てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

「まちなみ」ウォッチ 大磯→国府津

 「第10回街道ウォーク 大磯→国府津」で、いいなと思った風景、「ん?」とツッコミを入れたくなった諸々のものたち、などなど気の向くままの「まちなみ」ウォッチです。どうぞい付き合いください。

 このウォッチには名所・旧跡は含みません。名所・旧跡については、こちらをご覧ください。

 

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 1月20日(土)一応晴れ。9時17分に大磯駅を出発しました。最初のチェックポイントは、島崎藤村旧宅。周辺は、古民家を利用したちょっとおしゃれなカフェなどがあって、閑静な佇まいです。

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 藤村邸は、狭い路地をたどってい行った先にあります。この写真右側は、藤村邸の垣根です。

 

 藤村邸を後に、再び東海道をてくてく歩きますと、立派な松並木になります。

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 説明板がわかりやすかったので、近づいてパチリしたものを載せますね。

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 次世代の松並木用に、ちびっ子松の木育成中。こうして長い目で見て手入れをしているからこそ、維持できているのだと納得。

 

 今日も追いかけます。「日本橋から(まで)〇〇km」の表示。

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 滄浪閣の先で海側の路地を入ってみました。海がすぐそこに見えます。

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 せっかくなので、浜まで下りてみました。普段、海の見えないところで暮らしているので、海を見ると若干興奮してしまう・・・

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 海を見下ろす斜面は、「大磯こゆるぎ緑地」と呼ばれていて、松林になっていました。かつて、伊藤博文の別荘・滄浪閣に追随するように財界人の別荘が立ち並んでいたのは、おそらくこの辺りでしょう。

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 東海道の横から海側へ向かう細道の先に、キラリと海が光ります。

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 街道沿いの旧家。前回よりも、このような旧家を見ることが、格段に増えました。ローカル色が濃くなってきたように感じます。

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 日本橋から(まで)70km

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 宝前院の先の坂道。地名は中丸です。

 中丸の立場があったのはこの辺りでしょうか。坂の上で見晴らしがいいので、いかにも茶屋とか、あったような感じがするのですが。

 特に案内はなかったのですが、勝手に想像してみました。

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 日本橋から(まで)72km

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 二宮町に入りましたので、早速マンホールをパチリしました。

 大磯町のマンホールに比べると、ポップでゆるい感じ。

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 日本橋から(まで)73km

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 二宮駅のロータリーにある高木敏子さんのガラスのうさぎの少女の像です。

 写真ではわかりにくいですが、少女が抱いているうさぎは、本当にガラスです。

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 高木敏子さんは、1945年8月にここ二宮駅で、アメリカ軍の機銃掃射に遭い、目の前でお父さんを亡くしました。詳しくはこちらのブログをご参照ください。

 

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 日本橋から(まで)74km

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 旧東海道の名残り

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 左が国道1号線、右が旧道です。やっぱり旧道はいいなあ。

 

 旧道を歩いていたら、醤油の蔵元がありました。「宮戸醤油漬物醸造」という表札が出ていました。

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 梅沢橋跡

 橋は架かっていません。暗渠になっています。道路の下で、水が流れる音がします。

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 この道の下が、たぶん川。海に注ぎます。

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 街道沿いの旧家、たくさんあったのですが、特に印象に残った一枚を。

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 日本橋から(まで)75km

 

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 またまた旧道都の分かれ道です。左が旧道、右が国道1号線。この旧道の先が押切坂で、茶屋本陣跡があります。押切橋で再び国道1号線と合流します。

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 小田原市に入りましたので、例によってを。

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 やっぱり、箱根駅伝なんですね。

 

 

 日本橋から(まで)76km

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 少々疲れてきましたが、行く手に見える海に励まされて進みます。

 

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 塩小売業という看板を掲げたお宅を発見しました。珍しかったので、パチリさせていただきました。

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 ちょっとツッコミを入れてみたくなった看板だったので。「ちょっと君」と言われてもなあ。

 もちろん、地域で子どもを守るのは大事ですね。

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 おお、ほととぎす巻ではありませんか! ここに本社があったのかあ!

