次回のウォーク、平塚→大磯は、広重さんの「東海道五十三次」(保永堂版)のビューポイントが二カ所もあります! というわけで、前回に続いて浮世絵についてお付き合いください。
今回の浮世絵はこちら。「大礒(虎ヶ雨)」
舞台は大磯宿の東端です。棒鼻を示す杭が立っていることから、それとわかります。現在地としては、化粧坂を西に向かって下ったあたりで、宿場のまちなみを眺めるように描かれています。
「東海道五十三次」(保永堂版)のこれまでの八図はいずれも晴天でしたが、ここにきて雨なのには訳があります。画面右側のこんもりとした山は、先の平塚・縄手道の図にも描かれていた高麗山ですが、この山には『曽我物語』に出てくる曽我十郎の愛人である遊女虎御前が、十郎の冥福を祈るために出家して結んだ庵があったと伝えられています。画の瓢箪形の印の中にある「虎ヶ雨」というのが本図の副題です。「虎ヶ雨」とは、陰暦5月28日に降る雨をいいます。この日は曽我十朗が討ち死にした日で、虎御前の涙が雨になって降るとされていました。大礒と言えば虎御前、虎御前と言えば虎ヶ雨。大磯が雨の図になるのは、広重さんにとって必然だったのではないでしょうか。いえ、広重さんにとってというより、江戸時代の人々にとってというか。それを汲んでの「虎ヶ雨」の「大礒」です。
画の構図を見てみましょう。街道が家並みの間に隠れていく様は、以前紹介した「保土ケ谷」にも似ています。(参考までに、下は「保土ケ谷」です。)
ただし程ヶ谷がどことなく楽しげなのに対して、こちら大磯は雨を避けるために皆足早に宿場町に吸い込まれていきます。雨宿りをする場所が見つかるといいのですが。
画面左は一転して開放的な、太平洋の海面になっています。松林のある海岸線は小余綾(こゆるぎ)の磯といって、古来歌枕として親しまれてきました。
こころなき身にもあわれはしられけり鴫立沢の秋の夕暮れ
西行法師が詠んだこの歌によって、このあたりは鴫立沢と呼ばれるようになったとも言われています。もっとも鴫立沢は、ここ化粧坂より少々距離があり、実際にこの画のように正面に見えたのかどうかわかりませんが、西行法師の歌を盛り込むことで、より虎ヶ雨の伝説の情感を深める効果を期待したのかもしれません。
画面全体は墨色が基調となっており、色彩は控えめです。空に黒い帯が摺られていますが、「一」の字を引いたようなぼかしのため、「一文字ぼかし」と言われています。ぼかす色で、時間、季節そして気候などを表現しわけています。通常は藍色や橙色などですが、低く垂れこめた雨雲を表現するために墨色が用いられています。そして、この沈鬱な景色の中で強く目に焼き付くのが、青い光をたたえる海。ステレオタイプに、「大磯なら雨でしょうという」人々の期待に応えながらも、広重さんが描きたかったのは、実はこの雨の中の海の青さだったのかもしれません。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また、訪ねて来てくださると嬉しいです。
【参考】
『広重と歩こう東海道五十三次』安村敏信 岩崎均史 小学館
『謎解き浮世絵叢書 歌川広重 保永堂版東海道五十三次』町田市立国際版画美術館 二玄社