てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

見どころはここ⁉ 国府津→小田原

 昨年9月から、思い立ったら吉日の勢いで始めた東海道てくてく歩き。

 最初は「小田原辺りまでなら行けるんじゃない?」と始めたのですが、くろやぎ(同行人・夫・黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編主宰者)の後押しもあって、「やっぱり、京都三条大橋でしょ!」に変わったのでありました。

 その最初の目標だった小田原が、いよいよ目前に。いやはや、ずいぶん来たもんだ・・・

 

 さて、次回のチェックポイントは・・・

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  1. 男女双体道祖神(国府津駅前)
  2. 親鸞聖人御庵室 御勘堂碑
  3. 真楽寺
  4. 光明寺
  5. 法秀寺
  6. 小八幡の一里塚
  7. 小八幡神社
  8. 三寶寺
  9. 道祖神(酒匂)
  10. 長楽寺
  11. 大見寺
  12. 旧川辺本陣跡
  13. 酒匂不動尊
  14. 法善寺
  15. 大経寺
  16. 法船寺
  17. 本典寺
  18. 妙蓮寺
  19. 二宮金次郎表彰の地碑
  20. 八幡神社
  21. 新田義貞墓
  22. 常顕寺
  23. 上杉竜若丸墓
  24. 呑海寺
  25. 心光寺
  26. 山王神社
  27. 宗福寺
  28. 江戸口見附跡
  29. 一里塚跡
  30. 北条稲荷・蛙石
  31. 善照寺
  32. 万町標識
  33. 賢安寺
  34. 小清水脇本陣跡
  35. 清水金左衛門本陣跡
  36. 松原神社

 

 うっっ・・・ 36個。距離の割に結構あるなぁ。まあ、いつも、このくらいの数だよね。

 出発前に、ざっくり全体を押さえておきましょう!

 

ここでの一大イベントは・・・

  それは、酒匂川(さかわがわ)を渡ることです!

 今は、酒匂橋を利用しますが、江戸時代は、幕府が江戸防衛上、橋を架けることも渡し舟も許可しなったので、旅人は歩いて渡るしかありませんでした。徒歩(かち)渡しというそうです。ひどい話だなあ。

 かつてのその川幅は三百二十間(約580メートル)ほどでだったそうです。川の水、冷たかっただろうに。この川渡りがあるから、それに供えて旅人が休憩した二宮が栄えたともいえるのですが。

 江戸時代の渡し場は、東岸の酒匂側が現在の橋の袂辺りに、西側の小田原側は、橋の袂より10㍍ほど北側にあったそうです。余裕があれば、渡し場があった場所を、チェックしたいです。

 ちなみに、安藤広重の「東海道五十三次(保栄堂版)」の「小田原」は、この酒匂川の川渡りの様子を描いたものです。

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二宮金次郎と小田原

  小学校の時、台座だけ残っていた二宮金次郎像。「薪を背負って本を読んでいたんだって。まじめに勉強しなさいよ~」みたいな説明があったような、なかったような・・・。(私の母校は、明治7年創立で、市内で一番古くからある小学校でした。)

 今回、酒匂川の渡し場近くに二宮金次郎表彰の地碑というのがあって、金次郎さんは小田原の出身だったのかと気が付きました。無知でお恥ずかしい。

 でもって、これまた恥ずかしいのですが、「薪を背負って本を読んでた」のイメージばかり先行している金次郎さんについて、ちょっと調べてみました。「そんなこと、常識じゃん!」と思われる方があったら、悪しからず。

 

 金次郎さんは、足柄平野の栢山村(小田原市)の農家に生まれました。割と裕福な家で、両親も教育熱心だったようです。けれども、度重なる酒匂川の氾濫に見舞われて、田んぼも畑も荒れ果てて、両親は心身ともに疲れて亡くなり、一家離散となってしまいます。

 金次郎さんが、すごかったのはここからです。伯父さんの家に預けられたのですが、農作業の合間に作物の収穫量をどうやったら増やせるかいろいろ試して、その方法を体得し、やがては家の田畑を買い戻して「わが家の再興」に成功したのでした。

 そして、自分の家のことだけではなくて、村おこし、国づくりのために、そのノウハウを生かして力を尽くしたのです。

 

 

 ほう・・・ 偉人だ。確かに、戦前の小学校に像があったのも納得できる。

 

 この部分は、報徳博物館(公益財団法人 報徳福運社)のホームページを参考にして書きました。詳しく知りたい方は、下記にアクセスしてみて下さい。

 

報徳博物館 二宮尊徳と報徳思想-二宮尊徳 | 二宮尊徳

 

