てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

暦と水の街・三島宿

 こんにちは!

 日本橋から品川まで、歩いてみてからちょうど1年経ちました。「とりあえず箱根くらいまでなら行けるんじゃない?」が、「やっぱり京都三条大橋でしょ!」になり、箱根の石畳でへとへとになった現在では、どこまで行くかはペンディング。

 街道ウォークスタート1周年記念日にあたる今日は、前回到着した三島宿について、ざっくり下調べをしますので、お付き合いください。

三島と言えば三嶋大社ですね!

 三島は古くから伊豆の国府であり、伊豆地方の政治・文化の中心でした。宿駅となってからは、箱根峠を控える宿として、また三島明神(現在の三島大社)の門前町として大いににぎわいました。とりわけ街道の難所である箱根峠を無事越えた人々は。「山祝い」として祝杯をあげました。

 こちら前回の三嶋大社の写真です。へろへろに疲れて山祝いの祝杯ではなく「デニーズ」の遅いランチでしたが(笑)、そのあとに参拝しtました。

 

 

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なぜ暦の街か? 

 この三嶋大社の社家(三嶋大社の神職に従事する人々)である河合家は、江戸時代に三嶋暦を発行しました。三嶋暦は、仮名文字の暦は仮名文字の暦としては日本最古の太陰太陽暦で伊豆地区を中心に広く関東方面で使用され、毎年、幕府にも献上されています。平仮名であることから「わかりやすい暦」として足利学校でも使用されました。

 また、木版刷りの品質が良く、細字の文字模様がたいへん美しいことなどから、旅のみやげやお歳暮などとして人気がありました。価格は慶応4年で、綴り暦(16ページ)が150文(今の価格で3,000円くらい)、一枚ものが15文(今の価格で300円くらい)でした。

 河合家の主屋は、安政地震の被災直後に再建され、現在では「三嶋暦師の館」として三島市が資料館として公開しています。人気のあった三嶋暦を、現代風に再現させた「現代版・三嶋暦」の販売もしています。

 チェックポイントには入っていないのですが、三嶋暦師の館、おもしろそうですね。寄ってみようかな?


 ところで三島宿の中心地はJR三島駅の南口を出て、名勝「楽寿園」(明治23年に小松宮影仁の別邸として造営。昭和23年から三島市立公園として一般開放)を右に見て進み、本町交差点を出たあたりでした。
 天保14年(1843)の記録では、家数1205軒、人口4048人となっています。

 三嶋大社や「三嶋暦師の館」は歴史を感じさせますが、宿場後には残念ながら本格的な江戸建築は見当たりません。

なぜ水の街か?

 三島宿の北方の菰池や小浜池から富士山の地下水が湧きだし、小川となって街中を流れています。

 宿場町ならではの古い町並みの名残りはありませんが、湧水の流れに沿って「水辺の文学碑」が並べられ、散策が楽しめるようになっています。

 こちらは前回の写真です。とても暑い一日でしたが、見た目だけは涼やかだった(?)かもしれません。

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 「三島と言えば三嶋大社でしょう「」というのは広重さんも同感だったようで・・・

 久しぶりに広重さんの浮世絵です。

 安藤広重「東海道五十三次」三島 副題《朝霧》

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 早朝の薄明かりの中、朝霧立ち込める宿場を旅立つ人々を描いています。画面中央に描かれた駕籠に乗る人の表情に注目。朝早くて眠そうなのがおもしろいです。馬の背の両端につづらを乗せて、その上に座る乗り方は乗掛といいました。

 この一行以外はすべてシルエットとして描かれている手法にも注目。円山応挙によってはじめられたシルエット描写の影響を受けたものだそうです。広重さん、研究熱心ですね。この手法により、三嶋大社の鳥居もシルエットですが、大きくて立派な鳥居でしたよ。

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 この写真は前回撮影したもの。境内の方から街道を眺めています。広重さんの画と同じ構図の写真、取り忘れてしまいました。いつも忘れないでいたのに、全く頭をよぎらなかったです。本当にへとへとだったもので。失敗失敗・・・

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

*以下を参考にしました。
『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)
『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

www.city.mishima.shizuoka.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先取り! 三島→片浜

 お久しぶりです!

 なぜ久々かというと、ちょっと取り込んでおりました。夏はとある資格を取るべく独学に励んでいて、ブログの更新がほとんどできませんでした。資格の方はと言うと、思っていたよりイバラの道で(汗)、まだ達成できずにいます。何の資格かって? 合格した暁には、途中経過も含めてご報告します。たぶんギブアップにはならないと思うけど、道は遠そう・・・ 東海道もしかり・・・

 

 はい、それで東海道ですね。えーと、三島まで来ています。で、ここらで予習を。タイトルを見て、「えー? 片浜?」って思われた方、いらっしゃいます? 

 三島の次の宿場は沼津ですが、この間5.9㌔。もう少し行けるかなぁ?ってことで、その先の片浜駅までに設定してみました。どうでしょう?

 三島→片浜のチェックポイントを見ていきましょう。毎度のことながら、一応説明しますと、このブログでのチェックポイントとは、街道ウォークのバイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫・山と渓谷社)で名所・旧跡とされている所です。

 

  1. 問屋場跡
  2. 円明寺
  3. 世古本陣跡
  4. 樋口本陣跡
  5. 三石神社
  6. 蓮馨寺
  7. 伊豆国分寺搭跡
  8. 林光寺
  9. 善教寺
  10. 秋葉神社
  11. 千貫樋
  12. 常夜燈
  13. 宝池寺(一里塚)
  14. 玉井寺(一里塚)
  15. 法泉寺
  16. 秀源寺
  17. 八幡神社
  18. 智方神社
  19. 法界さん・蛇塚
  20. 八幡神社
  21. 潮音善寺
  22. 領界石
  23. 小社
  24. 平作地蔵
  25. 一里塚・玉砥石
  26. 沼津城跡
  27. 城岡神社
  28. 三枚橋城外堀石垣
  29. 高田本陣跡
  30. 中村脇本陣跡
  31. 清水本陣跡
  32. 浅間神社
  33. 東方寺
  34. 真楽寺
  35. 乗運寺
  36. 六代松標石
  37. 六代松
  38. 妙伝寺
  39. 山神社
  40. 八幡神社
  41. 諏訪宮
  42. 正覚寺
  43. 清玄寺
  44. 八幡宮
  45. 栄昌寺
  46. 吉祥寺
  47. 一里塚跡
  48. 蓮窓寺
  49. 伊勢神明宮

 49個!! ありゃりゃ、たくさんありますね。片浜まで行くの、無理かも・・・ 

 31清水本陣跡までにして、沼津駅から乗って帰ってくるのが賢明か?

