てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第11回 街道ウォーク 国府津→小田原①

 いよいよウォーク当初の目標・小田原へ!

 

 ほんの軽いノリで、小田原くらいまでなら行けるんじゃない?と始めた週末ウォークも、11回目。小田原は今となっては通過点。目指せ、京都・三条!(いつ着くかわからないけど。着くかどうかもわからないけど?!)

 

 旅のバイブルは、八木牧夫さんの『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(山と渓谷社)。

 何がいいって、シンプル。東海道を京都目指して、ひたすらてくてく歩き人のために、必要な情報をコンパクトにわかりやすく本にしています。これをその日のコースの分を2部コピーして、一つはくろやぎ(同行者・夫)、一つは私が持ちます。あと、ロードマップのコピーも必須で、これも2部。一応、バイブルはカバーをかけて(汚れると悲しいから)リュックの中に忍ばせていますが、荷物を軽くしたいので他のガイドブックは持ちません。

 話が少しそれましたね。えーと、つまり、八木牧夫さんの『ちゃんと歩ける東海道五十三次』が、そんな感じでバイブルになっていることを言いたかったのです。

 バイブルには名所・旧跡のチェックポイントが載っていて、これはできるだけ立ち寄ることにしています。なんかスタンプラリーみたいでやる気が出るし。ここにあるチェックポイントが、「旧東海道」関連に絞られているのが、バイブルたる所以です。いくら有名でも街道から激しくはずれたポイントについては言及していません。寄るか寄らないかの判断基準になります。代わりに普通のガイドブックには載っていない、街道ウオークならではのポイントが載ってもいます。

 

 それでは、「国府津→小田原」のウォークについて、チェックポイントに沿って振り返っていきましょう!


親鸞聖人御庵室 御勘堂碑

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  親鸞聖人が、布教のために、ここ国府津にとどまっていた時に、民衆を教化した庵室跡、らしいです。

 街道沿いでこの後ろは海です。個人のお宅の敷地内のような感じだったので、ここからパチリするだけで、これ以上先にはいきませんでした。


真楽寺

 

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 もともとは天台宗のお寺でしたが、親鸞聖人の教えにより真宗に改修しました。「真楽寺」という名前も親鸞聖人がつけました。切支丹禁制下に、観音像だと偽っていたマリア像があるそうで、興味があったのですが、見ることはできなかったです。

 境内の説明板をアップしておきますね。

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法秀寺

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 チェックポイントの法秀寺。何をチェックすればいいのか? なぜ、チェックポイントなのか。ガイドブックに特に説明はなく、実際訪ねてみても説明板のたぐいはなく・・・ 結局謎のままでした。

 本殿の写真です。きれいな木造の建物でした。

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小八幡の一里塚

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 日本橋より、19里目。左側に一里塚の後を示す説明板があります。

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 これですね。塚の上のは松の木があったという説明です。

 

 
小八幡神社

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 河野神社の特徴は、境内に、たくさんの道祖神や庚申塔が集められていることです。

 こちら道祖神。

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 こちら庚申塔。

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 石碑や説明板もありました。

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 道路拡張工事の時に、小八幡村に点在していた道祖神や庚申塔を、一カ所に(この神社の境内に)集めたということです。

 

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 明治時代の道標もあったので、パチリしました。


三寶寺f:id:kaz-mt-wisteria:20180218175818j:plain

 なにやら、今どきのおしゃれな看板に、「雑貨屋さんとか、カフェとか?」と思ってよくよく見たら、チェックポイントのお寺の看板ではありませんか!

 入ってみましょう♪

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 普通にお寺ですね(*^-^*)

 

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 陽だまりの六地蔵様。こういうの、好き。

 

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 本殿でお賽銭をと思ったら、手前にお線香とカセットコンロ。

 えっっ、カセットコンロ? ちょっとダイナミックじゃないですか?