江戸見付跡(山王口)より、小田原宿内に入ります

  新宿という交差点に来たら、南下して国道1号線より海岸寄りの旧東海道に入ります。これより本町の交差点までの街道には、昔ながらの店構えの老舗が並び、なかなか楽しそうです。

 「いせかね」「山上」など蒲鉾やさんが軒を連ねているとガイドブックに書いてあるので、のぞいてみたい。(それだけの元気と時間を取っておかなくちゃね。)

 そうそう、小田原の名産と言えば蒲鉾! ということで、小田原とかまぼこについて一口メモを。

「かまぼこ」が書物に現れたのは、室町時代の中ごろからです。魚肉をすって木や竹の棒に塗り、そのまま焼いて蒲の穂のようにしたものだったから、蒲鉾と言われるようになりました。

 室町時代には板に魚肉がついた「蒲鉾」が作られるようになりましたが、これも焼き蒲鉾です。

 この流れから考えると、江戸時代の終わりに小田原で「板付け蒸しかまぼこ」が考案されたのは、画期的なことだったのかもしれませんね。

 やがて江戸地方では焼き板がすたれて蒸し板ばかりになり、特に、小田原式の白かまぼこは関東式の板かまぼことして全国に広まりました。

 ちなみに、あの二宮尊徳(金次郎)も、故郷の板かまぼこを手土産に使ったことが日記に書かれているそうです。

 主原料には、かつては相模湾で獲れるオキギスをつかっていましたが、現在ではグチです。

  この部分は「小田原蒲鉾協同組合」のホームページを参考にしました。http://www.kamaboko.or.jp/histry.html

  

個人的になんだか気になる名所・旧跡

  まず、気になったのが国府津駅近くのお寺、真楽寺のマリア観音です。

 キリシタン禁制下、慈母観音と偽って秘仏にしていたということですが、それ以上の詳しい説明が見つからないので、現地の説明板に期待しています。観音像、拝めるかなぁ? 今までの経験から言って、こういうのは決まった日に御開帳されるから、たぶん無理ですね。

 

 それから、街道ウォークでは、芭蕉句碑をチェックするようにしています。

 なので、大経寺の芭蕉句碑を、見落とさないようにしなければ。

 人もみぬ 春の鏡や うらの梅 元禄5年(1692)

 芭蕉句碑を見ると、なぜここに、この句碑があるのか、いつも知りたいと思ってしまいます。

 芭蕉さんがここを訪れたとか、この地域では俳人がたくさんいて尊敬する芭蕉先生の碑を建てたとか、そこにある何か(例えば藤の花とか)と芭蕉さんがかつて読んでいる句を関連付けて碑にしたとか、理由はいろいろあるみたいです。訪ねてみても、理由がわからないこともありますけれど。

 

北条稲荷・蛙石

 北条稲荷は、北条氏康の死を老狐の祟りとして創建されました。

 境内にある蛙石は、もとは小田原城内にあったもので、落城前夜に盛んに泣いたという言い伝えがあります。

 こういう言い伝え付きの、石とかお地蔵様とか井戸とか、すごく気になってしまうんです。ちょっと怖くそうで、ドキドキします。

 

 終着点は「なりわい交流館」に

  これれまで「かわさき宿交流館」「ふじさわ宿交流館」に立ち寄ってきましたが、どちらも街道ウォークで知りたい情報が発信されていて、見ごたえのあるものでした。今回も十分な時間を取って、見学したいです。

 なりわい交流館の建物は商家造りになっていて、それを見るのも楽しみです。

 実は私は、何年も前に、子どもとここに来たことがあります。その時は、早朝に自宅を出て始発電車に乗り、小田原・早川漁港の朝市で朝ごはん(超お得な魚定食)を食べてから、小田原市内を散策しました。ちょうど観光協会がスタンプラリーをやっていて、めでたくスタンプを集めて景品交換をしに来たのがここでした。歩き疲れてろくろく見学もせず、景品をいただいただけで、今思うとすみませんという感じです。

 景品は、使いかけの蒲鉾を保存する容器で、今でもお正月などに大変重宝しています。

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 鈴廣さんのオリジナルですね。板かまぼこにぴったりの大きさ&形なので、板につけたままポンと入れるだけなんで、いちいちラップしなくていいし便利。これを考えた人は、主婦なんじゃないかなぁ・・・?

 今度訪ねる時は、景品目的ではなく、ちゃんと見学しますね。

 交流館については過去に少し調べているので、よかったらお読みください。おだわら・なりわい交流館をはじめ、東海道の宿場町にある数々の交流館についてリサーチしています。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

 最後まで読んでくださってありがとうございました。

 また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

  


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*1:『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で名所・旧跡に上がっている場所を、チェックすることにしています。