てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

先取りチェック 目指せ三島!

 暑いですね・・・

 暑くて外に出るのも大変です。日差しも道も土もギラギラ。

 ウォークから遠ざかっています。

 暑いのが理由というより、足が痛くて。3週間ほど前、自転車で移動中に軽く車にぶつかりました。こちらは歩道、あちらはショッピングモールのパーキングから出てくるところ。生垣がうっそうと繁っていて、見通しが悪く、アイコンタクトが足りなかったかも。ちょっと痛かったけど急いでいたからまあいいやと思ってしまった・・・甘かったな。あとから地味に痛みが来たから。昨日は階段を降りるのが痛くて大変だった。今日は大丈夫なんだけど。これからは本当に車に気をつけよう。

 ロート製薬から出てるメンソレータムのラブ、いいですね。スティックタイプの湿布薬。あれをぬりぬりして、マッサージしたら気持ちよかったです。でも一度病院に行った方がいいかな。足が痛いと、ウォークどころじゃなくなっちゃうものね。

 

 さて、行こうと思っていたら痛みがぶり返し、断念していた、ウォーク。そろそろ行くか、暑いからやめるか・・・ 行かないとネタもないしなあ。

 とりあえず、気持ちだけは先に行っておきましょう。ということで先取りチェックです。

 

 前回の終着点・箱根の関所跡から三島をめざします。結構遠いですね。一度にコンプリートするのは無理かも。

 

 例によって街道ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)がチェックポイントとしている場所をリストアップしましょう。

 

  1. 本陣はふや跡
  2. 山の神
  3. 石仏群
  4. 駒形神社
  5. 向坂
  6. 箱根峠
  7. 脚気地蔵
  8. 八ツ手観音
  9. 八里記念碑 井上靖
  10. 甲石跡
  11. 接待茶屋跡
  12. 史跡箱根旧街道碑
  13. 一里塚跡(接待茶屋)
  14. 徳川有徳公遺跡碑
  15. 甲石
  16. 明治天皇御小休址碑
  17. 念仏石
  18. 施行平
  19. 大枯木坂
  20. 雲助徳利の墓
  21. 史跡箱根旧街道碑
  22. 諏訪神社
  23. 宗閑字
  24. 芝切地蔵堂
  25. 山中城跡
  26. 岱崎出丸跡
  27. 馬頭観音
  28. 八里記念碑 司馬遼太郎
  29. 芭蕉句碑
  30. 明治天皇休憩碑
  31. 馬頭観音
  32. 史跡箱根旧街道碑
  33. 八里記念碑 大岡信
  34. 笹原の一里塚跡
  35. 道祖神・馬頭観音
  36. 山神社
  37. 松雲寺
  38. 大時雨坂
  39. 史跡法善寺旧址碑
  40. 七面堂旧址碑
  41. 坂幼稚園
  42. 題目坂
  43. 出征馬の碑
  44. 山神社
  45. 法善寺
  46. 六地蔵
  47. 臼転坂
  48. 馬頭観音
  49. 普門庵
  50. 山神社
  51. 永代鎮座
  52. 宗福寺
  53. 石仏
  54. 箱根路の碑
  55. 錦田の一里塚
  56. 旧道の碑
  57. 大根の碑・雲助備前繋の墓
  58. 真立寺
  59. 宝鏡院・足利義詮の墓
  60. 東見付跡
  61. 八幡神社
  62. 妙行寺
  63. 王子神社
  64. 光安寺
  65. 三嶋大社

 

 うわっっっ チェックポイントが65個もある! こりゃ一日では無理だわ・・・ これまでのウォークだと34個でも大変だったもの。

 真ん中らへんは、笹原の一里塚ですかねえ・・・ 

 あ、笹原の一里塚、アクセスは三島からバスですね。だとすると、山中城址ならば箱根までバスで戻れるから、次回は山中辺りを終着点に考えるといいかなと、今思いました! もしくは、笹原の一里塚まで歩いてしまってバスで山中乗り換えで箱根に戻ります。うーん、どうなんだろ?

 

 一応、三島までひと続きで見どころをズームアップしてみましょう。(実際、ひと続きはないと思うけど)

 

雲助徳利の墓

 雲助頭(雲助とは、江戸時代、荷物の運搬とか橋渡しとか、旅や交通にかかわる仕事をした人たちのことです)であった久助の墓。久助は雲助に高圧的な旅人に立ち向かい、文字の読めない仲間には手紙の読み書きをして慕われましたが、酒好きが高じて命を縮めました。死後、雲助仲間が感謝して建てた「徳利・盃がついた墓石」が残っています。

 いい人だったんですねー。お酒が命を縮めたのか。今でもありそうな話だなあ。

 雲助は、広くは旅のお手伝いをする人という意味ですが、中には悪い雲助もいて、街道の難所に出没して旅人を脅してお金を奪ったりすることもあって、そういう悪人を狭い意味で「雲助」と呼びます。

 

山中城址

 永禄年間(1558~1570)に、小田原北条氏の前線基地として築造されました。土塁の山城で堅牢ではなかったため天正18年(1590)に、豊臣軍の攻撃でたった半日で落城してしまいました。城址全体が復元され、学術的には大変貴重な遺構なんだそうです。

 

笹原一里塚

 江戸から27里目。京に向かって街道左に塚全体が残ります。永年放置されているため、草木が茂り放題なんだとか・・・

 