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 こちらが、看板にあった、「てらカフェ」ですね。11時より開店とのことで、中を見ることはできませんでしたが。なかなかおしゃれですね。

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 参道入口(街道沿い)にある「弘法大師筆跡利劔名號安置」碑です。これ、要チェックとして挙がっていました。アブナイアブナイ、見落とすところでした(;^ω^)

 

 しばらくチェックポイントはありません。ひたすら歩きます。


道祖神(酒匂)

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 道祖神があるということでしたが、見つからなくて。ふと見ると、足元にありました。

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 振り返って見た方が、見つけやすいかな? 電柱にぴったりと。いや、後から電柱が、道祖神にぴったりっくつけて設置されたのだろうけれども。


長楽寺

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 長楽寺は、入りづらい雰囲気だったけれど、通用門からそうっと入って一枚だけパチリ。バイブルには、特に説明のないお寺でしたが、やっぱり謎のまま。(ちゃんと調べたらわかるのだろうけれど。)

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大見寺

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 バイブルの説明によりますと、名主だった小嶋家の宝経印塔・五輪塔(いずれも供養塔ですね)があるということだったのですが・・・ おーい、どこだぁ・・・

 墓所中をぐるぐるまわって、やっと説明板を見つけました。

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 これが宝経印塔、らしいです。たぶん。

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 こちら五輪塔。


旧川辺本陣跡

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 「旧川辺本陣跡」という表示はなかったんですが、ここではないかと。立派な構えの門で、旧家なのでは? 位置的にも、間違いなさそう。

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 児童養護施設「ゆりかご園」の敷地になっています。


酒匂不動尊

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 延命水があるということで、興味津々でしたが・・・

 小さなお不動様です。

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 延命水、これかな?


法善寺

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 こじんまりしたきれいなお寺です。日蓮宗のお寺ですが、元は真言宗でした。

 説明板をアップします。

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 お水をかけて「南無妙法蓮華経」と唱えると、ケガレを除き病を治してくださるそうです。さっそく、お願いいたしました。


大経寺

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 松尾芭蕉の句碑があるとのことで、楽しみにしていました。芭蕉さんの句碑がある理由が知りたくて。

 紅梅がほころび始めていました。いい香りです。

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 「ピンコロ摂取地蔵」という名前が気になって、パチリしました。ピンピンコロリ?

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 芭蕉句碑です。

人もみぬ 春の鏡や うらの梅

と刻まれているそうです。読めないけど(-_-;)

 句にも「梅」とありますね。このお寺、昔から梅のお寺だったんですね。

 ところで、なぜ芭蕉さんの句碑があるのか、説明はありませんでしたが、「梅」のお寺だから、芭蕉さんのこの句を碑にしたのかな? 単なる推測ですが。

 

妙善寺

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 妙寺です。門柱でご確認ください。

 バイブルには「妙寺」と記載されているのですが(・・?

 実は、妙蓮寺も近くにあったんだと、帰って来てからロードマップ見てわかりました。マップによれば、妙蓮寺は、もっと手前、酒匂不動尊の近くです。

 ああ、でも私がパチリしたのは妙善寺。うっかりしてたΣ(゚д゚lll) 位置から判断して、お寺の名前をよく見なかったんです。

 でも、たぶん、バイブルに妙蓮寺とあるのは妙善寺の間違いだと思う・・・

 たぶん、これ、誤植なんじないかな?

 

 

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 何はともあれ、きれいな本殿でした。

 

 妙善寺を後にして、こんな細道を行きますと・・・

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 本典寺に行きつきます。

 

本典寺

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 本典寺です。すぐ近くに本典寺の駐車場の看板が出ていたので、本典寺の敷地の中の建物であることに間違いないです。建物、あんまりお寺っぽくないですが。これが本殿でいいんですよね?

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 足元の小さな石仏に、和みました。


法船寺

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 参道のしだれ梅、満開になるのが楽しみですね。

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 本殿の階段下。黒の草履に並んでドナルドのサンダルがあったのが面白かったのでパチリしました。

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 これもパチリ。三寶寺と同じように、またまたお線香とカセットコンロ。「ダイナミックだなぁ~」とさっきは思ったけれど、「お墓までお線香に火をつけて持っていくなら、ヵセットコンロの方が、しっかり火がつくものね」と納得。

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 このお寺での要チェックは、五重塔。コンパクトサイズです。

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 説明板をアップします。 

 平成5年に完成した新しい塔です。総檜造。100年後には、有名な文化財になっているかも。


酒匂川

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 酒匂川まで来ました。江戸時代は「徒歩(かち)渡し」だったけれど、こんなに立派な橋が架かっています。

