てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第4回 神奈川→保土ケ谷②

 昨日のブログの続きです。西の出入り口付近であったといわれる上台橋ですが、現代でもここを超えると西区に入ります。

 

20.勧行寺

 境内に、新撰組の隊長・近藤勇の剣法の流派の開祖であった近藤内蔵助長裕のお墓(供養塔)がある、ということだったのですが、見落としてしまいました。またまた、見落とし・・・ ちょっと疲れが出てきたのかも。

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 境内も建物も、近代的で立派なお寺でした。

 

21.浅間神社

 承暦4年(1080)富士浅間神社の分霊を祭った神社です。

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 社殿のある丘は「袖摺山(そですりやま」と呼ばれ、山のすぐ下が波打ち際だったそうです。丘の斜面には横穴式古墳があり、「富士の人穴」と呼ばれ、富士山まで続いているということで人気があったそうです。

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 この写真は、通りに面した鳥居を撮ったものですが、ということは、私が立っていた場所は浜辺だったんでしょうか?

 「富士の人穴」も向かって左の斜面あたりにあったという理解で、いいのかな? 説明が見当たらなくて、ちょっと断言できません。

 

22.大山道道標跡

 保土ケ谷区境の三差路で、芝生の追分と言われていました。ここを起点に、甲州街道の八王子宿までつながっていた八王子街道は、横浜開港以降は、八王子から絹が運ばれてきたので、「絹の道」とも言われていました。

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 右手に入っていくのが八王子街道です。

 分岐点をしめす標識が建っているのがわかりますか? 近づいて見てみましょう。

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 実は、この時、車の往来に切れ目がなくて、写真を撮るのが一苦労でした。昔、にぎわったという分岐点、今でも交通の要所なのかしらんなどと想像してちょっと楽しくなったのですが、この後、謎が解けました。この先にある「松原商店街」が歩行者天国を実施していたので、迂回する車、商店街の駐車場をめざす車で、混雑していたのですね。松原商店街はなかなかパワフルで印象的な通りでした。後日、「まちなみ」ウオッチとして、詳しく書きますね。

 

 これより、保土ケ谷区に入ります。

 

23.江戸方見付跡

 

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 説明板がありました。

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 説明板があった場所は、駐車場になっています。宿のお役人さんたちは、正装をしてここに立って、参勤交代の大名をお迎えしたのですね。ちょっと想像しがたい。

 

24.橘樹神社

 この地の氏神様です。

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 境内裏の「神田不動尊」は、大山道道標を移設して祀ったものです。奥に見えるのが道標かな?

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 不動尊の隣には、保土ケ谷で最も古い庚申塚もあります。

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 光ってしまい見にくいですが、説明札を参考に見比べてください。真ん中が一番古い庚申塔のようですね。

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 境内には、力石や、古い(延宝6年)石盥盤もありました。

 

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 「力石って何?」と品川の頃から疑問だったのですが、少しわかったので嬉しいです。

 こちらは石盥盤。延宝6年と刻んであるのが見えますか?

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 地元で親しまれて生きた神社なのでしょう。さほど広い境内ではないのですが、いろいろな珍しいものがあって、面白かったです。

 

25.帷子橋

 帷子橋(新町橋)は、歌川広重の浮世絵で有名な橋です。

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 昭和40年頃には、川があふれることが多かったため、天王町駅の南側から現在の位置に河川改修が行われ、相模鉄道の立体化もあり、旧帷子橋は消滅しました。この橋は、現在の帷子橋です。

 天王町駅前公園が、旧帷子橋のあった場所です。公園内には橋のモニュメントがあります。木の橋(?)の上を歩いて、江戸時代にタイムスリップしてみましょう。

 

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 モニュメントのすぐ向こうに、天王寺駅が見えます。

 

26.香象院

 高野山真言宗普賢山東国新四国第33番薬師如来、だそうです。

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 入ってみましょう。あれれ、足元に、こんな模様が? これは何でしょうか?

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 ???ですが、とにかく中へ。

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 あれ、今度は象さんです。「香象院」だから? あ、碑文がありますね。もっと全部読めるよう写真に撮ってくるんだった!

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 弘法大師の石碑も。後で復習したら、このお寺は、程ヶ谷宿の中でも一番大きな寺子屋だったそうです。明治6年(1873)に保土ケ谷小学校の分校となりました。弘法大師さんにあやかって、お習字が上手くなりますように、みたいな意味でもあったのかしらん?