こわめし坂

 こわめし坂は、三ツ谷から笹原へかけて の街道を指し、箱根西坂では最も険しい 急坂です。言い伝えがいくつかあり、「こ の坂道を登りつめると旅人は汗びっしょ りになり、その汗と熱で旅人の背負って いた米はこわめしになってしまう」、「昔の 人は、登りきるのに大変疲れるので、 こ わめしを食べて力をつけてから登った」 など諸説残っています

 

地蔵堂六地蔵

  六地蔵は、地獄信仰の 六道(地獄・ 餓鬼・畜 生・修羅・人 間・天 上の六界) を 表しています。この地蔵尊は火事 がないようにと、毎夜、夜まわりをしてくれ るという言い伝えがあります。

 

錦田一里塚

 愛宕松並木の脇に左右とも現存する貴重な一里塚です。

 

愛宕坂と初音ヶ原の松並木

 多くの松並木が明治以降枯れてしまい、現在はこの辺りのみです。

 

《今回の石畳》

 前回大いに悩まされた石畳ですが・・・今回もあります!

 箱根峠先にはちょうど笹のトンネルの ような趣のある石畳があります。

 また、笹原地区から山中地区まで 約2kmの区間では、可能な限り往時に 近い形で石畳が整備されています。両側 を背の高い杉並木で覆われていたり、運が良ければ富 士山の眺望が望めたりと、景色を楽しみながら散策することができる道です。

 

《おまけの情報・箱根の大根干し》 

 三島は古くから大根の産地で、平井源太郎 が 「農兵節」とともに箱根の大根を大々的に 売り出したことで有名になりました。箱根西 麓は、火山灰土が積もってできた土地なの で大根栽培に適しているといわれ、冬になる と沢庵漬けにされる大根があちこちで干されています。雪化粧した富士山 と、白く輝く抜きたての大根は三島の風物詩として広く知られており、この時 期になると多くの写真愛好家が三島に訪れます。

 

 ここまで書いたところで、くろやぎ(同行人・夫)から情報。

くろ「山中から三島までのバスはパスモ使えないぞー」

ルピ「じゃあ、山中から先はいかないで、山中から箱根に引き返せばいいじゃん」

くろ「ばかばか、そんなの、時間かかってしょうがないって。帰りは三島にバスで出るんだよ!」

 

 あ、そうなのね。じゃあ、次回のウォークは、やっぱり「目指せ三島」ってことで、行けるとこまで歩いて、時間でやめて三島行のバスに乗るということで、決まった!

 

 箱根峠は相模・伊豆の国境。現在の地図でも神奈川と静岡の県境になります。このルート、あんまり事前情報がないです。歩いて見ないとわからない感じも、また楽しみ。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

ブログ大作戦

今週のお題「2018年上半期」

 

 晴耕雨読ならぬ晴歩雨読をめざす休日をアップしようじゃないかという当ブログですが、肝心の晴歩がなかなか実施できず、ネタに少々困り気味。困った時の「今週のお題」ということで、なになに上半期を振り返るですって?

 

 どちらかと言いますと、「今年も半分が過ぎた」というよりも、「今年度も半分過ぎてしまった」「しかも今年もあと3か月しかない!」という10月の方が、反省も含めて感じるものがたくさんありますが・・・ 

 今年のお正月、もう半年も前なんですねぇ。意外だなぁ。そういえば新年早々がんばったことは、Googleアドセンス申請でした!

 

 ちょっとした思いつきからブログを始めたのが昨年9月。どうせなら広告収入が入ったらいいよね~と思ってしまうのは、皆さんも同じではありませんか? 3か月100記事をとりあえずアップしてから申請というのが一般的らしかったので、それにならい、3か月はせっせと記事をアップしましたよ。わりと凝り性で完璧主義なんで、どんどんドツボにはまることに。寝不足、つらかったです。はてなプロに切り替えるのはもっと後でもいいやと思っていたのですが、写真のアップロードを気にせずにしたかったので、年内にはプロに変更し、年末の休みには○○○銀行に行き、いつか入るブログ収入のために専用の口座を開設しました! まずは、環境から整えねば。で、年始早々、Googleさんに申請を。

 ショックでしたね。あっさり却下されましたもん。一生懸命やり方を調べて、頑張ったのになあ。「あなたのブログはGoogleのポリシーに違反している」とかなんちゃらかんちゃら・・・ 違反って、何が? 何か悪いことしましたっけ??? 画像が多いのかなぁ? 自分で撮ったヤツだから、著作権は問題ないと思うけど? なんでかなあ?