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 水が冷たそうです。風が吹いて、さざ波も立っています。

 さすがに、冬の間は、徒歩渡しではなく、仮の橋が架かったということです。

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 橋の中程から撮りました。

 

 酒匂川を渡ると、間もなく江戸見付。小田原宿に入る前に、ブログもいったん区切ります。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 また、訪ねて来てくださると嬉しいです。 


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佐藤正午『月の満ち欠け』

 今回の本は、『月の満ち欠け』(佐藤正午 岩波書店)です。

 

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 第157回直木賞受賞作です。知り合いの「ぜひ読んでほしい!!」という強い薦めで手に取りました。

 知り合いによれば、自分にとってのツボで、直球で心に刺さったんだそうです。輪廻転生を描いた不思議なお話だというので、「村上春樹さんの『IQ84』とか『海辺のカフカ』の世界みたいな?」と聞いたら、「いやいや、もっと柔らかいよ。」と・・・。

 300ページ超の割と分厚い本だったので、一見敷居が高かったのですが、読み始めたら止まらなくて。確かにやわらかい。直木賞らしいかも。2日で読んでしまいました。

 なぜ、こんなにもハイペースで読んでしまったかというと、何より話の全体を知ってすっきりしたかったからかな、と思います。いろいろな人の話が出てくるのですが、最初はバラバラだったそれぞれの人の人生が、どこかで重なりあっているのだということに気が付き始め、これがどう一つの物語になるのだろうと気になって読み進み、最後にピタリとはまった時の爽快感がたまりません。

 

 内容をちょっとだけ紹介しましょう。(基本、ネタバレはありません。)

 物語は、東京ステーションホテルのカフェで、初老の男性・小山内堅(つよし)が母娘の二人連れと対面する場面から始まります。テーブルの向かいに座る、この日初対面の7歳の少女の名前は「緑坂るり」。小山内を見つめる子どもらしからぬ冷めた視線、大人の女性のような話し方、まるで小山内の過去を知っているような話しぶりに、背筋が寒くなる小山内でした。何となく予想していた展開ではあるのですが。

 

 それというのも、小山内にはかつて妻子がいました。娘の名前は「瑠璃」。くしくも「緑坂るり」と同じです。

 妻は大学の後輩でした。同じサークルで話すようになり、社会人時代の遠距離恋愛を経て結婚しました。決断力があり忍耐強く賢い妻でした。

 娘の瑠璃についていえば、7歳の時に、不思議な出来事がありました。1週間にわたり高熱が続いたあと、おかしな言動をするようになったのです。始まりは「アキラくん」。大切にしているくまのぬいぐるみを突然「アキラくん」と呼び始めたのですが、「アキラくん」ってだれ? なんで「アキラくん」という名前なの? 

 そのうち、知るはずのない昔の歌謡曲を口ずさむようになり、挙句の果てには家出をして補導されてしまいます。行先は高田馬場のビデオ屋さん。どうしても行きたい場所だったらしいのですが、幼い女の子が行きたがるような場所ではありません。まるで誰かが乗り移ったかのよう。大人の女性のような、遠くを見る冷めた視線。(そう、「緑坂るり」と同じです。)不可解なことが続いた後、なぜかこれ以上の進展はなく、何事もなかったかのように日常に戻ったのですが・・・

 10年後、妻と娘の瑠璃は、交通事故で突然この世を去りました。

 これが第一話。

 

 第二話の主人公は、「三角(みすみ)哲彦」です。実は、三角哲彦は冒頭のカフェで、小山内や緑川親子と待ちあわせをしているのですが、第一話では、まだ待ち合わせ場所に現れていません。第二話は三角哲彦の大学時代の話です。この先はネタバレに近くなってしまうので、ここでやめておきますが、三角哲彦は、この物語のキーマンです。

 

 小山内の目の前の少女・「るり」は、娘の「瑠璃」の生まれ変わりなのでしょうか? それにしては、話はもっと込み入っていそう。三話、四話と読み進むうちに、だんだん一つの線が見えてきます。

 登場人物たちの人生は、幸せであるとは言い難く、運命の残酷の理不尽さに、悲しくなってしまいますが、それを超越するサプライズがラストにあります。

 輪廻転生を描いた本だと最初に紹介しましたが、この本のテーマはずばり「愛」だと思います。

 不思議な愛のストーリーに浸ってみたい方、ぜひご一読を。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また訪問してくださると嬉しいです。

 次回から、また「街道ウォーク」の記事に戻ります。

 

 

 

ヒョー、ショー、ジョウ!