 あ、ほととぎす巻というのは、茅ヶ崎→平塚ウォークで、ふらりと立ち寄った落花生屋さんで売っていて、お店の人のトークにつられて買った思い出の一品です。

 そういえば、お店の人、「小田原の会社で作っていて・・・」と言ってたなあ。

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 旧友に再会したような気持ちです。

 

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 通りの向かいで、みかんをいっぱい売っているのが見えました。オレンジ色が

きれい。

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 日本橋から(まで)77km

 

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 旅の終わりに、海を見ました。もうすぐ、国府津の駅です。夕方だからか、波が高いようです。波がしらが立っています。

 足元は砂浜ではなく、大小さまざまの丸い石でした。

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 日本橋から(まで)78km

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 海を見た後、駅まで少し遠かったですが、てくてくサクサク歩きました。タイムアウトすることなく、予定をこなして目的地まで到着出来て、何よりでした。

 

 長々、お付き合いくださり、ありがとうございました。

 また、訪ねて来て下さると嬉しいです。

 


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第10回 大磯→国府津②

 「第10回街道ウォーク 大磯→国府津」後半です。

これより、二宮町に入ります。

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名残り松 

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 二宮町に入ってすぐのところにある名残松です。


塩海の名残り

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 塩梅の名残りとは、どんなところかとちょっと楽しみにしていたのですが、特に説明はなく、それを示す棒杭がひとつありました。

 ちなみに近くにあったお医者さんの看板から、「しおみ」と読むらしいことを知りました。

 

我妻神社

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 我妻神社は浅間神社とともに大きな神社のようですが、例によって街道ウォークで先を急ぎますので、鳥居だけで失礼します。我妻神社は弟橘姫を祀っているので、それらしき絵が掲げられています。


小沢寺

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 神社というので鳥居とかイメージしていて、見落としてしまいそうでした。小沢寺は、梅沢橋の近くにあって、神社というより小さな庵のような感じでした。

 小さな敷地の中に、道祖神がありました。


藤巻寺

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 フジと梵鐘が見どころのようです。フジは樹齢400年。梵鐘は二宮町で一番古いそうです。説明板がわかりやすかったので、アップします。

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道祖神(山西)

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 道祖神の側に幟があったのですが・・・

 遠目に「金目の寄付」(かねめのきふ)と読んでしまった私(汗)。お金になるものの寄付を呼び掛けているお店でもあるのかと思ってしまいました。(笑)

 正しくは「金目の煮付」(金目鯛の煮つけ)で、お魚料理のお店の幟でした。貧乏性でお恥ずかしい・・・

 どうでもいい話でスミマセン。


一里塚跡

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 説明板によると、塚は街道を挟んで両側に置かれ、北側にはケヤキ、南側には榎が植えられていたそうです。

  
密厳院薬師堂

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 薬師如来坐像が安置されているそうですが、よくわからなかったです。すごく狭いスペースにお堂があるのですが、道祖神もありました。

 なぜか、お堂の真ん前に遊具がありました。

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茶屋本陣跡

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 緑色のお宅(和田さん)が、本陣のあった場所です。説明板がちゃんとあって、よかったです。ありがとうございます。

 押切坂を控えているため、間の宿だったという説明に納得。


稲荷神社

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 稲荷神社は、どう考えてもこの場所のはず。つい最近、お引越ししてしまったみたいです。


男女双体道祖神(押切坂)

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 押切坂の崖っぷちの、切通が見えるところに、こんな小さな道祖神があります。昔から、こうして、旅人を守ってくださっているのですね。

 

いよいよ小田原市に入りました!

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浅間神社 

 

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 庚申塔と道祖神があります。

 南側は、すぐ海です!