 そのうち、悟ったんです。はっきりした違反はないけど、パッとしないんだヮ。面白くないっていうか。だって、街道ウォークについて、事細かに多方面からアプローチしているけれど、これ面白いかっていうと微妙かも。マニアックすぎかも。

 それからは、調べたことをなんでもかんでも書くのはやめました。サクッとつかみで書くようにしたんです。この頃、大雪が降って、通勤帰りに雪道を自転車で走っていて激しく転倒し、街道ウォークができない週末が続きます。「なんてこった」と思いましたが、「今週のお題」で書くと多少アクセスが増えるので、できる限りエントリーしてみましたよ。そしたらですね、ちょっと嬉しいことが。それはこちらです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

  はてなで、「今週のお題」のふりかえりに取り上げていただいたんです。ありがとうございます。Googleさんに振られてへこんでいたので、本当に救われた感じがしました。

 この頃「なぜ、Googleアドセンス 落ちた 原因」などというキーワードでググってみたりもしてたんですけど、「3か月ぐらいしてもう一度申請したら、すーっと通った」なんてコメントもあったんで、春になったらまた申請しようかなーと思いました。

 で、3月に入って再申請しましたら、今度は本当にすーっと通りびっくり。早速広告を貼り付けさせていただきましたが、訪問者数はさして多くないものですから、広告収入の方は期待せず。

 Googleさんからお許しをいただいたのは嬉しかったのですが、前後して実家の母が風邪をこじらせて入院し、週末のウォークはできなくなりました。同時期に、認知症を患って体調を崩していた義母が亡くなり、49日が済むまではウォークをお休みに。「今週のお題」と「読書の話題」でつなぐ日々となりました。

 

 現在では家の方もなんとか落ち着き、体調もまあまあ。ウォークは再開していますが、回を重ねたために目的地(始点・終点)が遠くなって日帰りが難しくなってきそうな予感。どうしましょうね?

 

 と悩んでいましたら、先日、Googleさんからお手紙が届きました。広告収入を振り込むための口座を登録するための案内でした。ある程度収入がないとこの案内は来ないらしく、私は収入があったとは思っていなかったんで気にしていなかったんですけれど、1063円分ほどクリックしていただいていたようです。ありがとうございますm(__)m 口座を登録しましたら、「そこへ100円未満でお金を振り込むのでその金額を知らせよ」とのこと。通帳記帳したら、66円の入金が。「66」と入力したら「口座開設できました」とお知らせいただきました。ついにここまで来たかぁと、しみじみしてしまいました。

 「Googleアドセンス申請するぞー!」って思い詰めているときはペケで、そのあとあまり意識していないのに進展していくのが面白かったです。人生そんなもん? 8000円を超さないと入金はないとのことで、まだまだブログ収入をいただいたわけではありませんが、コツコツやっていこうと思います。亀の歩みのようですが。歩みを止めないで頑張ります。

 

 というわけでして、上半期を振り返りますと、ちょうどアドセンス申請をして口座登録に至った半年間と重なっておりました。

 これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

門井慶喜『銀河鉄道の父』

 街道ウォークとときどき読書のブログです。

 日本橋を出発して週末に少しずつ進めてきた東海道ウォーク。箱根の関所に到達してまずは一区切り。日帰りするには少々無理がある距離になってきました。これまでのようにちょくちょく気軽に行くことはできないかも・・・

 

 ということでしばらく読書ブログにお付き合いいただくことが増えるかもしれません。今回は、『銀河鉄道の父』(門井慶喜 講談社)です。

 第158回直木賞受賞作品です。またまた話題作を取り上げてしまいました・・・ というのも、私は本に関連する仕事をしていまして、やはり話題作は読んでおかないとモグリになってしまう気がするので。せっかく読んだので感想をつぶやいています。

 

 門井慶喜さんの作品については以前当ブログで『家康江戸を建てる』を話題にしたことがありました。

 

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  このとき、文章が不自然(体言止めが多いなど)なことと、史実を基にした創作であるにもかかわらず参考文献が挙げられていないことを、残念だと書かせていただきました(すみません)。今回もこれに関しては同様の感想です。

 ただ、宮沢賢治ではなく、賢治の父の心情にスポットを当てて(後半、賢治の側に立って書かれた記述も混在し、「あれ?」と思ったりもしたのですが)いる点がこれまでになく新しく、とても面白かったです。

 宮沢賢治と言えば、小学校の教科書で童話が取り上げられ、誰しも一度はその作品に出会っているのではないかと思われるほど有名です。しかしながら、生前はほとんど評価されなかったこと、詩人・作家であると同時に農業者として生きていたことなど、いわゆる明治の文豪とは異なる位置にいたこともしばしば語られているので、知っている人は多いことでしょう。また、私は子どもの頃、教科書ではもちろん自分で本を借りたりもして、宮沢賢治の童話を読む機会がありましたが、優しい語り口なのにどこか説教臭く、「好きになれないなあ・・・」ともやもやとした感想を抱いた記憶があります。理想を語り、諭される感じになじめなかったというか。立派過ぎるような感じ。

 でも、今回、この『銀河鉄道の父』を読んで、ずいぶん印象が変わりました。ここでの賢治は、世間知らずのボンボンで、学校は出たものの今でいうとニート。学業をあきらめ家族と家業のためにひたすら働いてきた父親に内心反発しつつ、正面切っては強く出ることはできない。あるあるな感じに親近感すら覚えてしまいました。そして父・政次郎は、最初は神童かと言われたにもかかわらず徐々に学業の精彩を欠き、心配の尽きない我が子を前に人知れずおろおろする大甘ぶり。なんか平成の父親みたい。

