てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第18回 沼津→原②

 「第18回街道ウォーク 沼津→原」後半です。片浜のバーミヤンでエネルギーチャージをして、いざ!

祥雲寺

 境内に、大きな松が斜めに構えていることで知られています。なるほど、門の向こう、正面に見えますね。

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 見上げると首が痛くなってしまうような高さに加え、立派な枝ぶり。

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 大松の根元に、お掃除小僧。かわいい。

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 静かな境内です。

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三島神社

 街道沿いの鳥居から本殿まで、割と長い参道でした。

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 御神木、ランカマキです。

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 樹齢、推定450年。幹回り約4メートルだそうです。

 

 説明板があったので、アップします。

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 うーん・・・ なんかややこしい。私にはイマイチ理解できませぬ。判読は皆さま個々で、お願いいたします。


伊勢神明

 街道沿いの小さな神社、伊勢神明。小学校4~6年生くらいの女の子たちが、境内でゲームをして遊んでいました。

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 お社に隣接した場所は、遊具のある広場になっています。すぐそばが線路。東海道線が通ります。

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 またまた富士山が見えるので写真を撮っていますと・・・

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 「富士山、撮ってるんですかぁ?」と女の子たちの一人が、話しかけてくれました。「ふだん富士山がこんなに見えるところに住んでいないから、嬉して撮ってしまうのよー」と答えると、「晴れるともっとよく見えるし、雪が降ると、すごーくきれいなんですよ!」と教えてくれました。「あ、いいわね。見てみたいわ」と言ったら、「そうだ、ちょっと待ってください。」と言って、女の子は自分の荷物が入っているカバンからタブレットを取り出して、一生懸命富士山の写真を探し始めました。「私も富士山好きだから、よく写真を撮るんです。あれ、おかしいな。雪が降った写真、あるはずなんだけど・・・」 

 一生懸命探してくれたけれど、見つからず。「ありがとう。気持ちだけでもうれしいよ」と言うと、ホッとしたような、申し訳なさそうな顔をしてにっこり笑ってくれました。

 本当に、その気持ち、嬉しかったです。ありがとう。


神明神社

 踏切を渡ってまもなくの、こちらの神明神社は、鳥居前に二体の賽神が安置されているので有名です。

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 近づいてパチリ。強風で、赤い前掛けがめくれてしまいました。

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 賽神は、宿口に安置され、悪霊の侵入を見張っているのだそうです。

 

 本殿です。

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 本殿の階段下に転がっていた黄色いサッカーボールが鮮やかで目を引いたので、パチリしてみました。


東木戸(見附)跡

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 神明神社鳥居の向かって左に(右は、さっきの賽神です)、見附跡を示す碑が、さりげなくありました。だいたいこのあたりという、推定だそうです。

 

 

 鳥居のある全体風景です。ここに、賽神があり、見附跡の碑もありました。

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清梵寺

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 「原のお地蔵様」があるとガイドブックに書いてありましたが、わからず。

 

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 ちなみに、くろやぎは、この日はもうスタミナ切れで、、投げやり&テキトーモードにシフトしつつあります。玄関横の観音様(?)をさして、「地蔵ってこれじゃないのー?」と言い始めました。

 


長興寺

 この辺りから、白隠さんゆかりの名所・旧跡が出てきます。こちら、長興寺は、白隠さんを慕って訪ねてきた僧たちの宿坊となったお寺です。

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 白隠さんが住んでいた松蔭寺と、宿坊だったこちら長興寺を結ぶ小道が、東海道に並行していて、「白隠道」と呼ばれていたそうです。

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 こちらが本殿です。華やかではありませんが、重厚な趣があります。

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 さっきの白隠道を歩いて、松蔭寺へ。


松蔭寺

  原宿と言えば、このお寺が有名です。境内、広そう。入って見ましょう。

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 松の木、たくさん。岡山藩主・池田継政から贈られた備前焼の擂鉢を、台風で折れた松にかぶせたという「擂鉢松」というのがあるらしい。松は平成になってから枯れてしまったとのことで、擂鉢だけ残っているのかな?と思って探してみましたが、わからなかったです。

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 白隠さんの言葉を刻んだ、石碑がありました。

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 【原文】君看雙眼色 不語似無憂

 【読み】君看よ双眼の色、語らざれば憂いなきに似たり。

 【口語訳】妾の二つの眼の色をよくよく見てください。何も言ってくれないと憂い(その気)がないように見えますよ。

 

 うーん・・・、今一つ、何を言わんとしているのかわからない。これ、どういうシチュエーションなのだろう?

 詳しくは、説明板をご覧ください。(私は説明板を見て、ますますわからなくなったけれど)

 

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 白隠さんのお墓があるということですが、場所がはっきわからず・・・

 ググってみたら、ある方のブログに本堂裏と書いてあったので、裏の墓地へまわると、看板がありました。だけど、どのお墓なんだろう? 

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 ググったブログの写真と同じ場所はこれ。向かって右が白隠さんのお墓だと、ブログには書いてあります。

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 は、これが、向かって右。白隠さんのお墓で、正解でしょうか?

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 できれば、もうちょい、案内がほしいです。

 

 このお寺には、国の重要文化財である白隠さんの自画像もあるそうです。この中にあるのかな? きっと、年に一度とか、決まった時に、見せていただけるのでしょう。

 

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西念寺

 松蔭寺の隣の西念寺。やはり、白隠さんゆかりのお寺です。

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 山門左手の天満宮。白隠さんは子どもの頃、お母さんから、家の隣にあるこの天神さまが一切の苦を救うと教えられ、、日々参拝したそうです。

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 天神様を象徴す梅鉢紋。白隠さんは、画に、この梅鉢紋をよく描いていて、天神へのさまへの特別な思いがあったのではないかと、説明板に書いてありました。なるほどなるほど。

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 お寺の本殿はこちらです。火災に遭い、大正時代に再建されました。

 それにしても、西日が強くて、写真を撮るのが難しいです。秋だなあ。

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 街道沿いの看板。「天神さんのお寺」って、不思議な感じだけど(事情を知らないとツッコミ入れたくなる)、そのとおり、まさに天神さんのお寺。

 天神保育園が隣接されているのですね。

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 お寺と遊具の写真。

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白隠禅師誕生地碑

 飽きたくろやぎ(スタミナ切れ)、門の前で動かないので、一人で中へ。

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 白隠さんの産湯に使ったという井戸です。

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 さらに奥に進みますと、このような廟が。

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 ガラス窓の向こうに、外の石碑に彫られた白隠さんの姿が見えるようになっています。

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 入口脇に説明板がありましたので、アップします。

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 「駿河に過ぎたるものがふたつあり。富士のお山と原の白隠」

 

浅間神社

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 武田氏に仕えた植松平次衛門という人が、武田氏滅亡の後、この地に移り住んで、この神社を建てたようですね。

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高札場跡

 高札場あちは、今見てきた浅間神社の鳥居脇にありました。後を示す説明板があります。

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 説明板に近づいて、パチリしました。

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問屋場跡

 浅間神社の周囲に、高札場跡、問屋場跡、本陣跡があります。この辺りが、。宿場の中心だったのですね。今では、特に名残はなく、ごく普通の街の風景と言っていいかもです。

 店舗の間に、問屋場跡の石碑があります。わかりますか?