車坂碑

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 源実朝、太田道灌、阿仏尼がここで歌を詠んだことを記念した碑です。詳しい説明板があったので、アップします。

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大山道道標

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 風格のある道標ですね。この道が大山に続くのかぁ・・・

道祖神(前川村)

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 道祖神、こんな感じに風景に溶け込んでいて、いいなと思いました。

 道祖神(中宿公民館)

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 公民館(集会所のような小さな建物です)の玄関わきにありました。大切にされている感じがいいですね。

 

長泉寺

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 北村透谷が逗留していたという長泉寺。海側ではなく、東海道線の線路をくぐった山側にあります。ぐるりと回ったので、旅の最後にちょっと疲れました。

 山門前に石燈籠がたくさん並んでいたのが印象的でした。


男女双体道祖神(前西川)

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 本日最後のチェックポイントです!

 道祖神と道路を挟んで反対側にある石材店のわきの階段を下りると、海岸に出ることができます。絶景に、しばし疲れが癒されました。

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 最終地点、国府津駅です。なんか、昔ながらのJRの駅というか・・・ 無骨な感じ。 

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 時刻は16時23分。7時間6分、24480歩のウォークでした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。次回はまちなみに焦点をあてて、レポートします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 


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第10回 大磯→国府津①

 1月20日(土)、「第10回東海道ウォーク 大磯→国府津」を実施しました。旅の様子を、数回にわけてお伝えします。どうぞお付き合いください。

 まずは、事前にチェックしていたポイントについて、実際にはどんなところだったか、振り返ります。

  9時17分、大磯駅です。一応晴れ。さほど寒くはありません。

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妙昌寺

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 この日最初のチェックポイントのお寺。何が見どころか、いまひとつわからなかったのですが、きれいなお寺でした。

 

島崎藤村旧宅

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 島崎藤村の旧宅は、静かな住宅街の中の細い道をくねくねとたどって行ったところにありました。案内が随所にちゃんと出ていたので、迷うことはありませんでした。

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 9時より開館、入場無料です。静かなたたずまいのお宅です。

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 島崎藤村は亡くなる前の2年間ほど、この家で暮らしました。真ん中の居間で、心臓発作になり、亡くなったそうです。

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上方見付跡

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 説明板によりますと、このバス停のあたりに、見附があったそうです。


滄浪閣

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 伊藤博文の別荘・滄浪閣は、大磯プリンスホテル別館になっています。オフシーズンのためか、人の気配はなかったのですが、営業はしているようでした。


宇賀神社

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 鳥居をいくつもくぐった先にお社がありました。小さなお社ですが、脇に神主さんのお宅(?)もあり、きちんと管理されている印象を受けました。


八坂神社

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 がら~んとした境内でしたが・・・なぜかステンレスのお賽銭箱だけが、ピカピカ目立っていました。


道祖神(小磯幼稚園入口)

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道祖神(切通橋)

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 今回、道祖神、多いですね。こういう、小さな石を積んだタイプが、特に多いかも。


旧吉田茂邸

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 手前が日本庭園、奥の建物が、再建された吉田茂邸で博物館になっています。先を急ぐので、外から見学するだけにしました。説明板がわかりやすかったので、アップします。

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 管理棟前にある看板。インパクトがありますね。


西長院

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 身代わり地蔵で有名な西長院ですが、お地蔵様の公開は年に一度だそうです。1月24日、大変な賑わいでしょうね。


宝前院

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 馬頭観音がありました。


国府本郷の一里塚跡

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 左側に説明板があります。

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 江戸から17里・・・ずいぶん来ましたね。感慨深いです。

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 一里塚と同じ場所に、水準点もありました。


道祖神(大磯警察署)

 

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 たくさんのお供え。大切にされていることがわかる道祖神です。心が温まります。


男女双体道祖神

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 大小さまざまの石が集められています。


国府祭座問答石

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 座問答の石とは何か? よくわからなかったのですが、訪ねてみて、何となく納得。まずは、これが、並んでいる石たちで、それぞれが、神社を表します。

 説明をお読みください。

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 この二つ、川匂神社と、寒川神社が対立していて、他の神社が仲裁している・・・という様子を、石で表している、という理解でよいかと思います。