 本当に賢治って、そして賢治のお父さんってこんな感じだったの? 読み終わった後、とにかくすごく気になって、賢治について書かれた本を図書館で借りてきてしまいました。『図説 宮沢賢治』(上田哲・関山房兵・大矢邦宣・池野正樹/著 河出書房新社 1996刊)です。たまたま目についたのを借りただけなのですが、写真が豊富で、4人の著者がそれぞれの専門分野からの視点・アプローチで賢治についてわかりやすく丁寧に検証していて、とてもよかったです。人を、一面で見ることは乱暴。いい面もあれば、それが悪い面に見えることもある。心に葛藤を抱え、自分の人生もどうしていいかわからなかった賢治だからこそ、あのような澄んだ世界を自分の理想の着地点として作っていったのかもしれないなあと、今さらながら思いました。それと、子どもの頃、どうにも好きになれなかった賢治の童話の説教臭さも少しだけ合点がいきました。悩める自らを戒めるような気持ちもあったのだろうし、何より幼いころっから家族で信仰していた浄土真宗の影響が大いにあったことでしょう。(後に賢治は日蓮宗に改宗します。実はキリスト教の影響も少なからず受けていたようです。いずれにせよ宗教というものに魅かれる土壌があったのでしょうね。) この解説本を読むと、そんなこんなが見えてきます。

 

 で、『銀河鉄道の父』ですが、これがすべてではないけれど、賢治についてこういう捉え方もあるのだなあということで、評価できるし、その面白さが直木賞受賞につながったのではないかと思いました。ただ、やはり、参考資料が挙げてあったらよかったのにと残念です。種明かしはしないのかもしれないけれど、読者としては興味があるし、そうした記載があったほうがかえって信頼できるかも。

 事実と違うなんてことは言いません。だってこれは創作なのだから。創作部分にこそ価値があるのだから。「史実(事実)を基にした創作」の難しさを感じた一冊でした。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもの。それを超えるのはとても大変ですね。

 

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第14回街道ウォーク 箱根湯本→関所跡③

 ♪箱根の山は天下の険♪

 街道歩き(実質山越え)の様子を3回にわたってお伝えしています。

 3回目の今回は、甘酒茶屋から箱根関所跡を目指します。

 

 ここまでの道のりは、前回、前々回のブログをご覧ください。

 

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 江戸時代には数軒あった甘酒茶屋。現在で唯一残るこの「甘酒茶屋」で甘酒と力餅をいただきエネルギーチャージをして再び出発です! 時刻は2時を回っています。日の長いこの時期でよかった。

 

 車道に並行している自然歩道をしばらく歩いて行きますと・・・

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 於玉坂です。なぜ「於玉坂」というのでしょうね? 「関所破りで処刑されたお玉さん」と関係あるのでしょうか? たくさん積んである石は、お玉さんへの鎮魂?

 

 いくらも歩かないところに、旧街道碑があります。なかなか雰囲気があります。江戸時代の様子が浮かびそう。

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 説明板をアップします。

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 あの和宮内親王が14代将軍徳川家茂のもとに降嫁するにあたり、幕府の命令で整備されたとのこと。

 平均3.6メートルの道幅の中央に1.8メートルの石畳が敷き詰められていたという説明をもとに、イメージしてみます。

 うーん、この幅に大名行列・・・。

 

 次々に坂が現れます。今度は白水坂

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 お金が置いてあると、自分も置きたくなる日本人。道中の安全を祈願しているのかな?

 

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 ガイドブックの写真になりそうな石畳です。ぱっと見なかなかいい感じだけど、繰り返しいいますが、石畳歩きにくいですよ。

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 こんなカーブした上り坂も石畳ですから。

 

 やがて、道の前方に大きな岩が現れました。

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 天ケ石坂です。

 近くを歩いていたカップルさんが、「なんだなんだ、これ、すごくね?」と言いながら、岩をバックに二人で写真撮ってました。元気だなー。

 

 山道を上り切ったところに、箱根馬子唄の碑があります。

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箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川

と書いてある、らしいです。

 実はここ、大変見晴らしのいい場所で、木々の間から二子山を望むことができます。

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 近くに二子山についての説明板があったのでアップしますね。

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 自然保護のため入山禁止なのだそうです。へぇぇ・・

 

 程近いところに、お玉観音堂があります。箱根の関所破りをして処刑されたお玉を供養しています。

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 お玉さんは、というか若い少女だったようですのでお玉ちゃんというべきか、江戸に奉公に出されたけれども故郷が恋しくなって逃げてきました。箱根の関所は他の関所のように「入り鉄砲」の取り締まりはなかったのですが、「出女」の取り締まりはことのほか厳しく、証明書を見せて、なおかつ身体検査も受けなければなりませんでした。逃げ出して来たお玉ちゃんが証明書を書いてもらっているはずがありません。関所を破って、捕らえられ処刑されてしまいました。

 この辺りの話については、後に立ち寄る関所跡の資料館で詳しく説明されていました。

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 観音堂です。お堂の前の敷地から、あの二子山が見えます。

 

 観音堂を後にして、また石畳。

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 今度は下り坂。石畳って、上りより下りの方が歩きにくいです。滑りそうで怖いので、脇の石のないところを歩いて見たりもしたのですが、それはそれでやっぱり歩きにくい。

 

 右手に赤い鳥居と石段。どこへ続くのか? 私たちは足音に気を配りながら真っ直ぐ進みます。f:id:kaz-mt-wisteria:20180614222441j:plain

 

 権現坂の案内板です。権現坂は、箱根権現に由来する坂です。説明板によれば、箱根から難所を乗り越えてここまで来た旅人が、眼下に芦ノ湖を見下ろして、ほっと一息ついた場所なんだとか。

 くろやぎ(同行人・夫)も、「遊覧船のアナウンスが聞こえる!」と教えてくれました。私にはとんとわからなかったけれど。f:id:kaz-mt-wisteria:20180614222106j:plain

 

 そしてまだ続く、石畳。ホントに芦ノ湖、近いの? 半信半疑の私です・・・

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 下り坂がなだらかになって明るくなってきたなーと思ったら、石畳が終わりました。この写真は、出口から振り返った所。史跡旧街道碑が立っています。

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石畳を出てすぐの場所に、ケンペル・バーニー碑がありました。

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 ケンペルは、ドイツの博物学者で、オランダ通商使節の一員として元禄4年(1691)とその翌年に箱根を越え、箱根の美しさを世界に紹介しました。

 バーニーは、この地に別荘を持っていたイギリスの貿易商です。たぶん、明治か大正?

