てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

歓迎・転機

「わたしの転機」

 

 「こんな仕事をしているならやめてしまえ!」

 支店長から投げつけられた言葉は、最初の転機になりました。

 私はバブル期の銀行員。後輩の伝票を精査して間違いを見落としてしまったのです。確かにあってはならないミスでしたが、こんな言われようってあるでしょうか。当時はパワハラという概念はありませんでしたが。私の中で何かが切れて、「やめてやる」と思いました。20代前半・・・若かったとは思います。

 翌月からグラフィックデザインの学校に通い、2年後に印刷会社に転職しました。

 しかしながら転職したのは、支店長の言葉のせいではありません。きっかけになっただけ。銀行の仕事には面白みが感じられず、このままでいいのかという思いが常に頭のどこかにひっかかっていました。人のせいにして自分をごまかしていたなと、今では思います。

 

 印刷会社では、カタログやパンフレットのフィニッシュデザインを担当しました。グラフィックデザイナーの人のラフを版下にする仕事です。写植屋さんに注文して、上がってきたら切ったりり貼ったり。楽しくもありましたが、やはりこれでいいのかという思いがありました。隣で作業をしている編集の人たちがまぶしかった。就職活動を始めて頃は、出版社志望だったので。

 出産を前に退職しましたが、出産が転機だったとは思いません。「転機」というほど強いものではなかった。自分にとって、子育てにしわ寄せがいくほどの価値がある仕事だとは思えなかったから、それだけです。

 

 その後、大きな転機は三度あったと思います。現在の家庭の事情にかかわることなので詳細は控えますが、いずれも、家計に不安を感じ、自立したいと思いました。10年以上も専業主婦をしてきての自立は困難でしたが。今もできていません。

 現在私は、とある自治体の嘱託職員です。専門職ですが、報酬は民間の契約社員より少ないと思います。1年ごとの更新なので不安定。いわゆる「官製ワーキングプア」と言われている雇用形態です。

 1年契約で4回まで更新可能。5年目に入る前に試験を受け直さなければなりませんでしたが、ここにきて平成32年に施行される「改正地方公務員法」により、ますます微妙な状況になっています。

 果たして2年後に仕事はあるのか? なんでこんな不安定な雇用形態に甘んじなければならないのか。正社員を続けていれば、生涯賃金は全然違ったものになっていただろう。「やめてやる」と思った若き日の私には、こんなことは想像すらできなかったけれども。

 

 けれども私は、ふっと気がついたのです。自分の置かれた状況に卑屈になってはダメ。「こんな雇用形態」「こんな仕事」と思うことが、自分を貶めている。そもそも、好きなことにこだわって今の仕事を選んだはず。自分の仕事に誇りを持とう。そこはブレずにいなくては。正職員、正社員は無理でも、この仕事はまあまああって、掛け持ちややりくりを工夫すれば、なんとか暮らしていけるんじゃないかということもわかりました。

 もやもやが晴れた、三度目の静かな転機でした。ごくごく最近のことです。

 

 アラサー、アラフォー、アラフィフ、アラカン・・・ 年代の節目節目で、人は自分の来た道をこれでよかったのかと振り返り、これからどうして生きて行こうかと考えを巡らせます。最近新聞記事で、「アラベー」という言葉があるのを知りました。アラウンド米寿。90歳手前くらいの方々のことだそうですが、元気で前向きな方々の話が載っていました。

 私も90歳近くまで元気でいられるでしょうか。米寿を迎えてなお、「あれもしたい、これもしたい」と思えるっていいですね。それには、転機があった方がいい。転機は元気の源。これからもさまざまな転機を受けて立とうと思います。

ぶたかばん

今週のお題「カバンの中身」

 「あなたのカバンの中身、見せてください」って突撃されて、「ハイ、どうぞ」って言える人は偉いと思う。本当に女子力高い人って、こういう人を言うんだろうな。

 私のカバンの中身? いやいや、急に言われてもねぇ・・・ お見せすることはできませんが、中身を言えば、ごく普通に、お財布とか化粧品のポーチとかタオルハンカチとか、なにやらかにやら・・・平凡ですけど。それらがごちゃごちゃカオスになっているんで、お恥ずかしい・・・ 女子力高い人は、バッグインバッグにしたり、仕切りの多いバッグにして仕分けたりするんだろうな。私なんか、昨日も、職場から帰る間際になって、「自転車のカギ、ナイ、ナイ、ナイ」って、カバンの中をごそごそ探して大変でしたよ。しかも、カギはカバンの中にはなくて、落とし物として届いていました。落としたらすぐにわかるように、赤い目立つ鈴までつけていたのに。鈴、鳴らなかった・・・。もっとも、鈴の音に助けられたことは何度もありましたけどね。やっぱり鈴はつけておいた方がいい。