 

チェックポイントの中から、いくつかピックアップしてみますと・・・

円明寺

 康永3年(1344)将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)の叔父にあたる日静上人(にちじょうしょうにん)が法華堂(ほっけどう)として建立(こんりゅう)し、文明11年(1479)日澄上人(にっちょうしょうにん)によって開山されました。明治10年(1878)3月、柿田屋火事で類焼したため同年、三島にあった樋口本陣の正門を山門として移築しました。境内に孝行犬の墓があります。幕末の頃、寺に住む母犬が病気になると子犬たちが懸命に看病しましたが、母子とも死んでしまうという悲しい物語が伝えられています。

三石神社

 昔、源兵衛川の川沿いに三石(みついし)という巨石があり、その上に社殿を建て稲荷社を祀り、三石神社となりました。古記によれば天明年間(1781~1789)に、隣村の新宿(しんしゅく)の出火で大中島町(現、本町)や三島宿の大半が類焼したときに、火防(ひぶせ)の神も併せ祀ったようです。

 その後文久年間(1861~1864)に焼失しましたが、慶応元年(1865)7月、再び京都の伏見稲荷大社より分霊を受け、祀られたということです。平成3年(1991)に少し南に移り、現在の地に建て直されました。

 また、境内にある鐘は、「時の鐘」と言われ、江戸時代から旅人や三島の人に親しまれてきました。最初は寛永年間(1624~1643)に鋳造(ちゅうぞう)され、その後何回か改鋳されました。特に大きな鐘が宝暦11年(1761)に川原ヶ谷の鋳物師(いものし)沼上忠左衛門祐重(すけしげ)によって造られ、三石神社境内に設置され三島八景の1つにも数えられていました。

 三島宿の人たちはこの鐘の音で時を知りました。しかし第2次世界大戦時にこの鐘も軍戦用に供出され、現在の鐘は昭和25年(1950)に市民の有志によって造られたものです。

蓮馨寺

 日限地蔵尊、芭蕉老翁墓と句碑「いざともに穂麦喰はん草枕」があります。

玉井寺(一里塚)&宝池寺(一里塚)

 江戸から29里目。向かい合っています。慶長9年(1604)に同時に作られました。宝池寺一里塚は、昭和60年(1985)に改修され、当初の一里塚のように、

塚上に一本の榎が植えられました。一方の玉井寺一里塚は、長年の間に根付いた木とともに塚の自然変化を伝えており、対照的な二つのい一里塚です。

 

チェックポイントではないけれど、チェックしたいところ

柿田川湧水群(柿田川公園)

柿田川は富士溶岩流末端からの湧水とするわずか1.2㌔の小河川ですが、水量は毎日100万トン余で、「東洋一の湧水」と言われます。多くの穴から砂を巻き上げながら出てくる様子を間近で観察できますが、その水温は15度前後でほぼ一定です。

千本松原

天文年間(1532~1555)に強風と塩害から守るために、狩野川河口から田子の浦湊まで約10㌔にわたって植樹された松林。原宿から元吉原付近までは旧街道とほぼ接していて、日本百景、白砂青松100選にも選ばれています。

 

 まだまだいろいろあるのですが、ガイドブックやホームページからの引用ばかりでは芸がないので、このくらいでやめておきます。あとは現地からのレポートをお待ちくだい。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。近日中に、先取り第2弾「三島宿・原宿ってどんなとこ?」をアップする予定です。

 また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 今日のレポートは、以下を参考にしました。

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)

『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

www.city.mishima.shizuoka.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

第16回ウォーク 山中→三島

 

 8月4日、日本中が酷暑でどうかなってしまいそうな日に、山中→三島ウォークを敢行(強行?)しました。

 石畳のゴロゴロ道が延々と続く中、とにかく暑くて、これは熱中症になってもおかしくない(むしろなりそうな・・・)状況下、せめてペットボトルでの水分補給だけは気をつけました。帰ってきた翌日から膝が痛くて、しばらく歩くのが辛かったです。何をやっているんでしょうね? どっと疲れてブログにアップせず、今まで塩漬けにしていました。

 やや曖昧になりつつある記憶をたどって、振り返ってみます。お付き合いください。

 

山中城跡

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 前回、最終地点とした山中城址バス停です。ここからスタートします!

 そもそも、ここに来るまでがまず大変でした。都内から新幹線に乗ってしまいましたから・・・ 三島からバスに乗ってここに降り立ったのは9時19分です。

 長い一日のはじまりはじまり~

 
馬頭観音
八里記念碑 司馬遼太郎

 バス停のごく近くにある、最初のチェックポイントです。

 ちなみに、チェックポイントとは、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で名所・旧跡とされているところです。

 馬頭観音と記念碑は、同じ場所に仲良く並んでいました。

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 左側が司馬遼太郎の記念碑です。

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 「幾億の足音が 坂に積もり 吐く息が 谷を埋める わが箱根路にこそ」と彫られています。

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 辺りは、このようなしっとりした石畳の道です。このころはまだ、石畳もきもちがいいなあなんて、思っていたのですが・・・

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 くろやぎ(同行人・夫)が「タイヘンタイヘン、通行止めだ」と前日から気にしていたのですが、このことね・・・

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 地図の迂回道の通り進みます。迂回路には、チェックポイントの芭蕉句碑もあるので、却って迂回してよかったかも。

 
芭蕉句碑

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 芭蕉句碑は旧道ではなく、大きな通り沿い(今回は迂回路)にあるので、要注意ですね。旧道を歩いていても、ありません。

 「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」貞亭元年(1684)の秋、芭蕉がここを通りかかりましたが、時雨れて富士山は見えなかったということを詠んでいます。芭蕉さん、残念! このあたり、富士見平と言われています。

 

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 迂回せずに石畳を歩いてきたとしたら、ここに出てきます。ご覧のように今回は工事中でした。

 

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 この先、再び石畳の旧道に入ります。「よかった、旧道だ」と思ったのですが・・・

 

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 こんな感じ。石畳の工事が終わって、開通ホヤホヤのようです。炎天下、ゴロゴロの石畳を歩きます。「別に石畳に改修しなくても・・・。ウッドチップにしてくれー」とぼやきたくなりましたが、やはりここは石畳でないといけないんだろうなあ。

 途中「明治天皇休憩碑」というのがチェックポイントだったのですが、見つからなかったです。たぶん、見落とし。

 

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 石畳の道からいったん車道へ。大きなつり橋が売りの、「三島スカイウォーク」というレジャー施設です。車も人も、すごい混雑。アスファルトへのギラギラの照り返しにクラクラして、やけにゴージャスなトイレだけ借りて早々に退散しました。

 

 テーマパークから一歩離れれば、またおなじみの石畳です。あれは何だったのだろう? あそこだけ別世界でしたよ・・・

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馬頭観音

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 特に説明もなかったのですが、チェックポイントの馬頭観音。あやうく見落とすところでした。トタン屋根の祠の中におさまっています。

 

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 歩くにつれ、石畳がなんとなく荒れた感じに・・・ だから補修しているのかしらん。石の間から雑草がのびるにまかせられ、手入れが追い付かないような。

 

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 この区間の石畳、そろそろ終わりかなという頃の風景です。農家が点在し、畑が広がり、生活感があります。のどかだなーと思って歩いていたら・・・

 

 えっ、野菜泥棒? 監視カメラあるの? こわーい!