 ケンペルとバーニーは別々の人物で時代も違うけれど、外国人で箱根を気に入ってくれた人なんですね!

 それにしれもケンペルさん、江戸時代の石畳を歩いて、しかも気に入ってくれたなんてなんてすごい。言われてみれば、

 今回も、石畳で外国の方を何組か見かけました。フットワークも軽く、楽しそうに歩いていました。家族連れのお父さん、小さい男の子を肩車してたし。頼もしいことこの上なし。

 

 興福寺です。箱根七福神のひとつで、布袋様がお祀りされているそうです。

 ここまで来れば、芦ノ湖は目の前。

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 こちらが本堂

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 境内です。六地蔵様とか庚申塔とか?いろいろ。

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 興福寺の境内を通り抜けたら、いきなり観光地。今までの旧街道の雰囲気は吹っ飛んで、こじゃれた雑貨屋やら、お土産物屋さんやら、レストハウスやら。山中湖とか河口湖とかにも似たホントによくある観光地の景色。

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 そしてこの大きな赤い鳥居は、箱根神社の大鳥居です。箱根神社はここからはまだまだ距離があるので、立ち寄りません。(いつか行ってみたいけど)


 大鳥居の脇にある賽の河原

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 地蔵信仰が盛んだったこの地に点在していた石仏や石塔を一カ所に集めたのですね。了解。

 

 賽の河原は芦ノ湖畔にあります。ですので、芦ノ湖の写真も1枚アップしておきましょう。

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 それにしても、すごい観光客の数。いつからこんなに増えていたっけ?


 賽の河原の向かいの身代わり地蔵はバス停の所にあって、ちょうどバスが停まって観光客が次から次へと降りてきたので、説明板をパシャして早々に退散しました。

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 一里塚跡です。日本橋より24里目。

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 一里塚のすぐそばに旧東海道箱根杉並木碑があります。

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 東海道では唯一の杉並木だそうです。約420本の杉が残されています。

 

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 杉並木は近年、樹の勢いが弱くなってきたので、保護するために様々な試みがなされているそうです。

 

 説明はこのくらいにして、杉並木の写真をご覧ください。

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 江戸時代に旅人に木陰をということで植えられた杉並木。現代も安らぎを与えてくれます。


 いよいよ本日の最終チェックポイント、関所跡に着きました。

 まずは、資料館を見学。

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 箱根の関所についての展示がわかりやすいです。ここを見てから関所跡を見学するのがよいと思います。

 

 資料館を出ると、関所跡の門になります。

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  すごい威圧感。ここを通った江戸時代の旅人は(一般人)、本当に怖かったんだろうなあと同情してしまいました。

 関所跡では、建物の一部が復元されています。関所という場所柄、あんまり楽しい気持ちのする場所ではありません。

 

 たとえばこれは獄屋。こんなところに閉じ込められるのはいやだなあ。

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 これは取り調べを行う建物。

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 なかなか良い眺めですが、この高台は、関所の見張り台があった場所。眼下に関所の建物、その向こうに芦ノ湖が見えます。関所をぬけだして湖の上を手漕ぎ舟で逃げて行っても、ここから見えてしまうというわけ。

 

 一応説明板もアップしますね。

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 関所跡には売店とか、茶店とかもあったのですが、バスの時間が気になってパス。案の定、バス停に到着したとたんバスが来ました。ラッキー&アブナイアブナイ・・・

 16時31分の箱根湯本行のバスに乗りました。9時43分に箱根湯本の駅を出発してから6時間12分、26611歩、18.6㌔のウォークでした。

 次回、ここから三嶋をめざします。次回っていつだろう?

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。このブログは「晴歩雨読」、街道ウォークと読書のブログです。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 


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第14回街道ウォーク 箱根湯本→関所跡②

 箱根湯本→関所跡のウォークの模様をレポートしています。

 

 箱根の関所へ向かう山間の小さな集落・畑宿を通り抜け、日本橋から23里目の一里塚を確認し、またひたすら歩くことになるのですが・・・

 ここからが、今回のウォークで私としては最も大変なところでした。

 それでは、あのキツイ行程を振り返ります。

 

 まず、前回のおさらい・畑宿の一里塚

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 日本橋より23里目。道の両脇に、当時の一里塚を忠実に再現しています。江戸の旅人の気分で、気合を入れてGO!(江戸なら、いざ! かな?)

