てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第12回街道ウォーク 小田原→風祭①

 

晴歩雨読

晴れの日はてくてく歩き、雨の日は読書三昧。

週末の街道ウォーク 再開しました!

 

 

 4月29日(日)晴れ。9時36分 小田原駅です。

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 駅前ロータリーを背に徒歩10分ほどで「小田原宿なりわい交流館」到着。これより街道ウォークをスタートします。

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 久々なので説明を。この街道ウォークは、バイブルとしてちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)というガイドブックを大いに参考にしています。この本に記載されている名所・旧跡はチェックすることを原則とし、ルートから大きく外れる場所は名所でも、興味があったとしてもガマン。「街道歩き」というテーマから逸れてしまわないように注意。そもそも日暮れまでに到着しないと困るので。そのための基準として、バイブルを大いに活用させてもらっています!

 

 というわけで、今回はバイブルのチェックポイントに沿って報告します。

片岡本陣跡

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 本日最初のチェックポイント、片岡本陣跡。きれいな石碑ですね。それもそのはず、昨年設置されたのですね~

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 碑の背後、片岡本陣があったと思しき場所は、マンション建設中。

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 裏に「明治天皇聖蹟碑」があるとのことでしたが・・・どこだ?

 やっと見つけました・・・

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 バイブルには「小伊勢屋の裏」と書いてあったのですが、「小伊勢屋」は現在はなく、このようなマンションになっていました。「小伊勢屋」ってどんなお店だったんでしょうね。

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久保田本陣跡

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 片岡本陣跡のすぐ近くにありました。


清水彦十郎本陣跡

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 清水彦十郎本陣跡、通り過ぎてしまい、戻って見つけました。なぜ気が付かなかったかというと、大きな道路を挟んで向かい側に、あの「ういろう」の目立つ外観の店舗があったからです。「ういろう」のお店を夢中でパチリしていた時、実はすぐ後ろにこの説明板があったんですねー(汗)。

 「ういろう」のお店の写真は後日アップしますね。

 

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報徳二宮神社

 今回は小田原城はパス。バイブルには載っていたのですが、以前に来たことありますし、これを見学すると先へ進めませんからね。小田原城ならまた来ればいいし。

 その代りというのもナンですが、是非行かねばと思っていたのが報徳二宮神社。以前我が子と小田原城に来た時、素通りしてしまったので。おしゃれなカフェもあるなあーと気にしつつ、天守閣を目指したことを思い出します。

 その二宮神社、今回は小田原城の中からのアプローチではなく、鳥居から。

 お天気上々。若葉が目に沁みます。

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 入って間もなく、こんな看板が・・・ 「ちゃんとお参りしてから」、大事ですね!

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 というわけで、こちら金次郎さん。

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 金次郎さんについて、おさらいしておきましょう。

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 前回「国府津→小田原」の記事にも書きましたが、金次郎さんは「薪を背負って本を読んでいる勤勉な子ども」だっただけでなく、人々の暮らし向きをよくするために力を尽くした偉人だったのです。

 

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 本殿が見えてきました。重厚で風格のある建物です。

 

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 境内にある金次郎像。戦前の像は供出されてしまい、残っているのはこの像だけだそうです。ときどき見かける金次郎像は、戦後に作られたものだったのですね。

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 境内手前にあるカフェです。

 実は、お参り前にここで一服してしまいました。ポケモンの人のこと、言える立場じゃないですね。すみません。でも、コーヒー、美味しかったです。緑の風がさわやかな、素敵なカフェでした。軽食も可。

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 カフェの中に売店も。金次郎さんグッズがいろいろ。このハンカチ、なんかラルフローレンみたいな? でもよく見ると金次郎さん。


天満宮

 天満宮=山角天神社です。

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 とりあえず、天神社について説明をお読みください。

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 こちらが本殿です。この中に菅原道真の画像があるようなので隙間からのぞいてみたんですけど、よくわからなかったです。

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 境内には芭蕉句碑があるということでしたので、気にしていたのですが・・・

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 こちら紀軽人という人の狂歌の碑

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 こちらが芭蕉句碑ですね。

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梅が香に のっと日の出る 山路かな

 天神様と言えば「梅」ということで、芭蕉の句で「梅」を詠んだものを碑にしたようです。1820年建立です。


小田原駅跡

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 人車鉄道軽便鉄道の駅があったことを示す碑です。

 

