てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

吉原宿ってどんなとこ?

 11月になりました。「走れメロス」の季節です。(夕暮れが早くて、街道ウォークの最後はダッシュになる。)

 先日の日曜日、原から吉原まで歩く予定だったのですが、静岡県の降水確率50%ということで、断念しました。せめてブログ上は、歩みを進めておきましょう。今回は、吉原宿について。

 

 吉原宿は慶長6年(1601)に、現在は元吉原と呼ばれる海岸地区に置かれましたが、高波や漂砂の被害に遭い、寛永16年(1639)に東海道を海岸から遠ざけ、宿駅も現在の八代町辺りに移しました。中吉原と呼ばれましたが、ここも延宝8年(1680)の台風による高潮で再び、移転しました。

 江戸時代に津波などで街道付替えや宿駅の所替えをした例は多数ありますが、東海道において吉原宿のように大幅に離れた3つの宿駅地が記録された例は、ありません。

 3度目の宿駅は新吉原とも呼ばれ、以後順調に発展しました。天保14年(1843)の調査に基づき、道中奉行所が作成した「宿村大概帳」によれば、吉原宿は、635戸、2832人、本陣2・脇本陣3・旅籠60でした。

 

 この最後の新吉原の宿駅が、現在の吉原商店街です。

 吉原商店街に、かつての宿場の面影は見られませんが、宿場を活かした街づくりが活発です。

 

yoshiwara-shoutengai.com

 こちら、吉原商店街のHPです。毎月一日には「吉原一の市」が開かれています。6月には「吉原祇園祭」、つい先日、10月7日には「吉原宿・宿場まつり」がありました。なかなか盛大な、商店街のお祭りのようです。また、B級グルメ「つけナポリタン」(つけ麺のナポリタン版らしい・・・)というのもあり、ちょっと興味があります。「ナポリン」という、ゆるキャラもいます。

 

 こうした活動は、旅籠であった「鯛屋旅館」を拠点に行われています。富士市のホームページでも、以下のように紹介されています。

鯛屋旅館は、吉原商店街で天和2年(1682年)より創業しています。その歴史ある旅館の一部をかつての宿場風に改装し、平成18年3月、吉原宿の象徴として「吉原本宿」をオープンしました。うどん、そば等を食べることができる「食事処」が整備されています。
また、市民の皆様に吉原地区の歴史・文化に触れ、知っていただくため、吉原本宿を会場とした歴史講座や干支凧作りを実施しています。

 

 鯛屋は、山岡鉄舟や清水次郎長の常宿として知られる、300年以上の歴史のある旅館です。現在も、旅館として営業しています。食事のみや、日帰り入浴の利用もできるようです。

鯛屋旅館|静岡県富士市吉原本町通りのビジネス旅館

 

 

 先ほどから、ずっと「吉原」と言い続けてきましたが、「吉原」は富士市の中の一地域です。では、富士市とはどのような町かと言いますと・・・

 

 富士市は、人口26万人、北に日本一の山『富士山』、南に山部赤人の和歌で知られる『田子の浦』、西には日本三大急流の一つ『富士川』など、豊かな自然を有する町です。

 これにより富士市は良質な水資源に恵まれ、製紙業をはじめ、輸送機械・化学工業等の幅広い産業が集まる『工業都市』でもあります。
 特に製紙業は、江戸時代に『駿河半紙』で名を馳せ、現代においても日本有数の紙の生産地として、富士市産業の中核を担っています。

 日本最古の富士山への登山道が富士市にはあり、また月ではなく富士山へとかぐや姫が帰る竹取物語が存在するなど、富士山信仰との歴史的繋がりも深いことが近年の研究により明らかになりつつあります。

 

 富士市は、「吉原宿」以外にも、様々な顔を持った町なのです。市のHPを見ても、吉原宿のことはあまり説明がなくて、どちらかと言うと、富士山の見える風景や自然に言及した解説が多いように感じました。

 広重さんの「東海道五十三次」でも、吉原と言えば「左富士」の画。今昔も、とにかく富士山とともにある町なのですね。

 

 参考『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)

事前チェック! 原→吉原

 秋が深まり、気持ちのいい季節になりましたね。うかうかしていると晩秋です。日暮れがどんどん早くなって、街道ウォークも「走れメロス」状態に。そんな季節に、なりましたねー。

 メロスにならないように、事前チェックはぬかりなく。ということで、次回は、原→吉原です。

 

 まず、チェックポイント(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 /山と渓谷社 で名所・旧跡としているところ)は以下の通りです。

 

  1. 西木戸(見附)跡
  2. 原一本松の一里塚
  3. 要石神社・要石
  4. 浅間神社
  5. 大通寺
  6. モチの木
  7. 浅間安鷹神社
  8. 桜地蔵尊
  9. 植田三十郎墓
  10. 八幡宮
  11. 六王子神社
  12. 間宿柏原本陣跡
  13. 立圓寺
  14. 男女双体道祖神
  15. 秋葉常夜燈
  16. 増田平四郎碑
  17. 沼田新田の一里塚
  18. 手指し道標
  19. 淡島神社
  20. 愛鷹神社
  21. 庚申堂
  22. 天文堀顕彰碑
  23. 稲荷神社
  24. 毘沙門天妙法寺
  25. 安鷹神社

 25個。まあまあですね。頑張りましょう。

 

今回の見どころと思われるところをピックアップしてみます。

 

高嶋酒造

文化元年(1804)の創業です。勅使として松蔭寺を訪れた山岡鉄舟が命名した「白隠正宗」の蔵元です。現在、酒蔵の見学や店頭販売はしていないようですが、外観だけでもチェックしたいです。原駅前です。

浮島ヶ原

 見どころというか、ぜひチェックしたいことと言うべきか。

広重さんのスポットをパチリしたいです。

で、それ、どこなんでしょう?