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 近づいてパチリします。

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 宿場町の中心だったと思われるあたり。右側が浅間神社です。かなりの、車の往来がありました。

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昌源寺

 西念寺が「天神さん」と呼ばれたのに対し、こちらは「七面さん」と呼ばれていたそうです。七面観音をお祀りしているのかな?

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 西日がますます強いです。日が短くなりました。

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 昌源寺の御会式(万灯練)は、10月27日です。

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 蓮窓寺が10月9日、栄昌寺10月16日、昌源寺が10月27日。ちょっとずつずれているのですね。万灯練ってどんなお祭りなのかしら。

 

 

渡邊本陣跡

 

 問屋場跡のすぐ近くです。碑を見落としそう。油断しないようにしなくちゃ.。

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 一応、近づいて、パチリ。

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碑の隣にあった、おしゃれな外観のお店。

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 碑の先は工事中。工事の依頼主は保育園です。

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徳源禅寺

 西念寺(天神さん)、昌源寺(七面さん)とあって、こちらは「子安さん」。

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 特に説明板もなかったので、本殿の写真だけとって、後にしました。

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明徳稲荷

 いよいよ、今回最後のチェックポイントです。

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 「社殿は建て直したな。案外新しいな。」と、くろやぎがつぶやいていたら、どこからともなくご近所の方が姿を現し、「お詣りですか?」

 「東海道を歩いています」と言うと、「最近歩いている人、多いですね~」。しばらく世間話が続いた後、ご近所の方、「私、こう見えて、自称、ここの宮司なんです。」

 「えっっ。チェックのコットンシャツのラフなこの方が? 近所のおじさんかと思った。でも、宮司さん、儀式じゃないときは、普通にラフな格好の近所の人か。」などと忙しく考えていると

「中、見ていきます? うちの神社、案外古いんですけどね。」

 あー、くろやぎ、また、つぶやきを聞かれていたよ。

「あ、帰りの電車の時間は、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。」

 

 近所のおじさん改め宮司さんが、お社の引き戸をガラリと開けてくださると、中は何とも居心地のいい空間になっていました。

 宮司さんはふるいとおっしゃたけれど、きちんと手入れされていて、6畳ほどのスペースに暖かい敷物、かわいらしいつるし飾り、その他なんともかわいい置物などなど。祭壇があるけれども、居心地のいい茶の間に招いていただいたみたいな。

 宮司さんが、貴重な古い資料も出して見せてくださいました。天井近くには、昔の写真もずらり。大事に大事に、この神社を引き継いで守っていらっしゃるのがよくわかりました。

「気をつけてお帰り下さい」と送っていただき、温かい気持ちで神社を後にしました。

 

 説明板、アップします。優しい宮司さんのいらっしゃる「明徳稲荷」でした。

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 慈光院の住職さん、伊勢神明神社の小学生の女の子、明徳稲荷の宮司さん・・・

 今回のウォークは、優しい方にたくさん出会えた旅でした。沼津のファンになりました。

 

 終着地点、原駅です。

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 和風のシンプルな駅舎。原宿の雰囲気に、とても合っていると思います。

 

 駅から、原宿を見たところ。

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 次回また、ここからスタートします。

 

 16時35分。沼津駅を出発してから7時間54分。30826歩の旅でした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近々、今回のコースで、まちなみに焦点を当てて記事を書きます。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 


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第18回 沼津→原①

 10月7日、「第18回東海道ウォーク 沼津→原」を実施しました。霧雨の降る中敢行したした前回でしたが、台風の通り過ぎた後の今回は、すっきり晴れて気持ち良く歩くことができました。やはりウォークは晴れていないとね。

 それでは、チェックポイント(ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社で、名所旧跡としている立ち寄りポイント)に沿って、お伝えします。

 

 8時41分、沼津駅前ロータリーです。駅前のビル・ラクーンが青空に映えます。晴れていると、やる気も出ます。 さあ、歩くぞ~!

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 前回の終着点、清水本陣先の静岡銀行。ここを本日の出発点とします。

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 ちなみにこちらが前回の写真。夕方で曇っていたことを思い出します。浅間神社のお祭りの横断幕です。

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東方寺

 この日の最初のチェックポイント、東方寺。ガイドブックに事前情報はなく、現地にも説明板はなく、なぜチェックポイントなのか謎のまま。

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 こじんまりながら、手入れの行き届いた雰囲気のいいお寺でした。


乗運寺

 東方寺の向かい側の乗雲寺。若山牧水のお墓があることで有名です。かなり立派な門構えです。

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 一歩中に入りますと・・・おぉ!! なんと立派な。

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 若山牧水のお墓は探すまでもなく、入口のすぐ近くにありました。お墓の写真だけパチリして早々に退散。

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 参考までに、お墓の隣にあった石碑の説明です。

 大正13年に沼津に引っ越してきて千本浜の風景をこよなく愛したそうですが、健康がすぐれず、昭和3年、44歳の若さで亡くなりました。短い在住期間だったのですね。


真楽寺

 またまた、なぜチェックポイントなのかなぞのお寺。向かいは浅間神社。近代的な建物で、あやうくお寺だと気が付かないところでした。見つけたくろやぎ、えらい。朝は冴えている。

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山神社

 山神社といえば、石段をのぼった上にあることが多いのに、ここは大きな道路に面したフラットな場所にありました。

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 説明板によりますと、別の場所にあったものを、戦後この地に移したようですね。

 

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 左手が山神社。右の大きな通りは、清水本陣の近くにあった、あの浅間神社(丸子神社)から来ています。このすぐ先の交差点「西高入口」で旧東海道に合流します。

 

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 この地点の説明板です。浅間神社のお祭りの市(いち)に通じる道筋だったことから、この辺りを市道町と呼ぶという説明に、納得!