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 小田原駅跡の場所を振り返ってパチリしました。東京から88キロです! ずいぶん来たなーと、ちょっとしみじみ&嬉しい。

大久寺

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 地味なお寺で(すみません)、何だっけとガイドブックを見直したら、小田原城主大久保氏の菩提寺だそう。

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 すぐそばが小田急線の高架になっています。ロマンスカーが疾走していきました。

 

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 掲示板のことばに「はい」と了解。

光円寺

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 またまた、「はてさて、このお寺は?」とガイドブックを見ますと、春日局が開基したのだそうで・・・ ほう。

居神神社

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 ガイドブックによりますと、祭神の一人は北条早雲に敗れ怨霊となって三年祟った三浦の新井城主の三浦荒次郎。うーん、なんか怖そう・・・

 

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 入ってすぐに祭神の説明が。

 

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 気のせいか、うっそうとした参道です。

 

 小さな水神様がありました。

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 説明を読んで、この辺りは水神様が多いような気がしていたことに納得。城下町の水道は、早川から取っていたのですね。わが国最初の上水道とは、恐れ入りました。

 

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 「勝って甲の緒を締めよ」の文字、インパクトありますね。北条氏綱の言葉だそうです。以下説明板をご覧ください。

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 こちら、本殿です。

 

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 見晴らしは、なかなかいいですね。

上方見付跡

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 「見附跡」について、それを示す碑や説明板はなかったのですが、交差点の表示に残っているので、この辺りだろうと理解しました。

 

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 旧道に入るところにあった看板に、見附について説明がありました。

 

 看板には居神神社と大久寺についても説明がありました。居神神社に古碑群が、大久寺に墓所があったんですね。見逃してしまった・・・ ドンマイ

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 これより先、旧道に入りますので、ここで一息入れます。

 近日中に続きをアップしますので、また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 


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再開! 街道ウォーク

今週のお題「ゴールデンウィーク2018」

 

 晴れの日はてくてく歩き、雨の日は読書三昧。

 そんな週末の過ごし方を目指して始めた当ブログでしたが、私の母の入院や「くろやぎ」(同行人・夫)の母の急逝など、さまざまな事情から、てくてく歩きはお休みしておりました。

 先月、義母の四十九日の法要が済み、実家の方も落ち着きましたので、このゴールデンウィークに街道ウォークを再開しました。

 前回、小田原のなりわい交流館で終了していましたので、今回も小田原駅から。終着地点は風祭にしました。距離は短いですが、小田原はバリバリ観光地なので寄り道もしたくなります。鈴廣のショッピングセンター(かまぼこ博物館)でお土産を買ってそのまま風祭の駅から箱根登山鉄道に乗るのは、なかなかナイスなプランだと思いました。

 

 さて、いよいよウォーキング再開の日。4月29日9時36分、小田原駅に降り立ちました。

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 なかなか立派なロータリーですね。小田急線ユーザーだった大学生の頃の記憶とは、だいぶかけ離れています! ン十年前ですから無理もありませんね。

 写真を撮っていたら、背後に旧市内電車のりばの案内板があるよと、くろやぎが教えてくれました。久々ながら冴えてますなぁ・・・

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 へぇぇ、こんな感じだったんだ。説明文もパチリしたかったけど光ってうまく撮れないので断念。

 さて駅前の通りをてくてく歩くと、ほどなくして「なりわい交流館」に到着しました。

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 おぉ、久しぶり! 中に入ってパンフレットを収集。前回もいただいたのですが、長らくご無沙汰で、取っ散らかってしまいました(汗)。そうこうしていると、交流館の方が冷たい麦茶をいれてくださいました。ありがとうございます。

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 前回は雛段があったなーと思い出だしました。あれから季節がひとつ巡りました。

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 感慨にふけるのはこのくらいにして出発。この後の様子は、連休中に少しずつブログにアップしますね。

 

 今回はお土産の紹介を(笑)

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 株式会社ういろう

小田原市本町1-13-17

 北条早雲の時代から、薬とお菓子を作り続けている外郎家のお店です。お店の中で、薬とお菓子の両方を販売しています。薬は仁丹みたいな感じで、私の母が愛用して常に携帯しているのでひとつ求めました。一番小さい箱、1000円を。(小さくてゴメンね)