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浮島沼は現在では排水路によって灌漑され、当時の面影はありません。

原一本松の一里塚の北に「浮島」という地名が残り、浮島ヶ原自然公園という湿地があります。

 

浮島ヶ原の湿原には、環境省レッドデータリストや静岡県版レッドデータブックに記載されている貴重な動植物が生息しています。  そこで、この湿原の貴重な植物群落と自然風景を保全し、身近な自然を観察できる自然公園として浮島ヶ原自然公園が整備されました。 サワトラノオやヒキノカサ、ノウルシなどの貴重な植物、カワセミやアオサギなどの野鳥たち、 ハラビロトンボやアオモンイトトンボなどの昆虫など、様々な動植物との出会いを楽しめる自然公園です。(浮島ヶ原自然公園のHPより)

浮島ヶ原自然公園 -富士自然観察の会

 それより西へ進んだところにある「浅間愛鷹神社」を過ぎると松林の先に東田子の浦が見えてきて、ここから北へ見上げる富士山は、四季を通じて美しいそうです。
東田子の浦には、かつて「柏原の立場」があり、浮島で獲れる「浮島鰻」が名物だったとか。
いろいろ考え合わせると、原一本松の一里塚から東田子の浦に至る道の北側がかつて浮島ヶ原といわれた場所で、この広い範囲のどこかということかなあ・・・・

「ここかな? いやいや、こっちかな?」と探しながら歩いて、もしも、「ここが広重さんのスポットですよ~」という説明板でも見つかったらいいなあ。

当日は晴れて、富士山と愛鷹山が並ぶ景色、見ることができますように。

 

要石神社

 

なんと建物はなく、鳥居と敷石を残すのみです。境内敷地内に露出している大きな石が「要石」。

 

大きな安山岩が露出していて、この石よりは高潮が来ないとか、安政の大地震の時は被害が少なかったといわれている。寛永の初め頃(江戸時代17世紀)一本松新田の開拓者大橋五郎左衛門が祀った。

言い伝えによると「要石は地上に顕れたる部分はわずかであるが、地中に隠れたる部分は実に大である。祠より北三町をへだてる、大橋源太郎氏宅地井戸端辺の間に広がった一面の巌石で、太古地中に大鯰が居て数々動きて地震を起こし人畜を害した、依って此の大岩石を彼の鯰の頭上に載せ以て自由に動くことが出来ないようにした。因ってこれを要石という」そうである。要とはもともと扇子の骨をまとめるための金具で、転じて、鯰の動きを押さえるのもまた要であるという意味からこの名がついた。

また、要石神社は、耳の悪い者はここに祈願して穴あきの石をあげると必ず治るともいわれている。(沼津市HPより)

 

www.city.numazu.shizuoka.jp

 

 

浅間愛鷹神社


「せんげんあしたかじんじゃ」と読みます。結構大きい神社みたいです!
神社の前に改称記念碑があります。

 

浮島ヶ原を最も早く開墾したのは、遠州の浪人だった鈴木助兵衛である。同名の父、鈴木助兵衛良正が小笠郡堀田城にいた武士で、安倍郡の下足洗新田を開発した後、2代目助兵衛が天正2年(1574)頃浮島ヶ原へ来てこの地を開き、助兵衛新田と称したという。
明治41年(1908)に県知事に改称を申し出、当時この辺りでは桃をよく作っていたので桃里と改めた。この碑は、桃里改名の経緯を記し、助兵衛の功績をたたえている。愛鷹浅間神社の前に建てられている。(沼津市HPより)

せっかく開墾した助兵衛さんに、ちょっと申し訳ない気もしますが・・・

www.city.numazu.shizuoka.jp

 

六王子神社

 

私は、怖い話は、すごくすごくすごーく苦手なのですが・・・

怖い話の神社として、まず上がってくるのがここ。

三股伝説の神社です。

 

昔、沼川・和田川・潤井川が合流し、深い淵になっているところを三股といい、龍が棲んでいて、毎年、少女がいけにえとして捧げられていました。ある年、京に向かう七人の巫女がクジを引き一番若い「おあじ」が犠牲となってしまいました。残された六人は京から戻ると悲しみのあまり浮島沼に身を投げてしまいました。この六人を祀ったのが六王子神社で、おあじは鈴川(吉原)の阿字神社に祀られています。

 

 

立圓寺

 

JR東田子の浦駅を出て東海道を少し西へ進むと、「正法山立圓寺」というお寺があります。
この一帯は東海道の宿場である原宿と吉原宿の中間に位置しており、間宿柏原が設置されていたと考えられる場所です。
とりわけこの場所は眺めがよく、参勤交代の行列が、休憩がてら富士山の眺望を楽しんでいたと伝えられています。

境内には一基、美しく、そして険しい富士の姿をかたどるかのような、自然石の碑が建立されています。

「望嶽碑」と刻まれたこの碑は、文化5年(1808)5月、尾張藩の典医であった柴田景浩(1745~1812)という人物が建立したものです。
医学のみならず、墨竹画にも優れていた景浩は、この地から望む富士山の美しさに感銘を受け、この碑を建立しました。

(以上、下記のサイトより引用しました。)

www.city.fuji.shizuoka.jp

 

毘沙門天妙法寺

 

 今を去る千年余、山伏たちが寺裏の田子の浦海岸で水ごりを取り、海抜ゼロメートルから富士山に登った禊ぎの道場でした。
 三万八千坪の寺領は戦国時代に武田氏の東海道進出の砦となり、これを受けて徳川頼宣公(徳川家康側室お万様の長子・徳川御三家紀州公)が長く駐留したこともあいまって 「出世本懐の地」と呼ばれています。
 主神毘沙門天像は聖徳太子の作と伝わり「太子両肩上湧現の尊像」と言って聖徳太子の肩の上に立った珍しい様式の像です。
 正月のだるま市は高崎、深大寺と並んで、日本三大だるま市の一つです。境内の洞窟には、七福神が祀られています。

 

次回の終着地点、吉原としていますが、正確には「元吉原」で、本陣のある場所までは行きません。

吉原宿は津波被害などで、二度移転しています。最初にあったのが「元吉原」です。

元吉原はJR吉原駅周辺で、駅の南は山部赤人の歌で有名な田子の浦港となっています。

吉原宿の本陣があるのは岳南鉄道の吉原本町駅です。

街道ウォークをしていると、最後は時間が迫り、くろやぎ(同行人&夫)のスタミナも切れます。ここは無理せず、元吉原を最終地点にするのが賢明かと思います。

また、せっかく吉原宿まで歩いたとしても、吉原本町から吉原駅に出るための岳南鉄道は、本数が少ないかもしれず、帰りが遅くなってしまいます。先を急がず、JR吉原駅から、スパッと電車に乗って帰る方がいいかなと思いました。

次の次の回に、朝から爽やかに(!)、吉原駅を降りて吉原宿までの道を堪能したいと思います。

 

ここまで、お付き合いくださりありがとうございました。

また、訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

まちなみウォッチ! 沼津→原

 今回は、町並みに焦点を当てて、沼津→原の東海道ウォークをレポートします。

 心に残った風景、思わずツッコミを入れたくなったショットなど、気ままにアップします。

 