 特に、名所・旧跡はなく、ひたすら山道になりますので、写真と共に旅人の気分を味わってくださればと思います。

 

 早速、西海子坂の石碑

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 側に、旧街道についての説明もありました。

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 雨や雪の後は膝までつかる泥道になったので、竹を敷いて舗装したのだけれども、毎年、竹を交換しなければならなくて大変な労力だったため、石畳にしたと・・・

 改良を重ねた画期的な石畳だったのですね。(くどいですが、現代人には歩きにくいことこの上ない石畳。でも、これを作るのに駆り出された人の労力を思うと、文句を言っては申し訳ないですね。ゴメンナサイ。)

 

 これより七曲り。確かに、7回曲がる道になっていました。県道なのでアスファルト。石畳の歩きにくさはありませんが、結構な勾配が、これでもかこれでもかと、延々と続きます。

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 今、改めて写真を見て気が付きましたが、10.1%の勾配が1.2㌔にわたってつづいていたのですね。

 途中階段1箇所、高架下2箇所を通過しました。

 

 七曲りをクリアしますと、石段が待っていました。

 檀木坂(かしのきさか)です。

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 『東海道名所日記』に「けわしきこと、道中一番の難所なり。」で、「かしのきの さかをこゆれば くるしくて どんぐりほどの 涙こぼるる」と男の人が歌を詠んだと記されているのだそうです。

 

 こちら、檀木坂。もっとも江戸時代は階段ではなかったのでしょうけれど。急勾配とはいえ階段ならどうってことないんじゃないかと上り始めたけれど・・・

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 なかなか坂が終わらなくて。止まると動きたくなくなるから、ガシガシ歩いたら息切れが・・・。

 「どんぐりほどの涙こぼるる」に納得。 見た目より、ずっときつい坂でした。

 

 最後の階段を見上げますと、「とろろ蕎麦」の幟がはためく茶屋が救世主のように建っていました。

 これは絶景!!

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 樫の木平です。馬子唄に歌われた見晴茶屋があった場所で、現在も「見晴らし茶屋」というお休みどころがありました。(さっき書いたとろろそばの幟のお店)

 お昼をとっくに回っていたし、かなり歩いてきたので、とろろそばのお誘いのなんと魅力的だったことか。

 「とろそば・・・」とつぶやいてみましたが、くろやぎ(同行人・夫)にあっさり却下されました(泣) 今日はスタミナがあるな。どうした、くろやぎ?

 

 まあ、私も当初は「甘酒茶屋」でお昼のつもりだったので、反省してここはがんばることにしました。

 参考までにこちら、見晴らし茶屋。逆光ですね(汗)。疲れてクラクラしていたので、なんともマズイ写真です。だんごの文字も見えます。そうそう、「とろろそばが無理なら、おだんごでもいいなー」と思ったんだった。

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 しばらくアスファルトの車道を歩きます。緩めの勾配ながら、だらだら長い。

 

 「猿滑り坂」のバス停まで来たら、道路の反対側に渡り・・・

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 ・・・再び猿滑り坂の石段を上ります。

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 猿も滑るほどの坂だったんだそうです。今は石段ですが、江戸時代はただの山道ですね。

 先ほどの檀木坂同様、石段でも十分キツイです。

 

 猿滑り坂の次は、追込坂(おっこみざか)。

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 ここまでくれば、まもなく甘酒茶屋ということですが。

 ガンバロー!

 

 甘酒茶屋手前の最後のチェックポイント、笈の平親鸞上人石碑です。

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 説明板アップします。

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 待ちに待った甘酒茶屋に到着です!! バンザイ

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 一服したいところですが、その前に説明板を読まなければ。

 嘘です。パシャしただけで読まないで茶屋に直行しました。改めて読み返してみます。

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 江戸時代、一日10里歩くところ、この区間(湯本→箱根関所)は8里しか歩けないほど厳しく、旅人に甘酒を出す茶屋が何軒かありました。ここは最後に残った1軒だということです。

 

 甘酒と力餅をいただきました(*^-^*) 冷たい抹茶とかもあって、暑い日なので甘酒を注文してから「しまった」と思ったけど、疲れには甘酒の方がいいみたい。正解でした。ほうじ茶はサービスでして、2杯お変わりしました。本当に疲れているときは、冷たいものより温かいものの方がいいかも。

 力餅(うぐいすと磯辺が選べます)の磯辺焼は、かなり濃いめのお醤油味。でもこのしょっぱさが、疲れ直しにはちょうどいい。

 あらら、気がついたら「疲れ」という言葉ばっかり使っていますね。

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 店内薄暗く、なかなかいい雰囲気です。明るいより、疲れが癒されるかも。

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 外の明るいところで食べることもできます。お好みで。

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 甘酒をお餅でエネルギーチャージができたので、再び出発です。めざせ、芦ノ湖。

 

 ここでブログをいったん閉じます。近々続きをアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。読んでくださってありがとうございました  

 

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第14回街道ウォーク 箱根湯本→関所跡①

 昨年9月に日本橋を出発して、亀の歩みで日帰り東海道ウォークを重ねてまいりました。途中、諸事情で2カ月半ほど休んだこともありましたが、ゴールデンウィークに再開。いよいよ当初の目標地、箱根です。(一応、現在は、京都三条大橋を目指しています・・・)

 しかし箱根の山越えは大変だった。戸塚の権太坂は、江戸時代は難所だっただろうけれど、今となっては道が整備されて坂も緩やかになり、ちょっと息が上がる程度。だけど、箱根の山は、容赦ない。だって、江戸時代の石畳がそのまんま、随所に現れるのだもの(泣)

