになったといいます。例大祭には義経・弁慶2基の神輿が氏子町内をねり歩き、大変賑やかです。また、秋祭りに行われる市指定文化財となっている「湯立神楽」は、面をうけた山ノ神が道化を演じながら参拝者に餅をまくなど独特な神事として知られています。本殿に向かう石段の下には、さまざまな形態の庚申塔の一群が見られます。その中には、市指定文化財の庚申供養塔(寛文五年・1665)もあり、右側面に「此よりはちおうしかいとう」、左側面に「これよりほしのやかいとう」と刻まれ、かつて二つの道の岐路にたてられていたと推察されます。庚申供養塔群の片隅には、市指定文化財の江の島弁財天道標が1基あり、さらに境内藤棚近くに、芭蕉の『吉野行脚」の「草臥亭(くたびれて)宿かる此や藤の花」の句碑(文化二年銘・1805)がたてられています。境内に義経松、弁慶杉、弁慶力石があります。
草臥亭(くたびれて)宿かる此や藤の花 松尾芭蕉

 

上方見付跡

 藤沢宿の西の玄関。江戸見付から約1.5㌔が藤沢宿の範囲。

真源寺

 1681年創立。弘法大師像が安置されています。浄土宗。風早山と号します。

光妙寺

 宗派は日蓮宗、本尊は十界勸請大曼荼羅。開山は光妙院、日暁です。宝暦六年(1756年)の創立。元来、静岡県富士郡芝富村円恵寺の境外仏堂でしたが、昭和9年「光妙寺」として独立し、同年12月に現地に移転しました

 

旧道痕跡

 

引地橋

 

養命寺

 本尊の木造薬師如来坐像は国の重要文化財指定。12年に1度、寅年に公開されます。

関東最古の玉眼入り仏像といわれています。

 

 

おしゃれ地蔵

 女性の願いを叶えます。形態は男女双体道祖神

柏山稲荷神社

 御祭神は宇迦之魂命   ( うかのみたまのみこと ) 。祭礼は4月第2日曜日の
春季大祭(しゅんきたいさい)と、毎月22日の月次祭(つきなみさい)

八坂神社

 

小さな神社

 

八坂神社

 

大山道道

 「是より右大山道」の道標と鳥居、大山の大山寺、阿夫利神社への大山参り道の道標です。阿夫利神社には開運厄除けの祈願として、木太刀を奉納する習慣があります。これは頼朝が自分の刀を納めて、天下泰平武運長久を祈ったことに始まります。この風習が粋な江戸っ子に受け、木太刀を盛った参詣客で賑わいました。この辺りには茶屋が軒を連ねていました。

一里塚跡

 四ツ谷の一里塚。日本橋より13里目。

二ツ家稲荷

 二ツ家稲荷神社境内の寛文10年(1670)建立の庚申供養塔は藤沢市指定重要文化財。地名の二ツ谷は往時、ここにあった立場茶屋二軒(二ツ家)に由来しています。

西國巡礼供養塔

 側面に「あふり山  わけいる道にしをり置 つゆのことのは しるしとぞなぞれ」と刻まれています。

 

 これより藤沢市に別れを告げて、茅ケ崎市に入ります。ブログも一区切りとします。

 余談ですが、これまでの「先取りふむふむ」は自治体のホームページを大いに参考にさせていただいてきたのですが、今回は苦労しました。藤沢市のホームページには、名所・見所の詳しい解説がほとんどなかったのです。ふじさわ宿交流館のホームページには、解説が充実しているのですが、宿場内の見どころについての解説に限られていて(ふじさわ宿交流館ですから当然と言えば当然なのですが)、宿場を出たら、つまり上方見付跡より西のチェックポイントについての説明は皆無と言っていいほどです。

 そういうわけで、今回の記事は、前半と後半で記事の密度にかなりの差があります。当日の説明板に期待しています。


 【参考】
『ちゃんと歩ける東海道五十三次』」(八木牧夫 山と渓谷
藤沢宿交流館ホームページ

www.fujisawa-kanko.jp

該当の神社・寺院の公式ホームページ

 

もうひとつ余談

 先日のウォークでとても気になっていた「宝製菓の宝ビスケット」。

 

kaz-mt-wisteria.hatenablog.com

 

