東海道を歩いて、現地でパチリした説明板や記念碑の文の数々は、私のお宝。そこでしか得られない情報が含まれているかもしれないし、何より自分の目で見た確かな情報だから。と、ここまで書くと、「そこまで言うか?」ってマニアック過ぎる気もするけど。街道歩きの先々で、碑文・説明板を眺めるような気持ちでお付き合いくだされば嬉しいです。
再び、川崎駅前よりスタートしましょう!
1.教安寺
2.京口土居跡
河崎宿の人口、770戸、3,100人だったのですね。これって、多いのかな、少ないのかな?
粗末に扱うと処罰されるのですか・・・
川崎宿共通の案内板。右上の赤枠の中だけが違います。ここは「京口土居跡」なので、赤枠内の説明は、次のようになっています。
「江戸時代この辺りは・・・京口棒鼻跡
川崎宿の京都側の出入り口にあたる京口の棒鼻がこの辺りにありました。棒鼻には切石を積んだ石垣があり、土居や見附などとも呼ばれました。江戸時代初期に作られた宿場の棒鼻では、石垣でその入り口を狭くしたり、門を付けたりしており、防衛的な意味合いも強かったものと考えられています。石垣の上は平らになっており、その上には矢来が置かれ、その日その宿場に宿泊する大名の高札がかかるようになっていました。文久2年(1862)、川崎宿は外国人遊歩区域となり、この付近には、外国人警備のための最初の関門番所が設けられました。保土谷宿まで19個所の関所番所がありました。現在教安寺の山門前のある灯篭は、元はこの京口棒鼻に建てられたもので、「受台」には「宿内安全」と彫られています。」
芭蕉の句碑がある八丁畷駅に向かう途中の通りにありました。川崎宿、前回のウォークでも書きましたが 、説明書きが随所にあって親切です。
芭蕉さんは51歳で亡くなったのですか! 若いですね! なんかショック。
3.芭蕉句碑
4.人骨慰霊碑
京口土居跡にあった共通案内板と同じもの。右上が八丁畷の説明になっています。
八丁(870㍍)もの長さの畷(まっすぐな道)だから「八丁畷」。その長い長い道の脇に埋められた人骨。ちょっと想像するのがこわい。
5.熊野神社
6.専念寺
富士山噴火でここまで石が飛んできたって? ちょっと想像つかないです。富士山、近年は噴火していませんものね。
7.市場一里塚跡
一里塚は9メートル四方もあったなんて。結構大きいですね。榎が植わっているところ、見てみたかったなあ。
道の向こう側にも同じようなものがもうひとつあったということですね。大がかりですね。一里塚、こんなに大きなものとは知らなかったです。地租改正で大部分がなくなって、ここに残っているのは片方だけとはいえ、大変珍しいという説明に、「そーだったのか」と。
8.馬頭観音
9.下町稲荷
10.金剛寺
11.鶴見川橋
12.鶴見橋関門旧跡碑
13.寺尾稲荷道道標
海に面していたのですか。眺めの良い茶屋もあったことでしょう。
14.鶴見神社
これまたずいぶん古いですね。江戸よりはるか昔です。
15.信楽茶屋跡
16.鶴居堂
17.佐久間屋
18.さぼてん茶屋跡
明日は、国道駅ガードをくぐり、魚河岸通りから先の「石碑・説明板」をアップします。川崎市から横浜市に入ります。お楽しみに。