 のどかな気分が一気に吹き飛びました。

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史跡箱根旧街道碑

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 旧街道の案内板を横目に、農家の脇を通る石畳を歩きます。この石畳は、現代のものですね。

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 あれ、笹原に出てしまいました。この辺りに「笹原の一里塚」あるはずなのですが、さっぱり見つからず。

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 オブジェ的なのはあるんですけど、肝心の塚はどこに?

 

 この茂みですかね? にしてはただの茂みにしか見えないけれど。

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 ふと目にとめた案内板をよく読んだら、なんと通り過ぎてしまったらしいことがわかりました。

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笹原の一里塚跡

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 これが笹原の一里塚です。

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八里記念碑 大岡信

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一里塚の場所に、大岡信の記念碑もありました。

 

 実は、さっき「これは現代の石畳だな・・・」などといいながら歩いた石畳風の道の一本裏が、旧街道でした。

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 この写真で見ますと、左側が石畳風の農家の前の道。右側が旧街道。その右の茂みが一里塚。野菜泥棒に警告する看板に気を取られ、道を間違えてしまったのでした。

 

 一里塚がわかったところで、再び旧街道を進みます。

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 石畳ではなく、歩きやすいです。 

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道祖神・馬頭観音

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 チェックポイントの道祖神と馬頭観音です。向かいに高札場跡だということですが・・・ 特に表示はありません。

 道路を挟んだ向かい側は、こんな感じになっています。

 

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 こわめし坂です。

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 あまりの急坂のため、背負ったお米が汗と熱でこわめしになったという言われがあります。確かに急です。

 この日の朝、三島駅前のコンビニで「きのこの山」を買いリュックに入れていましたが、チョコ部分が全てとけて、小袋の中で一枚のチョコチップクッキーになってしまいました。こわめし坂ならぬ、チョコチップ坂。


山神社

  山神社、またの名を天神社というようですね。土砂崩れで何度か流されたため「流の天神」ともいわれたという説明が印象に残りました。

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 急な長い石段ですが、覚悟して上りましょう・・・

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 石段の上から街道を望んだところです。いい眺めですね。

 

 しばらく平坦な道が続きます。

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松雲寺

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 東海道を行き来する参勤交代の大名たちの休憩所になったお寺です。生麦事件を起こした島津光久もここで昼食を摂りました。

 

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 明治天皇が座って富士山を眺めたという「御腰掛石」です。私も座らせていただきました。割と疲れていたので、ペットボトルの水を飲んでエネルギーチャージ。

 

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 富士山は見えませんでしたが、確かに眺めはいいですね。

 

 またまた、このような平坦な道をひたすら歩きます。

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大時雨坂

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 大時雨坂です。右手に見えるのが坂公民館です。


史跡法善寺旧址碑

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 法善寺というお寺があった場所を示す碑です。法善寺には後ほど立ち寄ります。

 

坂幼稚園

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 名所でも旧跡でもないのですが、バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)が名所・旧跡の赤印にしているので念のため写真をアップ。たぶん間違いですよね

 

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 幼稚園の右側の小道を下ります。

 

七面堂旧址碑

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 小道の途中にありました。足利尊氏の建立ですって!

 

題目坂

 小道を下りると題目坂になります。

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 なぜ、題目坂というのでしょうね? 

 題目坂を下りると車道に合流。「出生馬の碑」が目の前に。碑の裏手が「山神社」です。

出征馬の碑

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山神社

 高い石段の先に何があるのか・・・ 何だかちょっとめげてしまい、続きはくろやぎに託してしまいました。

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 ほう、ちゃんと説明板も撮ってきてくていたようで。しかも、私より写真がうまい。カンペキ、くろやぎ。


法善寺

 もとは題目坂の上にあった法善寺です。(先ほど、址碑をアップしています。)

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 お寺を後に、またまたてくてく歩いて行きますと・・・

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六地蔵

 突然、パッと明るい光景に。たくさんのお地蔵様が迎えてくださいました。まるでお花が咲いたような華やかさ。右手の建物が、地蔵堂です。

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 再び旧街道に入ります。

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臼転坂

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 臼が転がるほどの坂だったから「臼転坂」。実際はそれほどの勾配ではありません。よかったよかった。

 

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 こんな感じのゆるい坂。

 

 にしても、もう少し手入れをした方がいいのでは?

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 通せんぼしているようだけど、「入ってはいけません」という印ではありません。ただ、竹が倒れているだけです・・・

 荒れ果てた道を進みます。ちょっと不安。ここ、通れるの?

 

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馬頭観音

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 不安を抱えながら歩いて行くと、チェックポイントの馬頭観音。何気なくありますが、これ、文政5年(1822)の建立です。

 

 旧道を出たところの道標です。この辺り、塚原新田です。

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普門庵

 石塔が集められているという「普門庵」は工事中でした。まさか工事中とは思っていないので、危うく見落とすところでした。気が付いたくろやぎ、ナイス!

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山神社

 山神社は普門院のすぐ裏手にあります。少々わかりにくいので注意。

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 またまた急な石段です。山神社って、必然的にこうなるのね。

 

 上り詰めた先は、小さな社殿の静かな境内です。

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永代鎮座

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 街道脇に何気にあった「永代鎮座」。これもあやうく見落とすところでした。「永代鎮座」って何でしょうね? 昭和十年と彫ってあるから、そんなに古いものではありませんね。


宗福寺

 鉄牛上人という人が、菩薩像を運んでいましたが、ここで急に動かなくなってしまい、菩薩像をここに安置したと伝わっています。

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 足元の小さな小さな観音様に、心惹かれました・・・

 ひなびた感じの小さなお寺ですが、「軒下の美術館」というのをやっています。(この辺りのあちらこちらで、「軒下の美術館」をやっているようです。)


石仏

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 はっきりとはわからないのですが、位置的におそらくこれがチェックポイントの石仏でしょう・・・


箱根路の碑

 箱根路の碑。大きな石が目立ちます。

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 こちらもお見逃しなく。大きな石の碑に寄り添うように建っています。寛政3年(1791)の建立です。

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 実はこの辺りを歩いているときは、太陽ギラギラでクラクラしそうでした。大きな交差点(塚原新田の交差点)に立つと、アスファルトの照り返しの向こうに、「フルーツパーク」なるレジャー施設が見えます。とっくにお昼も回っているし、休憩か・・・と思わないでもなかったけれど、実際フルーツパークに呼ばれている気もしたけれど、ここで休憩したらそのままバスに乗って三島まで帰ってしまいそうなので、パス。

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 疲れて写真も手ブレです・・・

 

 国道1号線に沿って、歩道のような近さで旧道があります。現代の石畳です。これが延々と続くことになるとは、この時はつゆ知らず。

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 歩き始めていくらもしないうちに、現代の石畳に悲鳴をあげたくなりました。歩きにくいことこの上なし。お散歩感覚で短距離をぶらぶら歩くにはいいのでしょうが、石畳、ウォーキングには全く向いていないと思います。