今週のお題「表彰状」

 

 「表彰状」と言えば、やっぱり「ヒョー、ショー、ジョウ!」でしょ。

 といっても、ある年代以上の人にしかわかりませんね。というか、50代(?)以上ならば、「あー、はいはい、あれね。」とすぐわかる・・・(たぶん)

 

 子どもの頃、父が相撲好きだったので、千秋楽は必ずテレビがついていて、優勝の行方をかたずをのんで見守ったものです。そしてそのあとのお楽しみが「授与式」。優勝力士が、俵とか豪華な大きなトロフィーとか、様々なものを受け取るのを見るのは、わくわくしました。「次は何が出てくるんだろう?」って。ガラスのトロフィーなんか、きれいだったなあ。

 でも、何といっても一番のお目当ては、中継が終わりに近づいたころに行われるパン・アメリカン航空によるトロフィーの授与でした。羽織袴のいでたちの小柄な外国人の男の人が土俵に上がって、声高らかに「ヒョー、ショー、ジョウ!」と読み上げると、それだけで会場にわっと歓声が上がります。これだけでも面白いのですが、ここから先に起きることを思っての歓声です。

 外国の方らしい独特のイントネーションの日本語がまず面白いです。「アーナーターは、ショーワ! ロクジューーネン・・・」 文字にするとうまく伝わらないですね。間の取り方が絶妙なんです。いつも同じ調子ではなくて、ちょっとずつバリエーションが変わります。「アーナーターは」というところが「アンタは!」になったり。場所によって方言が混ざったり。大阪場所のときは「そやから」、九州場所の時は「そげなわけで」。極めつけは、トロフィーを渡すとき。つばさの付いた金の地球儀のトロフィーなんですが、重くてなかなか持ち上げることができなくて、やっと抱え上げたかと思ったら転んでしまったりします。大きな力士が手を貸して起こしてあげる場面があったりすると、また歓声が上がります。このあたり、お約束みたいになっているんだけれど、期待を裏切らないところがいいんです。

 NHKも心得ていて、だいたいこれが終わると中継も終わり。「あー、面白かった」って言いながらテレビを消したのでした。

 

 表情一つ動かさず、至極まじめに「ヒョー、ショー、ジョウ!」から転ぶまで、やってくれたパン・アメリカン航空(「パンナメーリカン!」という発音がかっこよくて、小学生の私も名前を覚えました)。お客さんも、お茶の間でテレビを見ている人も、毎回繰り返される一部始終を、一緒になって笑い転げた「ヒョー、ショー、ジョウ!」。お笑コントにも負けない面白さでした。昭和だなあ。

 え? 何が昭和かって? 思うに、その時しか見られないお約束のコントをみんながテレビの前で今か今かと待っていて、一緒に笑うところかな。そこがYouTubeで拡散したピコ太郎さんとは違う。(ピコ太郎さんはもちろん面白いけれど) 昭和はみんなで一緒に見て笑う。しかもお約束の流れ。いたってシンプルなんです。懐かしいな。

 「ヒョー、ショー、ジョウ!」がピンとこない世代の方、それこそYouTubeにも上がっていますので、ぜひご覧ください。げらげら笑うお客さんとは対照的に、表情を崩さずまじめに聞き入っている千代の富士もうつっています。でも、もしかしたら、笑いをかみ殺していたのかもしれませんね。

 

 パン・アメリカン航空の倒産で、パンナム杯の授与もなくなりました。「ヒョー、ショー、ジョウ!」のおじさんは、実はとても偉い方(パン・アメリカン航空の極東支配人 デビッド・ジョーンズさん)で日本語ペラペラだったんだそうです。日本人の笑いを取るために、毎回、あれこれ筋書きを考えていたんですね! すごい。

 デビッド・ジョーンズさんは会社の倒産でアメリカに帰国し、2005年に亡くなっています。千秋楽のお約束で日本のお茶の間を笑わせてくださった天国のデビッド・ジョーンズさんに、「感謝状」を贈りたいと思います。いや、「感謝状」では雰囲気が出ませんね。やっぱり「ヒョー、ショー、ジョウ!」でしょ。

 「アナタは、ニッポンとニッポンの相撲を愛し、ニッポン中を、笑いに包んでくださいました! よって、アナタに、ヒョー、ショー、ジョウ!を贈ります。」

 

 

ウォーキング再開しました!