慈光院

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 このお寺を見つけたくろやぎが、「ちっさ・・・」とつぶやきました(本当は「ちいさい)言いかけて、慌てて飲み込んだ)ら、本殿のむこうから住職様が出ていらして、「何かご用ですか?」と。東海道を歩いていることを言うと、「本殿の中、見ていきますか? うちの御本尊はこう見えて結構大きいんです。」

 くろやぎの「ちっさ・・・」というつぶやき、きっと聞こえていたなー。すみません。

 いつもは閉まっているらしいお堂の戸をガラガラと開けますと・・・いやびっくり。本当にご本尊、大きかったです。このお堂いっぱいにおさまった大仏様。というか、大仏様に合わせて大仏ピッタリサイズにお堂をかぶせたみたいな。

 穏やかな語り口の住職様、素敵な出会いをありがとうございました。


六代松標石

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 街道沿いの標石。ここを曲がった先に、六代松の公園がありました。

 

六代松

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 六代松の碑と説明板です。

 

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 説明板によりますと、「六代」は平清盛を三代目とした六代目の御曹司の幼名で、壇之浦で平家滅亡すると捜し出され、ここ千本松原で斬首されかけたところを文覚上人に助けられました。その後、出家して妙覚と名乗り、文覚上人が謀反を企てるときに連座し、殺されました。首をお供のものが持ち帰り、思い出深い千本の松の根本に埋めたと伝えられています。

 平家物語の名場面として知られ、東海道の旅人たちに親しまれた松の巨木でしたが、枯れてしまい、それを惜しんだ人々が、天保12年(1842)に碑を建てました。

 

 公園全体の風景です。前の週の大型台風で、倒れてしまった木もあるようです。

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妙伝寺

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 ちょうど法事が終わったところで、部外者が境内に入るのは遠慮しました。ガイドブックに説明はないし、説明板も見つからなかったし、中にも入らなかったので、なぜチェックポイントなのか謎のままです。


山神社

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 すぐそばが、千本松原です。小さな静かな神社。海が近いなーと、気配で分かります。


金剛寺

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 囲いもなく、だだっ広い境内。というか、駐車場? 向こうに写っている立派な屋根の建物が、おそらく本堂。

 ここも法事の準備中のようでした。パシャリして、早々に退散。例によって、なぜチェックポイントなのか、謎。


八幡神社

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 この神社では、入口の傍示石を要チェックです。

 

 あ、これですね。「従是東」(「これより東」ってことですかね)と刻まれていて、下の部分の「沼津領」は失われています。

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 下石田には「従是西沼津領」ときざまれた傍示石が、完全な形で残っているという説明ですが・・・

 

 はい、前回のこれですね。

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諏訪宮

 ガイドブックによれば武田信玄の家臣・市川和泉守が建てた村の神社だそうですが。

 街道沿いに、わりと目立つ鳥居がありました。

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 意外に長い参道です。

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 お社は静かでこじんまり。

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 説明板があったので、アップしておきます。

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正覚寺

 ガイドブックによれば、天保8年(1837)、村内に悪病が流行った時に、祈願すると治まったという観音様が祀られているそうです。

 ちょっと変わった外観の本堂です。

 境内に入ったら、センサーが反応したみたいで警戒音が鳴ったので、退散しました。

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清玄寺

 清玄寺、街道沿いに看板が出ていてわかりやすかったです。「高野山真言宗 清玄寺」の看板の隣に、「清玄寺英会話教室」の看板も。お寺で英会話。「小・中・高・大人・受験・英文法」ですって! すごいね。

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 塀にも英会話教室の看板。

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 境内はこんな感じです。お寺というより、アットホームな個人塾っぽいのは気のせいか・・・。寺子屋みたいな。

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 おっと、忘れちゃいけない。ガイドブックによれば、見どころは、馬頭観音でした。

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八幡宮

 鳥居前の常夜灯に注目です。

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 常夜灯の裏を見ますと・・・。「文久元酉年」っていつだろう? 古いことは確か。

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 本殿は、いたって質素です。

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栄昌寺

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 本堂です。ガイドブックによれば、日蓮宗の守護神、七面大明神を祀っているそうです。

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 10月16日(火)、お祭りですね。ポスターが、貼ってありました。

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吉祥寺

 ここはお寺(吉祥寺)と神社(天満宮)が、全く同じ敷地にあります。隣り合っているというより、そもそも門が一緒。おもしろいですね。

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 鐘を真ん中に、左側がお寺、右側が神社です。

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 こちら、吉祥寺(お寺)

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 こちら、天満宮(神社)

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 足元のオブジェ。ピースしてる(?)阿弥陀さま。おもしろかったから、パチリ。せっかくピースしてるし、撮らなきゃ。

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一里塚跡

 日本橋より31里目の、大諏訪松長の一里塚跡。

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 一般のお家のブロック塀の間にあります。うっかりすると見落としそう。 

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 一里塚、画面右端に見えるの、おわかりいただけますか?

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蓮窓寺

 街道沿いに、まず石柱が。ここを曲がった先ですね。山門は、手の込んだ四脚門だと、ガイドブックに書いてありますが・・・

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 確かに。これは立派ですね。

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 ここでも、七面大明神を祀っています。境内に七面堂がありました。

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 本堂です。こちらも立派です。

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 お夏里(お会式)のポスターがありました。先ほどの栄昌寺は、10月16日(火)でしたが、こちらは10月9日(火)となっています。

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伊勢神明宮

 鳥居の脇の幟が立派な、伊勢神明宮です。

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 老朽化したり火災に遭ったりしながらも地元の人に守られて大正時代に再建され、今に至るそうです。まさに、地元の神様。

 

 本殿です。

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 本殿からの眺めも、いいです。

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 本殿裏から、富士山が見えました。東京の人間なので、富士山がこんなにはっきり見えていると、珍しくて、いちいち写真を撮ってしまいます。

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 片浜駅まできました。沼津からちょうど一駅。この日の最終地点・原駅まであと一駅。ここらで休憩とします。西友もあるし、バーミヤンもあるし。というか、ここを逃すと街道沿いには、お昼を食べられようなお店がなさそうだったので。

 

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 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近々、続きをアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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原宿ってどんなとこ?

 原宿は、本陣19軒、脇本陣1軒、旅籠屋25軒と少なく、東海道中最小の宿場でした。

 幕領で、韮山代官の江戸氏の支配所。宿高は1767石3升9合。天保14年の人口は1939人、家数は398軒です。原という地名は、浮島ヶ原に由来します。海辺なので漁業も盛んで、宿内には五十集(いさば)と称する者がいて、毎年9月から3月まで漁でとれた魚を往還で付け送り、将軍家の御納屋御用を務めました。

 

 沼津市から元吉原にかけての東海道は海岸線と千本松原に沿ってほぼ一直線で、原宿はそのほぼ中央に位置し、正に雄大な富士山裾野のど真ん中です。昔からこの辺りから見る富士の雄姿は最高ということで、広重さんもここを浮世絵に描いています。

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 「朝之富士」という題名です。沼津は夕暮れ、原は朝なのね。沼津宿で一泊したのかな?