 まず、出発地点、沼津駅前ロータリーです。この日は朝から快晴。青空に、駅前ビル・ラクーンがくっきり映えています。

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 ロータリーの中にあった、沼津ゆかりの人・井上靖の碑。

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 「もし原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。愛の力以外にはない。」

 

 いつ建てられたものなのか確認しなかったのですが、「原子力」と「愛」を同じカテゴリーで比べているところが、今となっては、すごい違和感。

 

 隣にはこんな碑も。

 

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JR東海一周年記念(昭和63年4月)に建てられた、「沼津機関区略史」を記した碑。

 

 隣にもう一つ。こちらは沼津市民憲章

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1.緑と水と空、このかけがえのない自然を守りそだて、清潔な環境をつくります。

1.すすんで心身をきたえ、健康と文化の向上につとめます。

1.仕事に生きがいを見いだし、意欲をもって働きます。

1.人権を尊重し、時間と規則を守ります。

1.善意と思いやりをもって、暖かい家庭と社会を育てます。

  ほう・・・ なんか、昭和の香りがする。あえて、ツッコミはしません。

 

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 ラクーンビル壁面に、「ラクーンよしもと劇場」の看板。新宿アルタみたい。ラクーンでは毎日、よしもとのライブをやっているようですよ。

 

 川廓通りです。前回のウォークでも写真を載せましたが、朝はやっぱり光線が十分でいいですね。左手の土手に上がると狩野川です。

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 土手の上から。なかなか良い眺めです。ここは、広重さんの「東海道五十三次」のスポットです。前回、パチリしそびれたので、立ち寄りました。よい写真が撮れて満足です。広重さんの画と、比べてご覧ください。

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 御成橋付近の交差点にて。沼津宿についてモニュメントがありましたので、説明部分をアップします。

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 このあたり、船着き場があって、とてもにぎわっていたことが、書かれています。

 

 本陣が並ぶ通り。前回は浅間神社のおまつりで大そうにぎわっていましたが、今日はこんな感じです。

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 静岡銀行を右に折れて少しの所に、こんな和菓子屋さんが。いかにも老舗っぽい古い構え。心惹かれますが、先を急ぎます。

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 浅間神社鳥居前です。鳥居が三つもあって、その向こうに本殿。前回はお祭りでよくわからなかったけれど、大きな境内だったのですね。

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 鳥居横のお茶屋さん。「するが茶どころ」という文字に心惹かれました。

 ちなみに、私の育ったところは、♪狭山茶どころ♪と歌われている(○○○音頭 ドリフターズがアレンジしてブレイクしました)あの町です。

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 浅間神社近くの街道沿いにある果物屋さん。果物だけ売っている個人商店、最近では珍しくなりましたね。結構広い店内にフルーツがいっぱい。店主の男性が、お店の中を点検されていました。商売繁盛しますように。 

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 びっくり。そびえ立つゴジラ。保育園の園庭です。ゴジラがお迎え。うちの末っ子(今はクールな18歳男子)だったら、泣いたかも。

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 チェックポイントでなかったので、前々回のレポートには載せませんでしたが、「出口見附」のモニュメントを見つけたのでアップします。

 てか、「見附跡」なら、チェックポイントにした方がいいんじゃないかな? どうした、マッキー?(バイブル『ちゃんと歩く東海道五十三次』の著者・八木牧夫さん)

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 西高入口交差点の風景です。 足元のマンホールをパチリします。

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千本松原手前の看板。「ゴミをすてちゃイヤ!」

わかったから、そんなに泣かないでね。

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  こちらが千本松原。

 当初あった松原は戦国時代、三枚城をめぐる合戦のときに伐採され、住民は塩害に苦しめられ続けました。これを見かねた浄運寺の開祖・増誉上人が松の苗を手植えしたのだそうです。大正期に伐採の計画が浮上した時には、この地をこよなく愛した若山牧水が、先頭に立って反対したということです。

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 千本松原から、西の方向を望みます。海から遠い場所に住んでいる私は、海を見ると、いちいちパチリしたくなります。(富士山もいちいちパチリしたくなりますが・・・)

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 西間門の交差点の手前に、「間門」の地名の由来を説明するモニュメント。バイブルのチェックポイントではありませんが、興味深いのでアップします。

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 昔、この地南の浜で閻魔大王の首が網にかかりました。首の後ろには「天竺魔訶陀(まかだ)国)と彫られていました。村人はお堂を建て、胴体手足を作って像にしてお祀りしたという言い伝えから」「間門(まかど)」という地名がつけられたという説があります。

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 西間門の交差点。分かれ道になっていて、右が旧東海道、左が千本街道。「白隠正宗」の看板が、目が引かれます。

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西間門の八幡神社鳥居脇にあった横断旗。

私が小学生だったころ、普通にあった黄色い横断旗(ハイ、使わせていただきました)、このごろはさっぱり置いてあるところを見なくなりましたが、沼津市では、あちらこちらにありました。持って行かれたりしないし、乱雑にもされず、きちんと入れ物にさしてあって、感心してしまいました。そんな、よくあった光景の一つです。

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 えーと、「ハイム ア×××ス」??? 君の名は? 先日の台風で落ちたのかな。

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 しばらく、こんな真っ直ぐな道が続きます。何か、面白いもの、ないかなーと歩いていると・・・

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 ん? 信楽焼の狸さん。玄関の前に全員集合。これだけあると、インパクト大ですよ。

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 片浜小学校です。なぜこれをアップしたかといいますと・・・

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 門の壁にあった、この地図がなかなか良かったからです。

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 平成26年度の卒業生が作った災害マップです。危険個所と、自治会選定津波避難ビルが書き込まれています。こういうのって、配られて家に持って帰って冷蔵庫に貼ったりするけど、それだけじゃダメ。こうして人目に付くところにあるのって、とても意味があると思います。

 

 富士急バスのバス停。これもたくさん見てきました。写真ではわかりにくいですが、小さめ(背が低い)でかわいいです。歩いていて邪魔にならないし、安定感があって強風にも強いのではないかしら。なかなかいいと思います!