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 薬師様ですからね。延命地蔵です。

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 正面が本殿です。言われてみれば、昔の学校っぽい?

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 お寺を後にするとき、山門で気が付きました。両脇に大きなお釜が二つ。 この写真は、そのうちの一つです。なんで、お釜???

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 謎に包まれたまま、立ち去りました。すごく不思議で、印象に残ったお寺でした。

 

27.天徳寺

 土地の豪族、小野筑後守(ちくごのかみ)が帰依して建立した曹洞宗のお寺です。

 本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。

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 本殿です。運慶さんの地蔵菩薩は、この中かしら? 

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28.旧中橋跡

 かつては今出川が宿場を横切っていて、その上に架かっていた「中橋」があった所です。たびたび浸水を起こしたため、嘉永5年(1852)に、現在の川筋に改修されました。ずいぶん昔に、改修工事をしたのですね。江戸の工事の技術、高いのでは?

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29.遍照院

 本尊の薬師如来像は横浜市指定文化財です。

 素敵な参道です。紅葉もきれい。

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 参道正面の本堂です。

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30.大連寺

 日蓮上人が泊まった家を法華堂に改修したのが始まりのお寺です。山門は階段の上のあります。本日最後のお寺、頑張って上ります。(今日は階段&坂道、多かったです。)

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 手水鉢、お水が出てくるのは亀さんの口。なんででしょ? 縁起がいいから?

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 本堂はこちら。

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 本堂に向かって左手前にある木は、家康の側室おまんの方お手植えのざくろだそうです。

 近づいてよく見てみましょう。

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 見上げれば、なるほど、ザクロの実がひとつ。きまもりかな?

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 百薬の泉ですって。不老長寿のお水が湧いていたのかしらん。

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31.助郷会所跡

 本日最後のチェックポイント、助郷会所跡は、保土ケ谷駅の西口商店街を少し入ったところにありました。この通りは、次回また、歩くことになりますね。

 助郷会所跡は、ここ。向かって右側に目印の柱があります。f:id:kaz-mt-wisteria:20171104165526j:plain

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 このお店、この日は休業日でしたが、現在もバリバリ営業中の「合名会社北川製粉所」だということを、帰宅してから調べてみて知りました。明治19年創業の、石臼挽きの蕎麦粉の製粉をしている会社です。

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 商店街を引き返し、保土ケ谷の駅に着きました。15時28分になっていました。5時間45分、21571歩のウォーキングでした。

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 今回も同行者は夫・くろやぎ。つなぎあわせたひらひらロードマップのコピーを片手に、チェックポイントを探してくれました。神奈川宿の本陣跡の、小野モータースの場所を割り出したりと、推理力が冴えて、なかなかの活躍ぶりでした。くろやぎさんのブログはこちらです。

rkuroyagichan.hatenablog.com

 


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第4回 神奈川→保土ケ谷①

 久々のピーカンの週末。街道ウォーク、待ちに待った再開です!

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 11月3日 9時43分 JR東神奈川駅。今日の出発点です。

 金蔵院、熊野神社は前回チェック済みなので、今日は通り過ぎました。なんか懐かしい。あの時は夕方だったけど、今日は朝の光に包まれて、輝いています。


1.神奈川地区センター

 地区センター前の広場には、かつて滝の橋のたもとにあった「高札場」が復元されています。

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  威圧感ありますね! ここに、おふれがいっぱい出たのかぁ。どんなおふれだったんだろ。怖いなあ。


2.成仏寺

 開港当時、アメリカ人宣教師の宿舎に充てられました。

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 この本堂がヘボンさんの住居になったのですね。

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 本堂の後方にも建物が。こちらがブラウンさんの住居になったのでしょうか?

 


3.慶運寺

 開港当時、フランス大使館に充てられたお寺です。

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 浦島丘にあった観福寿寺が慶応年間の大火で焼失したため、浦島伝説にかかわる記念物がこのお寺に移され、以来「浦島寺」とも呼ばれています。

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 手水鉢が、亀と龍の口になっています! さすが浦島寺。

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 浦島太郎が竜宮城に行ったとき、乙姫様からいただいた菩薩像が祀られているお堂です。そうっと中を拝見いたしました・・・ 確かに何かすてきな観音像が見えましたが、このことかな?