 画面上の方に走る一本の赤い線は朝焼け。女性の二人連れと挟箱を天秤棒に掛けて従う付きの男性。女性の牛歩一人(若い女性)は、煙草をふかしながら振り返っています。朝まだ早い時間の、のんびりした雰囲気が伝わってきます。

 この三人、画の中心のようでありながら、そうでもない・・・? 後ろの湿地の中の二羽の鶴に目が吸い寄せられてしまうのは、私だけではないはず。そして画面の上に突き抜ける富士山。左側の山は愛鷹山。広重さんが富士山にガッツリ向き合った、雄大な作品世界となっているのです。広重さん、ライバル北斎の「富嶽三十六景」を意識して、本気を出した作品とも言われています!

参考:『謎解きうきよえ叢書歌川広重東海道五十三次』(町田市国際版画美術館/二玄社)

 

 ところで、この浮世絵スポット、どこなんだろう?

 この湿地が浮島ヶ原だとすれば、お隣の富士市との境辺りに浮島という地名があります。狩野川西部浄化センターあたり? 街道ウォークのルートで言いますと、次回ではなく、原駅より先の「原一本松の一里塚跡」より北西が狩野川西部浄化センター、すなわち浮島ヶ原のあった辺りではないかと思われます。「原一本松の一里塚跡」、広重さんの画について、何か説明があるかもしれませんね。

 次の次の回の課題ということで、次回は考えなくてもよさそうです。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 また訪ねてくださると嬉しいです。

先取りチェック! 沼津→原

 次回ウォーク、沼津→原の事前チェックをします。

 前回の反省として、ちょっとぶっつけ本番過ぎたかな・・・と。くろやぎ(同行者&夫)の勘に頼りすぎ、いろいろ迷った前回でした。私もくろやぎも関東で育った人間なので、箱根を過ぎたあたりから、勘が効かなくなっております。

 そうそう、職場に静岡出身の人がいるのですが、「静岡は関東か関西か」聞いたところ、「どっちでもない。中途半端」という答えでした。どっちでもない不思議な文化圏。そこがユニークとも言えそう。

 

 街道ウォークを始めて、静岡は東西に長いことに気が付きました。静岡県はまだまだ続く。今は本の序の口ですね。

 

 さて、次回のチェックポイント(バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫/山と渓谷社で、名所旧跡としているところ)は以下の通りです。

 

  1. 東方寺
  2. 乗運寺
  3. 真楽寺
  4. 山神社
  5. 慈光院
  6. 六代松標石
  7. 妙伝寺
  8. 山神社
  9. 金剛寺
  10. 八幡神社
  11. 諏訪宮
  12. 正覚寺
  13. 清源寺
  14. 八幡宮
  15. 栄昌寺
  16. 吉祥寺
  17. 一里塚跡
  18. 蓮窓寺
  19. 伊勢神明宮
  20. 祥雲寺
  21. 三島神社
  22. 伊勢神明
  23. 神明神社
  24. 東木戸(見附)跡
  25. 清梵寺
  26. 長興寺 
  27. 松蔭寺
  28. 白隠禅師誕生地碑
  29. 西念寺
  30. 昌源寺
  31. 浅間神社
  32. 高札場跡
  33. 問屋場跡 
  34. 徳源禅寺
  35. 明徳稲荷
 
この中で特に見どころとして「沼津観光ポータル」で取り上げられているのは、以下の8箇所です。
 

清梵寺

臨済宗妙心寺派。今からおよそ1,200年前、安房の国に帰国の途中得萬長者がこの地で息を引き取り、大きな塚に葬られました。それからこの地が大塚と呼ばれるようになったといわれています。恒例の地蔵尊縁日は、毎年「海の日」に開催され、白隠禅師書の「地獄極楽変相図」が展示されます。

 

長興寺


 臨済宗妙心寺派。白隠禅師の時代には松蔭寺での修行僧が宿坊として使い、松蔭寺から長興寺まで通った道が今も残っており「白隠道」と称されています。毎年5月の最終日曜日か6月第一日曜日に開催される例大祭には、赤ちゃんのすこやかな成長を祈願する恒例の「奉納泣きずもう」が行われます。
 

松蔭寺


白隠宗大本山。白隠禅師が出家し、のちに住職をつとめたこの寺には、白隠が描いた禅画や県指定史跡となっている墓が境内に遺されています。また、開山堂には生前に作られたという白隠木像がまつられています。毎年4月29日には「寺宝虫干し」として白隠禅画が展示されます。
 

白隠禅師誕生地碑


「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」と歌われ、臨済禅中興の祖として仰がれる白隠禅師は西暦1685年12月25日、この地で生まれました。また、禅師が生まれた時使用した「産湯の井戸」がこの奥にいまなお清水をたたえています。
 

西念寺


時宗。現在の本堂は大正15年に建立。白隠禅師誕生地の南側にあり、境内には白隠禅師が幼少のころ毎日参拝した天満宮の御堂があります。


昌源寺


日蓮宗。大仙院日耀の開山。開基は、徳川家康の側室、お万の方(養珠院日心大姉)です。
白隠禅師が幼少のころ、説法で地獄の話を聞き仏門に入るきっかけとなったのが、この昌原寺です。
 

渡邊本陣跡


原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟・義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っています。原宿の草分けであり広大な建物を持っていたので、自然に大名・幕吏等の宿所として本陣となり問屋、年寄、名主等を勤めていました。


徳源禅寺


臨済宗妙心寺派。境内には「頼朝お手植えの松三代目」とされる数百年たった松があり、庭は東海道の名園といわれた原宿の「帯笑園」の名残を残す富士山の溶岩の庭「対笑園」があります。
 
中でも松蔭寺は、白隠ゆかりのお寺として有名です。
以下、『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信/小学館)から引用します。
臨済宗中興の祖と仰がれた白隠禅師は貞享2年(1685)に原宿で生まれ、15歳の時に松蔭寺で仏門に入りました。19歳から32歳まで全国を巡り、33歳で松蔭寺住職となった後84歳で亡くなるまで、全国各地で禅宗の教えを広めました。500年に一人の高僧といわれ、その人格と教化実績などから「駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山に、原の白隠」といわれるほど尊敬を集めています。また「だるま・釈迦・観音」を始め毛筆で描く力強くわかりやすい禅画に秀で、多くの名画を残しています。このような高僧が育った松蔭寺は比較的小規模な寺ですが、白隠が出たことにより全国から注目を浴びる寺院になりました。

  白隠さん、かなりの高僧だったようですが、何がそんなにすごかったんだろう? 気になってググってみたら、沼津市のホームページに詳しく載っていました。

www.city.numazu.shizuoka.jp

 

 

HPの解説を読みますと、白隠さんは、幼い頃に慣れ親しんだものから、その後の人生に多大な影響を与えられているようです。

要約しながら白隠さんの人生をたどってみましょう。

 