 母曰く、会員限定で現金書留で代金を送ると引き換えに薬が送られてくるそうで、手に入れるのは大変なのだとか。先日渡したら、大変感謝されました。でもAmazonでも扱っていそうですが・・・ どっちみち、母にAmazonはないので、まあよかった。

 母の影響で「小田原ういろう」と言えば薬のイメージで、今回「なぜ和菓子?」と不思議だったのですが、お菓子の包装紙にあった説明がビンゴだったので紹介します。

この「お菓子のういろう」は約六百年前、吾が外郎家の先祖が京都在住の時代、自ら造って客の接待に供したものであります。これが名薬「透頂香ういろう」の苦い味と対照がよかった為か、忽ち、朝廷、幕府を始め、当時の貴紳の間に評判となり、依頼に応じては作って供したものでありますが、求める人が益々ふえるので後に販売する様になったものであります。
御祝宴に、御茶席に、お子様に、御産婦には何よりのものであります。栄養価が高く、而も胃腸に障らぬお菓子です。素朴で気品のある淡雅な味を御賞味下さい。おみやげ、御進物として何方にも喜ばれます。

 帰宅して早速いただきました。ふむ、これは美味しい。すごくもっちり。本物という感じ。大変申し訳ないのですが、かなり好きだった名古屋のういろうがかすんでしまった。(名古屋のういろう関係者の方、すみません。)

 ちなみに味は「白」にしたのだけれど、定番は「黒」だったみたい。そもそもの最初の頃、黒砂糖で作っていたそうです。いつか「黒」も食べてみたいな。

 

欄干橋ちんりう

小田原市本町4-2-37

 「ちんりう」は駅前に本店がありますが、ここ本町のお店は梅万資料館を謳っていて、古い梅干しや梅干しの種を始め、様々な梅干し関連の珍しいものを展示しています。明治元年の梅干しとか、インパクト大。

 私は実は梅干し手作り派で、「自家製梅干しと白いご飯があれば!」と宣言していて(実際にはもっといろいろほしいけど)、スーパーでは梅干しは買いません。梅干しは自然塩のみでシンプルに作るとおいしいですよ。ここの梅干しももちろん美味しいでしょうが、梅干しなら家にゴロゴロあるので、今回はパス。代わりに天神さまを。

 「天神さま」は、梅干しの種のさらに中にある核です。アーモンドのような味がします。小さくても栄養がぎっしり。ただ、これを取り出すのは至難の業です。以前は小梅干し(もちろん自家製)を食べた後、種を噛んで中の核を取り出すのが楽しみでしたが、歳と共に種を噛むのは危険なのでやめました。(我が家の2番目の娘は、未だにやっております・・・)

 というわけで、「天神さま」は私にとって誠に貴重な高級品なのです! 今回求めたのは和三盆仕立て。一日一粒、大事に大事にいただきました。

 

小鯵の押寿司

 今回は夕食用に小鯵の押寿司弁当を買って帰ることを楽しみにしていました。売り切れがやや心配でしたが、ちゃんとありましたよ。小田原駅で買いました。よかったよかった。

 相変わらず美味しい。添付のお醤油漬けなくても十分美味しい。むしろつけないほうが美味しいと思います。ごちそうさまでしたm(__)m

 

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 ここまで読んでくださりありがとうございます。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

てんしん書房

 こんにちは

 ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか?

 後半のお天気はイマイチということで、前半のお出かけ日和が何ともありがたい毎日です。

 昨日はちょっといい出会いがありました。用事で都心に出かけたのですが、出先で知り合った人に教えてもらって、素敵なお店に連れて行ってもらったんです。「てんしん書房」という本屋さんです。

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 茗荷谷駅から徒歩5分くらい。普通のマンションのとおぼしきビルの1階で遠目にはわかりにくいですが、入口はこんなふうに、おしゃれで素敵な雰囲気になっています。

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 一歩中に入ると、なんとも落ち着いたあったかい雰囲気。「こどもの本屋」さんという看板を掲げているとおり絵本・児童書専門店で、大人の本はありません。児童よみものより絵本が断然多いかな。我が家の子どもたちが小さかったころ、一緒に読んだ懐かしい本がいっぱい。「あ、これも。これも!」と嬉しくなりました。

 それもそのはず、店主の中藤さん(若い男性の方でした)ご自身が1冊1冊納得して選んだ本のみを並べているからです。手作りのディスプレイも温かみがあって、思わず手に取ってみたくなります。(林明子さんの『こんとあき』に出てくる「こん」ちゃんのぬいぐるみ、奥様の手作りだそうです。)決して広くはない店内ですが、店主の愛に包まれた一つの世界が出来ている! 

