昨日のブログの続きです。西の出入り口付近であったといわれる上台橋ですが、現代でもここを超えると西区に入ります。
20.勧行寺
境内に、新撰組の隊長・近藤勇の剣法の流派の開祖であった近藤内蔵助長裕のお墓(供養塔)がある、ということだったのですが、見落としてしまいました。またまた、見落とし・・・ ちょっと疲れが出てきたのかも。
境内も建物も、近代的で立派なお寺でした。
21.浅間神社
承暦4年(1080)富士浅間神社の分霊を祭った神社です。
社殿のある丘は「袖摺山(そですりやま」と呼ばれ、山のすぐ下が波打ち際だったそうです。丘の斜面には横穴式古墳があり、「富士の人穴」と呼ばれ、富士山まで続いているということで人気があったそうです。
この写真は、通りに面した鳥居を撮ったものですが、ということは、私が立っていた場所は浜辺だったんでしょうか?
「富士の人穴」も向かって左の斜面あたりにあったという理解で、いいのかな? 説明が見当たらなくて、ちょっと断言できません。
22.大山道道標跡
保土ケ谷区境の三差路で、芝生の追分と言われていました。ここを起点に、甲州街道の八王子宿までつながっていた八王子街道は、横浜開港以降は、八王子から絹が運ばれてきたので、「絹の道」とも言われていました。
右手に入っていくのが八王子街道です。
分岐点をしめす標識が建っているのがわかりますか? 近づいて見てみましょう。
実は、この時、車の往来に切れ目がなくて、写真を撮るのが一苦労でした。昔、にぎわったという分岐点、今でも交通の要所なのかしらんなどと想像してちょっと楽しくなったのですが、この後、謎が解けました。この先にある「松原商店街」が歩行者天国を実施していたので、迂回する車、商店街の駐車場をめざす車で、混雑していたのですね。松原商店街はなかなかパワフルで印象的な通りでした。後日、「まちなみ」ウオッチとして、詳しく書きますね。
これより、保土ケ谷区に入ります。
23.江戸方見付跡
説明板がありました。
説明板があった場所は、駐車場になっています。宿のお役人さんたちは、正装をしてここに立って、参勤交代の大名をお迎えしたのですね。ちょっと想像しがたい。
24.橘樹神社
この地の氏神様です。
境内裏の「神田不動尊」は、大山道道標を移設して祀ったものです。奥に見えるのが道標かな?
不動尊の隣には、保土ケ谷で最も古い庚申塚もあります。
光ってしまい見にくいですが、説明札を参考に見比べてください。真ん中が一番古い庚申塔のようですね。
境内には、力石や、古い(延宝6年)石盥盤もありました。
「力石って何?」と品川の頃から疑問だったのですが、少しわかったので嬉しいです。
こちらは石盥盤。延宝6年と刻んであるのが見えますか?
地元で親しまれて生きた神社なのでしょう。さほど広い境内ではないのですが、いろいろな珍しいものがあって、面白かったです。
25.帷子橋
帷子橋(新町橋)は、歌川広重の浮世絵で有名な橋です。
昭和40年頃には、川があふれることが多かったため、天王町駅の南側から現在の位置に河川改修が行われ、相模鉄道の立体化もあり、旧帷子橋は消滅しました。この橋は、現在の帷子橋です。
天王町駅前公園が、旧帷子橋のあった場所です。公園内には橋のモニュメントがあります。木の橋(?)の上を歩いて、江戸時代にタイムスリップしてみましょう。
モニュメントのすぐ向こうに、天王寺駅が見えます。
26.香象院
入ってみましょう。あれれ、足元に、こんな模様が? これは何でしょうか?
???ですが、とにかく中へ。
あれ、今度は象さんです。「香象院」だから? あ、碑文がありますね。もっと全部読めるよう写真に撮ってくるんだった!
弘法大師の石碑も。後で復習したら、このお寺は、程ヶ谷宿の中でも一番大きな寺子屋だったそうです。明治6年(1873)に保土ケ谷小学校の分校となりました。弘法大師さんにあやかって、お習字が上手くなりますように、みたいな意味でもあったのかしらん?
薬師様ですからね。延命地蔵です。
正面が本殿です。言われてみれば、昔の学校っぽい?
お寺を後にするとき、山門で気が付きました。両脇に大きなお釜が二つ。 この写真は、そのうちの一つです。なんで、お釜???
謎に包まれたまま、立ち去りました。すごく不思議で、印象に残ったお寺でした。
27.天徳寺
土地の豪族、小野筑後守(ちくごのかみ)が帰依して建立した曹洞宗のお寺です。
本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。
本殿です。運慶さんの地蔵菩薩は、この中かしら?
28.旧中橋跡
かつては今出川が宿場を横切っていて、その上に架かっていた「中橋」があった所です。たびたび浸水を起こしたため、嘉永5年(1852)に、現在の川筋に改修されました。ずいぶん昔に、改修工事をしたのですね。江戸の工事の技術、高いのでは?
29.遍照院
素敵な参道です。紅葉もきれい。
参道正面の本堂です。
30.大連寺
日蓮上人が泊まった家を法華堂に改修したのが始まりのお寺です。山門は階段の上のあります。本日最後のお寺、頑張って上ります。(今日は階段&坂道、多かったです。)
手水鉢、お水が出てくるのは亀さんの口。なんででしょ? 縁起がいいから?
本堂はこちら。
本堂に向かって左手前にある木は、家康の側室おまんの方お手植えのざくろだそうです。
近づいてよく見てみましょう。
見上げれば、なるほど、ザクロの実がひとつ。きまもりかな?
百薬の泉ですって。不老長寿のお水が湧いていたのかしらん。
31.助郷会所跡
本日最後のチェックポイント、助郷会所跡は、保土ケ谷駅の西口商店街を少し入ったところにありました。この通りは、次回また、歩くことになりますね。
助郷会所跡は、ここ。向かって右側に目印の柱があります。
このお店、この日は休業日でしたが、現在もバリバリ営業中の「合名会社北川製粉所」だということを、帰宅してから調べてみて知りました。明治19年創業の、石臼挽きの蕎麦粉の製粉をしている会社です。
商店街を引き返し、保土ケ谷の駅に着きました。15時28分になっていました。5時間45分、21571歩のウォーキングでした。
今回も同行者は夫・くろやぎ。つなぎあわせたひらひらロードマップのコピーを片手に、チェックポイントを探してくれました。神奈川宿の本陣跡の、小野モータースの場所を割り出したりと、推理力が冴えて、なかなかの活躍ぶりでした。くろやぎさんのブログはこちらです。