こんにちは!
三島に続き、次の宿場町・沼津について調べてみました。
ざっとこんな感じです。
沼津は、水野出羽守五万石の城下町でした。
沼津城はもともとは三枚橋城といい、戦国時代に武田勝頼が後北条氏の備えとして築いたお城です。一時廃城とされましたが、江戸期になると大久保氏が入城、その後水野忠友出羽守が藩主となって再築し、沼津城と名前を改めました。
そして沼津は城下町を兼ねて宿場として整備されたのです。
鹿野川河口に川湊があり、船高札場が立ち、宿内に入ってからも橋はなく舟が利用されました。古くからの港町として、遊興の場も開けていました。江尻、吉田への廻船と漁業とで、大いににぎわう宿場町でした。
天保14年の記録によれば、家数1234軒、人口5346人。本町の辺りが宿の中心で、城下町だけに桝形が多く取り入れられた宿駅でしたが、大正2年の大火と戦災で、面影はほとんど失われてしまいました。
しかし、北に富士山、駿河湾沿いの美しい海岸、温暖な気候に恵まれ、観光地や保養地として注目を集め、特に沼津港は近海沿岸業業の基地として発展を遂げました。現在では静岡県東部の拠点市場としての躍進しています。
ふーむ・・・ かつては宿場町&城下町だったけれども、町並みは焼失し面影なし。現在は漁港として拠点の役割を担っている・・・ て感じかな? 了解なり。あんまりくわしい説明がなかったので、現地からのリポをお待ちください。
そうそう、忘れちゃいけない広重さんの浮世絵チェック。
東海道五十三次 沼津《黄昏図》です。
夕暮れ時、狩野川沿いの堤を歩く旅の一行。三枚橋と宿場の建物が見えます。画面中央上方に満月、その真下に奉納する天狗のお面を背負った白装束の人。黄昏図といいながら、この天狗の顔に釘付けされてしまう私は、広重さんの思惑通りですね。たぶん。相変わらず構図の上手い広重さん。
今度は、浮世絵スポットを見逃さないようにしなければ。沼津宿手前の、三枚橋三枚橋三枚橋・・・三回唱えてインプット。
*参考
『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)
『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)
『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(山と渓谷社 八木牧夫)