 通勤帰りに、残雪に自転車を乗り上げ転倒。箱根を目前にウォークを休んでいましたが、2月12日(月)に再開しました。

 ひどい打撲で済んだみたいです。けがをするとライフワークができなくなるから、気をつけなくては・・・。

 

 そういうわけで、只今写真整理中です。早くしないとどんどん記憶があいまいに。ちょっと焦っています。

 

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 この写真は酒匂川です。例の徒歩渡しの。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

  現代はもちろんは立派な橋がかかっていますが、やっぱり水は冷たそうでしたよ。橋の上は風も吹いていたし。

 パシャパシャたくさん写真を撮ったんですけど、家に帰ってから見たら、広重さんの浮世絵と同じ構図なのがない😨

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 これが、広重さんですが・・・

 

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 しいて言えば、これかな? もうちょっとカメラを引いて、川の角度を斜めに(右側を下げて)にすればよかったのね。

 今度から、浮世絵スポットの構図をよく頭に入れておかなくては。

 

 などとあーだこーだ思いながら整理していてなかなか進みませんが、順次記事にしていきます。

 またお立ち寄りくださると嬉しいです。

 今日は、とりあえず再開の御挨拶でした。

 

 明日はたぶん、「今週のお題」に参加します。

 


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スティーヴ・ハミルトン『解錠師』

 休日のスタイルは晴雨読。晴れた日はてくてく歩き、雨が降ったら読書三昧。本当は、晴れた日の読書も好き。

 

 今回紹介する本『解錠師』(スティーヴ・ハミルトン ハヤカワ・ミステリ文庫)は、2011年にアメリカ探偵作家クラブ賞と英国推理作家協会賞を受賞し、日本でも、宝島社の《このミステリーがすごい!》(2013年版 海外編)と2012年週刊文春ミステリーベスト10(海外部門)で、ともに第1位に輝いた話題作だそうです・・・

 そうです・・・というのも、私はノーチェックだったものですから。本を手に取るまで知りませんでした。

 

 この本を読んだのは、10代の若い友人が「ぜひ読んで! そして感想を聞かせて。」と言ったからです。

「どんな話?」(私)

「えーとねー・・・金庫破りの少年がいて・・・」(友人)

「あ、ちょっと待って、ネタバレはやだなー。これってハッピーエンドなの?」(私)

「それ言ったら。、ネタバレになっちゃうけど、えーと・・・。一言でいうと、最後にホンワカする。」(友人)

*この先、ネタバレはありません。安心してお読みください。

 

 最後にホンワカね、という言葉を信じて読み始めたのですが、うーん、なかなか入り込めない。

「読んだ?」(友人)

「うぅぅ、まだ。ゴメン。」(私)

「早く、感想が聞きたいなあ。」(友人)

 

 こんな状況が続いたのも、まず第一に、2つの時系列でストーリーが展開していたから。

 舞台はアメリカのミシガン州。8歳の時にある出来事から声を失ってしまった17歳の少年・マイクが主人公です。周囲に溶け込めないマイクが心の平安を求めたのは、画を描くこと。彼は出来事をそのまま忠実に絵で再現することができました。しゃべれない代わりに絵筆で表現する才能に恵まれていたのです。もう一つ、マイクの心を虜にしたのは錠前。偶然、骨董屋で買った錠前をいじっているうちに、カチッとはまる手ごたえを感じた瞬間、マイクの運命が変わりました。錠前を愛した少年は、間もなく、様々なカギをあける術(解錠)を自分で身につけてしまったからです。

 こうして二つの才能(画を書くことと解錠)にめざめて運命が変わっていくまでのいきさつ(1991年から1999年8月まで)と、その後の雇われ金庫破りになってからの1年間(1999年9月から2000年9月)を、マイク自身が交互に回想する構成になっていますが、それに慣れる(というか、理解する?)のに少々時間がかかりました。

