1月7日(日)、第9回東海道ウォークを実施しました。旅の様子を写真と共に、2回に分けて振り返ります。
9時17分、平塚駅に降り立ちました。駅ビル「ラスカ平塚」がそびえます。あいにく、青空に・・・とは言えません。冬の曇り空ですが、頑張りましょう!
お菊塚
平塚駅前と言えば、お菊塚。紅谷町公園の中にありました。一応、お花もお供えされていました。よかったね、お菊さん。
江戸方見附跡
明治初期に駐日イタリア公使のバルバラーニ伯爵が母国に持ち帰った写真をもとに復元されたという見附。二方向から撮影してみました。
八王子神社
事前情報のなかった八王子神社でしたが、説明板によりますと、神社の傍らを八王子古道が通っていたことが名前の由来のようです。徳川家康が中原御殿に行くときにここで休息したとも。家康の従者、笹尾正成が、ただの石祠に過ぎなかったのを財を投じて神社にしたそうです。おおよそのことがわかったところで、中に入ってみましょう。
手入れはきちんとされているのですが、大きな木がなく、お社の雰囲気が薄いかも。社殿も石灯籠も、むき出しな感じ。
小さなお稲荷さんに和みます。
駐車場に祠がありました。説明板に道祖神社(祭神 猿田彦)と書いてありました。
脇本陣跡
本陣・脇本陣・問屋場などの「〇〇跡」という碑をパチリしたときは、振り返って、その跡が現在どうなっているのかもパチリすることにしています。
ここ平塚宿脇本陣跡は、現在マンション建設中でした。
高札場跡
高札場跡は、お茶屋さんになっています。
東組問屋場跡
こちら、現在はお魚屋さんです。
本陣跡
本陣跡は神奈川銀行平塚支店です。支店入口脇に石碑があります。近づいてみましょう。
昭和47年に平塚支店を改築した際に、このようなきちんとした石碑を建てたのですね。感心してしまった・・・
こちらは、平成13年に平塚市が建てたもの。
神奈川銀行平塚支店さんの計らいに、座布団3枚。(3枚という枚数に特に根拠はありません・・・)
宝善寺
事前情報がなく???だった宝善寺。庶民的なこの外観に、用心深い「くろやぎ」(同行人・夫)は引き気味でしたが、構わずお邪魔します。
なるほど、ありとあらゆるものがてんこもりで、博物館的な・・・? 博物館にしては庶民的な。説明するよりもまず、写真をアップしますのでご覧ください。
江戸時代末期の俳人、斎藤麗山の句碑。
「すそはまだ くらきにあけて ゆきのみね」
水子地蔵
鬼門除けのおまじないの、さるすべりの木という説明
武田信玄小田原攻め戦没者供養塔
こちら、本殿です。
本殿脇に展示されていた日本最古の鉄道レール。仏さまとはあんまり関係ないかもしれないけど。住職さんのコレクションですかね?
宮本武蔵ゆかりの瓦を敷き詰めているとの説明です。
平塚宿屋敷門の遺構
旧平塚警察北側のあった旧岩崎家の屋敷門を譲り受けたもの
とまあ、いろいろあったのですが、宝善寺とはなんぞ? 帰って来てから改めてパチリしてきた説明板の写真を見ましたところ、京都東寺の末寺で、約800年前の建久年間に鎌倉まで来た東寺の僧により開かれたとのこと。小田原北条氏の庇護を受け、江戸時代になって宝善寺の前に平塚宿の本陣が置かれると、本陣菩提所として大いに栄えた・・・とのことです。
くろやぎよ、恐れることなかれ。一応(というのも変ですが)平塚宿に由来あるお寺であります。
西組問屋場
江戸の宿場町の雰囲気たっぷりのこの建物・・・
平塚市消防団第一分団です。
建物の前に、問屋場跡の碑と説明板があります。景観に配慮していて座布団1枚。
平塚の塚
平塚の地名の由来になった「平塚の塚」は「西仲町公園」の中にあります。公園の入り口に「平塚の塚緑地」という石柱がたっていました。正面にそびえる石碑は「平塚碑」
塚って、この辺りですかね? 平らだけど。いや、平らだから平塚。説明板あるし。
平塚碑を記念にパチリ。晴れてきて嬉しい。
上方見附跡
広重さんの「東海道五十三次(保永堂版)」平塚縄手道の画は、おそらくここからの景色だろうと言われています。
というわけで、現代版をパチリしました。いかがでしょう?