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 お堂の脇に、このような石碑もありました。なるほど、浦島伝説が伝わるお寺だと納得。

 
4.浄龍寺

 開港当時、イギリス大使館に充てられたお寺です。

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 当時のイギリス領事が手植した「多行松」と呼ばれる松があるとのことでしたが、わからなかったです。本殿の両脇の松ではないですよね? 小さいもの・・・

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5.滝の川

 権現山から流れ出る水が滝となって落ちていたので「滝の川」と言われるようになったという説があり、「河童のくれたされこうべ」という伝説もあります。

 昔々、滝の川には河童が住んでいて旅人を困らせていると聞いた一人の侍が、見事にこの河童を捕まえました。河童は「ある年一匹のうわばみが現れて、亭主は殺されてしまい、それからというものは、二人の子どもを養うために悪いこととは知りながら、ついついご迷惑をかけました。以後いっさい悪いことはいたしません。約束のしるしに、大事な亭主の首をさしあげます。どうぞおゆるしください・・・・」と泣き泣き言いました。哀れに思った侍は許してやりました。その夜、河童は約束通り首を届け、以後宿場は静かになったそうです。

  うーん、かわいそうなような、怖いような、言い伝えです。河童さん、その後、どうなったんだろ?

 こちら、滝野川と滝の橋です。 

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6.神奈川本陣跡

 小野モータース前に解説板あるということで、結構ぐるぐる回遊して、やっと見つけました。

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 「小野モータース」はこちら。

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  「小野モータース」の後方が、小野モータースの持ち物らしいビルになっていて、どうやらそこが、本陣のあった場所ではないかと思われます。

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  たぶんこの辺りが、本陣のあった場所でしょう。歩道をはさんで向かい側に、先ほどの解説板があります。

 

7.宗興寺

 アメリカ人宣教師で医者であったヘボンが、ここに施療所を開いていました。 

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 教会のような、洋風の外観にびっくり。

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 ヘボン博士の碑です。お花に囲まれて、ポカポカお日様に照らされて、いい感じ♪

 境内に、水量で翌日のお天気が占える「お天気井戸」こと「神奈川の大井戸」があったはずなんですが、チャペルのような(?)本堂と、フラワーガーデンのようなヘボンさん記念碑に幻惑され、「井戸」などという和風・古風なものがあることをすっかり忘れてしまいました。残念。

 どんな井戸だったんでしょ? たぶん、苔むしたりしていない、きれいな、井戸(笑) 

 

8.青木本陣跡

 滝の橋をはさんだ向かい側に、もう一つ本陣がありました。

 ランドシティ横浜ポートサイドのところだというので、近くをよくよく探しますと・・・

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  はい、「ランドシティ横浜ポートサイド」。これですね。大きなマンションでした。

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 説明板もありました。

 

9.洲崎神社

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 源頼朝の創建の神社です。最初の鳥居をくぐると・・・

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 あれが本殿かな?

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 控えめに、社殿の入り口が開いております・・・ そうっとパチリ

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 イチョウがきれ紅葉していました。狛犬さんも、絵になってます!

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 振り返ると、ずいぶん高い場所にあることがわかります。それもそのはず、神社前のこの先は、神奈川の湊だったんです!

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10.普門院

 洲崎神社別当寺です。門を入ると、ピロピロピロ♪と鳴って、ちょっと中に入る感じでなかったので、入口にて失礼します。(汗)

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11.甚行寺

 開港時、フランス公使館に充てられたお寺です。

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  土蔵造りだったのですが、フランス大使館になるときに、改造されたそうです。さらに、関東大震災と横浜大空襲で焼失しましたが、昭和46年(1971)に再建し、現在に至っています。大変な歴史をくぐってきたお寺です。これからは平穏でありますように。

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12.青木橋

 明治5年(1872)、このあたりのひと続きだった丘を切り開き、新橋・横浜間に鉄道が通されました。工事に伴い、鉄道をまたいで旧東海道を結んで、青木橋が架けられました。

 青木橋の上から見た線路です。日本ではじめて鉄道が開通した際の軌道跡ともいえます。f:id:kaz-mt-wisteria:20171104000934j:plain