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 こちらも、たびたび見かけました。「こどもかけこみ110番のいえ」を示す看板。かわいいイラストになごみます。

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 もうひとつ、たびたび見かけて、いいなと思った表示。「通学路 スピードはひかえめに」 かめさんの絵がかわいいです。

 沼津を歩いていて、実は何度も、車の方に、道を譲っていただきました。東京なんか、めったに止まってもらえないのに。心が広い、ゆったりした地域性なのかなと思いました。前回のブログでも書きましたが、このウォークで、沼津のファンになりました。

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 この看板も、目立っていたのでパチリ。かわいさでは「かけこみハウス」や「通学路」に負けるけど、頑張った感があるので。

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 久々にツッコミしてしまいます。遊園地。

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 神社境内の中の「遊園地」です。

 私の育ったところも、神社があって遊具があって、そこで学校帰りにたくさん遊びました。

 左のぐるぐる回る遊具、回転搭というらしいですが、今では危険遊具とかで、さっぱり見かけなくなりました。

 かくいう私も、校庭の回転搭で遊んでいて顔から落ちて、顔面が大変なことになったことがありました。思い出すだけで、痛い。

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 沼津には、昭和の風景が、あちらこちらに残っていあるように感じます。

 

 片浜駅です。遠くから写真だけ撮って通過。

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 お茶屋さんの看板に、心ひかれました。(私、「狭山茶どころ」出身なので)

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 幟がはためいているのもいいです。

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 お茶屋さんの土蔵です。奥行きがすごいです。ここで、製茶をしているのですね。本場&本格的。

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  古い民家を一部改装した古本屋さんがありました。

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 大きな立派な門構えの昔ながらのお屋敷。お医者さんです。

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 東海道線の踏切を渡ります。(原踏切)

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 清梵寺前のお食事処です。風にはためいて、うまく撮れなかったのですが、ラーメンあり、かき氷あり、メニューが豊富ですね。

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 清梵寺から西念寺までは、旧東海道より一本南に並行している小道を歩いてみました。「白隠道」といいます。 道沿いに清梵寺、長興寺、松蔭寺、西念寺があります。

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 途中に、こんなおしゃれな看板がありました。

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 こちらが、看板のケーキ屋さん。

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 帯笑園。沼津の名所のひとつらしいですが、ひっそりとしていました。公開している様子はなさそう。

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 説明板をアップします。

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 原宿の有力な家、植松家のに庭園で、珍しい植物や盆栽が集められていることで有名だったようですね。管理とか一般公開とかは、まだまだ試行錯誤中のようです。詳しくは、説明をご覧ください。

 

 明徳稲荷手前の「カタバ公園」。小さな緑地ですが、右奥に見える青い井戸に、注目です。

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 注意書きも、いいですね。ふりがなも、きちんと振ってあります。

「この手押しポンプは、災害の時に使用するものです。普段は花壇の水等に使ってください。子供達は一人ぅつで遊び、手押し棒以外の所には触らないこと。」

 

 明徳稲荷の宮司さんが、「昔この辺りは、小学校の敷地だった」とおっしゃっていましたが、明徳稲荷から原駅に向かう途中に、こんな広場がありました。

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 高等尋常小学校跡です。説明板によれば、明治20年7月7日、原尋常小学校として開校されたそうです。昭和7年11月に暴風雨で校舎が倒壊。昭和9年に別の土地に校舎が移転するまでの47年間、原地区の教育の場でした。

 ちなみにここの名前、「原駅前公園」だそうです。

 

 路面にこんな表示を発見したので、パチリしました。 

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 原駅の駅舎です。古い建物ですね。シンプルで味がある。

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 駅舎に建って町の方向を見ると、富士山が。

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 原駅、プラットホームです。

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 駅のホームからも、富士山が見えました。よい旅でした。

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 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 ついついさぼりがちでしたが、また頑張って更新します。 東海道を歩く旅、次回は、原→吉原です。

 また、訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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第18回 沼津→原②

 「第18回街道ウォーク 沼津→原」後半です。片浜のバーミヤンでエネルギーチャージをして、いざ!

祥雲寺

 境内に、大きな松が斜めに構えていることで知られています。なるほど、門の向こう、正面に見えますね。

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 見上げると首が痛くなってしまうような高さに加え、立派な枝ぶり。

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 大松の根元に、お掃除小僧。かわいい。

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 静かな境内です。

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三島神社

 街道沿いの鳥居から本殿まで、割と長い参道でした。

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 御神木、ランカマキです。

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 樹齢、推定450年。幹回り約4メートルだそうです。

 

 説明板があったので、アップします。

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 うーん・・・ なんかややこしい。私にはイマイチ理解できませぬ。判読は皆さま個々で、お願いいたします。


伊勢神明

 街道沿いの小さな神社、伊勢神明。小学校4~6年生くらいの女の子たちが、境内でゲームをして遊んでいました。

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 お社に隣接した場所は、遊具のある広場になっています。すぐそばが線路。東海道線が通ります。

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 またまた富士山が見えるので写真を撮っていますと・・・

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 「富士山、撮ってるんですかぁ?」と女の子たちの一人が、話しかけてくれました。「ふだん富士山がこんなに見えるところに住んでいないから、嬉して撮ってしまうのよー」と答えると、「晴れるともっとよく見えるし、雪が降ると、すごーくきれいなんですよ!」と教えてくれました。「あ、いいわね。見てみたいわ」と言ったら、「そうだ、ちょっと待ってください。」と言って、女の子は自分の荷物が入っているカバンからタブレットを取り出して、一生懸命富士山の写真を探し始めました。「私も富士山好きだから、よく写真を撮るんです。あれ、おかしいな。雪が降った写真、あるはずなんだけど・・・」 

 一生懸命探してくれたけれど、見つからず。「ありがとう。気持ちだけでもうれしいよ」と言うと、ホッとしたような、申し訳なさそうな顔をしてにっこり笑ってくれました。

 本当に、その気持ち、嬉しかったです。ありがとう。


神明神社

 踏切を渡ってまもなくの、こちらの神明神社は、鳥居前に二体の賽神が安置されているので有名です。

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 近づいてパチリ。強風で、赤い前掛けがめくれてしまいました。

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 賽神は、宿口に安置され、悪霊の侵入を見張っているのだそうです。

 

 本殿です。

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 本殿の階段下に転がっていた黄色いサッカーボールが鮮やかで目を引いたので、パチリしてみました。


東木戸(見附)跡

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 神明神社鳥居の向かって左に(右は、さっきの賽神です)、見附跡を示す碑が、さりげなくありました。だいたいこのあたりという、推定だそうです。

 

 

 鳥居のある全体風景です。ここに、賽神があり、見附跡の碑もありました。

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清梵寺

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 「原のお地蔵様」があるとガイドブックに書いてありましたが、わからず。

 

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 ちなみに、くろやぎは、この日はもうスタミナ切れで、、投げやり&テキトーモードにシフトしつつあります。玄関横の観音様(?)をさして、「地蔵ってこれじゃないのー?」と言い始めました。

 