錦田の一里塚

 大きいです。しかも両側揃っています。今まで見た中でも、ベスト5に(?)入るくらいの、立派な一里塚です。それもそのはず、国指定史跡です。

 日本橋より28里目。木は榎です。

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 この辺りは、「箱根八里西坂」になるのですね。

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 歩道橋も石畳(現代の)。

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 ここの石畳、「静岡県まちなみ50選」なのですね。歩きにくくても、石畳でないと、ね。

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 石畳の遊歩道に並行している国道1号線。松並木が立派です。

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 初音ヶ原の松並木です。明治時代以降、街道の松並木は枯れる一方でしたが、ここだけは残った・・・との説明です。


旧道の碑

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大根の碑・雲助備前繋の墓

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 チェックポイントの大根の碑はこれかしら? 同じところにあるという雲助備前繁の墓はよくわかりませんでした。

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 大根の碑がある横断歩道のところでしばし休憩。やっとみつけたコンビニで「いろはす」を買い、ここに座って呆然としたのでした。正直に言って、この時は熱中症一歩手前だったかも・・・

 

 なんとか気を取り直して再び出発。終わったかと思っていた石畳がまた出現。そんなぁ・・・ 勾配は全く気にならないのだけど、靴の底が痛い。

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 愛宕坂です。説明板によりますと、江戸時代の道幅は、3.6メートルだったそうです。

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 愛宕神社というのがあったようですが、現在では、「三島東病院」の敷地になっています。

 

 やっとい石畳から解放されました。

 踏切を渡ります。ちょうど東海道線が通過したのでパチリしました。

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 踏切から眺めた線路。真っ直ぐでほれぼれしました。

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真立寺

 ガイドブックに説明がなく、現地に説明板もなかったので、どういうお寺かわからないままですが、チェックポイントですのでパチリしました。

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 ひなびた街道から郊外の景色に変わりつつあります。

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宝鏡院・足利義詮の墓

 足利尊氏の子、義詮(よしあき)のお墓があるお寺です。本尊の薬師如来は、あの運慶の作です。

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 源頼朝が参拝したときに笠を置いた石だとか・・・

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 参道の出口のところに「鞍掛け石」。見落としご用心。

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 「鞍掛け石」の説明です。参詣する人が馬を乗り降りした場所、ということですかね?

 

 大場川に架かる新町橋です。

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 晴れていれば富士山が望めるビューポイントのようですね。


東見付跡

 橋のごく近くに「東見付跡」があるということで探したのですが、それらしい表示は見つかりませんでした。残念。

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 この新しいお宅のあたりかな? 位置的に。

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八幡神社

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 ガイドブックによれば、守綱大神を祀っているそうです。説明板はなし。


妙行寺

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 こちらも特に説明はありませんでした。(ガイドブックにも説明なし) 落ち着いた佇まいのお寺でした。


王子神社

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 同じく説明なし。写真だけアップしますね。この辺りまで来ますと、すっかり街中です。


光安寺

 光安寺の説明は、この通りです。

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 今思ったんですけど、鼻取り地蔵ってどうしてそう言うの?

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 古い佇まいのお店だったのでパチリさせていただきました。肥料屋さんですね。

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 ようやくここまで来ましたね。後、残すチェックポイントは三嶋大社のみ。ここで大休憩を取りました。時刻はとっくに2時をまわっていて、お昼というよりおやつに時間に近かった。やっと会えたファミリーレストラン「デニーズ」で、ドリアを。デザートに桃のゼリーも食べました。クーラーのきいた店内が、ありがたかったです。

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三嶋大社

 いよいよ本日最後のチェックポイント・三嶋大社っです。大通りに面した参道、立派です。

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 鳥居より大通りを見たところ。「うなぎ屋」の看板に、「三島名物のうなぎ、食べたいな~」と思いました。残念ですが、ハードな街道歩きとグルメは両立しませんね。

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 門もとても立派です。

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 重厚な本殿です。

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 さんざん迷って、受験生の我が子に学業成就のお守りをいただきました。受験生くん、がんばれ。

 

 街道ウォークの終着点は三嶋大社ですが、これはそのあと三島駅に向かって歩いた文学碑の並ぶ水辺の散歩道です。

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 三島駅前ロータリーに到着しました。

 時刻は16時33分、28147歩の道のりでした。

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 ここまで長文にお付き合いくださりありがとうございまた。更新した折には、また訪ねてくださると嬉しいです。

 どこまで行けるか東海道。本人たちにもわかりません・・・


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箱根の関所より三島を目指して

 7月16日(日)、第15回街道ウォークを実施しました。前回終着点の箱根関所跡から三島をめざしましたが、いかんせん遠いので山中城址がこの日の到着点になりました。あいかわらず石畳の旧街道は歩きにくくほとほと疲れましたが、距離は短かったので余裕をもって終ることができました。それでは振り返ってみましょう・・・

 

 10時20分、箱根関所に降り立ちました。いやいやここまで遠いこと。家を出たのは早かったのに、10時過ぎてやっとウォークスタートとなりました。

 

本陣はふや跡

  箱根ホテルが「本陣はふや」跡ということで、はい、これね。立派なホテルですねー。樹齢400年の楓が残っているとのことでしたが、わからなかったです。ホテルの庭まで入るとあったのかも。

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 近くに箱根駅伝のモニュメントが。小さな小さな広場になっています。

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山の神

 箱根駅伝に山の神と言われた選手がいましたが・・・こちらは、元祖?山の神。

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 里に豊作をもたらす馬頭観音があります。

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 路面にこんな表示が。三島まで14.5㌔ですって! こりゃ大変だ・・・

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駒形神社

 犬塚明神が祀られている駒形神社です。

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 こちらが犬塚明神です。

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 犬塚明神って何って方のために説明板をアップ。

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 箱根宿を建設するときに狼がたくさんいて悩まされたので、2匹の唐犬に退治させて宿場が完成したのだけれども、犬も傷ついて死んでしまいました。その犬を埋めて祀っています。

 

 駒形神社の説明はこちらをどうぞ。

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石仏群

 箱根で最も古いという石仏群です。草むらの中にひっそりと。

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 これより、旧道に入ります。石畳、お久しぶり・・・ お手柔らかに願います。


向坂

 まず、向坂。

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 石畳みの残っている味わい深い坂だということですが・・・

 

 なかなか手ごわい石畳。まん丸つるつる。滑りそう。

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 続く釜石坂。これより、見どころは坂ばかり。

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 街道歩きというより、山登り。

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 風越坂。

 当時、石畳が敷かれたのは山道だけで、集落など平坦な道には敷かれなかったんですって。山道はぬかるんで大変だったのでしょうね。今でこそ、「石畳歩きにくいなー」とぼやきたくなるけれど、石畳でないと山越えはできなかったのですね。