六所神社鳥居

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 六所神社は、この鳥居のもっともっと先です。今回は鳥居だけ。

宝積院

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 奥に見えるのが、樹齢200年を超えるカヤの木です。手前に西国巡礼塔が並んでいました。

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 町内に現存する最古の梵鐘だそうです。

 
道祖神(六所神社そば)

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 道祖神の前にお稲荷さん。ちょっと道祖神が気の毒かな・・・

 

ここまでが、大磯町です。長くなるので、ブログをいったん閉じます。

また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 


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『ガラスのうさぎ』と二宮町

 休日スタイルは晴歩雨読。晴れたらウォーク、雨なら読書。晴れても読書、でもいいかも。毎週金曜日は、週末の読書用に本の話題を、と思って二週目です。

 次回のウォークの事前チェックをしていて、二宮駅のロータリーに高木敏子さんの『ガラスのうさぎ』の少女の像があると知りましたが、内容を覚えていないので、読んでみたのですが、どうやら今回が初めてのようでした。

 この本が出版されたのは1977年だそうですが、確かにその頃、大そう話題になったことは覚えています。母親たちも、とても共感していたような。でも、肝心の当時の小学生だった私は、なんとなく敬遠してしまったのでした。

 なんで読まなかったのかなあ、この本。読めばきっと、子どもなりに感じることもたくさんあっただろうなと思います。でも、大人になって戦争についていろいろ知識を得たり、親になったりしたからこそ、身につまされるくだりもたくさんありました。児童書ですが、大人が読んでもいい。40年前に出版された本ですが、今読んでもいい。そんな感想を持ちました。

 

 この本は、高木敏子さんが子供の頃の戦争体験を綴ったものです。以下、少しだけ、内容を紹介します。

 

 東京の本所(墨田区)に生まれ育った「わたし」(高木敏子さん)は、空襲を避けて二宮の知り合いを頼って疎開していましたが、1945年3月10日の東京大空襲で、お母さんと二人の妹の消息がわからなくなってしまいます。お父さんだけは助かったのですが、離れ離れの生活が続きました。

 いよいよ、一緒に暮らせる目途が立ったのは、8月になってから。お父さんが迎えに来てくれて、お世話になった家の人に別れを告げて二人で駅に向かいます。8月5日の朝でした。

 東海道のコンクリート道路の照り返しは、今日もとても暑い。父とわたしは汗をふきふき歩いた。約一年間生活したこの町とも、今日でお別れ。そう思うと、道の両側の見なれた風景が、せつなく感じられる。空を見ると空はどこまでも真っ青で、太陽がギラギラ照りつけている。

 希望に向かって歩いているかと思っていましたが・・・

 

 二宮駅の待合室は、東京や横浜方面から食糧を買いだしに来ていた人たちでごった返していました。そこへ突然の機銃掃射。「わたし」はとっさにいすの下に潜り込み、助かったのですが、お父さんは銃弾を3発浴びて亡くなってしまいます。

 せつないお話です。身寄りのない13歳の「わたし」が、たったひとりでお父さんを火葬するために奔走する場面は、本当に胸が痛みます。読んでいて、はっとしたのは、「わたし」がお父さんの遺体と一緒に牛車に乗って、火葬場のある小田原に向かう場面です。

 もうわたしは涙も出なかった。ただ車のギイギイ動く音をききながら、東海道の松並木を国府津、鴨宮とすぎて、大きな橋をわたっていった。

 まさにこれから私たちが歩こうとしている道。「海沿いでいいところだね~」「立派な松林だね~」という感想だけではすまされないなあと思いました。

 