 なんとくろやぎ(夫・同行者)が、近所のスーパーで見つけて購入してきました。「でかした!」と思ったのですが、「ん? このビスケット、見たことあるぞ。」 てか、食べたことある。袋にざくざくいろんな種類の個包装のクリームサンド系のビスケットが入っていて、安くてお得感があるから子どものおやつに買っていた。(自分のおやつにも、してた) これ、宝ビスケットだったんだあ。気がつかなくてごめんね。

 詳しくは、くろやぎのブログでどうぞ。

rkuroyagichan.hatenablog.com

 

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街道ウォークのお宝 戸塚→藤沢②

 街道ウォークのお宝、すなわち現地の説明板の数々、戸塚→藤沢の後半です。戸塚宿のはずれ、原宿村の大運寺から見ていきましょう。

 大運寺

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龍長院入口

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諏訪神社

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鉄砲宿

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 鉄砲宿の辺りの遊歩道にあった案内図です。今まで通って来た道を振り返ることができました。

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旧東海道松並木跡碑(翠ヶ丘)

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 この説明にある安藤広重東海道五十三次の松並木とは、どの画でしょうか? 「東海道五十三次}保永堂版で描かれている藤沢はあの有名な遊行寺で、松並木ではありません。広重はここ翠ヶ丘の松並木を描いていたのか? そうした画が特定出来たら、追記しますね。

 

一里塚跡

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 一里塚に植えられていた木は、目印であったことに加え、木陰を造ったり寄りかかったりして旅人が休憩できるような場所にしたというちょっと粋な計らいであったことを知り、嬉しくなりました。

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 遊行寺の近くの街道は切通が続いていましたが、あれはかつての道を掘り下げて作ったものだったのですね。納得。確かになんにも残っていなかった。

 いつどんないきさつで、削ってしまったんだろう?

 
諏訪神社

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遊行寺

長生院

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遊行寺

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 遊行寺本堂手前の地蔵堂、こぎれいな建物だなと思っていましたが、平成26年にできたのですね。関東大震災で倒壊してしまって以来の修理で、お地蔵様の由緒がわかってよかったですね。

 街道を旅する江戸時代の人たちが、健康を願ってお地蔵様をなでなでしたという説明にも、心が温まりました。私もしっかりなでなでさせていただきました。江戸時代の人に近づいた気分です。

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 大イチョウの紅葉が見事でしたが桜、藤、菖蒲も有名なのですね。四季折々、すてきな境内ですね。

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 見事な大イチョウでしたが、実は満身創痍だったのですね・・・ 台風で折れてしまったり、もっと前には火災に遭っていたり。それでも残っていて、生命力すごい。

 

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ふじさわ宿交流館

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 ここは火除け地だったのですね。交流館の隣は現在消防団になっていましたが・・・? 関係ないかもしれないけど、面白い。

 ちなみに、これがその消防団

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遊行寺

 遊行寺橋の袂の案内板です。

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 橋の袂にあります江の島弁財天道標についての説明板です。

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 こちらは遊行寺橋より藤沢駅に向かう途中にあった道標の説明です。江の島道の道沿いには、道標が十数基も残っているのですね。

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 ここまで読んでくださってありがとうございました。この記事は、「第6回 戸塚→藤沢②」の補足になっています。もしよければ併せてご覧ください。

 

kaz-mt-wisteria.hatenablog.com

 

 

 


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街道ウォークのお宝 戸塚→藤沢①

 歩いてパチリして集めた説明板の写真は、街道ウォークのお宝。ガイドブックでもホームページでも謎だったことが、霧が晴れるようにわかることがあります。だから、お宝。

 清源院

 芭蕉の句碑です。

 芭蕉の句碑というと、「なぜここにあるのか?」気になってしまいます。芭蕉さんが立ち寄ってここで詠んだ句なのかな、とか。

 この場合はそうではなくて、戸塚の俳人・露粛が、尊敬する芭蕉さんの句碑を地元に建てたと解釈すればいいのでしょうか。

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「 世の人の見つけぬ花や軒の栗」

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  心中句碑は、珍しいようです。清三郎とヤマさんの心中。どんな理由があったのでしょうか。やや気になります。

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 「井にうかふ番い(つがい)の果(はて)や秋の蝶」

 悲しい情景が浮かびます。井戸の底の水面に、死んだ蝶のつがいが浮かんでいます・・・落ち葉も一緒に浮かんでいたかな・・・

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内田本陣跡

 間取りの図、なかなか立派なお宿ですね。というか、こういう記録が残っていることって、すごいですね。

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脇本陣

  大名のお泊りがないときは一般人も泊まれた豪華なお宿。ミーハーな(この言い方古いかも)人なら、絶対泊まってみたいだろうなぁ。今だって、有名人が泊まったお部屋に泊まりたい願望ってありません?