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 挟石坂

 箱根峠に向かう最後の坂です。この写真は、登り切ったところから取りました。f:id:kaz-mt-wisteria:20180729161753j:plain

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 挟石坂のあった箱根旧街道の説明板です。

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箱根峠

 とうとう箱根峠に着きました! 江戸時代では相模・伊豆の国境。現在では、神奈川と静岡の県境です。

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 箱根峠。こんな開けたところです。日本橋を出発して、とうとう静岡県まで来ましたよ。感慨ひとしおです。

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 次のチェックポイント「脚気地蔵」を探して少し歩きましたが、箱根峠のバス停裏にあるとバイブル(ガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』)に書いてあるのに気がつき、変だなあと思いつつ戻ります。だって、マップ上では、箱根峠より先だから。やっぱりさっきのバス停まで戻ってもありません。

 また三島方面へ向かい歩きますと、「箱根峠」の信号があり、

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 さっきとは別の「箱根峠」のバス停があるではありませんか。


脚気地蔵

 さっきのは東海バスの箱根峠のバス停。こちらは、伊豆箱根バスの箱根峠のバス停。脚気地蔵はこの裏に。

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 実の親とも知らずに殺して金品を奪ってしまった不運な親子の供養塔だそうです。息子を探して旅に出た父親がここで持病の脚気で倒れて、通りかかった男がが介抱を装って刺し殺し財布を奪おうとしたら、見覚えがある財布で、親だとわかり泣き伏した・・・

 いや、しかし、親でなくても殺しちゃダメでしょ。と突っ込みたくなった・・・

 

 脚気地蔵、この説明板の奥ですが、うっそうとしていてちょっと怖かったので、パチリしただけで失礼しました。

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 さて、箱根峠を過ぎてこの先どちらへ進むか?

 このあたり、分岐点になっていますが案内も少なく、ちょっとわかりにくいです。

 営業していないドライブインの駐車場でトイレの近くに表示あり。

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 半信半疑で歩き出そうとすると、駐車している車の中から、おじさんが「三島方面へ行くの?」と声をかけてくださいました。その通りであることを告げると、「ちょっと待って」と言い残してどこかへ一瞬消えてから、パンフレットの束を抱えて戻ってきて、「これを持って行って。こっちをまっすぐだから。井上靖の碑があるよ」と教えて下さったのでした。どうやら、ここで旅人を見かけたら声をかけるのを日課とされている方のようです。ありがとうございました。パンフレットも、この後のウォークで大変役に立ちました。(ガイドブックより、ずっと詳しい)

 

 ちなみに、親切なおじさんがいたのは、「茨ヶ平」。

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 教わった通りの道を歩き始めます。

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 これより、どうやら旧道のようです。三島宿まで11㌔と書いてあります。

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 ちょっと風情がありますね・・・

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八ツ手観音

 手を数えてみますと・・・1 2 3 4 ・・・確かに八本ですね。特に説明はなかったのですが、間違いないでしょう。

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八里記念碑 井上靖

 八ツ手観音のすぐ近くに井上靖の記念碑。さっきのおじさんが言っていたものですね。この道で間違いないことが確認できて嬉しい。

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 いい感じに趣のある道が続きます・・・と言いたいところですが、

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 足元の石畳、やっぱり歩きにくいです。早くもややうんざり(すみません)。

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 この区間のどこかに甲石跡があったらしいのですが、見落としました。というか見つけられなかったです。

 

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 石畳、いったん終わり。一般道路に合流します。

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接待茶屋跡

 またすぐに旧道に入ります。旧道の入り口に接待茶屋跡の看板がありました。

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 江戸時代、険しい街道において、食料や焚火を施して旅人を助けていたという接待茶屋。明治維新でいったん途切れたものの、再びオープンして、なんと昭和47年まで続けていたというからオドロキです。昭和47年って、わりと最近だし。私、生まれてるし。


史跡箱根旧街道碑

 接待茶屋とほぼ同じ場所にある道標。

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 接待茶屋から続く旧街道の様子です。なんとなく往時が目に浮かびます。

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一里塚跡(接待茶屋)

 一里塚については特に表示がなかったのですが、おそらくこれでしょう。接待茶屋の向かいです。このうっそうとしてこんもりした感じ、一里塚。日本橋より26里目です。

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徳川有徳公遺跡碑

 これまた接待茶屋のすぐ近く。

 接待茶屋の近くはチェックポイントが集中しているので、気をつけて。

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甲石

 接待茶屋よりいくらも歩かないところにある甲石。甲石跡は見逃したけど、本体を見たから良しとしよう。

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 甲石の説明。

 秀吉が小田原攻めに向かう途中、兜をぬいでこの石の上に置いて休憩したのだそうで。

 休憩した場所は見落としていて、石はこれ。

 とまあこんな理解でよいかしら。それにしても、秀吉はあまり好きになれないな。東海道を歩いていると、秀吉が焼き払ったとか、秀吉が休憩したとか、そんないわれがたくさんあるけれど。

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明治天皇御小休址碑

 明治天皇の小休址は、しばらく歩いたところにありました。

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 往時はここから駿河湾がのぞめたということですが、今は深い山の中です。

 

 山道を歩きことに気をとられ、チェックポイント見逃しそうだなあと思っていたら、こんな表示が。ありがたいです。

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念仏石

 表示の先に念仏石。

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 旅で行き倒れた人を宗閑寺(後で行きます)というお寺で供養し、ここに碑を建てました。


施行平

 バイブルによれば、開けた台上に出るとありますが、ここかしら? 開けているかも。石畳が一瞬途切れ、ほっとしました。一瞬でしたが。

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 すぐまた石畳。

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 石畳に辟易していたら、きれいな紫陽花。

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 野生化しているのかな。大きくて見事だね~なんて話していたら、ちゃんと植林しているのですね。

 

 一般のお宅の敷地のすぐ前を通ります。失礼いたします・・・

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 やがてすぐに表れる表示に従って迂回します。

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 いったん旧道は途切れて・・・

 車の通る道を横断します。

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 横断すると、バス停です。ここ、農場前っていうんですね。さっきのお宅の農場かな?

 

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 表示に従って道路から旧道へ下ります。

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 うっっ、ちょっと急な階段ですね。頑張りましょう!

