♪箱根の山は天下の険♪
街道歩き(実質山越え)の様子を3回にわたってお伝えしています。
3回目の今回は、甘酒茶屋から箱根関所跡を目指します。
ここまでの道のりは、前回、前々回のブログをご覧ください。
江戸時代には数軒あった甘酒茶屋。現在で唯一残るこの「甘酒茶屋」で甘酒と力餅をいただきエネルギーチャージをして再び出発です! 時刻は2時を回っています。日の長いこの時期でよかった。
車道に並行している自然歩道をしばらく歩いて行きますと・・・
於玉坂です。なぜ「於玉坂」というのでしょうね? 「関所破りで処刑されたお玉さん」と関係あるのでしょうか? たくさん積んである石は、お玉さんへの鎮魂?
いくらも歩かないところに、旧街道碑があります。なかなか雰囲気があります。江戸時代の様子が浮かびそう。
説明板をアップします。
あの和宮内親王が14代将軍徳川家茂のもとに降嫁するにあたり、幕府の命令で整備されたとのこと。
平均3.6メートルの道幅の中央に1.8メートルの石畳が敷き詰められていたという説明をもとに、イメージしてみます。
うーん、この幅に大名行列・・・。
次々に坂が現れます。今度は白水坂。
お金が置いてあると、自分も置きたくなる日本人。道中の安全を祈願しているのかな?
ガイドブックの写真になりそうな石畳です。ぱっと見なかなかいい感じだけど、繰り返しいいますが、石畳歩きにくいですよ。
こんなカーブした上り坂も石畳ですから。
やがて、道の前方に大きな岩が現れました。
天ケ石坂です。
近くを歩いていたカップルさんが、「なんだなんだ、これ、すごくね?」と言いながら、岩をバックに二人で写真撮ってました。元気だなー。
山道を上り切ったところに、箱根馬子唄の碑があります。
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川
と書いてある、らしいです。
実はここ、大変見晴らしのいい場所で、木々の間から二子山を望むことができます。
近くに二子山についての説明板があったのでアップしますね。
自然保護のため入山禁止なのだそうです。へぇぇ・・
程近いところに、お玉観音堂があります。箱根の関所破りをして処刑されたお玉を供養しています。
お玉さんは、というか若い少女だったようですのでお玉ちゃんというべきか、江戸に奉公に出されたけれども故郷が恋しくなって逃げてきました。箱根の関所は他の関所のように「入り鉄砲」の取り締まりはなかったのですが、「出女」の取り締まりはことのほか厳しく、証明書を見せて、なおかつ身体検査も受けなければなりませんでした。逃げ出して来たお玉ちゃんが証明書を書いてもらっているはずがありません。関所を破って、捕らえられ処刑されてしまいました。
この辺りの話については、後に立ち寄る関所跡の資料館で詳しく説明されていました。
観音堂です。お堂の前の敷地から、あの二子山が見えます。
観音堂を後にして、また石畳。
今度は下り坂。石畳って、上りより下りの方が歩きにくいです。滑りそうで怖いので、脇の石のないところを歩いて見たりもしたのですが、それはそれでやっぱり歩きにくい。
右手に赤い鳥居と石段。どこへ続くのか? 私たちは足音に気を配りながら真っ直ぐ進みます。
権現坂の案内板です。権現坂は、箱根権現に由来する坂です。説明板によれば、箱根から難所を乗り越えてここまで来た旅人が、眼下に芦ノ湖を見下ろして、ほっと一息ついた場所なんだとか。
くろやぎ(同行人・夫)も、「遊覧船のアナウンスが聞こえる!」と教えてくれました。私にはとんとわからなかったけれど。
そしてまだ続く、石畳。ホントに芦ノ湖、近いの? 半信半疑の私です・・・
下り坂がなだらかになって明るくなってきたなーと思ったら、石畳が終わりました。この写真は、出口から振り返った所。史跡旧街道碑が立っています。
石畳を出てすぐの場所に、ケンペル・バーニー碑がありました。
ケンペルは、ドイツの博物学者で、オランダ通商使節の一員として元禄4年(1691)とその翌年に箱根を越え、箱根の美しさを世界に紹介しました。
バーニーは、この地に別荘を持っていたイギリスの貿易商です。たぶん、明治か大正?
