「わたしの転機」
「こんな仕事をしているならやめてしまえ!」
支店長から投げつけられた言葉は、最初の転機になりました。
私はバブル期の銀行員。後輩の伝票を精査して間違いを見落としてしまったのです。確かにあってはならないミスでしたが、こんな言われようってあるでしょうか。当時はパワハラという概念はありませんでしたが。私の中で何かが切れて、「やめてやる」と思いました。20代前半・・・若かったとは思います。
翌月からグラフィックデザインの学校に通い、2年後に印刷会社に転職しました。
しかしながら転職したのは、支店長の言葉のせいではありません。きっかけになっただけ。銀行の仕事には面白みが感じられず、このままでいいのかという思いが常に頭のどこかにひっかかっていました。人のせいにして自分をごまかしていたなと、今では思います。
印刷会社では、カタログやパンフレットのフィニッシュデザインを担当しました。グラフィックデザイナーの人のラフを版下にする仕事です。写植屋さんに注文して、上がってきたら切ったりり貼ったり。楽しくもありましたが、やはりこれでいいのかという思いがありました。隣で作業をしている編集の人たちがまぶしかった。就職活動を始めて頃は、出版社志望だったので。
出産を前に退職しましたが、出産が転機だったとは思いません。「転機」というほど強いものではなかった。自分にとって、子育てにしわ寄せがいくほどの価値がある仕事だとは思えなかったから、それだけです。
その後、大きな転機は三度あったと思います。現在の家庭の事情にかかわることなので詳細は控えますが、いずれも、家計に不安を感じ、自立したいと思いました。10年以上も専業主婦をしてきての自立は困難でしたが。今もできていません。
現在私は、とある自治体の嘱託職員です。専門職ですが、報酬は民間の契約社員より少ないと思います。1年ごとの更新なので不安定。いわゆる「官製ワーキングプア」と言われている雇用形態です。
1年契約で4回まで更新可能。5年目に入る前に試験を受け直さなければなりませんでしたが、ここにきて平成32年に施行される「改正地方公務員法」により、ますます微妙な状況になっています。
果たして2年後に仕事はあるのか? なんでこんな不安定な雇用形態に甘んじなければならないのか。正社員を続けていれば、生涯賃金は全然違ったものになっていただろう。「やめてやる」と思った若き日の私には、こんなことは想像すらできなかったけれども。
けれども私は、ふっと気がついたのです。自分の置かれた状況に卑屈になってはダメ。「こんな雇用形態」「こんな仕事」と思うことが、自分を貶めている。そもそも、好きなことにこだわって今の仕事を選んだはず。自分の仕事に誇りを持とう。そこはブレずにいなくては。正職員、正社員は無理でも、この仕事はまあまああって、掛け持ちややりくりを工夫すれば、なんとか暮らしていけるんじゃないかということもわかりました。
もやもやが晴れた、三度目の静かな転機でした。ごくごく最近のことです。
アラサー、アラフォー、アラフィフ、アラカン・・・ 年代の節目節目で、人は自分の来た道をこれでよかったのかと振り返り、これからどうして生きて行こうかと考えを巡らせます。最近新聞記事で、「アラベー」という言葉があるのを知りました。アラウンド米寿。90歳手前くらいの方々のことだそうですが、元気で前向きな方々の話が載っていました。
私も90歳近くまで元気でいられるでしょうか。米寿を迎えてなお、「あれもしたい、これもしたい」と思えるっていいですね。それには、転機があった方がいい。転機は元気の源。これからもさまざまな転機を受けて立とうと思います。