 

 そもそもカバンの中がカオスになるのは、カバンが大きいから。以前はいっぱい入るからと、トートバッグを愛用していたんですけれど、現在はリュック派です。自転車通勤ですし。

 でかいリュックではかっこ悪いから、薄めのやつ。anelooっていうんですか。これ、持っている人、よく見かけますが、私も紺色のを愛用しています。

 ただ、困ったことが。私、やっぱり荷物が多いんです。だからトートバッグだったんですよね。何の荷物が多いかって、本です。それもハードカバーが多い。どこかに出かけるとき、本がないと落ち着かないです。ヒマだったらどうしようって1冊入れる。読み終わっちゃったらどうしようって、もう1冊入れます。読み終わることはほとんどないのですが。

 本に関連する仕事をしておりまして、「本を読まないとモグリになっちゃう」というのが、私の口癖でもあります。だから、図書館から借りたり返したりで、本を持ち歩いていることも多いです。結果、スリムなリュックとは別に、丈夫な布製のエコバッグを持っていたりします。ダサいな。

 

 これ、なんだかデジャブだなあと思い返してみて、気が付いたんです。中学時代と一緒。

 中学生の時のカバン、今の子はスクールバッグというナイロン製のカバンだったり(スクバというらしい)、リュックだったりしますが、昭和50年代は革製の四角い学生カバンでしたよね。ってだれに同意をもとめてるかって? 同年代の方に、ハイ。

 で、そのカバン、うすーくして持つのがかっこよかったわけで、お風呂場につるして柔らかくしてつぶしたり、世の中学生はそれはそれは手間ひまかけておりました。うすくするために、教科書は学校に置いて帰ります。

 ですが、私はと言いますと、ださださの中学生で、そういったことには構わないマイノリティでした。カバンの中身は教科書のみならず、国語辞典、英和辞典も。電車通学だったんで、電車の中で宿題したりしてました。40分も座っているので結構はかどるんです。単語調べするのに、辞書は必要。今だったら電子辞書で済むのにね。昭和はアナログ。

 各種辞書が入っている私のカバンは、びよびよに伸び切ったぶたかばん。(ぶっとくてダサいかばんは、ぶたかばんと言われていました。)イケてる子のカバンは3センチもないのに、私のカバンは10センチ。その他に体育着を入れたりする補助カバンもあるから、大変なんですよ。この状況、今と似ている。荷物が多いのは、性分なのかも。しかも、中身は本だって辺りも含めて。

 

 このブログ、そもそも「てくてくわくわく街道ウォーク」で、現在ちょっと事情があってウォークはお休みしているのですが、旧東海道を歩こうじゃないかという記事を書いておりました。街道ウォークは1日7~12キロ歩くので、荷物が多いとさすがにくたびれます。水筒は持たず、出先でペットボトルのお茶を買って、飲み終わったら捨ててきました。マップも重いから持たず、必要なところだけコピーしていました。荷物を軽くコンパクトにするのは、ウォーキングの鉄則。

 それでも、行きかえりの電車の中で読む本だけはほしくて、1~2冊入っているのでした。やっぱり性分なんですね。で、行きはともかく帰りは疲れて爆睡してしまい、せっかくの本を読んだことはほとんどありませんでした(笑)

 

 そろそろウォークを再開しなければ、ですね。小田原で止まっていましたっけ。梅雨入り前に、まずは1回、行きたいと思っています。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

須賀しのぶ『また、桜の国で』

 「てくてくわくわく」を謳いつつ、ウォークから遠ざかっていますが(汗)。

 今週も読書ブログを。

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 『また、桜の国で』 須賀しのぶ 祥伝社

 時節柄、タイトルに引き込まれて読みました。2016年下半期の直木賞候補作でもあったようです。この時の受賞作は恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』でしたね。私は、『また、桜の国で』の方が好みです。『蜜蜂』は、少女マンガみたいな描写が、しっくりこなかったんです。好みの問題ですけど。すみません。

 