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 標識を確認して・・・ 

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 再び石畳。石畳、おなかいっぱいですが、まだまだ解放させてもらえませんね。

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この区間に大枯木坂というチェックポイントがあったのですが、見逃しました。数ある坂の一つということで、よしとします。


雲助徳利の墓

 雲助徳利の墓まで来ました。

 ちなみに石畳はここまで。しばらくは普通の塗装の道路になります。(山中から先、また石畳はあるのですけれどね。しばらくは歩きやすい道です。)

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 親切で仲間から慕われた雲助・松谷久四郎。お酒をこよなく愛し、お酒のせいで命を縮めてしまいました。お墓に徳利が彫られています。詳しくは、説明板をご覧ください。ちょっと見にくいですが。

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史跡箱根旧街道碑

 石畳の道の最後に碑があります。分岐点ですから。

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諏訪神社

 石畳を出て、まず目についた神社。諏訪神社です。バイブルには特に説明がなかったのですが、とにかく行ってみましょう。

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 本殿です。

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 境内に、樹齢500年~600年の大きな樫の木があるとのこと。

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 これですね。たしかに大きい。

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 神社の裏が、山中城址につながっていました。案内所はもっと先のはずなのですが、少し見てみましょう。城跡、広いんですね。

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 こちら兵糧庫があった場所です。

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 他にも面白い遺構が・・・

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 もっと見てみたかったけれど、きりがないので先を急ぎます。

 山中城についての説明板があったのでアップしますね。

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 山中城、急遽作られた山城で、秀吉に攻め込まれわずか半日で落城してしまったそうですが、広大な敷地にたくさんの遺構が残り、大変価値のある文化遺産なのだそうです。確かにその通り。本当に広いですし、遺構が、面白いです。

 

 諏訪神社を後にして、一般道路を歩きますと・・・

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宗閑寺

  まもなく、宗閑寺に到着です。

 

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 宗閑寺には、山中城攻防で戦死した両軍の将のお墓があります。

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 小さな住宅街を突き抜ける石畳を通ります。現代の石畳です! これはラクチン。

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芝切地蔵堂

 厄除け・芝切地蔵堂です。

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 ここで亡くなった旅人が、死ぬ間際に「私をここに地蔵尊として祀ってください。芝塚を築いて故郷の常陸の国が見えるようにしてくだされば、村人の健康を守ります。」と言い残したそうです。詳しくは説明板をご覧ください。

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 これが芝塚。

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 虫歯地蔵というのが珍しかったので、パチリ。虫歯は困りますねぇ。歯は、健康の根幹。

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 山中城址の案内所に到着しました! 案内所ですが、お食事も できるようになっています。というか、この辺り、ここにしか食堂ありません。コンビニなどは、もちろん皆無。芦川の石仏群から旧道に入ってからずっと。

 というわけで、遅い昼食となりました。

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 ご夫婦で切り盛りされていて、私たちの他にも家族連れが一組いて忙しそうだったので、あれこれ注文するのも申し訳なく、ざるそばにしました。とは言いつつ、イチオシの「寒ざらし団子」が気になって、こちらも注文しました。

 こちらが寒ざらし団子です。もちもちした揚げ団子に甘みそたれがかかっていました。もちろん美味。ざるそばも美味しかったです。

 天ざるとかお稲荷さんとか、メニューが豊富。大変良心的なお店だと思います。

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山中城跡

 バスが来るまで時間があったので、山中城址を少し歩きました。遺構の工事中でしょうか。それにしれも、広いです! 見晴らし、なかなかいいです。山城だから当然ですね。

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 こちらは次のチェックポイント、袋崎出丸跡です。

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 出丸跡、建設半ばにして中止になりました。でもちゃんと土台は残っているのですね。

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 次回はここからスタートになります。

 次回っていつでしょうね? 夏は暑いし、しばらく先かも。でも必ずまた来ますよ。だって「目指せ、三島!」ですから。

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 三島行バス停です。

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 15時5分、三島行のバスに乗りました。

 つまり、バスで一足先に三島まで到達してしまったのですが。

 次回は徒歩で目指します!

 

 長文をここまで読んでくださりありがとうございました。またお立ち寄りくださると嬉しいです。

 


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先取りチェック 目指せ三島!

 暑いですね・・・

 暑くて外に出るのも大変です。日差しも道も土もギラギラ。

 ウォークから遠ざかっています。

 暑いのが理由というより、足が痛くて。3週間ほど前、自転車で移動中に軽く車にぶつかりました。こちらは歩道、あちらはショッピングモールのパーキングから出てくるところ。生垣がうっそうと繁っていて、見通しが悪く、アイコンタクトが足りなかったかも。ちょっと痛かったけど急いでいたからまあいいやと思ってしまった・・・甘かったな。あとから地味に痛みが来たから。昨日は階段を降りるのが痛くて大変だった。今日は大丈夫なんだけど。これからは本当に車に気をつけよう。

 ロート製薬から出てるメンソレータムのラブ、いいですね。スティックタイプの湿布薬。あれをぬりぬりして、マッサージしたら気持ちよかったです。でも一度病院に行った方がいいかな。足が痛いと、ウォークどころじゃなくなっちゃうものね。

 

 さて、行こうと思っていたら痛みがぶり返し、断念していた、ウォーク。そろそろ行くか、暑いからやめるか・・・ 行かないとネタもないしなあ。

 とりあえず、気持ちだけは先に行っておきましょう。ということで先取りチェックです。

 

 前回の終着点・箱根の関所跡から三島をめざします。結構遠いですね。一度にコンプリートするのは無理かも。

 

 例によって街道ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)がチェックポイントとしている場所をリストアップしましょう。

 

  1. 本陣はふや跡
  2. 山の神
  3. 石仏群
  4. 駒形神社
  5. 向坂
  6. 箱根峠
  7. 脚気地蔵
  8. 八ツ手観音
  9. 八里記念碑 井上靖
  10. 甲石跡
  11. 接待茶屋跡
  12. 史跡箱根旧街道碑
  13. 一里塚跡(接待茶屋)
  14. 徳川有徳公遺跡碑
  15. 甲石
  16. 明治天皇御小休址碑
  17. 念仏石
  18. 施行平
  19. 大枯木坂
  20. 雲助徳利の墓
  21. 史跡箱根旧街道碑
  22. 諏訪神社
  23. 宗閑字
  24. 芝切地蔵堂
  25. 山中城跡
  26. 岱崎出丸跡
  27. 馬頭観音
  28. 八里記念碑 司馬遼太郎
  29. 芭蕉句碑
  30. 明治天皇休憩碑
  31. 馬頭観音
  32. 史跡箱根旧街道碑
  33. 八里記念碑 大岡信
  34. 笹原の一里塚跡
  35. 道祖神・馬頭観音
  36. 山神社
  37. 松雲寺
  38. 大時雨坂
  39. 史跡法善寺旧址碑
  40. 七面堂旧址碑
  41. 坂幼稚園
  42. 題目坂
  43. 出征馬の碑
  44. 山神社
  45. 法善寺
  46. 六地蔵
  47. 臼転坂
  48. 馬頭観音
  49. 普門庵
  50. 山神社
  51. 永代鎮座
  52. 宗福寺
  53. 石仏
  54. 箱根路の碑
  55. 錦田の一里塚
  56. 旧道の碑
  57. 大根の碑・雲助備前繋の墓
  58. 真立寺
  59. 宝鏡院・足利義詮の墓
  60. 東見付跡
  61. 八幡神社
  62. 妙行寺
  63. 王子神社
  64. 光安寺
  65. 三嶋大社

 

 うわっっっ チェックポイントが65個もある! こりゃ一日では無理だわ・・・ これまでのウォークだと34個でも大変だったもの。

 真ん中らへんは、笹原の一里塚ですかねえ・・・ 

 あ、笹原の一里塚、アクセスは三島からバスですね。だとすると、山中城址ならば箱根までバスで戻れるから、次回は山中辺りを終着点に考えるといいかなと、今思いました! もしくは、笹原の一里塚まで歩いてしまってバスで山中乗り換えで箱根に戻ります。うーん、どうなんだろ?