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沢辺本陣跡

 戸塚宿創設に尽力した沢出さん。この裏のおうちも、沢辺さん宅です。

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海蔵院

 像を見ることはできませんでしたが・・・ というか境内のオブジェに気をとられて、思い至らなかったです。このお寺、とても不思議なオブジェがありました。どのように不思議だったかは、「第6回 戸塚→藤沢①」をご覧ください。

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八坂神社

 面白い&珍しいお祭りが、伝わっていて、今も行われているのですね。7月14日、見に来ようかしら?

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 「お礼まき」は、町内の男子が女装するのがきまりなんですね。こりゃ、確かに、珍しい。

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冨塚八幡

 戸塚八万について、大変わかりやすく解説しています。教育委員会の説明板と違って、神社の説明ってわかりにくいことが多いのですが、これは過不足なくてありがたいです。

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  ここにも芭蕉句碑。なんで芭蕉句碑?と気になりますが、この場合は、戸塚が鰹の水揚げの場所だということから、戸塚の俳人たちが芭蕉が鰹について詠んだ句に碑を建てた・・・ということらしいです。清源院も地元の俳人が尊敬する芭蕉さんの句碑を建てたようでしたね。戸塚は、俳人のグループがあって活動が盛んだったのかな?(グループとか活動とか、今どきの表現で変だけど、他に適当な言葉が思い浮かばない・・・)

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  「鎌倉をいきて出けむはつ松魚(かつお)」

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上方見付跡

 昔の写真が残っていることに、しばし感動。こういう写真を案内板に載せてくれること、ちょくちょくありますが、ありがたいです。

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 大阪 

 一番坂、二番坂の他に、白土坂もあったようです。

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お軽勘平道行碑 

 昭和46年に建てた碑です。昭和46年なんてそんなに昔の気はしませんが、碑文はそれなりに風化していますね。

 天保4年3月、江戸河原座で初演以来、大ヒットし、フィクションでありながら実際にあったことのように哀れな二人に感情移入をして、訪れる男女が跡を絶たなかった・・・というようなことが記されております。了解なり。

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原宿一里塚跡

 ここの一里塚、この説明にありますように、なんの痕跡も残っていませんでした。明治になって不要なものはどんどん取り払われたって・・・ 近代化への波は、古いものへは容赦がなかったのですね。

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 ここでブログをいったん閉じます。明日は大運寺からアップします。また訪ねてくださると幸いです。

 なお、今回の記事は、下記の記事の補足です。もしよければ、併せてお読みください。

 

kaz-mt-wisteria.hatenablog.com

 

 


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「まちなみ」ウォッチ 戸塚→藤沢②

 宝ビスケットの看板を追いかけて歩いた後半は・・・

 大運寺を過ぎて原宿の交差点の手前で見かけた方です。リヤカーを引いていらっしゃいまして、オレンジ色の幟には「東海道を歩いています」みたいなことが書いてありました。街道ウォークをしていますと、同じような方々にちょくちょくお会いしますが、リヤカーの方は初めてですf:id:kaz-mt-wisteria:20171201091643j:plain

 

 しばらく歩いて行ったところで旧家(?)を見かけたので、パチリさせていただきました。

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 原宿の交差点です。信号奥がかつての原宿村だったところです。どんな村だったんだろう?

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 日本橋から48㌔の表示に、励まされます。写真後方にある赤と緑の看板は宝製菓ですね(今気が付きました)。工場に近づくと、バージョンアップして大きくなる?!

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  バスの停留所に「宝ビスケット入口」とあるのを見て(商売上手!)、せっかくだから工場まで行ってみたくなりました。

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  先ほどチェックした龍長院参道口(岩のような大きな不動尊があったところです)まで戻ると、なるほど、さっきは気が付かなかったけど、電柱にさらにバージョンアップした表示が。「サーチナビ」もついています。すごいなあ。

 行ってみましょう。「車に注意」ですって。ご心配ありがとう。

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  5分も歩かないうちに着きました。正面建物が工場、左手が事務所かな?