長興寺

 この辺りから、白隠さんゆかりの名所・旧跡が出てきます。こちら、長興寺は、白隠さんを慕って訪ねてきた僧たちの宿坊となったお寺です。

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 白隠さんが住んでいた松蔭寺と、宿坊だったこちら長興寺を結ぶ小道が、東海道に並行していて、「白隠道」と呼ばれていたそうです。

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 こちらが本殿です。華やかではありませんが、重厚な趣があります。

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 さっきの白隠道を歩いて、松蔭寺へ。


松蔭寺

  原宿と言えば、このお寺が有名です。境内、広そう。入って見ましょう。

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 松の木、たくさん。岡山藩主・池田継政から贈られた備前焼の擂鉢を、台風で折れた松にかぶせたという「擂鉢松」というのがあるらしい。松は平成になってから枯れてしまったとのことで、擂鉢だけ残っているのかな?と思って探してみましたが、わからなかったです。

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 白隠さんの言葉を刻んだ、石碑がありました。

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 【原文】君看雙眼色 不語似無憂

 【読み】君看よ双眼の色、語らざれば憂いなきに似たり。

 【口語訳】妾の二つの眼の色をよくよく見てください。何も言ってくれないと憂い(その気)がないように見えますよ。

 

 うーん・・・、今一つ、何を言わんとしているのかわからない。これ、どういうシチュエーションなのだろう?

 詳しくは、説明板をご覧ください。(私は説明板を見て、ますますわからなくなったけれど)

 

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 白隠さんのお墓があるということですが、場所がはっきわからず・・・

 ググってみたら、ある方のブログに本堂裏と書いてあったので、裏の墓地へまわると、看板がありました。だけど、どのお墓なんだろう? 

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 ググったブログの写真と同じ場所はこれ。向かって右が白隠さんのお墓だと、ブログには書いてあります。

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 は、これが、向かって右。白隠さんのお墓で、正解でしょうか?

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 できれば、もうちょい、案内がほしいです。

 

 このお寺には、国の重要文化財である白隠さんの自画像もあるそうです。この中にあるのかな? きっと、年に一度とか、決まった時に、見せていただけるのでしょう。

 

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西念寺

 松蔭寺の隣の西念寺。やはり、白隠さんゆかりのお寺です。

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 山門左手の天満宮。白隠さんは子どもの頃、お母さんから、家の隣にあるこの天神さまが一切の苦を救うと教えられ、、日々参拝したそうです。

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 天神様を象徴す梅鉢紋。白隠さんは、画に、この梅鉢紋をよく描いていて、天神へのさまへの特別な思いがあったのではないかと、説明板に書いてありました。なるほどなるほど。

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 お寺の本殿はこちらです。火災に遭い、大正時代に再建されました。

 それにしても、西日が強くて、写真を撮るのが難しいです。秋だなあ。

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 街道沿いの看板。「天神さんのお寺」って、不思議な感じだけど(事情を知らないとツッコミ入れたくなる)、そのとおり、まさに天神さんのお寺。

 天神保育園が隣接されているのですね。

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 お寺と遊具の写真。

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白隠禅師誕生地碑

 飽きたくろやぎ(スタミナ切れ)、門の前で動かないので、一人で中へ。

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 白隠さんの産湯に使ったという井戸です。

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 さらに奥に進みますと、このような廟が。

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 ガラス窓の向こうに、外の石碑に彫られた白隠さんの姿が見えるようになっています。

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 入口脇に説明板がありましたので、アップします。

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 「駿河に過ぎたるものがふたつあり。富士のお山と原の白隠」

 

浅間神社

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 武田氏に仕えた植松平次衛門という人が、武田氏滅亡の後、この地に移り住んで、この神社を建てたようですね。

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高札場跡

 高札場あちは、今見てきた浅間神社の鳥居脇にありました。後を示す説明板があります。

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 説明板に近づいて、パチリしました。

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問屋場跡

 浅間神社の周囲に、高札場跡、問屋場跡、本陣跡があります。この辺りが、。宿場の中心だったのですね。今では、特に名残はなく、ごく普通の街の風景と言っていいかもです。

 店舗の間に、問屋場跡の石碑があります。わかりますか?

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 近づいてパチリします。

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 宿場町の中心だったと思われるあたり。右側が浅間神社です。かなりの、車の往来がありました。

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昌源寺

 西念寺が「天神さん」と呼ばれたのに対し、こちらは「七面さん」と呼ばれていたそうです。七面観音をお祀りしているのかな?

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 西日がますます強いです。日が短くなりました。

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 昌源寺の御会式(万灯練)は、10月27日です。

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 蓮窓寺が10月9日、栄昌寺10月16日、昌源寺が10月27日。ちょっとずつずれているのですね。万灯練ってどんなお祭りなのかしら。

 

 

渡邊本陣跡

 

 問屋場跡のすぐ近くです。碑を見落としそう。油断しないようにしなくちゃ.。

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 一応、近づいて、パチリ。

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碑の隣にあった、おしゃれな外観のお店。

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 碑の先は工事中。工事の依頼主は保育園です。

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徳源禅寺

 西念寺(天神さん)、昌源寺(七面さん)とあって、こちらは「子安さん」。

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 特に説明板もなかったので、本殿の写真だけとって、後にしました。

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明徳稲荷

 いよいよ、今回最後のチェックポイントです。

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 「社殿は建て直したな。案外新しいな。」と、くろやぎがつぶやいていたら、どこからともなくご近所の方が姿を現し、「お詣りですか?」

 「東海道を歩いています」と言うと、「最近歩いている人、多いですね~」。しばらく世間話が続いた後、ご近所の方、「私、こう見えて、自称、ここの宮司なんです。」

 「えっっ。チェックのコットンシャツのラフなこの方が? 近所のおじさんかと思った。でも、宮司さん、儀式じゃないときは、普通にラフな格好の近所の人か。」などと忙しく考えていると

「中、見ていきます? うちの神社、案外古いんですけどね。」

 あー、くろやぎ、また、つぶやきを聞かれていたよ。

「あ、帰りの電車の時間は、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。」

 

 近所のおじさん改め宮司さんが、お社の引き戸をガラリと開けてくださると、中は何とも居心地のいい空間になっていました。

 宮司さんはふるいとおっしゃたけれど、きちんと手入れされていて、6畳ほどのスペースに暖かい敷物、かわいらしいつるし飾り、その他なんともかわいい置物などなど。祭壇があるけれども、居心地のいい茶の間に招いていただいたみたいな。

