11月12日(日)、まずまずのウォーキング日和、保土ケ谷→戸塚の街道歩きをしました。(同行者はおなじみ、くろやぎです。)
保土ケ谷の駅に降り立ったら、「ん? さ、寒い!!」 先週は途中から汗ばむくらいだったので、今回は長袖コットンシャツ・ニットのベスト・パーカーという軽装で来たことをうっすら後悔。歩けば暖かくなるからと、気を取り直して出発です。時刻は9時ちょうど。
- 問屋場跡
- 高札場跡
- 金沢道道標
- 刈部本陣跡
- 脇本陣跡(大金子屋跡・八郎右衛門)
- 脇本陣跡(富士屋四郎兵衛跡)
- 脇本陣跡(水屋与衛門跡)
- 旅籠屋跡(本金子屋伝左衛門跡)
- 茶屋本陣九左衛門跡
- 保土ケ谷の一里塚跡
- 外川神社・上方見付跡
- 樹源寺
- 旧元町橋跡
- 稲荷神社
- 権太坂
- 投込塚
- 若林家
- 境木地蔵
- 焼餅坂
- 品濃一里塚
- 福寿観音
問屋場跡
前回チェックした助郷会所跡を通り過ぎ、いくらも歩かないうちに問屋場跡に。「跡」ですからね。まあ、こんな感じ。
高札場跡
宝暦13年(1763)に建てられました。幅約4.5㍍、高さ約3㍍もあったそうです! 前回見た、神奈川地区センター前の復元された高札場を思い出しました。
金沢道道標
金沢横丁という案内表示の道路を挟んで向かい側に、道標4基がありました。しかし・・・
敷地内工事中で、これ以上近づいて見ることはできませんでした。ここはマンションの1階に入っている店舗のようです。店舗の改装工事でしょうか。
刈部本陣跡
軽部さんのお宅の塀の中に、本陣門(左の青い屋根です)が残されています。残っているなんて、すごいですね!
門に、ぎりぎりまで近づいてパチリしてみました。
脇本陣跡(大金子屋跡・八郎右衛門)
道路を挟んで刈部本陣跡の向かいに、脇本陣跡(大金子屋跡・八郎右衛門)があるとのことでしたが、説明板が見つかりませんでした。ずいぶん探したのですが。位置的には、たぶんこの辺りかと。
脇本陣跡(富士屋四郎兵衛跡)
今度はちゃんと説明標がありました。よかった。
おそらくこのマンションの敷地が、脇本陣のあったところでしょう。
脇本陣跡(水屋与衛門跡)
水屋与衛門の脇本陣跡は消防署の敷地になっています。
旅籠屋跡(本金子屋伝左衛門跡)
中に入ることはできませんが、建物が残っていて、昔の宿場の雰囲気を感じることができます。
道路の反対側から、建物を撮ってみました。
茶屋本陣九左衛門跡
説明標を見つけて一安心。
向かって右側が、説明板のある道路。茶屋本陣があったのは、左側の辺りでしょうか。北方向を振り返って撮った写真です。
保土ケ谷の一里塚跡
「跡」ということですが、土を盛った感じとか、木が1本生えているところとか、一里塚っぽい感じ。江戸から8番めの一里塚です。
外川神社・上方見付跡
京都側からの保土ケ谷宿への入り口・上方見付はこの神社の前にあったそうです。
神社は東海道を見下ろすように、小高い丘の斜面にあります。
樹源寺
旧東海道沿いにある樹源寺は、階段を上がった上にあります。
よく手入れされた落ち着いた佇まいのお寺でした。こじんまりとした庭には、池があって小さな滝も作られていました。
旧元町橋跡
あやうく見落とすところでした。見つけてよかった。現在の元橋はこれより少し先になりますが、川筋が変わる前は、ここに橋があったのですね。言われてみれば、小さな流れがあったかのような(?)雰囲気?
稲荷神社
右側に馬頭観音があります。「宝暦」年間に建てられたことが刻まれています。
権太坂
いよいよ権太坂です。確かに、急かな?
こちらは権太坂改修碑。昭和30年代に坂の改修工事をしたことが記されていました。
坂を上りきったあたりに、権太坂の標石と、坂についての説明板がありました。背後は県立光陵高校です。見晴らしのいい立地の学校ですね。
投込塚
権太坂を降りて、少し歩いたところにありました。静かに手を合わせました。
お花がお供えされたりしていて、いいですね。
若林家
牡丹餅が名物だったという立場茶屋をやっていた若林家。外観しかわかりませんが、それらしき雰囲気の門です。
権太坂を越してきて、ちょうど休みたくなる立地ですね。さぞかし、賑わっていたことでしょう。
境木地蔵
こちらも、権太坂を越して、ふらりと立ち寄りたくなった場所だったことでしょう。境内で、お餅を売ったりしていたのかしら?
階段を上がると、お地蔵様の手水鉢が。
本殿です。
こちらは、境内のお地蔵さま。
法然上人の歌碑が目に留まりましたので、パチリしてしまいました。
境木地蔵尊の前に、道標を復元したモニュメントがありました。ここは、武蔵野国と相模の国の境でした。
坂を上り切って安心してしまい、実はチェックポイントを1つ飛ばしてしまったことを、帰宅してから気がつきました。ショック! 「萩原代官屋敷跡」です。あぁぁ・・・ 見たかったなあ。
実は後日くろやぎ(街道ウォークの同行者・夫)が、単独で東戸塚を再訪して、代官屋敷跡も見てきてくれました。くろやぎのブログにアップしているので、ご覧ください。
焼餅坂
権太坂を登り切った跡は、今度は焼餅坂を下ります。江戸の人の旅は大変。こんなきれいな道ではなかったのですものね。今でも、けっこうなアップダウンですね。
品濃一里塚
本来は一里塚は道の両側に設けられていましたが、両方とも残っていることはほとんどないそうで、ここの一里塚は両方残っている大変珍しい一里塚です。
京都方面に向かって右側がこちらの一里塚。解説板や説明標があります。
こちらは左側。個人のお宅の敷地です。
旧道の面影をとどめた、狭い道幅です。拡張工事などがなかったから、こうして残ることができているのですね、きっと。
福寿観音
歩道橋の上の脇に、くっつくように建っている、小さな観音様。めったに見ない、珍しい立地です。
歩道橋を渡ると、東戸塚駅前のイオンです。ちょうど12じを回ったところ。イオンでお昼にしたので、ブログもいったん閉じます。