 中藤さんが話しかけてくださって、絵本の話を少ししました。我が家の子どもたちが小さかったころ大好きだったけれど絶版になってしまった絵本の話をすると、もうすぐ復刻されることを教えていただいたりして、嬉しかったです。こういう会話ができる本屋さんって、いいですね。

 すっかり大きくなってしまった我が家の子どもたち、もう絵本は読みませんが、今日の記念に絵本を1冊買いました。以前に職場の人が、家でお子さんと読んでいてハマっていると教えてくれた絵本です。

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『おたすけこびと』なかがわ ちひろ 文/コヨセ・ジュンジ 絵 徳間書店

 男のお誕生日に、お母さんが「おねがいね」というと、なんとなんとたくさんの小さなこびとたちと働く車が、バースデーケーキを作ってくれるという、かわいいおはなしです。車好きの男の子にはたまらない、ミニチュア好の女の子も夢中になる、楽しい夢のある絵本です。私がこどものころ好きだった「ゆうちゃんのみきさーしゃ」や、我が子と楽しんだ「ジャイアントジャムサンド」を思い出しました。

 

 てんしん書房さん、また訪ねるような気がします。あの空間が好きで。そのときはよろしくお願いしますね。

 

てんしん書房

営業時間 AM10:00〜暗くなるまで
休業日 毎週月曜日+不定休
住所 東京都文京区小石川5-20-7 1F
TEL/FAX 03-3830-0467

http://tenshin-shobo.com/

歓迎・転機

「わたしの転機」

 

 「こんな仕事をしているならやめてしまえ!」

 支店長から投げつけられた言葉は、最初の転機になりました。

 私はバブル期の銀行員。後輩の伝票を精査して間違いを見落としてしまったのです。確かにあってはならないミスでしたが、こんな言われようってあるでしょうか。当時はパワハラという概念はありませんでしたが。私の中で何かが切れて、「やめてやる」と思いました。20代前半・・・若かったとは思います。

 翌月からグラフィックデザインの学校に通い、2年後に印刷会社に転職しました。

 しかしながら転職したのは、支店長の言葉のせいではありません。きっかけになっただけ。銀行の仕事には面白みが感じられず、このままでいいのかという思いが常に頭のどこかにひっかかっていました。人のせいにして自分をごまかしていたなと、今では思います。

 

 印刷会社では、カタログやパンフレットのフィニッシュデザインを担当しました。グラフィックデザイナーの人のラフを版下にする仕事です。写植屋さんに注文して、上がってきたら切ったりり貼ったり。楽しくもありましたが、やはりこれでいいのかという思いがありました。隣で作業をしている編集の人たちがまぶしかった。就職活動を始めて頃は、出版社志望だったので。

 出産を前に退職しましたが、出産が転機だったとは思いません。「転機」というほど強いものではなかった。自分にとって、子育てにしわ寄せがいくほどの価値がある仕事だとは思えなかったから、それだけです。

 

 その後、大きな転機は三度あったと思います。現在の家庭の事情にかかわることなので詳細は控えますが、いずれも、家計に不安を感じ、自立したいと思いました。10年以上も専業主婦をしてきての自立は困難でしたが。今もできていません。

 現在私は、とある自治体の嘱託職員です。専門職ですが、報酬は民間の契約社員より少ないと思います。1年ごとの更新なので不安定。いわゆる「官製ワーキングプア」と言われている雇用形態です。

 1年契約で4回まで更新可能。5年目に入る前に試験を受け直さなければなりませんでしたが、ここにきて平成32年に施行される「改正地方公務員法」により、ますます微妙な状況になっています。

 果たして2年後に仕事はあるのか? なんでこんな不安定な雇用形態に甘んじなければならないのか。正社員を続けていれば、生涯賃金は全然違ったものになっていただろう。「やめてやる」と思った若き日の私には、こんなことは想像すらできなかったけれども。

 