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  少し離れて眺めてみましょう。後ろに工場の煙突(?)も見えますねf:id:kaz-mt-wisteria:20171201223941j:plain

  工場までは距離がありそうだったので、それと、土曜日で入れない気がしたので、リサーチはここまでとしました。先もまだ長いですからね。

 

  帰宅してから宝製菓のホームページで調べたのですが、終戦直後の食糧難の時に、一人でも多くに人を飢えから救うことに貢献しようという思いからパンの製造に着手したのが、「宝製菓」の事業の始まりです。

 肝心のビスケットですが、オンラインショップの画像を見る限り、割と普通の袋菓子みたいです。月に2回ほど、木曜日に、工場でB級品の特売会をしていて、大変な混雑になるようです。

HISTORY 宝製菓の歴史 | 宝製菓株式会社

 

 宝製菓を後にして、再び歩きます。やっぱり単調で交通量が多いみちです。電柱委宝製菓の看板がありますね。今、気が付きました。これだけ看板があったら、地元ではみんな、よく知っているんでしょうね。

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 この辺り、鉄砲宿のあった所だそうです。

 昔々、池(影取池)に住む大蛇が、ひどく飢えていたので通りかかる旅人の影を食べるようになりました。困った村人は腕のいい猟師に頼んで大蛇を撃ってもらいました。この猟師が住みついた辺りを、鉄砲宿と呼ぶようになりました。

 ここは戸塚宿のはずれです。(まもなく藤沢市に入ります。)『東海道中膝栗毛』では弥次さん喜多さん、戸塚宿ではどこの宿もいっぱいで、やっと見つけた戸塚宿のはずれの宿に泊まる話がありますが、鉄砲宿だったんじゃないかなあと、思っています。

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 鉄砲宿の近くに古い門構えのお宅がありました。

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 遊行寺の坂道です。これまた長いです。両脇崖の道が、ずーっと続きます。たまたまこの写真では車は写っていませんが、交通量はとても多いです。

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  個人のお宅ですが、このような案内を掲げてくださっていました。ありがとうございます。

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  坂道の先に、藤沢の街が見えてきました。右側、遊行寺の敷地です。

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 遊行寺をお参りし、いろは坂(参道)を下りてくると、藤沢宿交流館がありました。

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  交流館建物脇に、高札場のモニュメントがありました。高札場の実際にあった場所は、橋を渡った袂でしたが。

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  遊行寺橋です。高札場跡は左手ポストの辺り? 向かって右へ行く道は江の島道。かつては鳥居がありました。橋と鳥居のある遊行寺の風景は、数々の浮世絵に描かれています。

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  鳥居のあった辺りには、このような建物が。何の建物なんでしょうね? 今頃、気になってしまっています。確かめればよかった。ウォークの最後は、集中力が切れて、ダメですね。

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  鳥居があったであろうところから、江の島道を見ています。左にある石柱は、江の島道の道標です。

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  電柱がない代わりにこのようなボックスがあります。

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  「写真館」と銘打っている通り、箱の側面に、写真がプリントされていてちょっと面白いです。この写真は、昔の遊行寺橋です。

 次回は、こうした箱をたくさん見ながら歩き始めることになりますね。

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 東海道からははずれて、江の島道へ入り、藤沢の駅に向かいます。途中、東海道に負けず劣らず、昔ながらのお店や古い建物が残っていて、楽しかったです。

 古いものではないのですが・・・このような自販機が。

 「願い事がかなう」って言葉に乗せられ、お茶を購入。いいことあるかな。

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  江の島道の道標を見つけました。かなり暗くなっていて写真は無理かなと思ったのですが、フラッシュをたいてギリギリセーフ。

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 この日の終着点、JR藤沢駅です。

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 ここまで、ながながお付き合いくださりありがとうございました。日が暮れるのが早くなって、後半はやや焦りながら、写真を撮っていました。秋も終わりですね・・・

 このルートについて、史跡・名所にスポットを当てた旅の記録も記事にしています。もしよかったら併せてお読みください。

 

kaz-mt-wisteria.hatenablog.com

 

 

 


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「まちなみ」ウォッチ 戸塚→藤沢①

 今この時を切り取った、街道沿いの風景の数々。時の流れは止められないけれど、記憶を記録に留めたい。これもまた、街道ウォークのお宝なのではないかと、最近思うようになりました・・・

