戸塚→藤沢ウォーク後半は、戸塚区原宿町第二歩道橋の袂からです。この辺りは、かつて原宿村と呼ばれていました。
- 青面金剛像
- 大運寺
- 名残松
- 道祖神・馬頭観世音
- 龍長院参道口
- 諏訪神社
- 茅葺門の旧家跡
- 道祖神
- 旧東海道松並木跡碑
- 一里塚跡
- 江戸方見付跡
- 諏訪神社
- 遊行寺・小栗判官墓・藤沢敵味方供養塔
- 遊行寺橋
- 高札場跡
青面金剛像
歩道橋の袂にあった庚申塔?です。
大運寺
庚申塔の脇に案内がありましたので、歩道橋を渡ります。ちなみに、緩やかな歩道橋です。自転車を押して上がれそうです。
立派な入口です。
門を入ってすぐのところの、六地蔵さまです。よく見ると、手にいろいろ持っていらっしゃいます。ここのお寺、実は、入口からはちょっと想像しがたいのですが、かなり面白いお寺でした。
法然上人の碑を発見。
手前の石灯籠ですが、近づいてよくよく眺めると・・・
なんと、ハート。やかんもついています。不思議不思議。
足元を見ればコアラ。なんか違和感。お寺にコアラ?
コアラの近くにはこんなのも。あのコアラも、ガーデニングのオブジェなのかしらん。
将棋をさしているお坊さんのオブジェもありました。遊び心いっぱいの楽しい境内でした。
本堂はこちらです。
名残松
「名残松」、このことかな? 1本だけ残っていました。
道祖神・馬頭観世音
影t取町第一歩道橋の袂にあるという事前情報でしたが、いくら見ても、見つからなかったです。移転したのでしょうか。
龍長院参道口
龍長院へ続く道の入り口です。
入り口にある不動尊です。大きいですね。ちょっと怖いくらい。これ、目立ったでしょうね。旅する人たちにとって、とても分かりやすい目印だったと思います。
近づいてパチリ。うーん、やっぱり迫力あります。
大正11年の建立かな? 意外と新しいのですね。
諏訪神社
本殿に向かって右の平屋の建物、集会所らしく、地域の方の集いが行われていました。
神社鳥居脇の木が立派だったので。
茅葺門の旧家跡
たぶんこのお宅の門だと思うのですが、修理中でした。そうっとパチリさせていただきました。
道祖神
道祖神は、車道より一段高くなった遊歩道の中にあります。遊歩道の中には、他にも鉄砲宿についてなどの案内表示がありました。車道を歩いているとこれらのものを見落とすので、要注意です。
旧東海道松並木跡碑
この辺り、昭和30年代にマツクイムシの被害に遭うまでは、松並木で有名でした。緑ヶ丘という地名の由来でもあります。
マツクイムシの被害に遭わずに済んだ松の木も、少しは残っているようです。
一里塚跡
「何も残っていません」という説明通り、本当に何も残っていなかったです。車の通行量の多い単調な道が続きます。
江戸方見付跡
ガイドブックによりますと、一里塚の近くらしいのですが、案内表示など、特に見つからなかったです。
諏訪神社
車道のすぐ脇にきつめの傾斜の階段があって、そこを上ると鳥居があります。
本殿です。「男山」という酒樽に目が釘付け。地酒かな?
境内には、道祖神もありました。ホッとしますね。
遊行寺・小栗判官墓・藤沢敵味方供養塔
遊行寺は裏の駐車場から入りました。まずは小栗判官ゆかりの長生院へ。
長生院入口までは、割と歩きます。これでいいのかなと、ちょっと心配になったころに入口が見えてきました。
木戸を入ります。ちょっとわかりにくいかも。案内があってありがたかったです。
こちらは照手姫です。
長生院から戻ってきました。樹齢700年ともいわれる大銀杏の紅葉が見事です。奥に見えるのが遊行寺本堂です。
本堂手前にこぎれいな地蔵堂がありました。おなやみ解決のお地蔵様のようですね。
こちら「なでなで地蔵」ということで、たくさんなでなでさせていただきました。
境内が広いので、見つけるのに少し時間がかかりました。敵味方供養塔です。江戸時代よりさらに古いものです。よく残っていますね。
境内を出て、振り返ったところ。「いろは坂」です。長くて緩い上り坂です。本来はこちらから参詣するものなのでしたね。すみません。
山門からいろは坂を眺めたところ。山門は「黒門」と呼ばれています。堂々として立派な山門です。
遊行寺橋
数々の浮世絵に描かれて有名な遊行寺橋。広重の東海道五十三次(保永堂版)と同じ視点から写真を撮ってみました。
こちらは、鳥居のあった場所です。
高札場跡
遊行寺に向かって左側、橋の袂に高札場がありました。現在は100円ローソンになっています。
このあと、東海道からは外れまして、JR藤沢駅まで歩きました。すっかり夕暮れになっていました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。明日は、「まちなみ」ウォッチのレポートをする予定です。また訪ねてきてくださるとうれしいです。