目の前が東海道。正面に高麗山。その横に小さく富士山。なるほど画の構図は同じ。飛脚と駕籠かきではなく、行き会うのは車。この写真では、せっかく見えた富士山がわかりづらいので、ズームしてもう一枚アップしますね。
これでいかがでしょう?
花水橋
「平成の一里塚」があるという事前情報に、???でしたが、これですね。「平成の一里塚」という説明板とともに「塚」がありました。
先の一里塚のあった「古花水橋」(川は流れていません。交差点です。)を渡ると大磯町になります。現代の花水川の流れる「花水橋」の手前に「平成の一里塚」はあります。
説明文を読みますと、平塚市に一里塚があるなら大磯町にも作ってみようじゃないか、景色はこっちの方がいいですよ~みたいな主旨でありました。(ちょっとざっくりしすぎかも。すみません。)
で、景色ですが。
高麗山の右隣に富士山は・・・見えませんね・・・
これが、花水橋。大きな立派な橋です。
花水橋からの眺めです。
浮世絵考証のスポットとしては、本家の一里塚に軍配が上がりますが、確かに景色はなかなか良いと思います。
善福寺
平塚入道が、母・虎御前の生地の近くに草庵を結んだというのが、このお寺ですが・・・ お邪魔します。
境内に親鸞聖人の像がありました。
静かな境内です。
横穴式古墳のようなものがあり、特に説明はなかったのですが気になったのでパチリしました。帰って来て事前チェックを見直したら、縄文時代の遺跡だそうです。自分の作った事前チェックなのに、忘れていた・・・ ダメだなあ・・・
茅葺の旧家
事前チェックの時、残っているかなあと不安だったのですが・・・
道路の反対側から見つけた瞬間は、「ばんざーい」と叫びたいくらいでした。
どなたかが住んでいらっしゃる気配は感じられませんでしたが、きちんと手入れされていました。
慶覚院
高来神社の二つ目の鳥居を一旦くぐって、すぐ右にあります。
ピカピカで新しい印象の、不思議なお寺。
こちらは、高来神社内の案内板の写真です。最近、改築したんですね。どうりで。
本堂です。
高来神社
参道です。成人式の前日、振袖姿の新成人と記念撮影をする家族も。お天気でよかったですね。
境内の力石。女石と男石。
このエリアのどこかに、高来神社の「シイニッケイ」という市内で有名な古木があるとのことです。樹幹の心材が枯死腐朽し空洞化しているスタジイの古樹の凹部に,ヤブニッケイが密着生息しているものだそうですが、どの木でしょうか? とうとうわからずじまい。
本殿です。
本殿の裏から山道になっていて、高来神社上宮になります。少々興味はあったのですが、くろやぎ(同行人・夫)が明らかな拒絶反応を示し、確かに案内に所要時間も何も書いていなかったので、やめました。街道ウォークですからね、あまり脇道に逸れるのもね・・・
左が男坂、右が女坂だそうです。いってらっしゃーい!
街道沿いの大鳥居の右側の石柱は、紀州徳川家の14代目・徳川頼倫侯の麗筆です。事前にチェックしていたのに危うく見落とすところでした。思い出してよかった。
高麗山をバックにひときわ目立つ大鳥居を後にして、次へ向かってまたサクサク歩き始めました。ちょうどお昼時でまだまだこれからなのですが、長くなるので、ここでいったんブログを閉じます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。次回はこの続きをアップします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。