 なかなか読み進まなかったもう一つの理由は、不遇の少年の金庫破りという設定に、救いが見られなかったから。世間からドロップアウトし、大人に利用され、犯罪に手を染める。設定にも主人公にも、心を注ぐことができませんでした。

 

 でも、本の半分を過ぎたころから、先が気になるようになりました。(最終章は夜中の2時までかかって一気に読みました!) 二つのストーリーの終着点は2000年の夏に向かってぴったり重なるようになっており、その流れに気が付く頃から面白くなりました。

 ミステリーといっても、この本は犯人捜しがあるわけではありません。主人公は少年。ミステリアスな設定に、少年の独白が徐々に状況に光をあてます。こちらが謎を解くのではなく、マイクが(作者が)ストーリーのからくりを見せてくれる。私たちは完全に観客。これは解錠を披露されるのと同じです。解錠の披露とは以下のような場面です。

 「お前、このカギをあけてみろ」と言われたマイクが開けて見せる。周りはただ見ているだけ。鮮やかな手さばきに感嘆するものの、手法はさっぱりわからない。

 開けてみろと言われたときに開けなければ、自分は悪の世界に足を突っ込まなくても済んだ。解錠できるということを知られなければ、金庫破りに利用されることはなかった。やめておけというもう一人の自分の声が聞こえたが、開けずにはいられなかった。

 あとでマイクはこのように回想していますが、この心理の説明は、マイクに解錠のさらなる高度な技術を教えた師匠の言葉につきます。

「お前は最後にカギを開けるだけだ。他の仕事はしなくていい。お前が主役なのだ。」(たぶんこんなニュアンス)

 けれどマイクは主役だったわけではありません。容赦ない犯罪集団の中で、他に生きる術がなかったのです。

 

 二つのストリーがぴったり重なる最終章が近づくにつれて、ああそうだったのかと、様々なことが解き明かされていき、こうなるとページをめくる手が止まりません。

 残忍な描写もあるけれど、YA(ヤングアダルト)向きと言われながらもちょっと大人の描写もあるけれど、最終章は浄化されたような光がさします。それを若い友人は「ホンワカ」と表現したのでしょう。確かに、若い世代の心を捉える小説だと思います。

 そして、若い世代でなくても、ピタリと錠前が合わさるような快感が味わえるこの本を、読んでみる価値はあると思います。一風変わったミステリーを体験したい方に、おすすめします。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

 てくてく歩きながら、ときどき読書についても書きます。

 

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ハッピーバレンタイン(^^♪

今週のお題「バレンタインデー」

 

 今週のお題はバレンタインかぁ・・・ もう全然若くないオバサンとしては、ちょっと困るお題だなぁ・・・ 過去のことは忘れてしまったしなぁ。封印したというか・・・

 とかなんとか堂々巡りをしていた時、ふっとある人物を思い出しました。

 

 仮に、ミックという名前にしましょう。何年か前、とある学校現場で働いていた時の、ALT(外国語指導助手)の先生です。スコットランド出身の男性で、日本語はごく少ししか通じないのですが、「みんなと話したい!」というオーラがすごく出ている人でした。満面の笑みで手ぶり身振り、私たちが日本語でしゃべっていても、会話に入ろうと身を乗り出してくれました。なので、なんとか私も話しかけたいと思うのですが、私、英語はさっぱりで。ミックとはお昼になると、同じ部屋で給食を食べることがよくあったのですが、とりあえずお天気の話題をと思っても、「今日はいいお天気ですね」ならともかく、「なんだか曇ってきちゃいましたね」とかになるともう無理。いつも晴れているわけでもないし。

 でも不思議ですね。こっちは英単語交じりの日本語、ミックは英語とボディランゲージなのに、意外と会話(会話っていうのかわからないけど)が成立するんですねー。

 

 ミックが一番話してくれたのは故郷のこと。食事時だったこともあって、故郷のお料理が、よく話題になりました。特に、クリスマスに作るお料理については、本当に嬉しそうに詳しく教えてくれました。でもね、ミックの言うクリスマスのお料理って、「パイ」や「チョコレートソース」や「アイスクリーム」ばっかり。「それってスイーツだよね? おかず的なものはないのかな?」とも思ったんですが、自慢するときのミックのキラキラした眼を見ていると、こっちも嬉しくなって、十分だなと思いました。うっとりしながら、ゆっくり愛おしそうに「Christmas cake」と発音するのだもの。ミックは、甘いものが大好きだったんですね。