 宮司さんが、貴重な古い資料も出して見せてくださいました。天井近くには、昔の写真もずらり。大事に大事に、この神社を引き継いで守っていらっしゃるのがよくわかりました。

「気をつけてお帰り下さい」と送っていただき、温かい気持ちで神社を後にしました。

 

 説明板、アップします。優しい宮司さんのいらっしゃる「明徳稲荷」でした。

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 慈光院の住職さん、伊勢神明神社の小学生の女の子、明徳稲荷の宮司さん・・・

 今回のウォークは、優しい方にたくさん出会えた旅でした。沼津のファンになりました。

 

 終着地点、原駅です。

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 和風のシンプルな駅舎。原宿の雰囲気に、とても合っていると思います。

 

 駅から、原宿を見たところ。

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 次回また、ここからスタートします。

 

 16時35分。沼津駅を出発してから7時間54分。30826歩の旅でした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近々、今回のコースで、まちなみに焦点を当てて記事を書きます。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 


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第18回 沼津→原①

 10月7日、「第18回東海道ウォーク 沼津→原」を実施しました。霧雨の降る中敢行したした前回でしたが、台風の通り過ぎた後の今回は、すっきり晴れて気持ち良く歩くことができました。やはりウォークは晴れていないとね。

 それでは、チェックポイント(ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社で、名所旧跡としている立ち寄りポイント)に沿って、お伝えします。

 

 8時41分、沼津駅前ロータリーです。駅前のビル・ラクーンが青空に映えます。晴れていると、やる気も出ます。 さあ、歩くぞ~!

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 前回の終着点、清水本陣先の静岡銀行。ここを本日の出発点とします。

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 ちなみにこちらが前回の写真。夕方で曇っていたことを思い出します。浅間神社のお祭りの横断幕です。

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東方寺

 この日の最初のチェックポイント、東方寺。ガイドブックに事前情報はなく、現地にも説明板はなく、なぜチェックポイントなのか謎のまま。

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 こじんまりながら、手入れの行き届いた雰囲気のいいお寺でした。


乗運寺

 東方寺の向かい側の乗雲寺。若山牧水のお墓があることで有名です。かなり立派な門構えです。

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 一歩中に入りますと・・・おぉ!! なんと立派な。

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 若山牧水のお墓は探すまでもなく、入口のすぐ近くにありました。お墓の写真だけパチリして早々に退散。

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 参考までに、お墓の隣にあった石碑の説明です。

 大正13年に沼津に引っ越してきて千本浜の風景をこよなく愛したそうですが、健康がすぐれず、昭和3年、44歳の若さで亡くなりました。短い在住期間だったのですね。


真楽寺

 またまた、なぜチェックポイントなのかなぞのお寺。向かいは浅間神社。近代的な建物で、あやうくお寺だと気が付かないところでした。見つけたくろやぎ、えらい。朝は冴えている。

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山神社

 山神社といえば、石段をのぼった上にあることが多いのに、ここは大きな道路に面したフラットな場所にありました。

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 説明板によりますと、別の場所にあったものを、戦後この地に移したようですね。

 

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 左手が山神社。右の大きな通りは、清水本陣の近くにあった、あの浅間神社(丸子神社)から来ています。このすぐ先の交差点「西高入口」で旧東海道に合流します。

 

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 この地点の説明板です。浅間神社のお祭りの市(いち)に通じる道筋だったことから、この辺りを市道町と呼ぶという説明に、納得!


慈光院

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 このお寺を見つけたくろやぎが、「ちっさ・・・」とつぶやきました(本当は「ちいさい)言いかけて、慌てて飲み込んだ)ら、本殿のむこうから住職様が出ていらして、「何かご用ですか?」と。東海道を歩いていることを言うと、「本殿の中、見ていきますか? うちの御本尊はこう見えて結構大きいんです。」

 くろやぎの「ちっさ・・・」というつぶやき、きっと聞こえていたなー。すみません。

 いつもは閉まっているらしいお堂の戸をガラガラと開けますと・・・いやびっくり。本当にご本尊、大きかったです。このお堂いっぱいにおさまった大仏様。というか、大仏様に合わせて大仏ピッタリサイズにお堂をかぶせたみたいな。

 穏やかな語り口の住職様、素敵な出会いをありがとうございました。


六代松標石

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 街道沿いの標石。ここを曲がった先に、六代松の公園がありました。

 

六代松

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 六代松の碑と説明板です。

 

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 説明板によりますと、「六代」は平清盛を三代目とした六代目の御曹司の幼名で、壇之浦で平家滅亡すると捜し出され、ここ千本松原で斬首されかけたところを文覚上人に助けられました。その後、出家して妙覚と名乗り、文覚上人が謀反を企てるときに連座し、殺されました。首をお供のものが持ち帰り、思い出深い千本の松の根本に埋めたと伝えられています。

 平家物語の名場面として知られ、東海道の旅人たちに親しまれた松の巨木でしたが、枯れてしまい、それを惜しんだ人々が、天保12年(1842)に碑を建てました。

 

 公園全体の風景です。前の週の大型台風で、倒れてしまった木もあるようです。

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妙伝寺

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 ちょうど法事が終わったところで、部外者が境内に入るのは遠慮しました。ガイドブックに説明はないし、説明板も見つからなかったし、中にも入らなかったので、なぜチェックポイントなのか謎のままです。


山神社

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 すぐそばが、千本松原です。小さな静かな神社。海が近いなーと、気配で分かります。


金剛寺

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 囲いもなく、だだっ広い境内。というか、駐車場? 向こうに写っている立派な屋根の建物が、おそらく本堂。

 ここも法事の準備中のようでした。パシャリして、早々に退散。例によって、なぜチェックポイントなのか、謎。


八幡神社

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 この神社では、入口の傍示石を要チェックです。

 

 あ、これですね。「従是東」(「これより東」ってことですかね)と刻まれていて、下の部分の「沼津領」は失われています。

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 下石田には「従是西沼津領」ときざまれた傍示石が、完全な形で残っているという説明ですが・・・

 

 はい、前回のこれですね。

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諏訪宮

 ガイドブックによれば武田信玄の家臣・市川和泉守が建てた村の神社だそうですが。

 街道沿いに、わりと目立つ鳥居がありました。

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 意外に長い参道です。

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 お社は静かでこじんまり。

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 説明板があったので、アップしておきます。

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正覚寺

 ガイドブックによれば、天保8年(1837)、村内に悪病が流行った時に、祈願すると治まったという観音様が祀られているそうです。

 ちょっと変わった外観の本堂です。

 境内に入ったら、センサーが反応したみたいで警戒音が鳴ったので、退散しました。

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清玄寺

 清玄寺、街道沿いに看板が出ていてわかりやすかったです。「高野山真言宗 清玄寺」の看板の隣に、「清玄寺英会話教室」の看板も。お寺で英会話。「小・中・高・大人・受験・英文法」ですって! すごいね。