 青木橋です。車の往来が多いです。この下が、線路。左手が京急神奈川駅です。

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13.本覚寺

 青木橋周辺を見下ろすひときわ高い丘の上、本覚寺があります。

 本覚寺は、開港当時、アメリカ領事館になりました。

 アメリカは、当時、すべてを見渡せる眺望の良さにほれこんで、この場所を領事館に選んだそうですよ!! ふーん・・・

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 神奈川領事であったドーアは、山門を、ペンキで白く塗ってしまったそうです。

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 山門をくづって右手に、塗装業者の合同慰霊碑がありました。ここは、山門を白く塗ったことから、洋風塗装発祥の地になったんだそうです! へえぇ・・・

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 なかなか立派な本殿です。

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 子育て地蔵尊に、ほっとします。

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 境内はこんな感じ。

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  見晴らしはいいし、境内は広いし、確かに、アメリカが気に入ったというのは、さもありなんという感じ。

 安政5年(1858)、日米修好通商条約締結に際し、アメリカ公使ハリスとの交渉にあたった全権委員・岩瀬忠震(ただなり)を記念する石碑があったらしいのですが、見落としました(汗)

 
14.三宝

 江戸末期から明治初期にかけて活躍した歌人・弁玉が嘉永4年(1851)に第21世住職だったお寺です。

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 丘のふちに張り出すように建っています。この細い道を進むと、本堂のようですが、ここまでにしておきます。

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15.大網金毘羅神社

 かつて眼下に広がっていた神奈川湊の海運関係者から深く崇められていあた神社です。

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 大天狗の伝説でも知られています。なるほど、確かに、天狗さん。

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 境内に、龍神社(右側・岩)と弁天社(左・穴)がありました。水の神様ですね。

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16.神奈川の一里塚跡

 大網金毘羅神社の鳥居脇あたりに江戸から7里めの一里塚跡があったらしいのですが、見つからなかったです・・・

 説明板は見たんですけど。どこのことかわからなくて。

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17.田中家

 歌川広重が描いた神奈川はこの辺り(現在の台町)。かつては神奈川湊を見下ろす景勝の地でした。広重の浮世絵によると、沿道には数軒の茶屋が軒を連ねていますが、中央の「さくらや」は文久2年(1862)以降、料亭「田中家」となり、高杉晋作やハリスも訪れています。坂本龍馬の妻・おりょう勝海舟の紹介で明治7年(1874)から田中屋で働き、英語力と月琴演奏で外国人客に評判になりました。現在も営業中の貴重なお店です。

 ということで、田中家の看板、わかりますか?

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 もう少し、近づいてみましょう。

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 お店です。玄関をのぞいたら、着物を着たお店の人とバッチリ目が合ってしまい、気まずくて、そそくさと退散しました。

 

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18.神奈川関門碑

 開港後、外国人が相次いで殺傷されたことを非難された幕府は、横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化しました。神奈川宿の東西にも関門が作られ、そのひとつが西側・神奈川台の関門です。

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19.上台橋

 かつてこのあたりは、潮騒の聞こえる海辺の道でした。この場所から見えた朝日が、「神奈川駅中図会」に描かれています。昭和5年(1930)、開発が進み切通の道路ができるとともに、その上に橋が架けられました。

 橋の上からの風景です。

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 青海波の模様がきれいです。

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 神奈川区から西区に入る手前で、息入れます。距離は短いですが、チェックポイントが結構あって、すでに正午近くになっていました。(汗)

 早く整理しないと、どこがどこだったかわからなくなりそうで、がんばってしまいました。明日、また続きをアップします。

 

神奈川→保土ケ谷ウォーク 直前チェック!

 いよいよ(ようやく)、神奈川→保土ケ谷ウォークの日、近し。あんまりいろいろブログに書いて、なんだか頭の中がひっくり返ったおもちゃ箱みたいになっているので、もう一度整理します。

 

 神奈川宿は、横浜開港の地です。東神奈川駅周辺のお寺は、開港時、外国の領事館として明け渡しを余儀なくされた歴史があります。歩き始めのチェックポイントは、そうしたお寺が中心になります。

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 宿場の中心部を抜け、一里塚を過ぎたあたりから、見落とさないように気をつけたいのが「田中家」。神奈川宿は、現在の横浜の中心地のやや北側にあり、現在の横浜は、当時は海でした。当時の風景がよくわかるのが、歌川広重の台の景の絵。絵の中に描かれている「さくらや」は、今でも「田中家」として営業しています。広重の絵を思い浮かべながら、「田中家」さんのある坂道を歩きたいと思います。