 第二次世界大戦でアメリカ軍によって行われた機銃掃射は、一般人を狙った無差別攻撃です。これと同様のことが現代でも行われていることは、忘れてはいけません。

 『ガラスのうさぎ』を読んで思い出した本があります。『ナビラとマララ』(宮田律 講談社)です。

 パキスタンの少女ナビラさんは、2012年10月、アメリカ軍のドローンが撃ったミサイルによって祖母を失い、自分も大けがをしました。彼女は運動家でもテロリストでもなく、ただお兄さんといっしょに牛に水をやり、おばあさんは畑のオクラを摘んでいただけでしたが、ドローンに積まれたカメラを見ていたCIAは、テロリストだろ勘違いしてしまったのだそうです。

 一瞬、すべてが真っ暗になりました。悲鳴が聞こえて、それがおばあちゃんのものであると思いました。でも、私にできることは走って逃げることだけだったんです。

  本の中のこのナビラさんの言葉が、『ガラスのうさぎ』の二宮駅で「わたし」が見た光景に重なります。

 

 街道ウォークは、江戸時代の旅人に思いをはせながらの「てくてくわくわく」歩きですが、関東大震災や空襲で、甚大な被害・犠牲があったことも、行く先々で語られています。追悼の心も持ちながら、歩きたいと思います。

 

 長文をここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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繰り上げ当選ラッキーガール

今週のお題「受験」

 振り返れば、繰り上げ当選でやってきた人生でした。(まだ人生を振り返るほど老けてはいないけれど)

 

 最初は、おそらく大学受験。用意周到に準備を重ねて受けた第一志望はまさかの不合格で、望み薄だったチャレンジ校に合格。第一志望はかなり渋い学校だったのに引き換え、そこは燦燦と陽が降り注ぐようなキラキラな学校だったので、「えっっ、マジで?」(当時「マジで」という言い方はしなかったけれど、まあそんな感じ)と戸惑ったものです。明らかに自分のキャラとは違う気がして、どこかかゆいような、でもまんざらでもないような。

 もっとも、自分のキャラではなさそうと思ったのも束の間、のんきで気のいい人が多くて、生真面目だった私も、それまで持っていたとんがった感じをやめました。それによって達成できなかったこともあるけれど、たぶんこのことは、よかったのではないかと思います。

 入学直後のフレッシュマンキャンプで学部長の教授が、「今年度はちょっと取り過ぎました」と苦笑いされたのを見て、「私だ」と思ったものです。確証はありませんが、おそらくこれが最初の「繰り上げ当選」。

 

 就職活動はそこそこ苦労しました。バブル前夜。平凡な文系女子でしたので、売り手市場といえる状況ではなかったのです。

 とある会社に断られたあと、サークルの合宿に出かけておりましたところ、自宅から電話が。「〇〇×△(会社名)から電話が来てるけど。折り返しかけてほしいってよ。」 当時は、携帯電話なんて普及していませんでしたから、企業からの連絡はもっぱら自宅の電話にかかってくるのです。落ちたので、電話はかかってこないと思って、合宿に来ていたのですが・・・

 今でも思い出します。田舎の民宿の黒電話から、言われた電話番号を回した夏の日の情景を。電話に出たのは、面接を担当されていた若手の男性でした。

「今、どこにおるん?」(関西系の企業なのです)

「あ、新潟です。サークルの合宿に来ています」(さすがに、かなり恐縮しています)

「合宿かあ・・・! ええなあ。懐かしいわあ。」

「すみません。」

「僕も行きたいわ。あ、そうそう、一人欠員が出たんで、どうかなと思って。」

 二度目の繰り上げ当選が言い渡された瞬間でした。

 この会社には4年弱、勤めました。希望の仕事ではなかったので悩ましいときもありましたが、会社の「人」のことは、真面目でそれでいてどこかおおらかで、好きでした。同年代の若い社員が多く、半ば学生時代の続きのような雰囲気さえありました。親しくなった人たちとは、今でもやり取りが続いています。

 

 三度目の繰り上げ当選は、現職です。現在進行形なので詳しいことは書けませんが、採用ではないが名簿に搭載する旨、通知が来たのです。名簿有効期限は1年間だというので、「それなら、1年以内にひょっとしたら、いいことあるかも」「果報は寝て待て」くらいのつもりでいたのですが、意外にも2週間後に連絡が来ました。「一人退職者が出たのでいかがですか。」