 

 さて、クリスマスが過ぎ、ミックとのボディランゲージコミュケーションも上達し、バレンタインのシーズンになりました。甘いもの好きでイベントも大好きなミックは、「もうすぐ、Valentine's Day デスネ」とその日を待ち焦がれ、何だかそわそわと落ち着かない様子でした。

 当日、私が部屋で一人で仕事をしていますと、陽気な鼻歌が遠くから聞こえてきました。やがてガラリとドアが開いて、”HAPPY VALENTINE!”と言いながら、ミックが差し出してくれたのは、チョコレートの包み。「えっっ、ありがとう」と声をかける間もなく風のように去って行ったのは、みんなにチョコレートをプレゼントしてくれるために、大忙しだったから。ミックは、この計画にとてもわくわくしていたようです。

 ミックがこの日を楽しみにしていた理由は、もう一つありました。それは、この日の給食の献立にあった「チョコレートケーキ」です。「Chocolate cake」と、彼はこれまた愛おしそうに発音していました。「明日はChocolate cakeデスネ」と。

 いよいよお昼になりました。チョコレートケーキ、思ったより大きくて、なかなかいい感じです(笑)。お盆にのせて、いただきましょう。

 「ん?」(私)

 「・・・・・」(ミック)

 ミックがすごく微妙な顔をしました。次の瞬間、とてもとても悲しそうに首を振りました。”No. Chocolate cake."  日本語で絞り出すように、「甘くない。」 そしてまた”No.Chocolate cake." 

 給食のチョコレートケーキは、豆乳仕立てのココア風味、甘さ控えめの超ヘルシーなケーキだったのです。ミックに言わせると、ケーキではない。(甘くないから) ちなみに日本人の私でも、「さすがにもうちょっと甘くてもいいんじゃないの?」というくらいのお味でした。

 いつも陽気なだけに、あのものすごく残念そうな表情がちょっと気の毒で、でもちょっと可笑しかった(ゴメンナサイ)ワンシーンです。

 給食ですからね、そんなに甘くできないし、でも「バレンタインデーだからね」という栄養士さんの愛情スイーツ。日本の給食文化ということでご理解を・・・ と説明できればよかったんですけれど、拙い英単語交じりの日本語では、到底無理でした。

 

 ミックは、イングランドに帰国したと風の便りで聞きました。今年のバレンタインは故郷でがっつり、甘いチョコレートケーキを食べてくださいね。

 ミックへ。ハッピーバレンタイン(^^♪

 

小田原宿ってどんなとこ?②

 小田原宿ってどんなとこ? 

 2回目は、中世から現代までの小田原の歴史を振り返りながら、江戸時代の小田原宿に思いを巡らしたいと思います。

 

小田原はなぜ、ここまで大きな町になったのか?

 いきなりですが、なぜでしょう? 小田原と言えば、全国屈指の観光地。自治体の規模も大きそう。人が集まる地域には理由がある。さて何でしょう?

 ずばりそれは住みやすさです。

 住みやすくしている要因は、なんといってもまずは、恵まれた地形

 小田原市のある足柄平野は、北は丹沢山地に、東は曽我丘陵と呼ばれる丘陵地帯に、西は箱根の山々に囲まれています。平野の中央を流れる酒匂川(あの徒歩渡しの・・・)は、富士山や丹沢山地が源流で、その清流が注ぎ込むことで、平野に美しい自然と肥沃な土壌がもたらされました。

 平野の南側は相模湾に面しています。黒潮の影響で一年を通して暖かく、雨量も適度です。

 このように地形の条件の良さから豊かな大地と温暖な気候が実現したことで、小田原は生活の快適さだけではなく、梅やみかんをはじめとした多くの農産物が特産品となり、町を支え、現在に至ります。

 