 けれども私は、ふっと気がついたのです。自分の置かれた状況に卑屈になってはダメ。「こんな雇用形態」「こんな仕事」と思うことが、自分を貶めている。そもそも、好きなことにこだわって今の仕事を選んだはず。自分の仕事に誇りを持とう。そこはブレずにいなくては。正職員、正社員は無理でも、この仕事はまあまああって、掛け持ちややりくりを工夫すれば、なんとか暮らしていけるんじゃないかということもわかりました。

 もやもやが晴れた、三度目の静かな転機でした。ごくごく最近のことです。

 

 アラサー、アラフォー、アラフィフ、アラカン・・・ 年代の節目節目で、人は自分の来た道をこれでよかったのかと振り返り、これからどうして生きて行こうかと考えを巡らせます。最近新聞記事で、「アラベー」という言葉があるのを知りました。アラウンド米寿。90歳手前くらいの方々のことだそうですが、元気で前向きな方々の話が載っていました。

 私も90歳近くまで元気でいられるでしょうか。米寿を迎えてなお、「あれもしたい、これもしたい」と思えるっていいですね。それには、転機があった方がいい。転機は元気の源。これからもさまざまな転機を受けて立とうと思います。

ぶたかばん

今週のお題「カバンの中身」

 「あなたのカバンの中身、見せてください」って突撃されて、「ハイ、どうぞ」って言える人は偉いと思う。本当に女子力高い人って、こういう人を言うんだろうな。

 私のカバンの中身? いやいや、急に言われてもねぇ・・・ お見せすることはできませんが、中身を言えば、ごく普通に、お財布とか化粧品のポーチとかタオルハンカチとか、なにやらかにやら・・・平凡ですけど。それらがごちゃごちゃカオスになっているんで、お恥ずかしい・・・ 女子力高い人は、バッグインバッグにしたり、仕切りの多いバッグにして仕分けたりするんだろうな。私なんか、昨日も、職場から帰る間際になって、「自転車のカギ、ナイ、ナイ、ナイ」って、カバンの中をごそごそ探して大変でしたよ。しかも、カギはカバンの中にはなくて、落とし物として届いていました。落としたらすぐにわかるように、赤い目立つ鈴までつけていたのに。鈴、鳴らなかった・・・。もっとも、鈴の音に助けられたことは何度もありましたけどね。やっぱり鈴はつけておいた方がいい。

 

 そもそもカバンの中がカオスになるのは、カバンが大きいから。以前はいっぱい入るからと、トートバッグを愛用していたんですけれど、現在はリュック派です。自転車通勤ですし。

 でかいリュックではかっこ悪いから、薄めのやつ。anelooっていうんですか。これ、持っている人、よく見かけますが、私も紺色のを愛用しています。

 ただ、困ったことが。私、やっぱり荷物が多いんです。だからトートバッグだったんですよね。何の荷物が多いかって、本です。それもハードカバーが多い。どこかに出かけるとき、本がないと落ち着かないです。ヒマだったらどうしようって1冊入れる。読み終わっちゃったらどうしようって、もう1冊入れます。読み終わることはほとんどないのですが。

 本に関連する仕事をしておりまして、「本を読まないとモグリになっちゃう」というのが、私の口癖でもあります。だから、図書館から借りたり返したりで、本を持ち歩いていることも多いです。結果、スリムなリュックとは別に、丈夫な布製のエコバッグを持っていたりします。ダサいな。

 

 これ、なんだかデジャブだなあと思い返してみて、気が付いたんです。中学時代と一緒。

 中学生の時のカバン、今の子はスクールバッグというナイロン製のカバンだったり(スクバというらしい)、リュックだったりしますが、昭和50年代は革製の四角い学生カバンでしたよね。ってだれに同意をもとめてるかって? 同年代の方に、ハイ。

 で、そのカバン、うすーくして持つのがかっこよかったわけで、お風呂場につるして柔らかくしてつぶしたり、世の中学生はそれはそれは手間ひまかけておりました。うすくするために、教科書は学校に置いて帰ります。

 ですが、私はと言いますと、ださださの中学生で、そういったことには構わないマイノリティでした。カバンの中身は教科書のみならず、国語辞典、英和辞典も。電車通学だったんで、電車の中で宿題したりしてました。40分も座っているので結構はかどるんです。単語調べするのに、辞書は必要。今だったら電子辞書で済むのにね。昭和はアナログ。

