本日、肘頭骨折で中断していた東海道ウォークを、再開しました。
前回のウォークは8月3日でしたから、約3か月ぶりです。前回の終着地点の草薙駅前から歩き始め、静岡駅まで約28000歩のウォークとなりました。詳しい報告は別の日にアップします
今日はちょっとだけ、お土産などについて。
おみくじ
静岡縣護国神社で、「五色勾玉みくじ」に心惹かれました・・・
赤:家内安全 白:開運招福 黄:金運上昇 緑:健康長寿 青:仕事・学業成就 ですって。
私が引いたのは、こちら。中に入っていたのは、金運上昇の黄色の勾玉でした。お金は大事ね。早速、お財布に付けました。
おみくじの方はといいますと・・・
あ、吉ですね。よかった。それに、ほら、見てください。一番最後の「病気」のところ。「全快の兆しあり」ですって! なによりです。
安倍川もち
静岡土産と言えば、うなぎパイに並んで安倍川もち。
で、今回も安倍川もちを買って帰ろうと思ったら、いろいろなお店のがあるんでビックリ。今回は、静岡駅構内のキヨスクで、こちらを購入しました。
「やまだいち」は、創業者が山田一郎さん。戦後の食糧難の時代に、いちはやく「安倍川もち」を復活させ販売した人なんですって。その心意気に一票! 以下、「やまだいち」のホームページからの引用です。
〈「安倍川もち」復活に奔走した山田一郎 〉
江戸時代からの伝統を誇る「安倍川もち」も物資の入手が困難になった戦中戦後において、すっかり途絶えてしまいました。戦後、静岡名物「安倍川もち」の一日も早い復活を目指して動き出したのが、「やまだいち」の創業者・山田一郎です。そこには単に名物の復活というだけでなく「静岡復興の証として」という大きな意味が込められていました。静岡駅での発売に成功した後も、パッケージを工夫して、一人前ずつ小分けにした商品を売り出すなど、お土産としてよりお客様が持ち帰りやすいよう工夫を重ね、全国に静岡名物「安倍川もち」を広めるのに大きな役割を担いました。
「安倍川もち」の製造販売に奔走するなかで、いくつものエピソードが残っています。
「やまだいち」の山田一を重ねたマークは、山田一郎の名前から。戦時中、衛生兵だった山田一郎が衣服にこのマークをつけていたところ、ある将校に「支給されたものに書くのはよくないが、地方に戻ったらこれはよいマークになる」といわれたことがありました。戦後、やまだいちの商品を見たかつての将校(大会社の重役になっていた)がこのマークを覚えていて「あの山田君ではないか?」と連絡をもらったことがありました。
また「安倍川もち」の販売を始めてしばらく経ったころ、「安倍川もち」の元祖といわれる「亀屋」宮崎家のご当主から「後継者だと思って、がんばってくれたまえ」と声をかけていただいたそうです。
昭和20年代の後半には、東京の三越で実演販売を行った際に、大変な人気で、食品課長自らが黄粉を手でまぶして「安倍川もち」を売ってくれたといいます。
これらのことは、山田一郎にとって、大きな励みとなったといいます。戦後いち早く名物「安倍川もち」復興のために奔走し、生産技術の向上、販路の拡大に務めた人生でした。
こんなエピソードに惹かれて買ったと言いたいところですが、そうとは知らず、パッケージの老舗っぽい図柄が目に入ったというのがホントのところ。「やまだいち」のマークについてのエピソードも、面白いと思いました。
「やまだいち」さんは、今でこそ老舗のひとつと言われているようですが、江戸時代や明治からの他のお店と比べると、新しい方。エピソードに惚れ込んでしまいました。これからも頑張ってください。
肝心のお味はと言いますと・・・
大きさは小ぶりですが、三つの味が楽しめます。黄な粉が餡子にくっつかないように、しきりになっています。細やかな配慮が嬉しい。黄な粉の方の中身は、求肥です。私は、求肥ではない方が好みかな。でも、甘さ控えめでおいしかったですよ。旅の疲れが癒えます。
うなぎボーン
新幹線に乗る直前に、ホームの売店で衝動買いしました。株式会社いちまる(焼津市)というところの商品です。
骨折患者ですからね。カルシウム大事。骨だけでもカルシウムがいっぱいな感じなのに(袋の裏には、「当社ボーンのカルシウム量はしらす干しの約15倍、牛乳の約72倍、卵の約155倍」と書かれております。へえぇ~)、その上うなぎだなんて栄養もありそうじゃないですか。
お味の方は、一口目はちょっとくせがあるかな(ちょっと臭い?)と思ったけれど、慣れるとそうでもない。カラリとあがっていて、油に変な味がしない。後を引くかも。食べ過ぎないようにしなくては。
久しぶりのウォーク、こんな日がまた来たなんて、感慨ひとしおです。順調な快復に感謝して、これからも前向きに頑張ります!
今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。
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