 『東海道中膝栗毛』の文章も併せて思い出したい。

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 上台橋のあたりは、西の宿の出入り口でした。ここを過ぎると、チェックポイントもまばら。ひたすらサクサク歩いてもいいのですが、今回は全行程5.1㌔のゆったりウォークなので、まちなみウォッチをしながら、なにか面白い発見をしたいな。

 

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 大山道道標のある三叉路は、昔の交通の要所でした。「絹の道」とも呼ばれていたという当時の情景に思いを馳せて、パチリしたい。

 

 今回のウォークで、かなり楽しみにしているのが「帷子橋」。ここの賑わいを描いた広重さんの絵、道の曲がり方が、特徴的。帷子橋は河川の工事で移転したことから、広重さんの時代の橋は、新帷子橋とは別に、元あった場所にモニュメントとして残っています。このあたり、とても複雑なので、昔の場所・現在の場所、見比べながら歩いてみたいです。

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 天王寺駅から保土ケ谷宿までのまっすぐな道は、江戸時代からまっすぐでした。江戸時代の再開発の町並み拝見しながら、JR保土ケ谷駅前の助郷会所跡で終点となります。

 

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神奈川→保土ケ谷の地図です。今回は短距離なので、コンパクト。

 

 

 

弥次さん喜多さんを追いかけて 保土ケ谷

 今日も『東海道中膝栗毛』(岩波文庫版)を読み進みます。「ガッツリ古文」と構えていたけど、意外に大丈夫。脚注が丁寧についているから、古語辞典なしでもわかりますよ。よかった。あんまり難しかったら、江戸の庶民に人気が出たりしないですもんね。さすがベストセラー、と納得してしまいました。

 では、物語の中へ。

 

 神奈川の台の景の海が見える眺めの良い茶屋で、店で働く可愛い娘をからかいながら一休みするつもりが、まずい料理が出てきて一杯食わされてしまった弥次さん・喜多さん、茶屋を後にする道すがら、今度は村の子どもをからかいますが、逆にまたまた騙されて、お餅をたくさん買ってやる羽目に。それでも「ま、いいか」と歩いているうちに、保土ケ谷宿に入りました。

 程ヶ谷宿は、昔は、程ヶ谷・新町・帷子の三宿でしたが、慶長2年に一つの駅になりました。

 ちなみに、神奈川宿についての説明はこちらをご覧ください。

 

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  弥次さん・喜多さんが三宿のうちのひとつ、帷子町をまで来ますと、そこは旅籠や茶店が軒を連ねていました。十返舎一九さんの筆も、宿場らしい賑わいを描き、読んでいて楽しいです。引用してみましょう。

両側より旅雀の餌鳥に出しておく留おんなの顔は、さながら面をかぶりたるがごとく、真白にぬりたて、いづれも井の字がすりの紺の前垂を〆たるは、扨こそいにしへ、ここは帷子の宿といひたる所となん聞へし

 留女とは、宿の表に出てお客さんを引き留める女の人です。お面のように真っ白な厚化粧のちょっとあやしげな女の人の「お泊りなさいませ」との誘いに、それぞれの人たちの受け答えがそれぞれに面白いです。

 

 旅人を乗せた馬を引く男の人(馬子)は、「馬子どん、お泊りかな」という留女の誘いに、「だんなをむさし屋へお泊りだが、お前の顔を見たら、こいつ(馬)が泊まりたがるじゃねえか。じゃあな。どうどう。」と軽く流して行ってしまいます。さすが馬子はかわすのに慣れていますね。留女もひやかしだったんでしょう。大して気にしてせず、次にやってきた旅人をターゲットに。「もし、お泊りかえ」 旅人が「こら、そんなにひっぱったら手がもげるじゃないか」というと、留女は「手がもげてもよいので、お泊りなさいませ」。なんか、めげないですね。旅人が「ばかいえ。手がなかったら飯が食えないじゃないか」と言うと、留女は「ご飯をお召し上がりにならないならば、お泊めするのに、かえって手間が省けてようございます」と、いやいやなかなかしつこいですねえ。旅人は口ではかなわぬと、手を振り払って立ち去るのですが、留女はすぐさま次に通りかかった旅の僧に「お泊りかえ」と声をかける図太さです。しかし、旅の僧はあっさりひとこと、「いや、もう少し先に行くので」と。これは旅の僧に軍配が上がりますね。