 現在の仕事に就いて、結構な年月が過ぎました。経験者が有利な職種であるのに、潜入出来たのはラッキーでした。繰り上げ当選のおかげです。

 

 パシッと合格すれば、それはとてもかっこいいけれども、きっかけは繰り上げ当選だっていい。入ってからが、本当のはじまり。その学校で、どう過ごすか、その職場でどんな仕事をするか。真摯に向き合って、認められたらうれしい。繰り上げ当選を引け目に思う必要は全然なくて、むしろすごくラッキーなことだと思います。

 私は、繰り上げ当選のラッキーガールです。(ガールというのは、図々しいか・・・) 

 

 世の受験生の皆さん。ラッキーをつかんでください! 繰り上げ当選も、悪くないですよ。

 

 

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弥次さん、喜多さんを追いかけて 大磯→小田原

 久々に『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さん登場です。

 弥次さんが藤沢の白旗神社で義経伝説を怖がって歌を詠んだのを最後に、物語の舞台は茅ヶ崎も平塚もすっとばして、大磯になっています。大磯と言えばやはり虎御前の伝説でしょうということらしく、延台寺の「虎が石」をためつすがめつ、やいやいと歌を詠んでおります。

此さとの 虎は藪にも 剛のもの おもしの石と なりし貞節 北八

😊曽我十郎の遊女・虎御前は、曽我十郎の死後は尼となって十郎の供養に一生を捧げました。喜多さんは「低い身分の者であるにもかかわらず、貞節を守って立派な心掛けの女性ではないか・・・」と感心しています。「剛のもの」に「香の物(漬物)」をかけて、漬物石に関連付けました。

去ながら 石になるとは 無分別 ひとつ蓮の うへにや乗られぬ 弥次

😊「そうはいってもお前、石になるなんて、考え無しだね。重くって一つの蓮の上に乗ることもできないじゃないか。二人で極楽に行けないぜ。」と弥次さん。

 

 この後二人は、延台寺の近くにある鴫立沢に立ち寄り、西行の像を拝んで、自分たちも歌詠みを頑張ろうじゃないか、などと宣言したりしていますが、このあと・・・

 

 このあとは、平成の現代でも、二宮・国府津と、海岸沿いの単調な国道をひたすら歩くことになるのですが、弥次さん・喜多さんも退屈してしまったようで、何を始めたかと思いますか?

 1.おやつを食べた(茶屋とか、あれば、ですけど)

 2.道行く人をからかった(誰か、いれば、ですけど)

 3.名所・旧跡にツッコミをいれてみた(ツッコむものが、あれば、ですけど)

 

 何もない一本道だったんでしょうね。二人が始めたのは「なぞなぞ」でした。

北「外は白壁 中はどんどんナアニ

弥「べら坊め。そんな古いことよりおれがかけよふか。コレ手めへとおれと、つれだって行とかけてサアなんととく

北「ソリヤアしれたこと。伊勢へ参るととく」

弥「馬鹿め、これを馬二匹ととく」

北「なぜ」

弥「どうどうだから」

 😊馬を行かせるときのはやし言葉「 どうどう」と、道連れを意味する「同道」をかけているわけですね。いわゆるダジャレ。

 すると、そういうことなら負けじと喜多さんもダジャレで攻めます。

 「おいらふたりが国所はナアニ」(おいらが二人の出身は?」

 弥二さんが「神田の八丁堀」と答えると喜多さんは「不洒落なこと言うなよ」と笑って「豚が二匹と犬っころが十匹さ」と答えるのです。その心は、「ぶた二ながら、キャン十(とお)の者」だからだとか。???ですね。キャンは犬のことですね。考え過ぎちゃだめですよ。そのまま読んで、「ぶたにながらきゃんとうのもの」→「ふたりながらきゃんとうのもの」→「二人ながら関東の者」

 