 

♪箱根の山は天下の険(ハッコネッノヤッマワ テンーカーノ ケン!!)♪

3回に分けてお伝えする第1回目です。

 

6月2日(土)、9時43分、箱根湯本の駅に降り立ちました。昨日の雨が上がり、まずまずの晴れ。暑すぎずありがたいです。

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 箱根湯本駅前から富士屋ホテルの方に渡る橋の上より、小田原方面を眺めたところ。駅のホームに入ってくる赤い登山電車がかわいい。

 さあ、今日もガンバルゾー! まずは前回の終着点、湯本茶屋の石畳入口まで歩きましょう。名所・旧跡は前回チェック済みなので、今日はパス。ガンガン歩きます。

 

 どこも寄らないと早いですね。あっという間につきました。知っている道だからかな。長い気がしない。

 

 

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 こちら前回も来た石畳入口。右手建物玄関脇に、「馬の飲み水桶」があります。これ、一応おさらいです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 入り口の説明板を今回も読んで、ふむふむと復習。(振り返りますと、この時は余裕がありましたね・・) 石畳は1680年に作られたんですね。この先、ところどころに石畳が姿を現します。全部残っているわけではありませんよ。全部石畳だったら、大変だし。

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 こちら石畳。いざ出発!

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福寿院・箱根観音

 最初のチェックポイントには割合すぐに着きました。石畳が途切れた先の坂の途中にあります。山の斜面に張り付くように本堂が建っています。

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 説明板です。徳川初期、観音霊泉が発見され、箱根唯一の名湯「長命美人の湯」として栄えた・・というようなことが書いてあります。

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 敷地内より眼下を望みます。なかなか素敵な眺めです。

 

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 お寺の入り口に貼ってありました。こういうの好きな海外からの観光客の方、多いですよね。日本文化を楽しんでいってくださいね。

 

 

 箱根湯本の温泉街の一番はずれの辺りですかね。南風荘というホテル関連の建物がたくさん並んでいて、ちょっと圧倒されました。

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 こんなにホテルがあります。すごいなあ・・・!

 観音坂の碑も立っています。写真ではわかりにくいですが「登り二町余」と刻まれています。このあたり、観音坂と呼ばれていたのですね。

 

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 結構な勾配だなあと思ってパシャしたのですが、これは序の口にもなりません。甘かったなと後から思い知ることになります。

 

初花の滝碑

 滝の碑、見落としました(泣)。しかし、いつものように戻って探す元気はありませんでした。アスファルト舗装の緩やかな上り坂とはいえ、それなりに距離も勾配もあったので。

 これは「ホテル初花」。たぶんこのあたりに滝の碑もあったのではないかと。このホテルの真ん前が、須雲川インターの入り口です。ホテルとしては、ナイスな立地ですね!

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 少し歩きますと、山間部にいきなり小さな集落が出現しました。写真には写っていませんが、消防団の建物もありました。

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駒形神社

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 今度は見逃さないぞ。駒形神社。青銅の鳥居が目印。早速石段を登ってみましょう。

 

 途中に石碑。下の方に三猿がうっすら見えるので庚申塚かな?  

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本殿です。

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鎖雲寺

 鎖雲寺は、駒形神社のすぐ近くです。

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 初花・勝五郎のお墓があることで知られています。初花は足を痛めた勝五郎を木車に乗せてここまで来て、箱根権現を信仰し、滝に打たれて病平癒と仇討ち成就を祈願しました・・・ということです。

 

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 本堂です。

 

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 こちらが、初花・勝五郎のお墓のようですね。

 

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 小さな小さな敷地内に、小さなお地蔵様。

 

 説明板をアップします。設置したのが、お蕎麦屋さんの店主さんだというのが、珍しいです。

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弘法のいぼ取り水

「いぼ取り水」は見つけづらいので要注意。

 この手前に「須雲川探勝歩道」というのがあって心惹かれるけれど、入りません。(入ると「いぼ取り水」の前を通らないから)

 

 ちなみにこちらが「須雲川探勝歩道」です。ね、素敵な道でしょう? アスファルトの上り坂にも飽きていたので、入ってみました。大分歩いてしまってから、「いぼ取り水」の前を通らないのではと気がついて戻ったんですよ。くろやぎ(夫・同行人)は、若干ゴキゲンナナメ。

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 元に戻って再び歩きます。

 

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 この大きな鳥居、すごく目立つのですが、ここまで来てしまうと行き過ぎ。「いぼ取り水」は鳥居より10メートルほど手前にあります。

 

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 「弘法のいぼ取り水」 岩のくぼみに溜まった水をイボに塗ればとれるんですって!