戦国時代は後北条氏の城下町だった。

 地形と気候に恵まれた場所の多くがそうであるように、足柄平野にも、旧石器時代から人が住んでいた形跡があります。15世紀初めには、大森氏により、現在の県立小田原高校がある丘陵付近に、お城が築かれています(小田原城の始まりです)。そして戦国時代になって北条早雲がこれを攻め落とし、以後五代約100年にわたり、北条氏による平和的な支配が続きました。北条氏はこの間に領土を広げ、関東一円を支配するまでになりました。
 全長9kmにも及ぶ城郭という戦国最大の規模を誇る小田原城は、上杉謙信や武田信玄からの侵攻にも耐え、難攻不落の城といわれましたが、1590年、豊臣秀吉により、ついに攻め落とされてしまいます。秀吉は石垣山に一夜城を築き、25万の兵を率いて小田原城を囲みました。籠城戦の末の落城。これをもってして、秀吉の全国統一がなされました。

 この後、秀吉は家康に、関八州と引き換えに駿河を差し出すように命じ、小田原は徳川の領地になりました。

 

江戸時代は東海道の宿場町

  さて、関八州が徳川の領地になった時、家康の居城は当然小田原城になるかと思われたのですが、白羽の矢が立ったのはまさかの江戸。これには誰もがびっくりでした。「草ぼうぼうでじめじめした荒れ地の江戸? それはないでしょ?」って感じですかね。あえて江戸にしたのは、「広大な関東平野を背後に開拓をして大都市を築こうじゃないか」という家康の賭けや先見の明もありました。でもそれだけでしょうか? 古くから拠点となっていた城下町・小田原があったのになぜ?

 疑問はいったん脇に置いて、江戸時代の小田原がどうだったかといいますと、東海道屈指の宿場町として、大いに繁栄しました。本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒、総家数1542軒という記録が残っていますが、品川宿に匹敵する規模です。(これまで通ってきた他の宿場町より断然多いです。)

 また、「箱根越え」の難所を控えた交通の要所として、小田原には数多くの人・物・文化が往来しました。江戸時代の人は「小田原までは江戸のうち」と言いましたが、小田原は「関東への出入り口」であると同時に、ただの出入り口以上に中継点としての役割も大変大きかったのではないかと思います。最近の言葉では「ハブ機能」って言うんでしたっけ?

 家康は、奥座敷江戸の手前に、ハブ機能を備えた堅牢な町を配したかった、それが小田原だったのでは? それを視野に入れたうえでの江戸の居城だったのでは?

 前回、小田原を一言でいうと「関東の出入り口として大いに栄えた城下町」とまとめましたが、江戸のハブ機能・小田原宿と言い直させてください。

 

文化人に好まれ、交通網の整備とともに発展した明治以降

 明治4年(1871)の廃藩置県以降、小田原藩は小田原県→足柄県→神奈川県と、管轄が変わりました。

 小田原は風光明媚な土地柄から、これまで通ってきた湘南地区同様、多くの財界人・文化人に愛され、別荘地・避暑地としても賑わいました。明治時代には伊藤博文や山縣有朋、大隈重信、大正時代には北原白秋や谷崎潤一郎、三好達治など錚々たる顔ぶれですが、これだけ発展した背景には鉄道の敷設があったことも忘れてはなりません。
 小田原にとってショックな出来事だったのは、明治20年(1887)に、東海道本線が国府津から小田原を通らずに御殿場・沼津へ行く経路を取ってしまったことです。しかし、これを契機に小田原経済界のリーダーたちは小田原・湯本間を走行する馬車鉄道を始動しさせました。続いて、小田原・熱海間を結ぶ豆相人車鉄道も開業し、小田原は京浜地域と熱海・箱根の観光地をつなぐ重要な拠点となりました。(またしてもハブですね。)
 昭和2年に新宿・小田原間に小田急鉄道が開通すると、都市部との結びつきが一層濃くなり、昭和39年の新幹線開通により、広域にわたり都市間を結ぶ中継地になりました。(広域ハブ機能ですね)

 現在人口は192116人(平成30年1月1日現在)。小田原は現在も都市間を結ぶハブ機能を備えた交通の拠点として、その役割を存分に果たしています。だからこそ、観光地としても発展し続けているのだと思います。

 

小田原発展の秘密は恵まれた地形に加えてハブ機能というまとめでいかがでしょうか?

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 あと1回、小田原宿について書きたいと思います。いつになるか・・・


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