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 塀にも英会話教室の看板。

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 境内はこんな感じです。お寺というより、アットホームな個人塾っぽいのは気のせいか・・・。寺子屋みたいな。

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 おっと、忘れちゃいけない。ガイドブックによれば、見どころは、馬頭観音でした。

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八幡宮

 鳥居前の常夜灯に注目です。

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 常夜灯の裏を見ますと・・・。「文久元酉年」っていつだろう? 古いことは確か。

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 本殿は、いたって質素です。

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栄昌寺

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 本堂です。ガイドブックによれば、日蓮宗の守護神、七面大明神を祀っているそうです。

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 10月16日(火)、お祭りですね。ポスターが、貼ってありました。

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吉祥寺

 ここはお寺(吉祥寺)と神社(天満宮)が、全く同じ敷地にあります。隣り合っているというより、そもそも門が一緒。おもしろいですね。

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 鐘を真ん中に、左側がお寺、右側が神社です。

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 こちら、吉祥寺(お寺)

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 こちら、天満宮(神社)

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 足元のオブジェ。ピースしてる(?)阿弥陀さま。おもしろかったから、パチリ。せっかくピースしてるし、撮らなきゃ。

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一里塚跡

 日本橋より31里目の、大諏訪松長の一里塚跡。

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 一般のお家のブロック塀の間にあります。うっかりすると見落としそう。 

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 一里塚、画面右端に見えるの、おわかりいただけますか?

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蓮窓寺

 街道沿いに、まず石柱が。ここを曲がった先ですね。山門は、手の込んだ四脚門だと、ガイドブックに書いてありますが・・・

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 確かに。これは立派ですね。

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 ここでも、七面大明神を祀っています。境内に七面堂がありました。

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 本堂です。こちらも立派です。

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 お夏里(お会式)のポスターがありました。先ほどの栄昌寺は、10月16日(火)でしたが、こちらは10月9日(火)となっています。

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伊勢神明宮

 鳥居の脇の幟が立派な、伊勢神明宮です。

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 老朽化したり火災に遭ったりしながらも地元の人に守られて大正時代に再建され、今に至るそうです。まさに、地元の神様。

 

 本殿です。

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 本殿からの眺めも、いいです。

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 本殿裏から、富士山が見えました。東京の人間なので、富士山がこんなにはっきり見えていると、珍しくて、いちいち写真を撮ってしまいます。

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 片浜駅まできました。沼津からちょうど一駅。この日の最終地点・原駅まであと一駅。ここらで休憩とします。西友もあるし、バーミヤンもあるし。というか、ここを逃すと街道沿いには、お昼を食べられようなお店がなさそうだったので。

 

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 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近々、続きをアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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原宿ってどんなとこ?

 原宿は、本陣19軒、脇本陣1軒、旅籠屋25軒と少なく、東海道中最小の宿場でした。

 幕領で、韮山代官の江戸氏の支配所。宿高は1767石3升9合。天保14年の人口は1939人、家数は398軒です。原という地名は、浮島ヶ原に由来します。海辺なので漁業も盛んで、宿内には五十集(いさば)と称する者がいて、毎年9月から3月まで漁でとれた魚を往還で付け送り、将軍家の御納屋御用を務めました。

 

 沼津市から元吉原にかけての東海道は海岸線と千本松原に沿ってほぼ一直線で、原宿はそのほぼ中央に位置し、正に雄大な富士山裾野のど真ん中です。昔からこの辺りから見る富士の雄姿は最高ということで、広重さんもここを浮世絵に描いています。

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 「朝之富士」という題名です。沼津は夕暮れ、原は朝なのね。沼津宿で一泊したのかな?

 画面上の方に走る一本の赤い線は朝焼け。女性の二人連れと挟箱を天秤棒に掛けて従う付きの男性。女性の牛歩一人(若い女性)は、煙草をふかしながら振り返っています。朝まだ早い時間の、のんびりした雰囲気が伝わってきます。

 この三人、画の中心のようでありながら、そうでもない・・・? 後ろの湿地の中の二羽の鶴に目が吸い寄せられてしまうのは、私だけではないはず。そして画面の上に突き抜ける富士山。左側の山は愛鷹山。広重さんが富士山にガッツリ向き合った、雄大な作品世界となっているのです。広重さん、ライバル北斎の「富嶽三十六景」を意識して、本気を出した作品とも言われています!

参考:『謎解きうきよえ叢書歌川広重東海道五十三次』(町田市国際版画美術館/二玄社)

 

 ところで、この浮世絵スポット、どこなんだろう?

 この湿地が浮島ヶ原だとすれば、お隣の富士市との境辺りに浮島という地名があります。狩野川西部浄化センターあたり? 街道ウォークのルートで言いますと、次回ではなく、原駅より先の「原一本松の一里塚跡」より北西が狩野川西部浄化センター、すなわち浮島ヶ原のあった辺りではないかと思われます。「原一本松の一里塚跡」、広重さんの画について、何か説明があるかもしれませんね。

 次の次の回の課題ということで、次回は考えなくてもよさそうです。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 また訪ねてくださると嬉しいです。

先取りチェック! 沼津→原

 次回ウォーク、沼津→原の事前チェックをします。

 前回の反省として、ちょっとぶっつけ本番過ぎたかな・・・と。くろやぎ(同行者&夫)の勘に頼りすぎ、いろいろ迷った前回でした。私もくろやぎも関東で育った人間なので、箱根を過ぎたあたりから、勘が効かなくなっております。

 そうそう、職場に静岡出身の人がいるのですが、「静岡は関東か関西か」聞いたところ、「どっちでもない。中途半端」という答えでした。どっちでもない不思議な文化圏。そこがユニークとも言えそう。

 

 街道ウォークを始めて、静岡は東西に長いことに気が付きました。静岡県はまだまだ続く。今は本の序の口ですね。

 

 さて、次回のチェックポイント(バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫/山と渓谷社で、名所旧跡としているところ)は以下の通りです。

 