 

 一応、三島までひと続きで見どころをズームアップしてみましょう。(実際、ひと続きはないと思うけど)

 

雲助徳利の墓

 雲助頭(雲助とは、江戸時代、荷物の運搬とか橋渡しとか、旅や交通にかかわる仕事をした人たちのことです)であった久助の墓。久助は雲助に高圧的な旅人に立ち向かい、文字の読めない仲間には手紙の読み書きをして慕われましたが、酒好きが高じて命を縮めました。死後、雲助仲間が感謝して建てた「徳利・盃がついた墓石」が残っています。

 いい人だったんですねー。お酒が命を縮めたのか。今でもありそうな話だなあ。

 雲助は、広くは旅のお手伝いをする人という意味ですが、中には悪い雲助もいて、街道の難所に出没して旅人を脅してお金を奪ったりすることもあって、そういう悪人を狭い意味で「雲助」と呼びます。

 

山中城址

 永禄年間(1558~1570)に、小田原北条氏の前線基地として築造されました。土塁の山城で堅牢ではなかったため天正18年(1590)に、豊臣軍の攻撃でたった半日で落城してしまいました。城址全体が復元され、学術的には大変貴重な遺構なんだそうです。

 

笹原一里塚

 江戸から27里目。京に向かって街道左に塚全体が残ります。永年放置されているため、草木が茂り放題なんだとか・・・

 

こわめし坂

 こわめし坂は、三ツ谷から笹原へかけて の街道を指し、箱根西坂では最も険しい 急坂です。言い伝えがいくつかあり、「こ の坂道を登りつめると旅人は汗びっしょ りになり、その汗と熱で旅人の背負って いた米はこわめしになってしまう」、「昔の 人は、登りきるのに大変疲れるので、 こ わめしを食べて力をつけてから登った」 など諸説残っています

 

地蔵堂六地蔵

  六地蔵は、地獄信仰の 六道(地獄・ 餓鬼・畜 生・修羅・人 間・天 上の六界) を 表しています。この地蔵尊は火事 がないようにと、毎夜、夜まわりをしてくれ るという言い伝えがあります。

 

錦田一里塚

 愛宕松並木の脇に左右とも現存する貴重な一里塚です。

 

愛宕坂と初音ヶ原の松並木

 多くの松並木が明治以降枯れてしまい、現在はこの辺りのみです。

 

《今回の石畳》

 前回大いに悩まされた石畳ですが・・・今回もあります!

 箱根峠先にはちょうど笹のトンネルの ような趣のある石畳があります。

 また、笹原地区から山中地区まで 約2kmの区間では、可能な限り往時に 近い形で石畳が整備されています。両側 を背の高い杉並木で覆われていたり、運が良ければ富 士山の眺望が望めたりと、景色を楽しみながら散策することができる道です。

 

《おまけの情報・箱根の大根干し》 

 三島は古くから大根の産地で、平井源太郎 が 「農兵節」とともに箱根の大根を大々的に 売り出したことで有名になりました。箱根西 麓は、火山灰土が積もってできた土地なの で大根栽培に適しているといわれ、冬になる と沢庵漬けにされる大根があちこちで干されています。雪化粧した富士山 と、白く輝く抜きたての大根は三島の風物詩として広く知られており、この時 期になると多くの写真愛好家が三島に訪れます。

 

 ここまで書いたところで、くろやぎ(同行人・夫)から情報。

くろ「山中から三島までのバスはパスモ使えないぞー」

ルピ「じゃあ、山中から先はいかないで、山中から箱根に引き返せばいいじゃん」

くろ「ばかばか、そんなの、時間かかってしょうがないって。帰りは三島にバスで出るんだよ!」

 

 あ、そうなのね。じゃあ、次回のウォークは、やっぱり「目指せ三島」ってことで、行けるとこまで歩いて、時間でやめて三島行のバスに乗るということで、決まった!

 

 箱根峠は相模・伊豆の国境。現在の地図でも神奈川と静岡の県境になります。このルート、あんまり事前情報がないです。歩いて見ないとわからない感じも、また楽しみ。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

ブログ大作戦

今週のお題「2018年上半期」

 

 晴耕雨読ならぬ晴歩雨読をめざす休日をアップしようじゃないかという当ブログですが、肝心の晴歩がなかなか実施できず、ネタに少々困り気味。困った時の「今週のお題」ということで、なになに上半期を振り返るですって?

 

 どちらかと言いますと、「今年も半分が過ぎた」というよりも、「今年度も半分過ぎてしまった」「しかも今年もあと3か月しかない!」という10月の方が、反省も含めて感じるものがたくさんありますが・・・ 

 今年のお正月、もう半年も前なんですねぇ。意外だなぁ。そういえば新年早々がんばったことは、Googleアドセンス申請でした!

 

 ちょっとした思いつきからブログを始めたのが昨年9月。どうせなら広告収入が入ったらいいよね~と思ってしまうのは、皆さんも同じではありませんか? 3か月100記事をとりあえずアップしてから申請というのが一般的らしかったので、それにならい、3か月はせっせと記事をアップしましたよ。わりと凝り性で完璧主義なんで、どんどんドツボにはまることに。寝不足、つらかったです。はてなプロに切り替えるのはもっと後でもいいやと思っていたのですが、写真のアップロードを気にせずにしたかったので、年内にはプロに変更し、年末の休みには○○○銀行に行き、いつか入るブログ収入のために専用の口座を開設しました! まずは、環境から整えねば。で、年始早々、Googleさんに申請を。

 ショックでしたね。あっさり却下されましたもん。一生懸命やり方を調べて、頑張ったのになあ。「あなたのブログはGoogleのポリシーに違反している」とかなんちゃらかんちゃら・・・ 違反って、何が? 何か悪いことしましたっけ??? 画像が多いのかなぁ? 自分で撮ったヤツだから、著作権は問題ないと思うけど? なんでかなあ?