 その次に通りかかった、田舎者は「安い旅籠に泊まるから」と断るのですが、留女は旅籠は二百文もかかるじゃないかと。すると田舎者は「いやいやそんなに金を出すつもりはない。そのかわり風呂のお湯はぬるくて構わないし、飯も大していらない。そのかわり、明日の昼飯を柳行李いっぱいに詰めてもらえば何もいらない。旅籠に160文出すつもりだ。」と、よくまあしゃべります。さすがに留女は「そんなら、他にお泊まりなさい」と。

 この屁理屈やらのにぎやかな応酬に、弥次さん・喜多さん、絡みそうなものですがここではなぜか傍観者に徹して、歌を一首残して立ち去りました。留女に圧倒されてしまったのかな?

おとまりはよい程谷ととめ女戸塚前てははなさざりけり

 「とっつかまえて(捕まえて)」と、「戸塚前」をかけています。駄洒落が冴えていますね。

 戸塚は保土ケ谷寄り3年遅れてできた宿場町です。保土ケ谷宿にさしかかるのは、朝早く江戸を発った旅人にとって、宿をとるにはちょっと早めの時間帯で、半端な位置にありました。戸塚宿ならば、ちょっと頑張れば日が暮れるまでに到着できそうです。(そうはいっても9.2㌔もあるんですけどね。)

 程ヶ谷宿の猛プッシュの呼び込み。後からできたライバルの戸塚宿に「客をとられてなるものか」と、意地もあったのかもしれませんね。

 


東海道中膝栗毛岩波書店(文庫版 黄色)より引用しています。

一部、旧漢字に変換できない文字は、新しい字体で表記しています。

 

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弥次さん喜多さんを追いかけて 神奈川宿

 『東海道中膝栗毛岩波文庫版で、弥二さん喜多さんを追いかけます! そものもの旅の始まりを説明した「発端」は、ちょっと込み入っているので、またいつかということで(大まかには昨日の少年少女版の現代文でつかんだので)、次回のウォークの出発点の神奈川宿まで、ひとっとびです!

 

 ここで面白いのは、あの広重さんの浮世絵さながらの情景が書かれていることです。「浮世絵ウォーク 神奈川②」でも一部引用しましたが、もう少し物語世界に入ってみましょう。

kaz-mt-wisteria.hatenablog.com

夫よりふたりとも、馬をおりてたどり行ほどに金川の台に来る。ここは片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下、桟などわたして、浪うちぎはの景色いたつてよし

 このくだりを読んだ読者は、ほうっとため息をついて、「あー、いつか自分も行ってみたいなぁ」と思ったことでしょうね。だって、欄干のついた海の見える二階のお座敷ですよ! 私も行ってみたいわ。十返舎一九さん、広重さんの「東海道五十三次」の神奈川宿の絵、たぶん意識していますよね。

 とここで、直球のまじめな文章で読者にため息をつかせてから、一気に悪ふざけ的なトーンになるからおかしい。お得意のパターンとも言えますが。

ちややのおんなかどに立て「おやすみなさいやァせ。あったかな冷飯もございやァす。煮たての肴のさめたのもございやァす。そばのふといのをあがりやァせ。うどんのおつきなのもございやァす。お休みなさいやァせ

 「あったかな冷たいご飯」「煮立ての冷めた肴」なんてさかさまであり得ないし、「そばの太いの」は絶対まずい! 「うどんの大きなの」ってなんでしょね。めちゃめちゃなせりふ、茶屋の女の人が言ってるの? ここ、十返舎一九さんがしゃべっていますよね!

 めちゃくちゃな口上ですが、弥次さん・喜多さん、茶屋で一休みをすることにします。・・・と注文を取りに来たのはかわいい娘。二人が上機嫌で焼き魚を注文すると、娘は塩焼きの鯵をあたためて持ってきます・・・ えっ、焼き立てじゃないの? 「あたためて」ってことは今でいうレンジでチン? どことは言いませんが、ファミレス的な? それでも二人は「おまえの焼いた鯵ならうまかろう」と受け取るのですが、なぜか娘はフンと鼻で笑って、表の呼び込みに戻ってしまいます。なんかあやしいぞ。

 なんとなんとお魚は、腐っていたのです! そんなぁ。

 今だったら、お客はクレーム、店長が飛んできて平謝りも平謝りですが、弥次さん・喜多さん、「こりゃだまされた」と歌を詠みます。どこがダジャレか、わかりますか?