 戸塚→藤沢の「まちなみ」ウォッチ、本日より2回に分けてお伝えします。

 

 出発はJR戸塚駅から。8時53分。晩秋の青空にピカーンとそびえるトツカーナです。

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 線路の上の橋です。ガイドブックでは、ここは「開かずの踏切」となっていましたが。改善されたのですね。

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 線路上の橋を渡って、振り返った景観です。現代版東海道ですね! 江戸時代の人が見たら、びっくりするかも。

 

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 「自転車はおして」という案内が面白くてパチリ。珍しいなと思ったからなのですが、このようななだらかなスロープになっている歩道橋、この後も見かけました。横浜市に多いタイプの歩道橋なのかな?

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 八坂神社前の交差点脇のスペースです。ベンチも置いてあって、ちょっと休憩できるようになっています。道標もあります。

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  近づいてみますと・・・ 「かまくらみち」かな? この時は読めたんですけど、家に帰ってきたら思い出せないです。あぁぁ・・・ 写真では、よくわからないですね(汗)

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  道標の先の道です。帰ってきてからロードマップを見てみましたが、この先ですぐ途切れてしまい、遠くまで続く道ではありません。あの道標が何を意味するのか、ちょっと謎です。

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 第六天のすぐ横で、新しい道路を開通させる工事をしていました。ここの景色、間もなく、全然違ったものになるのでしょうね。記念に(記録に?)撮っておきましょう。

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 大阪を上り始めます。昔は三つの急坂の連続だったそうですが、今ではならされて、緩めの傾斜の長い坂になっています。いや、本当にいつまでも続く長い坂道でした。

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  植え込み中に大坂の碑を見つけました。単調な坂道だったので、嬉しくなりました。

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 まだまだ続く大坂です。交通量も多いです。あまり情緒はありません。

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  ほぼ坂の上まで来たようです。「ぶないのぼるな」? 公園のフェンスの注意書きにツッコミを入れてみました。

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  坂の上からの眺めです。上ってきた甲斐がありました。肉眼では、もっともっと遠くまでクリアに見えてきれいでした。

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  昔の人も、ここのの眺めにホッと一息ついたのですねf:id:kaz-mt-wisteria:20171130085834j:plain

 

 たぶん、これ、環状3号線を通す工事です。ここも、近い将来景観が変わりますね。見晴らしがいい場所だけに、ちょっと残念です。

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 「日本橋から46㎞」という表示を見つけて嬉しくなりました。正真正銘、46㎞歩いたのですものね! 「やればできるのだ」とテンションを上げて、歩き続けます。相変わらず、車が多いです。

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 ふと気がついたこの看板。なんですかね?

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  裏はこのようになっています。宝ビスケットってなに? この看板、この先、ずーっと、電柱についているのです。ますます気になる。

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  街道ウォークとは関係ありませんが、ビスケットって響き、好きです。クッキーは洋風でよそいきな感じ。バターが多かったり、ナッツとかがいっぱい入っているイメージ。ステラおばさんみたいに。ビスケットは、もっと素朴なイメージです。マリーのビスケットとか、ミレーのビスケットとか。よい子のおやつ的な。

 で、宝ビスケット。「お宝」というネーミングもいいな。直売所とかないかなぁ?

 というわけで、宝ビスケットの看板と一緒にてくてく歩いた結果、工場まで行ってしまうのですが、それは次回の記事で報告します。

 

 ここまでお付き合いくださりありがとうございました。次回も訪ねてくださるとうれしいです。

 

 

 

 


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第6回 戸塚→藤沢②

 戸塚→藤沢ウォーク後半は、戸塚区原宿町第二歩道橋の袂からです。この辺りは、かつて原宿村と呼ばれていました。 

 

青面金剛

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 歩道橋の袂にあった庚申塔?です。 

大運寺

  庚申塔の脇に案内がありましたので、歩道橋を渡ります。ちなみに、緩やかな歩道橋です。自転車を押して上がれそうです。

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 立派な入口です。

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 門を入ってすぐのところの、六地蔵さまです。よく見ると、手にいろいろ持っていらっしゃいます。ここのお寺、実は、入口からはちょっと想像しがたいのですが、かなり面白いお寺でした。

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 法然上人の碑を発見。

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 手前の石灯籠ですが、近づいてよくよく眺めると・・・

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 なんと、ハート。やかんもついています。不思議不思議。

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 足元を見ればコアラ。なんか違和感。お寺にコアラ?