生家長澤家(沢瀉屋(おもだかや))は東海道に面し、旅籠兼運送業を営んでいました。父は豆州江梨村の杉山家の出身です。長澤家の第5子、3男として生まれ、幼名を岩次郎といいました。記憶力に優れ、強い意志を持った多感な少年でした。早朝から水垢離を行ったという井戸が現在も生家跡に残っています。

幼い頃自宅に出入りしていた休心坊(きゅうしんぼう)という念仏行者の影響を受けました。「食物は湯を加えて残さないようにする。立小便はしない。北方を清める。」という3つの教えを生涯守ったといいます。

11歳の頃、母に連れられて近くの昌原寺で説法を聞き、地獄に対する恐怖を抱いたことが出家の契機となりました。

地獄に怯える11歳の頃、母から自宅に隣接する西念寺(さいねんじ)の天満天神が一切の苦を救うと教えられ、日々参拝しました。

13歳の頃、自宅から北東に4kmほど離れた柳沢村に通い、観音菩薩を岩に刻み大岩の上で坐禅を組みました。

母の生家である長澤家は代々日蓮宗の家であり、末子である岩次郎(白隠さん)は信心深い母の影響で、幼少の頃から法華経に親しんでいたようです。出家を強く望むようになったのも法華経の功徳が大きいと聞き、感嘆したためです。 松蔭寺には、自筆でびっしりと註釈が加えられた法華経が伝わっています(静岡県指定文化財)。

15歳には、父の叔父大瑞宗育(だいずいそういく)禅師が復興した松蔭寺で、剃髪し「慧鶴(えかく)」となりました。各地で修行をした後、32歳で松蔭寺に戻りました。当時は廃寺寸前の状態だったようです。その後、修行僧が全国各地から集まり、弟子の育成に力を注ぎました。

50代以降には、請われて各地で講義を行うとともに、膨大な著作や書画を残しており、終生にわたり、様々な方法を駆使して法を説きました。人の往来が激しい東海道の沿道で、時代に即応した禅を広めた僧として知られています。

 

 原駅手前の原地区は、白隠さんゆかりのスポットがたくさんあります。じっくり見ることができるように、時間も元気も残してウォークをしたいものです。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 次回は、「原宿ってどんなとこ?」というタイトルでアップします。

 また来てくださると嬉しいです。

 

 

 

 
 

 

 

まちなみウォッチ! 三島→沼津

 9月16日(日)の三島→沼津のウォークについて、今回は名所・旧跡を離れて、まちなみにスポットを当ててレポートします。お付き合いください。

 

 まずは、こちら朝の三島駅前ロータリーです。生憎の霧雨で、「まじかー」と叫んでいる若者観光客のグループがいました。私も、「まじかー」と叫びたい。だって今日は曇り予報だよー!

 気を取り直して、出発します。

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 三島市のマンホールです。一面桜模様です。市の花が「三島桜」だから。

 「三島さくら」の起源、気になって、市のホームページで調べてみました。案外、最近なのですね。

市の花「三島桜」は、昭和26年国立遺伝学研究所で染井吉野の起源を知るためのひとつの方法としてその実を集め、第1回目の実生実験をしました。
 そして、これが成長開花した中に1本の美しい桜を生じました。
 ときあたかも三島市の新庁舎が竣工したときであったので、これを記念して「三島桜」と命名しました。

 

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  水の街・三島。これは、白滝公園前。ここより水路となり、水辺の道として三嶋神社方向に続きます。

 

三嶋神社

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 この間は気が付かなかったのですが、三嶋神社境内裏に鹿園がありました。奈良の春日大社と縁のある鹿さんだとか・・・

 境内の売店で、鹿せんべいを売っています。雨がはっきり降ってきたので、売店では鹿さんのおやつではなく、自分のためにビニール傘を買いました。

 

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 前回チェックし忘れたので、リベンジ。

 ウォーク開始より、安藤広重「東海道五十三次」のスポットをチェックしています。今回は三嶋大社鳥居。

 

 こちらが広重さんによる三嶋神社の大鳥居です。いかがですか?

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  古い店構えのうなぎ屋さんを発見。

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それもそのはず、文化庁の登録有形文化財です。

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 うなぎ屋さんの看板です。ウォーク抜きに、食べに来たいですね。

 

 足元に「問屋小路」の表示。ここにも桜。

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 表示から通りをながめたところ。休日はがらんとしています。f:id:kaz-mt-wisteria:20180930165718j:plain

 

世古本陣跡の広場のマスコットキャラクター みしまるくんとみしまるこちゃん。一番上のオレンジの君はだれ?

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 みしまるこちゃんは市の花の三島桜、みしまるくんは、市の木のイチョウをモチーフにしているんだそうですよ。

 

 三島広小路駅周辺には、かわいい看板のお店が結構ありました。これは、毛糸屋さん。

 

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  ショーウインドウもかわいい。

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こちらはメロンパン専門店です。

 

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 そういえば、ひところ、メロンパンがすごくブームになりましたよね。移動販売車がスーパーの駐車場とかにとまっていて、珍しいなあと感じたのを思い出します。

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三石神社の前の源兵衛川と源兵衛橋

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源兵衛橋は源兵衛白旗橋とも呼ばれて、五色橋の一つなのですね。説明板を読んで、知りました。

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三島広小路駅横の踏切と伊豆箱根鉄道。箱根ではないのに「伊豆箱根鉄道」。変なの。それはともかく、隠れ鉄ちゃん(鉄子?)の私は、すかさずパチリ。

 

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 さっきはメロンパン専門店でしたが、今度はコッペパン。今、コッペパン、ブームなんですよね、確か。

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踏切を渡った所から、三島広小路駅を撮ってみました。

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 三島広小路駅前の商店街の酒屋さんのショーウインドウ。三嶋麦酒の幟(?)が気になって。

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 しばらく歩くと、「マンション建設反対」の穏やかならぬ看板が。

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 クリーニング屋さん左隣の空き地が建設予定地でしょうか。

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クリーニング屋さん右隣は、昔ながらの造りの建物で「みしまコロッケ」のお店をやっています。 

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建物全体はこんな感じ。

 

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コロッケのほか、ハンバーガーや揚げパンも。ちなみに、みしまコロッケ、美味しいですよ。というのも、前回、朝ごはん代わりに、三島の駅に到着してすぐ、駅のベンチで小コロッケサンドを食べたのですが、素朴で美味しい味付でした。また食べたいくらい。

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こんな静かなところに、9階建てのマンションは確かに異質かも。ちょっと同情してしまいました。

 

境川橋を渡ってから玉井寺・宝池寺の一里塚までは、これといってチェックポイントはないのですが、昔ながらの建物を見つけました。

 