 大人が二人でおかしいですね。あ、でも、私にも身に覚えがありますよ。若い時でしたけど、社員旅行で、同期3人でじゃんけんをして、負けた人が3人分の荷物を次の電柱まで持つという・・・。なぞなぞじゃないけどね。ヒマだったから。単調な道を少しでも盛り上げようという計らい。

 なぞなぞといえば、息子が小学生の時、親子で成田から高速バスで都心に帰ってきたことがあったんですけど、バスに乗る前に売店で「好きなものを買ってあげるよ」と言ったら、ミニブックがついたキーホルダーを選びました。このミニブックが、なぞなぞの本だったんですね。小さな本に細かな字でびっしり。

 さて、バスに乗って、遊び疲れた私は、しばし睡眠と思ったのですが、甘かった・・・! 

 「おじいさんが乗ったら、おならが出る車はなーんだ?」「ジープ」「ピンポーン♪」

 「じゃあ、孫がおじいさんとするスポーツは、なーんだ?」「え、なに?」「ソフトボールだよ~」(祖父とボール)

 終点まで2時間半、なぞなぞ大会になりました。

 

 おっと横道にそれました。ところで、喜多さんが最初に出したなぞなぞ、弥二さんは「そんな古いなぞなぞ」と笑いましたが、定番のなぞなぞだったんでしょうね。答えは、結局書いていないのですが(つまり、だれもが知っていた定番)、解説によりますと、行灯(あんどん)だそうです。四角い行灯の三方に紙が貼ってあって、中で灯心が燃えているからです。

 このあと、二人のなぞなぞ大会はさらにくだらなさがエスカレートして、やや下ネタ寄りにもなってくるので、ブログはここらでお開きに。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪問してくださると嬉しいです。

 

*今回の記事を書くにあたり、『東海道中膝栗毛』(岩波書店 十返舎一九作 麻生磯次校注)を参考にしました。

 

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クローズアップ! 二宮

 「クローズアップ〇〇宿!」では、これから行く宿場町について、なりたち、江戸時代の宿場の様子、その後(明治以降~いま)について、あれこれ調べてざっくり定義していきます!

 さて、これまで、通ってきた宿場町、ウォークを重ねていたら、それなりに数が増えてきました。

  • モーニングサービスの品川宿
  • 後進ながら六郷の渡しで発展した川崎宿
  • 開港の舞台となって国際都市にかじを切った神奈川宿
  • 権太坂の手前で「ここらでほどほどに」と旅人を引き留めた保土ケ谷宿
  • 江戸から歩き通しに歩いてきた人が最初に宿をとる戸塚宿
  • 遊行寺や江の島詣でにぎわった古くからの観光地・藤沢宿
  • ちょっと休憩するのに便利だった平塚宿
  • 風光明媚な海岸で明治以降も文人・財界人に愛された大磯宿

 宿場町ではありませんが、藤沢宿と平塚宿の間に、「間の宿」としての役割を果たしていた茅ヶ崎もありました。

 今回も宿場町ではないのですが、二宮をクローズアップしてみます。

 

 

二宮ってどんなとこ?

 二宮は大磯丘陵の中南部に位置し、南に相模灘、北には丹沢山塊に続く丘陵地と、海山の恵みを得た自然豊かな土地です。冬でも降雪量が少なく、比較的温暖な気候といえます。住みやすい土地というのは、縄文時代から人が住んでいた形跡があることが多いものですが、二宮も例外ではありません。

二宮には石器時代から人が住んでいた

 二宮に人が住み始めたのは、遺跡で発掘された石器から、少なくとも約1万数千年前と考えられています。
 今から5,000~6,000年前には、氷河期にできた氷が一気に融け出し、今より内陸側に海岸線があったようで、現在の二宮町中里・元町・下町・中町・上町・梅沢・越地・茶屋周辺の平らな低地は、かつてはなんと海底でした。
 海が退き、現在とほとんど同じ地形が出来上がると、人々はここに移り住むようになりました。 古代、二宮を含む地域は師長国(しながのくに)と呼ばれており、大化の改新(645年)にあたって相模国に合併しました。相模湾沿いに通じた東海道の原形も、奈良時代や平安時代初期には成立していたそうです。