ケンペルとバーニーは別々の人物で時代も違うけれど、外国人で箱根を気に入ってくれた人なんですね!
それにしれもケンペルさん、江戸時代の石畳を歩いて、しかも気に入ってくれたなんてなんてすごい。言われてみれば、
今回も、石畳で外国の方を何組か見かけました。フットワークも軽く、楽しそうに歩いていました。家族連れのお父さん、小さい男の子を肩車してたし。頼もしいことこの上なし。
興福寺です。箱根七福神のひとつで、布袋様がお祀りされているそうです。
ここまで来れば、芦ノ湖は目の前。
こちらが本堂
境内です。六地蔵様とか庚申塔とか?いろいろ。
興福寺の境内を通り抜けたら、いきなり観光地。今までの旧街道の雰囲気は吹っ飛んで、こじゃれた雑貨屋やら、お土産物屋さんやら、レストハウスやら。山中湖とか河口湖とかにも似たホントによくある観光地の景色。
そしてこの大きな赤い鳥居は、箱根神社の大鳥居です。箱根神社はここからはまだまだ距離があるので、立ち寄りません。(いつか行ってみたいけど)
大鳥居の脇にある賽の河原。
地蔵信仰が盛んだったこの地に点在していた石仏や石塔を一カ所に集めたのですね。了解。
賽の河原は芦ノ湖畔にあります。ですので、芦ノ湖の写真も1枚アップしておきましょう。
それにしても、すごい観光客の数。いつからこんなに増えていたっけ?
賽の河原の向かいの身代わり地蔵はバス停の所にあって、ちょうどバスが停まって観光客が次から次へと降りてきたので、説明板をパシャして早々に退散しました。
一里塚跡です。日本橋より24里目。
一里塚のすぐそばに旧東海道箱根杉並木碑があります。
東海道では唯一の杉並木だそうです。約420本の杉が残されています。
杉並木は近年、樹の勢いが弱くなってきたので、保護するために様々な試みがなされているそうです。
説明はこのくらいにして、杉並木の写真をご覧ください。
江戸時代に旅人に木陰をということで植えられた杉並木。現代も安らぎを与えてくれます。
いよいよ本日の最終チェックポイント、関所跡に着きました。
まずは、資料館を見学。
箱根の関所についての展示がわかりやすいです。ここを見てから関所跡を見学するのがよいと思います。
資料館を出ると、関所跡の門になります。
すごい威圧感。ここを通った江戸時代の旅人は(一般人)、本当に怖かったんだろうなあと同情してしまいました。
関所跡では、建物の一部が復元されています。関所という場所柄、あんまり楽しい気持ちのする場所ではありません。
たとえばこれは獄屋。こんなところに閉じ込められるのはいやだなあ。
これは取り調べを行う建物。
なかなか良い眺めですが、この高台は、関所の見張り台があった場所。眼下に関所の建物、その向こうに芦ノ湖が見えます。関所をぬけだして湖の上を手漕ぎ舟で逃げて行っても、ここから見えてしまうというわけ。
一応説明板もアップしますね。
関所跡には売店とか、茶店とかもあったのですが、バスの時間が気になってパス。案の定、バス停に到着したとたんバスが来ました。ラッキー&アブナイアブナイ・・・
16時31分の箱根湯本行のバスに乗りました。9時43分に箱根湯本の駅を出発してから6時間12分、26611歩、18.6㌔のウォークでした。
次回、ここから三嶋をめざします。次回っていつだろう?
ここまで読んでくださってありがとうございました。このブログは「晴歩雨読」、街道ウォークと読書のブログです。また訪ねて来てくださると嬉しいです。