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 麹屋さんです。

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黄瀬川手前の松並木です。右手奥が黄瀬川橋。

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清水町のマンホールを見つけたので、パチリしておきますね。

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黄瀬川橋を渡ります。氾濫をせきとめる蛇塚がありましたように、暴れ川だったのですね。

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橋の上からも一枚。

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県道380号線、沼津市大岡。黄瀬川橋を渡ってから一里塚まで、特にこれといったものはありません。こんな道だったという記録に、パチリ一枚。

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 三園橋の交差点まで来ました。市街地になり、高い建物が立ち並び、交通量も多いです。

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三園橋です。前回のブログに書きましたように、三枚橋だとばかり思いこんでいました。「広重さんの画、三枚橋の手前のはずなんだけど、どこかなあ?」と思いながら。

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三園橋から、バイブル(ガイドブック)のルートをはずれて、駅方面に向かいました。駅前の城岡神社をチェックするためです。

 

沼津の街の中心です。立派なアーケード街に大きなビルが並びます。

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ルートをはずれたせいで、迷ってしまいました。ルート通りにいけば、広重さんのチェックポイントも見当がついたはずなのですが。

帰りに駅に向かう時、ガイドブックのルートを逆からたどり、やっと納得しました。

三園橋からr気に向かわず、川廓通りに入るのがガイドブック通りで、旧東海道です。

なので、ここからは帰りにパチリした川廓通りの写真を載せます。

 

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広重さんの画は、この辺りかなあと思ってパチリした一枚です。道は、川廓通り。左手に狩野川が流れています。堤があるので川は見えませんが。

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家に帰ってから気が付きました。広重さんの画は、堤の上を歩いているのです! しまった! 事前調べが甘かった・・・

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というわけで、次回改めて、広重さん浮世絵スポットに挑戦したいと思います!

 

 

夕方の沼津駅です。中心街は建物は高いし道幅も広いし大きな町ですが、駅前はそのわりに質素だとおもったのは、夕方の曇り空のせい?

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ここまでおつきあいくださりありがとうございました。

次回は、「先取りチェック 沼津→原」をアップします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 

 


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第17回ウォーク 三島→沼津

 

 日本橋を出発してから1年後、三島→沼津ウォークを実施しました。写真をアップします。

  なんか、パソコンのキーボードの調子が悪いんですけど(泣) パカパカ文章書けない・・・ 掃除しても変わらないし。

 文章少なめ、写真中心で編集します。

 ここまで入力するのも一苦労。外付けのキーボードを買うか・・・ 

 

  あーもう、いやになっちゃう!

    というわけで、ヤマダ電機でキーボード、買ってきました。980円ナリ。快適快適。980円で得た幸せ(笑)

 見た目、変だけど。タッチパッド効かなくなってるからマウス差してるし、もはやノートパソコンとは言えないけど。

 Windows10搭載のタブレットに買い替えようかな? 先立つものがないなー

 ともあれ、とりあえず快適になったのでブログ再開。

 

 9月16日(日)、8時34分、三島駅に降り立ちました。頑張って新幹線こだま号、使いました・・・

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 ありゃりゃ、霧雨! 天気予報、大外れ。ショックだったけど来てしまったから、ウォーク開始します。

 ちなみに、駅前ロータリー、「雨なんて聞いてないしー」と途方に暮れる観光客、結構いました。ね、聞いてないよねー? お天気チェックが入念で、はずさないうちのくろやぎ(同行者&夫)も、今日は曇りだと言ってたよ。「今だけ、雨なんじゃない?」と楽観的にとらえて、駅を後にしました。(実は、一日中、小雨が降ったりやんだりでした・・・)

 

 これより、チェックポイント(バイブルにしている『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社で、名所旧跡としている所)の写真を順番にアップします。街並みや道草関連については、後日別にアップします。

 

問屋場跡

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三嶋大社大鳥居前から旧街道を歩き始めてまもなくの問屋場跡。現在は、三島中央郵便局となっています。

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 説明板によれば、三島宿は、箱根・小田原宿より交通量が多いのに問屋場はここ一箇所だったため常に人手不足に悩まされていたそうで・・・ ちょっと意外。


円明寺

 円明寺の見どころは、何といってもこの門! 樋口本陣の門を移築したものです。

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 横から見たところにも、注目。中心がずれているの、わかりますか?

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 門を内側に開いたときに雨に濡れないようにする工夫のようです。詳しくは、説明書きをどうぞ。

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 本堂も、山門に負けずシブいですね。

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 境内に、もう一つの見どころ、孝行犬。

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 このお寺の境内に住んでいたお母さん犬と子犬たちのお話にちなむお墓です。病気のお母さん犬のためにせっせと看病をした子犬たちに感心した和尚さんが、子犬たちが死んだ後に建てたお墓だとか。

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世古本陣跡

 本陣跡は小さな広場になっています。

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 隣はかわいいパン屋さん。お店の前に立っているのは、三島市のキャラクター「みしまるくん」と「みしまるこちゃん」の看板です。

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樋口本陣跡

 世古本陣向かい、交差点の角に見落としそうなくらい地味な石碑。

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 目印は、本陣跡の隣の、お茶屋さん「山田屋」。

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 お店の脇に説明板あり。

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 三島は、東西を結ぶ東海道、南北を結ぶ下田街道・甲州街道が交わる場所にあったのですね。なるほど、箱根・小田原をしのぐ交通の要所だったわけだ!

 アメリカ人のハリスが、お向かいの世古本陣に宿泊しているのですね。へぇぇ


三石神社

 三嶋大社の門前を離れ、なんとなくローカルな雰囲気になったあたりに、三石神社はありました。

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 狭い参道のすぐ脇を、源兵衛川が流れます。一応(失礼・・・)、富士山の湧水らしい。

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 時の鐘です。古くからあったものは第二次世界大戦時に供出してしまい、これは戦後のもの。

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 三嶋大社は、元御殿川(源兵衛川)の川辺に三ツ石と呼ばれる巨石があって、その上にお稲荷さんを祀ったのが由来です。

 

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 パワースポット「商売繁盛」の萌えキャラ。なんか、カオス。(またまた、失礼・・・)

 

 蓮馨寺

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 入ってすぐのところに、地蔵堂がありました。日限地蔵ですって。

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 もともとは斬り付けられた旅人の身代わりになった「身代わり地蔵」だったのですが、いつのまにか日を限ってお願いすると願いが叶う「日限地蔵」になったようですね・・・

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 このお寺、松尾芭蕉のお墓があるということで・・・ 

 「えっ、こんなところにあるの?」と違和感を覚えた私。あとで調べたら芭蕉のお墓は全国数カ所にありました。ここのお寺には、芭蕉が宿泊していたことがあったらしく、その縁で遺髪を譲り受けてお墓にしたようです。尊敬する芭蕉さんのお墓を、建てたいという三島の人々の熱意だったのですね。

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伊豆国分寺搭跡

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 伊豆国分寺です。奈良時代の国分寺の搭石が残っていることで有名です(国指定史跡)。説明は、こちら。

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 本堂です。この裏に、搭石があるということですので、早速行ってみましょう!

