藤沢→茅ケ崎ウォークの事前チェック後半は、茅ケ崎市に入った所からです。
松並木
明治天皇御小休止跡碑
上正寺
龍澤山龍徳院。浄土真宗西本願寺末。本尊 阿弥陀如来。
相模風土記によれば、古くは郡中寺尾郷(市内小出町)に一宇を建て、
海圓院と号していましたが、数回の移転を経て上正寺に改称したそうです。
「海圓院」のあったと思われる辺は、七堂伽藍跡と里称し、其の規模を
偲ぶ礎石が散在し、付近には同堂に因む 鐘ヶ渕の伝説などもあります。
現小和田の地は、南北朝時代の南朝方の豪族 鳥取五郎左右衛門尉
一族の所領でした。
江戸時代には朱印地を与えられ、近郷の名刹でしたが、宝永元年
(1704)消失し、再興には鎌倉の寺堂を移して改修し、之を本堂とし、
ついで寺門、鐘楼なども落慶しました。 この間、地名に因んで「小和田山」
と称したこともある。
境内には聖徳太子堂があったという記録が残っています。「南無仏太子像」は、幾度
かの修理を加えられて現存しています。この像は、聖徳太子が2歳の時に、東を向いて「南無仏」と唱えると、手の中から舎利(釈迦の遺骨)がこぼれたという話をモデルにしたもので、室町時代後期から、江戸時代初期頃の作と考えられています。
また、境内より発見された 北朝の康永二年(1343)三月の板碑は、当地方の南北両朝の勢力分布交替を知る好資料となっています。
地蔵堂
千手院
本尊は、千手観世音菩薩(坐像)。開山は、元和元(1622)年頃。
大山詣での登山安全を祈願するために、街道沿いまで出開帳していた歴史の有る、閻魔十王(立象10体と脱衣婆)。厄難消除のご利益の有る稲荷明神。小田原城主の眼病治癒で知られる、木食観正の石碑も建立されています。
街道を挟んで目の前には、熊野神社が鎮座し、浜降り祭には数年に一度の間隔でお神輿が境内を練る祭事も行われています。千手院は、熊野神社参道入口に遊行していた僧侶が庵を設けたことが開基と言われています。
廣徳寺
高野山真言宗山王山。本尊は千手千眼観世音菩薩。
熊野神社
境内には弁天社、豊受稲荷社、乳母神社があります。
旧道痕跡
牡丹餅立場跡
牡丹餅が名物でした。この立場には紀州徳川家お専用の飛脚中継所である七里役所が設けられていました。
東海道の松並木碑
茅ケ崎の黒松は幹回り(地上より1.2㍍)2.2㍍、推定樹齢400年の大きな松です。
海前寺
天正19年(1591)の創建。領主丸毛権之丞の菩提寺。鐘楼の脇には仁王像が配され、境内には六地蔵が安置されています。
八王子神社
松並木
一里塚跡
旧東海道の、江戸日本橋より14里目に当たります。
昔は1里ごとに築かれていましたが、道路の拡張、改修でほとんどが壊されて、ここに残る塚は大変貴重なものです。
【参考】
茅ヶ崎市ホームページ
www.city.chigasaki.kanagawa.jp
上正寺公式ホームページ
http://joshoji.la.coocan.jp/annai.htm
千手院公式ホームページ
ここまで、読んでいただきありがとうございました。今回の事前チェックも、情報集めに苦労しました。自治体のホームページだけでは足りなかったので、公式のホームページがあるお寺については、参考にさせていただきました。
事前情報が少ないということは、裏を返せば、現地で得られる情報が貴重だということになります。楽しみです。