 そのうち、悟ったんです。はっきりした違反はないけど、パッとしないんだヮ。面白くないっていうか。だって、街道ウォークについて、事細かに多方面からアプローチしているけれど、これ面白いかっていうと微妙かも。マニアックすぎかも。

 それからは、調べたことをなんでもかんでも書くのはやめました。サクッとつかみで書くようにしたんです。この頃、大雪が降って、通勤帰りに雪道を自転車で走っていて激しく転倒し、街道ウォークができない週末が続きます。「なんてこった」と思いましたが、「今週のお題」で書くと多少アクセスが増えるので、できる限りエントリーしてみましたよ。そしたらですね、ちょっと嬉しいことが。それはこちらです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

  はてなで、「今週のお題」のふりかえりに取り上げていただいたんです。ありがとうございます。Googleさんに振られてへこんでいたので、本当に救われた感じがしました。

 この頃「なぜ、Googleアドセンス 落ちた 原因」などというキーワードでググってみたりもしてたんですけど、「3か月ぐらいしてもう一度申請したら、すーっと通った」なんてコメントもあったんで、春になったらまた申請しようかなーと思いました。

 で、3月に入って再申請しましたら、今度は本当にすーっと通りびっくり。早速広告を貼り付けさせていただきましたが、訪問者数はさして多くないものですから、広告収入の方は期待せず。

 Googleさんからお許しをいただいたのは嬉しかったのですが、前後して実家の母が風邪をこじらせて入院し、週末のウォークはできなくなりました。同時期に、認知症を患って体調を崩していた義母が亡くなり、49日が済むまではウォークをお休みに。「今週のお題」と「読書の話題」でつなぐ日々となりました。

 

 現在では家の方もなんとか落ち着き、体調もまあまあ。ウォークは再開していますが、回を重ねたために目的地(始点・終点)が遠くなって日帰りが難しくなってきそうな予感。どうしましょうね?

 

 と悩んでいましたら、先日、Googleさんからお手紙が届きました。広告収入を振り込むための口座を登録するための案内でした。ある程度収入がないとこの案内は来ないらしく、私は収入があったとは思っていなかったんで気にしていなかったんですけれど、1063円分ほどクリックしていただいていたようです。ありがとうございますm(__)m 口座を登録しましたら、「そこへ100円未満でお金を振り込むのでその金額を知らせよ」とのこと。通帳記帳したら、66円の入金が。「66」と入力したら「口座開設できました」とお知らせいただきました。ついにここまで来たかぁと、しみじみしてしまいました。

 「Googleアドセンス申請するぞー!」って思い詰めているときはペケで、そのあとあまり意識していないのに進展していくのが面白かったです。人生そんなもん? 8000円を超さないと入金はないとのことで、まだまだブログ収入をいただいたわけではありませんが、コツコツやっていこうと思います。亀の歩みのようですが。歩みを止めないで頑張ります。

 

 というわけでして、上半期を振り返りますと、ちょうどアドセンス申請をして口座登録に至った半年間と重なっておりました。

 これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

門井慶喜『銀河鉄道の父』

 街道ウォークとときどき読書のブログです。

 日本橋を出発して週末に少しずつ進めてきた東海道ウォーク。箱根の関所に到達してまずは一区切り。日帰りするには少々無理がある距離になってきました。これまでのようにちょくちょく気軽に行くことはできないかも・・・

 

 ということでしばらく読書ブログにお付き合いいただくことが増えるかもしれません。今回は、『銀河鉄道の父』(門井慶喜 講談社)です。

 第158回直木賞受賞作品です。またまた話題作を取り上げてしまいました・・・ というのも、私は本に関連する仕事をしていまして、やはり話題作は読んでおかないとモグリになってしまう気がするので。せっかく読んだので感想をつぶやいています。

 

 門井慶喜さんの作品については以前当ブログで『家康江戸を建てる』を話題にしたことがありました。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

  このとき、文章が不自然(体言止めが多いなど)なことと、史実を基にした創作であるにもかかわらず参考文献が挙げられていないことを、残念だと書かせていただきました(すみません)。今回もこれに関しては同様の感想です。

 ただ、宮沢賢治ではなく、賢治の父の心情にスポットを当てて(後半、賢治の側に立って書かれた記述も混在し、「あれ?」と思ったりもしたのですが)いる点がこれまでになく新しく、とても面白かったです。

 宮沢賢治と言えば、小学校の教科書で童話が取り上げられ、誰しも一度はその作品に出会っているのではないかと思われるほど有名です。しかしながら、生前はほとんど評価されなかったこと、詩人・作家であると同時に農業者として生きていたことなど、いわゆる明治の文豪とは異なる位置にいたこともしばしば語られているので、知っている人は多いことでしょう。また、私は子どもの頃、教科書ではもちろん自分で本を借りたりもして、宮沢賢治の童話を読む機会がありましたが、優しい語り口なのにどこか説教臭く、「好きになれないなあ・・・」ともやもやとした感想を抱いた記憶があります。理想を語り、諭される感じになじめなかったというか。立派過ぎるような感じ。

 でも、今回、この『銀河鉄道の父』を読んで、ずいぶん印象が変わりました。ここでの賢治は、世間知らずのボンボンで、学校は出たものの今でいうとニート。学業をあきらめ家族と家業のためにひたすら働いてきた父親に内心反発しつつ、正面切っては強く出ることはできない。あるあるな感じに親近感すら覚えてしまいました。そして父・政次郎は、最初は神童かと言われたにもかかわらず徐々に学業の精彩を欠き、心配の尽きない我が子を前に人知れずおろおろする大甘ぶり。なんか平成の父親みたい。

 本当に賢治って、そして賢治のお父さんってこんな感じだったの? 読み終わった後、とにかくすごく気になって、賢治について書かれた本を図書館で借りてきてしまいました。『図説 宮沢賢治』(上田哲・関山房兵・大矢邦宣・池野正樹/著 河出書房新社 1996刊)です。たまたま目についたのを借りただけなのですが、写真が豊富で、4人の著者がそれぞれの専門分野からの視点・アプローチで賢治についてわかりやすく丁寧に検証していて、とてもよかったです。人を、一面で見ることは乱暴。いい面もあれば、それが悪い面に見えることもある。心に葛藤を抱え、自分の人生もどうしていいかわからなかった賢治だからこそ、あのような澄んだ世界を自分の理想の着地点として作っていったのかもしれないなあと、今さらながら思いました。それと、子どもの頃、どうにも好きになれなかった賢治の童話の説教臭さも少しだけ合点がいきました。悩める自らを戒めるような気持ちもあったのだろうし、何より幼いころっから家族で信仰していた浄土真宗の影響が大いにあったことでしょう。(後に賢治は日蓮宗に改宗します。実はキリスト教の影響も少なからず受けていたようです。いずれにせよ宗教というものに魅かれる土壌があったのでしょうね。) この解説本を読むと、そんなこんなが見えてきます。

 

 で、『銀河鉄道の父』ですが、これがすべてではないけれど、賢治についてこういう捉え方もあるのだなあということで、評価できるし、その面白さが直木賞受賞につながったのではないかと思いました。ただ、やはり、参考資料が挙げてあったらよかったのにと残念です。種明かしはしないのかもしれないけれど、読者としては興味があるし、そうした記載があったほうがかえって信頼できるかも。

 事実と違うなんてことは言いません。だってこれは創作なのだから。創作部分にこそ価値があるのだから。「史実(事実)を基にした創作」の難しさを感じた一冊でした。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもの。それを超えるのはとても大変ですね。

 

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