 

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 おっと、「ご本尊に挨拶を」。すみません。ぺこりと一礼。

 

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 こちらが、搭石です。奈良時代の建物の土台だなんて、すごいですね。悠久の浪漫っていうのかな、こういうの。

 


林光寺

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 林光寺には、三島最初の公立学校長を務めた吉原守拙のお墓があるということですが・・・

 あ、これね。

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 なかなか立派な方だったようです。一言では説明できないので、詳しくはこちらを。

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 重厚な本堂です。


善教寺

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 幼稚園が併設されているということ以外、これと言った情報はなく・・・

 なぜこれがチェックポイントなのか、謎です。


秋葉神社

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 ちょうどお祭りで、なにかの儀式の最中でしたので、道路の向かいからパチリするのに留めました。すぐ近くに西見附跡があったようですが、チェックし忘れました、ま、仕方ないですね。

 

これより、三島市を後にして清水町に入ります。


千貫樋

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 説明を読んだだけではピンと来ず、足元のあまり美しいとは言えない小川を眺めて首をひねるばかり。周辺をぐるぐるして、ようやく納得。

 写真奥、小川の上方に見えるコンクリートの水路、わかりますか? あれが千貫樋です。水路を川の上に通すために樋を築いたのですね。費用に青銅千貫がかかったから、千貫樋。当初は木の樋でしたが関東大震災で壊れて、現在のコンクリートに改められました。

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 別の場所からも、千貫樋を撮ってみました。写真奥に小さく写っています。

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常夜燈

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 火を静める神様が刻まれてる、石灯籠です。村の人の願いが伝わってきますね。

 

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 常夜灯の隣に現代の道標もあったので、パチリしました。

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玉井寺(一里塚)

 ここは道両脇に一里塚があります。右側が玉井寺の一里塚、左側が宝池寺の一里塚です。

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 これが、玉池寺の一里塚。江戸から29里目。昔の姿をそのまま残す一里塚だそうです。

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 一里塚の隣には、白隠の遺墨がありました。

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 お寺の中には入れません。まあでも、十分です。ありがとうございました。

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宝池寺(一里塚)

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 玉井寺の向かいにある、宝池寺の一里塚です。こちらは、昭和60年に復元されたものです。うっそうとした玉井寺と対照的です。

 宝池寺側には、旅人が休憩する立場があったと書いてありました。にぎやかだったことでしょうね。

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 こちら、本堂です。



法泉寺

 実は、このあたりから、少し迷いました。

 ちょうどこの先の八幡神社のお祭りの準備で、法被を着た氏子の方々が大勢集まってこの前で何かをされていたので、この門柱が見えなかったんです・・・

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 脇の掲示板を見たら、妙心寺と書いてあったので、ここは法泉寺ではないな・・・と判断してしまいました。それで、法泉寺を探してさらに先まで歩いて行くうちに八幡神社に着いてしまいました。神社から同じ道を戻ってきてこの門柱を見て(もう、人はいなかったです)、ここが法泉寺だったのかと、気が付きました。くろやぎは、「だから最初からここだと言ったのに!」とプンプンしていました。「ごめんごめん」と言いながら、中へ・・・

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 本堂はこんな感じ。

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 しっとりと落ち着いた庭です。苔がきれい。

 

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 庵の入り口の上方に、「妙心」の字。


秀源寺

 チェックポイントでしたが、法泉寺を探すことに気を取られ見落としました。失敗。


八幡神社

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 法泉寺を探して、八幡神社の裏にたどり着きました。

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 鳥居脇の看板。お祭り、盛りだくさんですね。楽しそう。できれば、お天気が良ければいいのに。

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 本殿です。お母さんたちが、子どもたちへのプレゼントを用意するのに、忙しそうでした。

 本殿の裏に、源頼朝と義経が会った時に二人が向かい合って腰掛けたという対面石があるというので回って見ますね。

 はい、こちら。

 頼朝と義経、この時は仲が良かったのにね。

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 表側の鳥居です。

 

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 こちらは、旧道から入る参道入口の鳥居。


智方神社

 後醍醐天皇の皇子・護良親王の首級を葬っているという神社です。

 首級と言われると、とたんに怖くなる・・・

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 瓦屋根の本殿にシュロの木。なんとなく、南国調。

 

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 側に仕えていた女性が、首を密かに持ち帰る途中に黄瀬川の洪水に遭い、仕方なくこの地に埋め、目印にクスノキを植えたと伝えられていて、これがそのクスノキだそうです。

 井上靖が沼津中学への通学途中に、この樹の下で休憩したとも言われてるそうです。わかりやすい説明板でした。清水町教育委員会の方、ありがとうございます。

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法界さん・蛇塚

 蛇塚は、バイブルによれば智方神社の向かい側なので、道路を渡って一生懸命探しました。

 黄瀬川の流れを止める塚ですので、川のそばなのかなあと思ったり・・・

 このような川岸に並んでいる石塔群をアップしているブログもあったので探したのですが、それらしいものは見当たらず・・・

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 困り果ててGoogleさんで検索したら、とある方のブログに、智方神社の境内の蛇塚の写真がアップされていました! あわててさっきの場所に戻ります。

 

 参道入口にありました。一番左が蛇塚です。

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 川岸にあったのを移転したのかなあ・・・?

 

 黄瀬川を渡ります。これより、いよいよ沼津市です!


八幡神社

 八幡神社です。これがなぜチェックポイントなのかは謎。バイブルにコメントはないし、現地にも説明板はありません。

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潮音善寺

 亀鶴観音菩薩があることで知られるお寺です。

 こちらが本堂。

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 亀鶴姫の碑がありました。鶴亀姫は、曽我兄弟の仇・工藤祐経の愛人だったということですが・・・

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 すごくざっくり言ってしまうと、美人で才女だった亀鶴姫さんが、源頼朝に目をつけられて(気に入られて)再三呼ばれたけれどもそれを拒否して、黄瀬川に身を投げて亡くなりました。その供養碑です。

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 街道ウォークをしていますと、秀吉と頼朝が嫌いになります・・・


領界石

 潮音寺のすぐ近くです。

 黄瀬川を渡ると沼津市でしたが、沼津領はここからだったのですね。

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小社

 バイブルのチェックポイント「小社」って、これですかね? 特に表示はなかったけれど、位置的にここ。左側が旧道です。分岐点に建つお社、わかりますか?