  1. 東方寺
  2. 乗運寺
  3. 真楽寺
  4. 山神社
  5. 慈光院
  6. 六代松標石
  7. 妙伝寺
  8. 山神社
  9. 金剛寺
  10. 八幡神社
  11. 諏訪宮
  12. 正覚寺
  13. 清源寺
  14. 八幡宮
  15. 栄昌寺
  16. 吉祥寺
  17. 一里塚跡
  18. 蓮窓寺
  19. 伊勢神明宮
  20. 祥雲寺
  21. 三島神社
  22. 伊勢神明
  23. 神明神社
  24. 東木戸(見附)跡
  25. 清梵寺
  26. 長興寺 
  27. 松蔭寺
  28. 白隠禅師誕生地碑
  29. 西念寺
  30. 昌源寺
  31. 浅間神社
  32. 高札場跡
  33. 問屋場跡 
  34. 徳源禅寺
  35. 明徳稲荷
 
この中で特に見どころとして「沼津観光ポータル」で取り上げられているのは、以下の8箇所です。
 

清梵寺

臨済宗妙心寺派。今からおよそ1,200年前、安房の国に帰国の途中得萬長者がこの地で息を引き取り、大きな塚に葬られました。それからこの地が大塚と呼ばれるようになったといわれています。恒例の地蔵尊縁日は、毎年「海の日」に開催され、白隠禅師書の「地獄極楽変相図」が展示されます。

 

長興寺


 臨済宗妙心寺派。白隠禅師の時代には松蔭寺での修行僧が宿坊として使い、松蔭寺から長興寺まで通った道が今も残っており「白隠道」と称されています。毎年5月の最終日曜日か6月第一日曜日に開催される例大祭には、赤ちゃんのすこやかな成長を祈願する恒例の「奉納泣きずもう」が行われます。
 

松蔭寺


白隠宗大本山。白隠禅師が出家し、のちに住職をつとめたこの寺には、白隠が描いた禅画や県指定史跡となっている墓が境内に遺されています。また、開山堂には生前に作られたという白隠木像がまつられています。毎年4月29日には「寺宝虫干し」として白隠禅画が展示されます。
 

白隠禅師誕生地碑


「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」と歌われ、臨済禅中興の祖として仰がれる白隠禅師は西暦1685年12月25日、この地で生まれました。また、禅師が生まれた時使用した「産湯の井戸」がこの奥にいまなお清水をたたえています。
 

西念寺


時宗。現在の本堂は大正15年に建立。白隠禅師誕生地の南側にあり、境内には白隠禅師が幼少のころ毎日参拝した天満宮の御堂があります。


昌源寺


日蓮宗。大仙院日耀の開山。開基は、徳川家康の側室、お万の方(養珠院日心大姉)です。
白隠禅師が幼少のころ、説法で地獄の話を聞き仏門に入るきっかけとなったのが、この昌原寺です。
 

渡邊本陣跡


原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟・義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っています。原宿の草分けであり広大な建物を持っていたので、自然に大名・幕吏等の宿所として本陣となり問屋、年寄、名主等を勤めていました。


徳源禅寺


臨済宗妙心寺派。境内には「頼朝お手植えの松三代目」とされる数百年たった松があり、庭は東海道の名園といわれた原宿の「帯笑園」の名残を残す富士山の溶岩の庭「対笑園」があります。
 
中でも松蔭寺は、白隠ゆかりのお寺として有名です。
以下、『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信/小学館)から引用します。
臨済宗中興の祖と仰がれた白隠禅師は貞享2年(1685)に原宿で生まれ、15歳の時に松蔭寺で仏門に入りました。19歳から32歳まで全国を巡り、33歳で松蔭寺住職となった後84歳で亡くなるまで、全国各地で禅宗の教えを広めました。500年に一人の高僧といわれ、その人格と教化実績などから「駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山に、原の白隠」といわれるほど尊敬を集めています。また「だるま・釈迦・観音」を始め毛筆で描く力強くわかりやすい禅画に秀で、多くの名画を残しています。このような高僧が育った松蔭寺は比較的小規模な寺ですが、白隠が出たことにより全国から注目を浴びる寺院になりました。

  白隠さん、かなりの高僧だったようですが、何がそんなにすごかったんだろう? 気になってググってみたら、沼津市のホームページに詳しく載っていました。

www.city.numazu.shizuoka.jp

 

 

HPの解説を読みますと、白隠さんは、幼い頃に慣れ親しんだものから、その後の人生に多大な影響を与えられているようです。

要約しながら白隠さんの人生をたどってみましょう。

 

生家長澤家(沢瀉屋(おもだかや))は東海道に面し、旅籠兼運送業を営んでいました。父は豆州江梨村の杉山家の出身です。長澤家の第5子、3男として生まれ、幼名を岩次郎といいました。記憶力に優れ、強い意志を持った多感な少年でした。早朝から水垢離を行ったという井戸が現在も生家跡に残っています。

幼い頃自宅に出入りしていた休心坊(きゅうしんぼう)という念仏行者の影響を受けました。「食物は湯を加えて残さないようにする。立小便はしない。北方を清める。」という3つの教えを生涯守ったといいます。

11歳の頃、母に連れられて近くの昌原寺で説法を聞き、地獄に対する恐怖を抱いたことが出家の契機となりました。

地獄に怯える11歳の頃、母から自宅に隣接する西念寺(さいねんじ)の天満天神が一切の苦を救うと教えられ、日々参拝しました。

13歳の頃、自宅から北東に4kmほど離れた柳沢村に通い、観音菩薩を岩に刻み大岩の上で坐禅を組みました。

母の生家である長澤家は代々日蓮宗の家であり、末子である岩次郎(白隠さん)は信心深い母の影響で、幼少の頃から法華経に親しんでいたようです。出家を強く望むようになったのも法華経の功徳が大きいと聞き、感嘆したためです。 松蔭寺には、自筆でびっしりと註釈が加えられた法華経が伝わっています(静岡県指定文化財)。

15歳には、父の叔父大瑞宗育(だいずいそういく)禅師が復興した松蔭寺で、剃髪し「慧鶴(えかく)」となりました。各地で修行をした後、32歳で松蔭寺に戻りました。当時は廃寺寸前の状態だったようです。その後、修行僧が全国各地から集まり、弟子の育成に力を注ぎました。

50代以降には、請われて各地で講義を行うとともに、膨大な著作や書画を残しており、終生にわたり、様々な方法を駆使して法を説きました。人の往来が激しい東海道の沿道で、時代に即応した禅を広めた僧として知られています。

 

 原駅手前の原地区は、白隠さんゆかりのスポットがたくさんあります。じっくり見ることができるように、時間も元気も残してウォークをしたいものです。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 次回は、「原宿ってどんなとこ?」というタイトルでアップします。

 また来てくださると嬉しいです。