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 コアラの近くにはこんなのも。あのコアラも、ガーデニングのオブジェなのかしらん。

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 将棋をさしているお坊さんのオブジェもありました。遊び心いっぱいの楽しい境内でした。

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 本堂はこちらです。

 

名残松

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 「名残松」、このことかな? 1本だけ残っていました。

 

道祖神・馬頭観世音

  影t取町第一歩道橋の袂にあるという事前情報でしたが、いくら見ても、見つからなかったです。移転したのでしょうか。

 

龍長院参道口

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 龍長院へ続く道の入り口です。

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 入り口にある不動尊です。大きいですね。ちょっと怖いくらい。これ、目立ったでしょうね。旅する人たちにとって、とても分かりやすい目印だったと思います。

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 近づいてパチリ。うーん、やっぱり迫力あります。

 

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 大正11年の建立かな? 意外と新しいのですね。

 

諏訪神社

 

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 本殿に向かって右の平屋の建物、集会所らしく、地域の方の集いが行われていました。

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  神社鳥居脇の木が立派だったので。

茅葺門の旧家跡

 

 たぶんこのお宅の門だと思うのですが、修理中でした。そうっとパチリさせていただきました。

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道祖神

 道祖神は、車道より一段高くなった遊歩道の中にあります。遊歩道の中には、他にも鉄砲宿についてなどの案内表示がありました。車道を歩いているとこれらのものを見落とすので、要注意です。

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旧東海道松並木跡碑

 

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 この辺り、昭和30年代にマツクイムシの被害に遭うまでは、松並木で有名でした。緑ヶ丘という地名の由来でもあります。

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  マツクイムシの被害に遭わずに済んだ松の木も、少しは残っているようです。

一里塚跡

 

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 「何も残っていません」という説明通り、本当に何も残っていなかったです。車の通行量の多い単調な道が続きます。

 

江戸方見付跡

  ガイドブックによりますと、一里塚の近くらしいのですが、案内表示など、特に見つからなかったです。

 

諏訪神社

 車道のすぐ脇にきつめの傾斜の階段があって、そこを上ると鳥居があります。

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 本殿です。「男山」という酒樽に目が釘付け。地酒かな?

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  境内には、道祖神もありました。ホッとしますね。

遊行寺小栗判官墓・藤沢敵味方供養塔

 遊行寺は裏の駐車場から入りました。まずは小栗判官ゆかりの長生院へ。

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 長生院入口までは、割と歩きます。これでいいのかなと、ちょっと心配になったころに入口が見えてきました。

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 長生院本堂です。小栗判官墓所は、この本殿の裏です。

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  木戸を入ります。ちょっとわかりにくいかも。案内があってありがたかったです。

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 小栗判官墓所です。

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 こちらは照手姫です。

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 長生院から戻ってきました。樹齢700年ともいわれる大銀杏の紅葉が見事です。奥に見えるのが遊行寺本堂です。

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 本堂手前にこぎれいな地蔵堂がありました。おなやみ解決のお地蔵様のようですね。

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 こちら「なでなで地蔵」ということで、たくさんなでなでさせていただきました。

 

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 境内が広いので、見つけるのに少し時間がかかりました。敵味方供養塔です。江戸時代よりさらに古いものです。よく残っていますね。

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 境内を出て、振り返ったところ。「いろは坂」です。長くて緩い上り坂です。本来はこちらから参詣するものなのでしたね。すみません。

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 山門からいろは坂を眺めたところ。山門は「黒門」と呼ばれています。堂々として立派な山門です。

遊行寺

  数々の浮世絵に描かれて有名な遊行寺橋。広重の東海道五十三次(保永堂版)と同じ視点から写真を撮ってみました。

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 こちらは、鳥居のあった場所です。

高札場跡

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 遊行寺に向かって左側、橋の袂に高札場がありました。現在は100円ローソンになっています。

 

 このあと、東海道からは外れまして、JR藤沢駅まで歩きました。すっかり夕暮れになっていました。

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 ここまで読んでくださりありがとうございました。明日は、「まちなみ」ウォッチのレポートをする予定です。また訪ねてきてくださるとうれしいです。

 

 

 

 


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