ござったと 見ゆる目もとの おさかなは さてはむすめが やきくさったか(弥次郎)

味そうに(うまそうに) 見ゆるむすめに 油断すな きやつが焼いたる あぢのわるさに(喜多八)

  「ござった」は「腐った」という意味です。「やきくさったか」は「やきゃァがったか」。「焼きやがったか」と「だましやがったか」の二つの意味をかけています。

 喜多さんの歌は、「かわいい娘に油断するなよ。あいつが焼いた鯵は、味が悪かったぜ!」ってとこですね。鯵と味をかけています。

 ごちゃごちゃ言わずに笑いに変えて、潔く店を出る二人。こんな人の好さが、人気の秘密なんでしょうね。

 

 『東海道中膝栗毛岩波書店(文庫版 黄色)より引用しています。

一部、旧漢字に変換できない文字は、新しい字体で表記しています。

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文庫本、字が小さいので、虫眼鏡つきです・・・

 

 

 

 

 

 

『東海道中膝栗毛』 現代文でささっと読んでみた

 『21世紀版少年少女古典文学館20 東海道中膝栗毛』(村松友視 講談社)を読んでみました。

 小学校高学年から中学生くらいまでが対象でしょうか。とはいえ、300ページ弱、それなりに時間がかかりました。(3時間くらい)

 

よかったこと

 まじめな脚注や写真・図がページ上部に盛り込まれ、きちんと読むと大人でもかなりお勉強できる一方、随所に差し込まれた南伸坊さんの、とぼけたイラストのページが、お勉強から解放してくれてほっとします。お急ぎの方は、脚注をすっとばして、それこそささーっと読めますよ。

 

ちょっと・・・なこと

 そもそもダイジェスト版なので、仕方ないと思いますが、抜けがあるのはちょっと残念。何を残すか編集段階で試行錯誤があったことでしょう。「あれ、ここ、抜けちゃったの?」と思うところも。

 もう一つひっかかったことは、どこからまでが十返舎一九の『東海道中膝栗毛』で、どこからがこの本の加筆部分なのか、わかりにくいということ。

物語としての味わいを失わないよう、筆者の手による省略、加筆をした。また、わかりやすさを増すよう、筆者の自由な解釈をつけ加えた現代文とした。

 このような断り書きが最初にあるのですが、かなり自由な付け加えがあります。

 一例を挙げれば、舞阪から新居まで乗合船で渡るくだりがあるのですが、船の中にヘビを持ち込んだと言い張る男がいて、ちょっとした騒動になります。持ち込んだはずのヘビがいなくなったというので、他のお客さんたちはそれはどんなへびなのか?とか、ホントに生きたへびなのか?と男を問い詰めますが、男は「レッド、スネーク、カモン!」とどこ吹く風。

 えっっ ちょっと待って! 「レッド、スネーク、カモン!」って、それはいくらなんでも変ですよ。一応、江戸時代の珍道中ってことになってるし。

(騒動に気が付いた弥次さん・喜多さんが)