 さて、こちらは、『蜜蜂』とは一転、堅いテーマの重たい話です。第二次世界大戦の口火が切られたポーランドが舞台です。ポーランドに侵攻したのは、ヒトラーが率いるナチス。ナチスと言えばユダヤ人の迫害。その惨状は、戦後、世界中に知られるところとなりましたが、ポーランド人への差別はあまり知られていません。そして、戦前、日本とポーランドが大変な友好関係を結んでおり、ポーランド人が親日的であったことに関しては、意外に思う人も多いのではないでしょうか。私もよくわかっていなかったのですが。

 この本を紹介するうえで、ポーランドの歴史については触れなければなりませんので、ごくざっくり説明させていただきますと、ポーランドは、分割と侵攻を繰り返された挙句の果てに、国家機能まで失ってしまったという、悲しい境遇の国でしたが、当時の支配だったロシアの弱体化により、悲願の独立を果たします。1918年のことでした。では、なぜポーランドが親日的だったかというと、ロシア革命の後、シベリアに抑留されていたポーランド人の孤児を、日本が保護して祖国に帰したのだそうで、以来ポーランド人の孤児は日本への恩を忘れず、日本でも一時期、ポーランドブームが起きたのだとか。

 

 『また、桜の国で』は、まだ日本とポーランドがそうした信頼関係を保っていた1938年から始まります。主人公の棚倉慎はロシア人を父に持つ日本人。母が日本人なので、いわゆるハーフ。外務書記生として、ワルシャワの在ポーランド日本大使館の着任しました。ドイツによるポーランド侵攻は1939年。まさに第二次世界大戦勃発前夜でした。

 日本大使館としては、友好関係にあるポーランドの信頼に応えるため、奔走・交渉を繰り返すのですが、遠い本国に思いは届かず、また世界情勢の波に逆らえず、ポーランドからの出国を決断します。

 一方、棚倉慎は、日本を経由してポーランドに帰った孤児たちが作った「極東青年会」に出会います。大使館の書記生として親交を結んでいたのですが、ポーランド情勢が厳しくなるにつれ、彼の入れ込みようも深まり、職業としての介入を越えているかのような危険な交流も。というのも、彼には、子どもの頃にポーランド孤児との忘れられない思い出があったからです。そして何より、彼自身が、自分は何者なのか、日本人なのかどうかというアイデンティティの悩みを抱えていたことが、そうさせていたのでした。

 はたして、彼のとった行動は・・・。そして結末は?

 

 正直に言いますと、各書評で絶賛されているほど、私は感銘を受けませんでした。彼の取った行動は、私にとっては不可解な部分もあったからです。何を不可解に感じたかはネタバレになるから控えます。

 加えて、設定に無理があるようにも思えました。もし、これが実話なら、感動したと思います。たとえば杉原千畝さん。ユダヤ人のビザを発行したリトアニア大使館の大使の話はとても有名ですが、自分の地位を利用して、できることをぎりぎりまで敢行した勇気は本当に素晴らしいです。実話だということが、感慨ひとしおです。

 しかし、実話でないならば、主人公はどのようにも行動できる。むしろ、フィクションで通常では説明できないような行動をさせるならば、そこに至るまでの説明が本当に納得できるものでなければなりません。物語を作りこんで作り込んで、もっと作り込まないと、感動できないと思います。フィクションって、難しいですね。

 もちろん、作者の須賀しのぶさん、たくさんたくさん説明されているのですけれど、やっぱりまだ足りない。申し訳ないけれど、まだ足りないです。私の感動ポイントが鈍いのかなあ・・・

 

 史実にのっとったフィクションの難しさを感じた1冊でした。

 

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。週1~2の更新ですが、また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 

マイナーでメジャーな歌

今週のお題「わたしの春うた」

 

  背中を押してくれるといってもねぇ・・・ 新年度は足取りが重いのだ。入学、クラス替え、新入社員、異動・・・どれもいやだなあ。それなのに、定番の「いちねんせいになったら、ともだちひゃくにんできるかな」とか、最近では「ドッキドキの一年生」とか、励ましソングはかえってつらいわ。「友だち100人もできるわけないじゃん!」と、つっこみいれてましたよ、子どものころ。

 

 背中を押してくれるわけではないけれど、春に歌うイメージがすごくあるのは、校歌ですかね。春は出会いと別れの季節。卒業式では「これで最後なんだなー」と感慨にふけりながら、入学式では初めてのメロディーに「ふーん・・・」と思いながら口パクする歌。この時期学校で、当日の式に向けて校歌を練習しますが、歌声が聞こえてくると「ああ、春だなあ」と思います。

