てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

先取りふむふむ 戸塚→藤沢①

 本日より、次回ウォーク、戸塚→藤沢の事前チェックに入ります。本来ならば、保土谷→戸塚のお宝特集(歩いてパチリした説明板の数々)をアップするのですが、今月のファイル利用量が早くも66%になってしまいました。写真のアップをしばらく抑えめにするため、「旅のお宝」編は後回しにします。旅ブログは、どうしても写真が多くなってしまいます。気にせずアップできるように、はてなプロにしようかな? いやいや、月額1000円は高くないか? などなど迷い中。

 それはさておき、戸塚駅前からチェックを開始しましょう。

 

 

清源院

 浄土宗のお寺で徳川家康の側女お万の方(清源院殿)ゆかりのお寺です。本尊は徳川家康から拝領したといわれる歯吹阿弥陀如来で、境内には松尾芭蕉の句碑、心中句碑、お万の方の遺骸火葬跡の碑があります。また本堂脇の朝日堂は鎌倉郡三十三観音二十二番札所で千手観音が祀られています。

世の人の見つけぬ花や軒の栗 松尾芭蕉

井にうかふ番(つが)ひの果や秋の蝶 心中句

 

内田本陣跡

 規模は間口十八間、奥行十四間百五十二畳でした。

 

問屋場

 問屋場とは宿駅伝馬制度の要となる施設で、公用旅行者や大名などの荷物の運搬、積み立て、人足や伝馬の確認、駄賃の授受などをする役所です。戸塚宿には、矢部、吉田、戸塚三カ所の問屋場があり、毎月1日から4日は矢部が、5日から11日は吉田が、12日から晦日までは戸塚が担当していました。

 

脇本陣

 事前の情報はありません。当日のお楽しみ。

 

澤邊本陣跡

 澤邊本陣は戸塚宿に二つあった本陣の一つです。本陣創設時の当主、澤邊宗三は戸塚宿の解説にあたり幕府に強く働きかけた功労者です。「明治天皇行在所跡」の碑があります。

 

羽黒神社

 澤邊本陣跡の敷地の一角にあります。戸塚宿の鎮守の一つです。弘治2年(1556)に澤邊河内丸信友が羽黒大権現を勘請したのが始まりと言われています。

 

海蔵院

 臨済宗円覚寺の末寺、貞治2年(1363)の創設。本尊は釈迦如来。山門には龍の彫刻、戸塚の俳人長坂志行の墓(塾生たちの謝恩の建碑)があります。宿場時代、当山の晩鐘は「戸塚十勝」の一つに選ばれ、戸塚宿中に親しまれていました。

 

八坂神社

 通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守です。元亀3年(1572)に、牛頭天王社を勧請したのが始まりと言われています。境内には明治天皇東幸碑があります。毎年7月14日に行われる「お礼まき」は、無病息災を祈願して横浜市指定無形民俗文化財になっています。神社脇の東海道鎌倉道が交差するあたりに高札場がありました。

 

冨塚八幡

 戸塚宿の総鎮守で祭神は譽田別命(応神天皇)と富属彦命の二柱です。源頼義・義家父子がここに野営し夢で応神天皇の神託を受け戦に勝利したことに感謝し延久4年(1072)に社殿を造りその御霊を勧請したとのことです。山頂の古墳は富属彦命の墳墓とされており「富塚」と呼ばれこれが戸塚の地名の起こりとも言われています。境内には松尾芭蕉の句碑もあります。

鎌倉をいきて出けむはつ松魚(かつお) 松尾芭蕉

 

秋葉神社

 諏訪神社が合祀されています。

 

上方見付跡

 江戸見付から約2.2㌔の距離にある戸塚宿京方の出入り口です。現在は道の両側に1.5㍍ほどの石の囲いがあり、昔と同じように京に向かって左に松の木、右に楓の木が植えられています。ここから京方は数々の浮世絵の背景に登場する長大な大坂の上り坂が続いています。

 

第六天

 古事記日本書紀で第六番目に出現したとされる両足命らが祭神です。境内には産魂祠天保10年(1839)と道路に面した藤行翁之碑安政元年(1854)があります。近傍の道端に延宝5年(1677)から寛保3年(1743)に建てられた7基の庚申塔が建てられています。

 

坂木稲荷社

 事前情報なし。当日のお楽しみ。

 

庚申塔

 正徳4年(1714)や元禄8年(1696)建立の庚申塔など8基あります。

 

馬頭観音

 文政9年(1826)の建立

 

大坂の碑

 一番大坂、二番大坂、白土坂の三段に分かれます。

 

お軽勘平道行碑

 『歌舞伎仮名手本忠臣蔵』のお軽勘平の「戸塚道行の場」にちなんで作られたものです。七代目市川團十郎、三代目尾上菊五郎などの名優の演技と清元の名調子から、当時江戸では大変な評判でした。

 逃避行の場で勘平はお軽に「此処は戸塚の山中石高道で足は痛みはせぬかや」といたわっています。

 

一里塚

 原宿の一里塚跡。日本橋より十一里目。塚の付近には茶屋があり、原宿と呼ばれるようになりました。吹上の一里塚とも言われています。当時は松の木が植えられていました。明治9年(1876)に里程標の杭をたてるとき一里塚は不要になったので取り払われました。

 

浅間神社

 原宿村の鎮守。室町時代の永禄年間(1558~1570)にその頃盛んであった富士信仰をもとに村内安全を祈願するために勘請されたと言われています。鳥居は安政5年(1777)の建立。境内には樹齢600年を超えると言われる多くの椎の木があり、西には遠く富士山や箱根連山を見ることができます。横断歩道を渡った所に浅間神社入り口があります。

 

大運寺

 浄土宗のお寺で慶長元年(1596)に創建されました。本尊は阿弥陀如来です。境内にはかつて観音堂、庚申堂がありました。また境内にあった弘法池は、今は大正団地内にあり、池の中に窟があった弘法大師作と言われる石地蔵は現在本堂に移され、その複製品が窟に祀られています。一心経一巻雷獣肉附毛地蔵画があります。歩道橋を渡った所に大運寺入り口があります。

 

青面金剛

 戸塚区原宿町第二歩道橋の袂にあります。像は庚申信仰によるもの。傍らには西國順礼供養塔があります。

 

名残り松

 事前の情報はありません。当日のお楽しみ。

 

道祖神・馬頭観世音

 村の厄除けと旅人の安全を祈るもの。文化8年(1811)銘の石仏があります。戸塚区影取町第一歩道橋の所。

 

龍長院参道口

 曹洞宗天王山。参道口には智証大師霊作天王山不動尊があります。鎮護国家の祈願所。

 

諏訪神社

 創建年代は不詳ですが明治4年(1907)に山谷仲町からこのあたりに移転して出来た神社です。昔、社の裏に大蛇が棲む池があり、池に映る旅人の影を取って喰ったと言われ、これが影取の地名の由来になりました。影取池の大蛇を鉄砲で撃ち取った猟師が住んでいたというこの辺りが鉄砲宿と呼ばれていたことから、式神諏訪神社を勧請したと言われています。境内のクスノキ横浜市名木古木指定。

 

道祖神

男女双体道祖神。祠に納まっています。歩道橋脇。

 

 ここまでが戸塚区になっています。この先藤沢市になるので、ブログも一区切りとします。ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

参考

『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社

横浜市戸塚区ホームページ

横浜市 戸塚区役所 旧東海道戸塚宿の歴史を歩く散策マップ

 

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