「さあいってみろ、いったいなにがなくなったんだ。」

「へびが一ぴき。」

「へ・・・・・。」

「へびが一ぴき、なくなったんで。」

「へ、へ、へびっていうと、あの、くねくねぬるぬるのへびのことかい。」

「そういうこと。」

「で、そのへびは生きてんのかね?」

「もちろん、ピンピン生きておりますが、どこへいきましたやら・・・・・・。」

 おやじは、口笛をふきながらそこかしこに目をくばり、

「レッド、スネーク、カモン!」

などといっている。

そのあたりにへびがまぎれこんでいるかもしれないと思うと、寝ていた人も起きてしまい、船の上で右往左往しはじめた。

  この部分、原文は次のようになっています。(『東海道中膝栗毛岩波文庫

弥二「ハテいゝではすまねへ。なにが見へやせん。

おやぢ「ハアそんならいゝますべい。みんな、びっくりさつしやりますな

北八「ハゝゝゝゝゝ、おめへがものをなくしたとつて、だれがびつくりするものだ

弥二「なにが見へやせん

おやぢ「アイ蛇が一疋なくなり申た

北八「ヤアヤアとんだことをいふ人だ。へびたアなんのへびだ

おやぢ「なんべいとつて、いきた蛇でござるハ

のり合「ヤアヤアヤア

弥二「イヤきさまも、とんだものをもつてきた。へびをマアなんにしよふとおもつて

北八「こいつはきみのわるい。ここらにはいぬか

トたちさはげば、せんちうみなみなそうだちにたちさわぎ

  うーん、かなり自由な創作。「筆者の自由な解釈をつけ加えた現代文」とのお断り通り、これは現代語訳ではなかったのですね。認識が間違っていたようです。

 

総評

 現代語訳ではありません。創作のかなり入ったダイジェスト版と考えると納得。次から次へと起きる失敗に懲りず、駄洒落の嵐で旅を続ける名コンビの面白さは、すごくよく伝わる本なので、子ども用としては◎です。

 小学生の子どもがいたら、親子で楽しむのもいいかもしれない。(お母さんかお父さんがお子さんに読んであげてください。) 江戸時代を身近に感じるかも。

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東海道中膝栗毛 事始め

 三週連続雨の日曜日です・・・ 街道ウォークは完全に止まってしまいました。雨音を聞きながらすることは、やはり読書ですかね? 東海道と言えばやはりあれ、『東海道中膝栗毛』。弥次さん・喜多さんの旅をなぞりながら街道ウォークをするのもいいよねぇと思い始めて、図書館で『21世紀少年少女古典文学館20 東海道中膝栗毛』(村松友視 講談社)という本を借りてきました。子ども向け・完全現代語訳というだけあって、さーっと読めそう。行間も余裕があって、老眼に優しい。注が充実していて、意外に深い。子ども向けとはいうけれど、全体をまずつかむには適当かな。

 ただ、ダイジェスト版なので、ぬけも多くて、弥次さん・喜多さんの足取りをつぶさにたどるには不向き。そこでまたまたアマゾンで購入してみたのが『東海道中膝栗毛』(十返舎一九作/麻生磯次校注 岩波書店)です。黄色の岩波文庫、上・下全2巻。こちらはもちろん省略無し。ガッツリ古典。うーん・・・ 少年少女版でまずささーっと読んでから、街道ウォークに合わせて、岩波文庫版を古語辞典片手に紐解こうかな。

 というわけで『東海道膝栗毛』、読み始めます。ときどきブログにアップするのでお付き合いください。

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21世紀少年少女古典文学館20 東海道中膝栗毛』(村松友視 講談社)紹介文より

名コンビ弥次さんと喜多さん。花のお江戸をあとにして、のんびり観光旅行としゃれこむはずが、小田原では風呂の底を抜き、浜松では幽霊に腰をぬかす。宿場宿場で大騒動をくりひろげ、こりずにドジをふみつづけながら、各地の名物にはちゃんとしたづつみを打って、東海道を一路西へと向かうのであります。あまりのおもしろさに、江戸時代の読者たちもつぎへつぎへとつづきをのぞみ、作者十返舎一九も期待にこたえて、あとからあとから続編を書きついだという大ベストセラー。

東海道中膝栗毛(上)』(十返舎一九作/麻生磯次校注 岩波書店)紹介文より

ご存じ弥次郎兵衛・北八の道中記。江戸は八丁堀をふりだしに、名所旧跡をたずねつつ伊勢参宮から京・大坂へと生来の知ったかぶりや見栄っぱりで次々としくじりを重ねてゆく。泊り泊りの失敗譚や駄洒落・狂歌の洪水の中で、各地方の風俗習慣方言などが巧みに紹介され、ただわれわれを笑わせるだけの物語でないことを感じさせる。

東海道中膝栗毛(下)』(十返舎一九作/麻生磯次校注 岩波書店)紹介文より

しくじりや滑稽を重ねつつ、にぎにぎしくも東海道を桑名まで上ってきたご両人、ここからはお伊勢さまへと鼻先を向ける。桑名では焼き蛤でへそを火傷し、馬に乗れば振り落され、そのたびごとに狂歌でしゃれのめす。こうして大坂まで、古典のもじりから地口・洒落のたぐいが全篇をおおい、珍しい風俗も挿絵を添えて紹介されてゆく。