 道のサイドの植え込みの中にありました。水が溜まっている様子をイメージしていたえすが、小さな石碑でそれとわかりました。


女転ばし坂

 旅の女の人が落馬し死んだ坂・女転ばし坂。怖い命名ですね。なにも名前にしなくても・・・

 後世まで、「気をつけろ」という注意喚起で名前に残したのかも。

 坂は関東大震災で崩壊しました。だいたいこの辺りかな? こうして見ても急斜面ですね(恐)

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 説明板がありました。これによれば、「女転ばし坂」ではなく「女転し坂」。転ばしならともかく、転し(ころし)だって? えっ、殺し(ころし)? 坂が殺すの? こわ・・・

 

 まだまだ、いろいろな名前の坂が出てきます。だいたい、これから先は、名所・旧跡はあまりなくて、チェックポイントと言えば坂が多い。

 

 「女転し坂」をチェックしたら、アスファルト舗装の車道から須雲川自然歩道に入ります。実は、この辺りから、試練の始まり。


割石坂

 曽我兄弟が仇討ちに向かう途中、刀を試し切りしたという石がある坂。

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 今までとは打って変わって、足元が悪くなりました。石畳、過酷・・・

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「これより江戸の石畳」だそうです。これまでの石畳より、丸っこくて大小さまざまの石が組み合わさっています。

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 少し開けたところに出ましたら、「接待茶屋」という碑が。

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 石畳の道が、だんだんただの山道に・・・

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 石が痛い。トレッキングシューズを履いてきてよかった。


大沢坂 

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 大沢川の近くにあります。坂を下りきると小さな木橋が小川に架かっていてホッとすぬのですが、それまでが大変。このようなごつごつした足場の悪い道となっています。

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 石畳の道がやっと終わり一安心。畑中の集落に到着です。


道祖神

 畑宿の道祖神

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茗荷屋

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 茶屋本陣があった茗荷屋の場所です。

 

 見事な庭が残っているということですが、ここかな? なんとなく見学する雰囲気ではないので写真だけ。

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 庭園(?)前の説明板をアップします。読みにくいですが、一応。

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駒形神社

 この辺りに駒形神社があったようですが、見落としました・・ 駒形神社は畑宿の鎮守様です。

 代わりといってはなんですが、畑宿の集落の写真と、畑宿についての説明板を。

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 畑宿は、山間部に移住させて作った集落で農業には不向きな土地でした。産業もとくになかったので、山の木材を使ったと寄木細工を生業とするようになった・・・とか。

 

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 「畑の茶屋」という茶屋&寄木細工のお店に入ってみました。これはお店の中の作業場です。

 私が子どもの頃、両親と見学に来たのはこんな感じのところでした。「ひみつ箱」というのを買ってもらいました。20回動かすと開くからくりばこ。あのとき職人のおじいさんが、「もっと難しい30回で開く箱を作っておくからまたおいで」と言いましたっけ。ずいぶん経ってから両親がまた畑宿に来て、40回のを買ってきてくれました。私はもう大人になっていたけれど「おじいさんとの約束だから」と。同じお店ではなかったようですけど。

 ひみつ箱は60回開きのも売られていました。目が飛び出るようなお値段でした(このお店ではありませんが) ここでは小さなおばあさんと優しそうな二人のお姉さんがお店番をしていていて、私が父へのお土産に「LEDライト付き拡大ルーペ」を眺めていたら、「こんなのだよ」とおばあさんがニコニコしながらライトをつけて見せてくださいました。もちろん、即決。

 自分用に(父にも)、しおり(ブックマーカー)も買ってしまいました。短時間でしたが、和みました。


守源寺

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 畑の茶屋のすぐ近くにあります。畑の茶屋・守源寺・一里塚、みな近いです。


一里塚跡

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 畑宿の一里塚。日本橋より23里目。「馬の飲み水桶」の手前に22里目の一里塚があったので、石畳入口から、ちょうど1里ですね。

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 かなり忠実に復元されているわかりやすい一里塚です。

 

 長くなりました。読んでくださってありがとうございます。

 ここでいったんブログを閉じます。近日中に続きをアップしますので、また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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♪箱根の山は天下の険♪は本当だった!

 晴れた日はてくてく東海道ウォーク、雨の日は読書三昧。そんな休日ライフを目指す当ブログですが、今回の街道ウォーク「箱根湯本→関所跡」は「てくてくわくわく」なんていうかわいいものではありませんでした。いやもう、ワシワシガクガク山歩き。石畳なんていうけれど、ありゃ、石のゴロゴロ道ですぞ。

 

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 石、結構大きいでしょ? これ、江戸時代から残る石畳です。大名行列がこんなに石がゴロゴロしている狭い山道を通ったんですかい? 駕籠をかつぐ人、荷物を運ぶ人、超人技ですね。ご苦労様。

 江戸幕府が「舗装」したという石畳ですが、現代の舗装のイメージからは程遠く、歩きにくいことこの上なし。これでもいろんな工夫がされていたらしいです。

 最初は竹を組んでいたのが石畳に変わったそうです。説明板によれば、小石と石とを突き固めた地面の上に、石と石とを組み合わせて並べ、さらに石畳の横・谷側には縦の排水路を作り、木を植えて並木の土手にしたというすぐれもの。

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 場所によっては石の組み合わせを工夫して斜めの排水路を作ったりもしています。

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 江戸時代の最先端の土木技術だったんでしょうね。だから石のゴロゴロ道の悪路だ!なんて言ってはいけないのかもしれないけれど、やっぱりやわな現代人には辛かったです。

 それに江戸時代の人も辛かったと思います。こんな大変な道を通らなければならない参勤交代をさせた徳川幕府はいじわるだな。

 

 石畳の感想はこのくらいにしましょう。

 まあとにかくこのように、ほとんどが山道だったので、今回のレポートは「まちなみウォッチ」はなし。「山道&ゴロゴロ道&ときどき史跡」のウォークの様子を3回に分けてお伝えします。

 近日中に順次アップします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 


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