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 お社に近づいてパチリします。

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平作地蔵

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 人形浄瑠璃の「伊賀越道中双六」にでてくるお地蔵様です。

 説明板に、かなりくわしく場面の説明が解説されていたのでアップします。説明板を立てたのは、自治会の方です。ありがとうございます。

 因みにこのすぐ後ろに、狩野川が流れています。

 

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一里塚・玉砥石

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 写真右手が、一里塚跡と玉砥石のある小さな公園です。

 

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 こちら玉砥石。後方に一里塚跡があります。

 

 玉を砥いだという玉砥石。いつからあるかははっきりしませんが、大変珍しく貴重なもののようですね。

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 江戸から30里目の一里塚です。

 とは言っても、本来は距離で言うならば本町地内に作るべきところ、宿場内になってしまうので東に寄せて建てたのだそうです。

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 実は、沼津駅付近にさしかかったあたりから、道に迷いました。

 何よりの理由は「三枚橋」。前回、広重さんの浮世絵スポットを忘れないために、「三枚橋」の名前をインプットしなければ書いていましたよね。

 実際に「三枚橋」という橋はないんですね。(たぶん)

 「三枚橋町」という町名は残っていて、そこに「三園橋」という交差点と橋があります。

 バイブルのルート通り行けば迷わなかったのかもしれませんが、城岡神社は東海道からややずれて、沼津駅の近くなんです。で、「三園橋」の交差点よりルートを外れて駅方面に向かいました。

 なぜか、「三園橋」を「三枚橋」だと思い込んで。思い込みって怖いですね。

 

城岡神社

 「ここはどこ?」とわからぬまま、くろやぎのナビで何とか城岡神社に到着。高いビルの谷間の、ちょっと近寄りがたい雰囲気の神社です。

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 沼津城の守護神なんだそうです。そりゃ、大切にせねば。

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沼津城跡

  城岡神社が守る沼津城址は、公園になっています。すぐ近くを狩野川が大きく蛇行していきます。

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 武田勝頼が築いた三枚橋城が廃城になり、その跡地に水野忠佐が沼津城を築いたのだそうです。詳しくは説明板をご覧ください。

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三枚橋城外堀石垣

 

 これまた迷ったチェックポイント「三枚橋城外堀石垣」。

 ナティ沼津の前にあります。

 なぜ迷ったかというと、「三枚橋城石垣」(外堀ではない)というのが、ナティ沼津の外堀石垣よ手前にあるのです。こちらは、アゴラ沼津の前にあります。紛らわしいなあ・・・

 もっとも、バイブルのルート通りに来れば、アゴラ沼津を通ることはない(アゴラ沼津のすぐ先で大通りに合流するようになっています)ので、間違う要素はないのですけれど。

 そうはいいましても、すごく惑わされてしまったので、できれば両方、チェックポイントとしてバイブルに載せていただきたかったです。アゴラ沼津を「三枚橋城外堀石垣」だと思い込んで道を曲がり、次のチェックポイント「高田本陣跡」に至る道の表示がなかなか見つからなかったです。

 

 こちらがチェックポイント「三枚橋城外堀石垣」。ナイティ沼津前。

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そしてこちらが、チェックポインと間違えた三枚橋城石垣。アゴラ沼津前。

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 やっと見つけた「道標沼津宿」。この交差点の先に、本陣が並びます。

 

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 この日は地元・浅間神社のお祭りの御神輿が出ていました。

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高田本陣跡

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 本陣が並んでいた通りの様子。往時の様子が浮かぶような。

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中村脇本陣跡

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清水本陣跡

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浅間神社

 道路を挟んで向かい側の小道を入る浅間神社。この日最後のチェックポイントにです。境内で、お祭りの催しとして演芸会をやっていました。ほのぼの楽しそうな雰囲気でした。

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 氏子の方々(?)が、次々に抽選券を持ってきて箱に入れていきました。何が当たるのかな?

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 発見! もう一つ本陣跡

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 バイブルには載っていなかったけれど、浅間神社側の街道沿いに、もう一つ本陣跡を示す石碑がありましたよ。マッキー(バイブル著者・八木牧夫さん)、大丈夫?

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 間宮本陣跡碑はタクシーやさんの前にありました。

 

 ここを今回の終着点とします。本陣のある通りを進んで県道163号線に出る交差点です。静岡銀行が目印です。次回の出発点として、パチリしておきますね。

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 歩いて沼津駅に到着。16時40分、7時間58分、31996歩でした。

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 最後までお付き合いくださりありがとうございました。

 近日中に三島→沼津のまちなみをリポートします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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沼津宿ってどんなとこ?

 こんにちは!

 三島に続き、次の宿場町・沼津について調べてみました。

 ざっとこんな感じです。

 

 沼津は、水野出羽守五万石の城下町でした。

 沼津城はもともとは三枚橋城といい、戦国時代に武田勝頼が後北条氏の備えとして築いたお城です。一時廃城とされましたが、江戸期になると大久保氏が入城、その後水野忠友出羽守が藩主となって再築し、沼津城と名前を改めました。

 そして沼津は城下町を兼ねて宿場として整備されたのです。

 鹿野川河口に川湊があり、船高札場が立ち、宿内に入ってからも橋はなく舟が利用されました。古くからの港町として、遊興の場も開けていました。江尻、吉田への廻船と漁業とで、大いににぎわう宿場町でした。

 天保14年の記録によれば、家数1234軒、人口5346人。本町の辺りが宿の中心で、城下町だけに桝形が多く取り入れられた宿駅でしたが、大正2年の大火と戦災で、面影はほとんど失われてしまいました。

 しかし、北に富士山、駿河湾沿いの美しい海岸、温暖な気候に恵まれ、観光地や保養地として注目を集め、特に沼津港は近海沿岸業業の基地として発展を遂げました。現在では静岡県東部の拠点市場としての躍進しています。

 

 ふーむ・・・ かつては宿場町&城下町だったけれども、町並みは焼失し面影なし。現在は漁港として拠点の役割を担っている・・・ て感じかな? 了解なり。あんまりくわしい説明がなかったので、現地からのリポをお待ちください。

 

 そうそう、忘れちゃいけない広重さんの浮世絵チェック。

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 東海道五十三次 沼津《黄昏図》です。

 夕暮れ時、狩野川沿いの堤を歩く旅の一行。三枚橋と宿場の建物が見えます。画面中央上方に満月、その真下に奉納する天狗のお面を背負った白装束の人。黄昏図といいながら、この天狗の顔に釘付けされてしまう私は、広重さんの思惑通りですね。たぶん。相変わらず構図の上手い広重さん。

 今度は、浮世絵スポットを見逃さないようにしなければ。沼津宿手前の、三枚橋三枚橋三枚橋・・・三回唱えてインプット。

 

*参考

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)
『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(山と渓谷社 八木牧夫)

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