川崎→神奈川の街道歩き、後半です。
下野谷町入口の交差点で国道を渡ると、それまでのにぎやかな商店街とは違った趣の風景になってきます。
19.慶岸寺
子育て地蔵尊があるお寺ということでしたが・・・
子育て地蔵尊専用の、立派なお堂がありました。またまた、念入りにお参りいたしました。子どもの成長を願う親の気持ちは、江戸の昔も今も変わりませぬ。
20.魚河岸通り
江戸城に魚介類を定期的に献上していたお店があったいうこの通りには、今も鮮魚を扱う看板を掲げているお店がたくさんありました。日曜日だったので大半がしまっていましたが、平日はそれなりに活気があるのではないかと想像しながら歩きました。
21.道念稲荷
静かな通りを歩いていると、ぱっと目に飛び込んできた明るい色彩。京都の伏見稲荷を思い出すとも言えそうな鳥居をくぐっていくと・・・
幟を立てるための竿でしょうか? 見上げると首が痛くなりそうな長い棒が青空に突き抜けるようでした。心に残った風景でした。
説明板によれば、「蛇も蚊も祭事」というお祭りは、ここの道念稲荷で雄蛇を、隣の地区の神明社で雌蛇を作って、同時にお祭りをして地区の境界で絡んだ後、海に流していたそうです。現在では別々に行っているということです。
22.正泉寺
海中より出現したといわれる薬師如来坐像がご本尊とのお寺
玉川88ヶ所霊場第8番札所 武相不動尊霊場第19番札所 と書いてありました。東海道沿いには、札所もたくさんありますね。
庭が丁寧に整備されていて、気持ちの休まるたたずまいでした。
23.御社母子稲荷神社
当日のお楽しみだった御社母子稲荷神社。特に表示は出ていなかったけど、位置的にこれですね。いや、間違いなくここでしょう! だって、おきつね様が「母子」だもの。こぎつねさんがいるお稲荷さん、初めて見たかも。今まで気がつかなかったのかもしれないけれど。左隣は消防団の車庫、後ろは小学校です。
24.生麦事件発生現場
普通の個人のお宅の塀に説明板が設置されていました。そうっとそうっと写真を撮らせていただきました。すみません。
25.神明神社
予備知識がなく当日のお楽しみだった神明社ですが、先ほどの道念稲荷の「蛇も蚊も祭り」の雌蛇のお祭りが行われるところだったのですね!
入り口わきにあった馬頭観音。足元に三猿が彫ってあります。
26.生麦事件碑
キリンビールの工場の敷地のすぐ外にあります。明治初めに建てられた古い碑なので、劣化を心配して屋根付きになっています。生麦事件は、一言では片づけられないさまざまな問題をはらんでいます。これについては、今後じっくり考察していきたいと思いました。
27.才兵衛稲荷
茨城県の、とある村をたまたま通りかかったお坊さんが、村人から、村の稲荷神社の位を上げることを求めるためのお金を京都に届けてほしいと頼まれます。江戸を通り過ぎたお坊さん、やれやれとこの辺りの茶屋で一休みし、再び歩き出してしばらくたったとき、肝心のお金を持っていないことに気が付きます。茶屋に置き忘れたに違いないと真っ青になって戻ったところが、そこにはもう残っていなくて、責任を感じたお坊さんは、思い詰めて海に身を投げてしまいました。かわいそうに思ったこの辺りの村人が、お稲荷さんを建ててまつってあげたのが、この才兵衛稲荷です。・・・なのですが、結局、茨城の村のお稲荷さんの位は上がらなかったし、才兵衛というのは僧の名前でもないそうです。
といった説明が書いてあって、なんだか気の毒になって、ふむふむと読み込んでしまいました。責任を感じて思い詰めるって、江戸も今も変わらないかも。日本人のDNAなのかなあ・・・
会社のビルの奥に、ひっそとたたずむお稲荷さんでした。今も大切にされていて、よかったですね。
28.遍照院
横浜市名木古木に指定されている境内のタブノキです。立派な大木。さすが。
29.庚申塔
当日のお楽しみでしたが、これですね・・・ 橋の袂にありました。
30.長延寺跡
神奈川通東公園内。かつて長延寺が建っていましたが、昭和40年(1965)に道路の拡張で移転したそうです。このあたりは、神奈川宿への江戸からの入り口にあたり、立派な土居があった所でもあります。すぐ後ろが、京急神奈川新町駅のホームです。
開港当時、オランダ領事館に充てられたことを示す碑が、公園の中にありました。
31.笠のぎ稲荷神社
笠をかぶった人がこの前を通ると、笠が自然に脱げ落ちたという笠のぎ稲荷神社。気のせいか、境内は不思議な雰囲気?
32.良泉寺
開港当時、外国領事館の指定を受けましたが、住職は本堂の屋根をはがして修理中を理由に断ったという話が伝わっているお寺ですが・・・
掃き清められた山門前、丁寧なあいさつの立て札、手入れの行き届いた庭。とてもいい感じのお寺です。
33.能満寺
地元の漁師さんが海中より拾い上げたという菩薩さまが本尊だという鎌倉時代からの古いお寺ですが、木の香りがまだ残っていそうな新しい山門に、すっかり目を奪われてしまいました。
34.神明宮
能満寺のすぐ近くです。それもそのはず、江戸時代は能満寺に所属していましたが、明治初めの神仏分離令により分かれたからなんですね。
ささやかなお社。確かに、もともとはお寺の境内にあったんだろうなあと納得しそうな大きさ。
35.東光寺
太田道灌が、小田原北条氏の家臣・平尾内膳に自分の守護仏(このお寺の御本尊になりました)を与えるときに、「海山へだつ東のお国より、放つ光はここもかわらじ」と詠んだ歌が名称の由来のお寺。門がぴったりしまっていたので、外から写真を撮るだけにしました。
ここまでが今回予定していたチェッポイントでしたが、夕方までに、まだ少し時間があったので、あと2つ、訪ねることにしました。
次回「先取りふむふむ」で使うつもりだった資料(横浜市神奈川区のホームページ)と例の『ちゃんと歩ける東海道五十三次』の一言コメントをまとめたものに、写真をつけて振り返ります。
36.熊野神社
平安時代に、紀伊の熊野権現を招いたことによる神社です。もと権現山にあったものが、江戸時代の中頃に金蔵院の境内に移され、さらに明治初めの神仏分離令により金蔵院から分かれました。ここにも、神仏分離令の歴史がありましたね。
狛犬は、嘉永年間(1844~1853)、鶴見村の石工・飯島吉六の作。なかなかの迫力です。
37.金蔵院(こんぞういん)
熊野神社のすぐ北側にありますが、江戸時代は東西に並んでいた様子が、『金川砂子』に描かれています。かつては、徳川家康の御手折梅というのがあって、毎年1月に住職が、この梅の枝を持って江戸城に上がったそうです。
などなど由緒あるお寺のようですが、中の様子はわかりませんでした。門の前の説明板を読んでふむふむと理解して、お寺を後にしました。
9時22分に川崎駅前を出発し、15時39分に東神奈川の駅に着きました。1時間の休憩を入れて7時間、29374歩でした。
ここまで、お付き合いありがとうございました。明日からは、街道ウォークのお宝(歩いて得た情報ですから)である各所の説明板を中心に、もう一度振り返っていきます。