 各種辞書が入っている私のカバンは、びよびよに伸び切ったぶたかばん。(ぶっとくてダサいかばんは、ぶたかばんと言われていました。)イケてる子のカバンは3センチもないのに、私のカバンは10センチ。その他に体育着を入れたりする補助カバンもあるから、大変なんですよ。この状況、今と似ている。荷物が多いのは、性分なのかも。しかも、中身は本だって辺りも含めて。

 

 このブログ、そもそも「てくてくわくわく街道ウォーク」で、現在ちょっと事情があってウォークはお休みしているのですが、旧東海道を歩こうじゃないかという記事を書いておりました。街道ウォークは1日7~12キロ歩くので、荷物が多いとさすがにくたびれます。水筒は持たず、出先でペットボトルのお茶を買って、飲み終わったら捨ててきました。マップも重いから持たず、必要なところだけコピーしていました。荷物を軽くコンパクトにするのは、ウォーキングの鉄則。

 それでも、行きかえりの電車の中で読む本だけはほしくて、1~2冊入っているのでした。やっぱり性分なんですね。で、行きはともかく帰りは疲れて爆睡してしまい、せっかくの本を読んだことはほとんどありませんでした(笑)

 

 そろそろウォークを再開しなければ、ですね。小田原で止まっていましたっけ。梅雨入り前に、まずは1回、行きたいと思っています。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

須賀しのぶ『また、桜の国で』

 「てくてくわくわく」を謳いつつ、ウォークから遠ざかっていますが(汗)。

 今週も読書ブログを。

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 『また、桜の国で』 須賀しのぶ 祥伝社

 時節柄、タイトルに引き込まれて読みました。2016年下半期の直木賞候補作でもあったようです。この時の受賞作は恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』でしたね。私は、『また、桜の国で』の方が好みです。『蜜蜂』は、少女マンガみたいな描写が、しっくりこなかったんです。好みの問題ですけど。すみません。

 

 さて、こちらは、『蜜蜂』とは一転、堅いテーマの重たい話です。第二次世界大戦の口火が切られたポーランドが舞台です。ポーランドに侵攻したのは、ヒトラーが率いるナチス。ナチスと言えばユダヤ人の迫害。その惨状は、戦後、世界中に知られるところとなりましたが、ポーランド人への差別はあまり知られていません。そして、戦前、日本とポーランドが大変な友好関係を結んでおり、ポーランド人が親日的であったことに関しては、意外に思う人も多いのではないでしょうか。私もよくわかっていなかったのですが。

 この本を紹介するうえで、ポーランドの歴史については触れなければなりませんので、ごくざっくり説明させていただきますと、ポーランドは、分割と侵攻を繰り返された挙句の果てに、国家機能まで失ってしまったという、悲しい境遇の国でしたが、当時の支配だったロシアの弱体化により、悲願の独立を果たします。1918年のことでした。では、なぜポーランドが親日的だったかというと、ロシア革命の後、シベリアに抑留されていたポーランド人の孤児を、日本が保護して祖国に帰したのだそうで、以来ポーランド人の孤児は日本への恩を忘れず、日本でも一時期、ポーランドブームが起きたのだとか。

 

 『また、桜の国で』は、まだ日本とポーランドがそうした信頼関係を保っていた1938年から始まります。主人公の棚倉慎はロシア人を父に持つ日本人。母が日本人なので、いわゆるハーフ。外務書記生として、ワルシャワの在ポーランド日本大使館の着任しました。ドイツによるポーランド侵攻は1939年。まさに第二次世界大戦勃発前夜でした。

 日本大使館としては、友好関係にあるポーランドの信頼に応えるため、奔走・交渉を繰り返すのですが、遠い本国に思いは届かず、また世界情勢の波に逆らえず、ポーランドからの出国を決断します。

 一方、棚倉慎は、日本を経由してポーランドに帰った孤児たちが作った「極東青年会」に出会います。大使館の書記生として親交を結んでいたのですが、ポーランド情勢が厳しくなるにつれ、彼の入れ込みようも深まり、職業としての介入を越えているかのような危険な交流も。というのも、彼には、子どもの頃にポーランド孤児との忘れられない思い出があったからです。そして何より、彼自身が、自分は何者なのか、日本人なのかどうかというアイデンティティの悩みを抱えていたことが、そうさせていたのでした。

 はたして、彼のとった行動は・・・。そして結末は?