 

源頼朝の支配下から北条氏の勢力下へ

 

 鎌倉・小田原の多くがそうであったように、二宮も鎌倉幕府による支配の後、長い間、北条氏の勢力下に置かれることになりましたので、源頼朝や北条氏に関連する史跡や伝説が多く残されています。

 たとえば、建久3年(1192年)には、二宮川勾大明神(今の川勾神社)で北条政子の安産祈願が行われたと言われています。

 また、『曽我物語』の曽我兄弟の姉である花月(かげつ)は二宮の地頭である二宮太郎朝忠(あさただ)に嫁いでいます。花月は自宅の隣に庵室をたてて兄弟を弔いましたが、この庵室を再建したのが知足寺といわれています。

 二宮にはこの他にも兄弟に関する伝説が多いです。五郎が十郎のもとに駆けつける際に、吾妻山近くの家で馬を借りた上、生えていた大根を鞭にあてたという話が残されていますおり、川勾神社前には兄弟が力比べをしたという力石もあります。

 

間の宿として
 

 家康の天下統一後、五街道が整備されると、二宮は大磯と小田原の間の「間の宿(あいのしゅく、一時のお休み処)」としての発展を遂げました。

 どのような様子だったかというと、例えば、現在の山西と川匂は梅沢と呼ばれており、「立場」として賑わったそうです。「立場」とは休憩施設で、眺望の利く場所や、橋のない大河川に隣接する村に設置されることが多く二宮も同様でした。

 立場の一つ「梅沢御本陣」は、大名・公家・幕府役人などの公式休憩所でしたが、江戸時代後期の寺社参り流行にともない、庶民も泊まるようになりました。二宮は53宿ではないので、宿泊は本来禁止ですが、大磯と小田原の間は16キロメートル程度あり、間にある酒匂川がたびたび増水し通行不能になったりしたため、届出があれば宿泊可能になったようです。
 別の立場「松屋本陣」では、この地域の名物として、旅人にあんこう・粟餅が出されていいたという記録が残っています。二宮の海ではあんこうが獲れ、近くの山では粟が栽培されていたのですね。
 また、二宮は海に面した村のため、古くから海水による塩の精製が盛んでもありました。

近代化と漁と・・・


 明治4年(1871)の廃藩置県により二宮は淘綾郡に属し、明治9年(1876年)の4月に現在の神奈川県に編入されました。

 明治22年(1889年)には江戸時代5つに分かれていた村(一色村・中里村・二宮村・山西村・川匂村)をまとめ、吾妻村が誕生しました。
 大正12年(1923年)9月の関東大震災では、例にもれず甚大な被害を受けています。

 海辺沿いの村々では、漁業活動が盛んで、捕れた魚は大磯宿や小田原宿へ売り出されていました。漁は昭和30年代頃まで行われていました。

 

大都市圏に近い住宅地として


 国道1号線が整備され、工場や商店ができると町はいっそう賑やかになりました。そして昭和10年(1935年)、吾妻村が二宮町と改められました。
 第二次世界大戦により、人々は苦境に立たされましたが、戦後、小田原厚木道路・東海道新幹線・西湘バイパスなどの交通網も整い、東京・横浜などの大都市圏に近く、豊かな自然環境に恵まれ、二宮町は気候温暖で良質な住宅地として発展しました。都心に向かう通勤者のベッドタウンとしての開発も進み、現在に至ります。

 平成29年12月1日現在の人口は、27999人です.

 

東海道での位置取りからも、温暖な気候においても、間の宿になるべくしてなった二宮

という解釈でいかがでしょう?

ちょっと長いかな・・・?

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また訪ねてきてくださると嬉しいです。

 

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 この記事を書くにあたり、二宮町の観光協会のホームページを参考にさせていただきました。

二宮観光協会 official Web