 

 正直に言いますと、各書評で絶賛されているほど、私は感銘を受けませんでした。彼の取った行動は、私にとっては不可解な部分もあったからです。何を不可解に感じたかはネタバレになるから控えます。

 加えて、設定に無理があるようにも思えました。もし、これが実話なら、感動したと思います。たとえば杉原千畝さん。ユダヤ人のビザを発行したリトアニア大使館の大使の話はとても有名ですが、自分の地位を利用して、できることをぎりぎりまで敢行した勇気は本当に素晴らしいです。実話だということが、感慨ひとしおです。

 しかし、実話でないならば、主人公はどのようにも行動できる。むしろ、フィクションで通常では説明できないような行動をさせるならば、そこに至るまでの説明が本当に納得できるものでなければなりません。物語を作りこんで作り込んで、もっと作り込まないと、感動できないと思います。フィクションって、難しいですね。

 もちろん、作者の須賀しのぶさん、たくさんたくさん説明されているのですけれど、やっぱりまだ足りない。申し訳ないけれど、まだ足りないです。私の感動ポイントが鈍いのかなあ・・・

 

 史実にのっとったフィクションの難しさを感じた1冊でした。

 

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。週1~2の更新ですが、また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 

マイナーでメジャーな歌

今週のお題「わたしの春うた」

 

  背中を押してくれるといってもねぇ・・・ 新年度は足取りが重いのだ。入学、クラス替え、新入社員、異動・・・どれもいやだなあ。それなのに、定番の「いちねんせいになったら、ともだちひゃくにんできるかな」とか、最近では「ドッキドキの一年生」とか、励ましソングはかえってつらいわ。「友だち100人もできるわけないじゃん!」と、つっこみいれてましたよ、子どものころ。

 

 背中を押してくれるわけではないけれど、春に歌うイメージがすごくあるのは、校歌ですかね。春は出会いと別れの季節。卒業式では「これで最後なんだなー」と感慨にふけりながら、入学式では初めてのメロディーに「ふーん・・・」と思いながら口パクする歌。この時期学校で、当日の式に向けて校歌を練習しますが、歌声が聞こえてくると「ああ、春だなあ」と思います。

 

 思い返せば、たくさんの校歌に出会ってきました。自分の母校だけでも4つ、3人の子どもたちのそれぞれの学校の校歌も。

 たぶん私は校歌が好きなのでしょう。子どもたちが入学すると、まずどんな校歌なんだろうって気になります。「入学のしおり」とかに楽譜が載っていると歌ってみたりもしてしまいます。

 ひとくちに校歌といってもいろいろです。一般に「富士山」や「朝焼け」など定番ですが、長女の小学校の校歌は谷川俊太郎さんの作詞で、「青空」「宇宙」「不思議」など谷川さんの世界観いっぱいで面白いです。ちなみにこの学校が創立40年の時に、記念行事に谷川さんが来てくださったのですが、「なぜ、うちの学校の校歌を作詞してくださったのですか?」と質問が出たら、「生活のためです。食べていくためにね。」とおっしゃったのが印象的でした。「なるほど、詩人も大変なんだなー」と妙に納得したのを覚えています。

 長女の高校の校歌はかなり特徴的です。私立の女子校なのですが、昭和の終戦の少し前にできた学校でした。校歌も「今はつらい時だけれど、くじけずに強く生きていきましょう」みたいな歌詞が、なんとも物悲しい旋律とともに歌い上げられるのです。凛とした歌で、物悲しいけれど私は好きです。数ある校歌の中で、一番好きかも。

 かつて、いとこの結婚式で、新郎が某有名大学の卒業生だったのですが、友人スピーチのときに、なぜか「それでは、ここで校歌を歌いましょう。○○大学の皆さんは、どうぞステージにお上がりください!」ということになり、「都の××」の大合唱が始まった時は驚きました。「なんなんだ?」と思ってしまいましたが、校歌とはそれほどまでに愛されるものなんですね。あの時は、しら~っとしてしまってごめんなさい、とこの頃になって思います。

 

 えーと、なんだっけ。春の背中を押してくれる歌でしたね。

 母校の校歌って、世間的にはマイナーソングだけど(「都の××」は有名だけど)、自分にとってはメジャーな歌。時には心の支えになったりもして、ふと口をついて出てくる歌。背中を押してくれる歌といってもいいかもしれませんね。