 

 思い返せば、たくさんの校歌に出会ってきました。自分の母校だけでも4つ、3人の子どもたちのそれぞれの学校の校歌も。

 たぶん私は校歌が好きなのでしょう。子どもたちが入学すると、まずどんな校歌なんだろうって気になります。「入学のしおり」とかに楽譜が載っていると歌ってみたりもしてしまいます。

 ひとくちに校歌といってもいろいろです。一般に「富士山」や「朝焼け」など定番ですが、長女の小学校の校歌は谷川俊太郎さんの作詞で、「青空」「宇宙」「不思議」など谷川さんの世界観いっぱいで面白いです。ちなみにこの学校が創立40年の時に、記念行事に谷川さんが来てくださったのですが、「なぜ、うちの学校の校歌を作詞してくださったのですか?」と質問が出たら、「生活のためです。食べていくためにね。」とおっしゃったのが印象的でした。「なるほど、詩人も大変なんだなー」と妙に納得したのを覚えています。

 長女の高校の校歌はかなり特徴的です。私立の女子校なのですが、昭和の終戦の少し前にできた学校でした。校歌も「今はつらい時だけれど、くじけずに強く生きていきましょう」みたいな歌詞が、なんとも物悲しい旋律とともに歌い上げられるのです。凛とした歌で、物悲しいけれど私は好きです。数ある校歌の中で、一番好きかも。

 かつて、いとこの結婚式で、新郎が某有名大学の卒業生だったのですが、友人スピーチのときに、なぜか「それでは、ここで校歌を歌いましょう。○○大学の皆さんは、どうぞステージにお上がりください!」ということになり、「都の××」の大合唱が始まった時は驚きました。「なんなんだ?」と思ってしまいましたが、校歌とはそれほどまでに愛されるものなんですね。あの時は、しら~っとしてしまってごめんなさい、とこの頃になって思います。

 

 えーと、なんだっけ。春の背中を押してくれる歌でしたね。

 母校の校歌って、世間的にはマイナーソングだけど(「都の××」は有名だけど)、自分にとってはメジャーな歌。時には心の支えになったりもして、ふと口をついて出てくる歌。背中を押してくれる歌といってもいいかもしれませんね。

 

 

 

自己紹介は苦手?

今週のお題「自己紹介」

 

 自己紹介は、苦手。うまくしゃべれないから。

 

 あがり症とか、恥ずかしいとかじゃなくて、人としゃべるのはむしろ好きな方なのだけど、改まった場で人前で話すとなると、口が上手く回らなくなってしまいます。だから、はじめまして的なシチュエーションでの自己紹介は苦手です。

 口が上手く回らないと書いたけれど、苦手なことははっきりしています。サ行とタ行のイ段の発音ができないんです。つまり、「シ」と「チ」。「シ」は「ヒ」に、「チ」は「キ」に聞き間違えらます。いつもは忘れているけれど、時々「え? なに?」と聞き返されて、「ああ、私、シとチ、苦手だったんだなあ」と思い出して落ち込みます。落ち込むと言ってもほんのちょっとなんですけれど。性格は、明るい方だと思う。くよくよしないっていうか。

 でも、シとチが苦手だから、7のことを、「シチ」ではなく「なな」と言っています。子どもの小学校とかで絵本の読み聞かせボランティアをしていた時は、発音しにくそうな単語は、違う言葉で言い換えたりしていました・・・ 人と普通に会話しているときは気にならないのに、そういう場面になると急に、すくんでしまうんです。

 趣味の域ですが、声楽を習っていたことがあります。人前で歌うのは、不思議と大丈夫です。でも、日本語の歌詞でない方がいいです。ラテン語、ドイツ語、イタリア語なら、シもチも関係ないから。

 

 好きな作家さんの一人が、重松清さんです。重松さんはご自身が吃音であることをはっきりおっしゃっていて、作品にも投影されています。そのひとつ『きよしこ』が、特に好きです。吃音になやむ主人公の「きよし」くんは、矯正のために家族の応援もあったりするのだけれど、結局は治ることはないのです。でも、「きよし」くんの気持ちが痛いほど伝わってきて、心が洗われるような本です。自分も似たような思いをしているから、よけい感じ入ってしまうのかもしれません。

 同じく重松さんの作品に『青い鳥』というのもあります。やはり主人公は吃音ですが、こちらは学校の先生。「きよし」くんは、吃音であることに悩み傷ついていたのけれど、こちらの「先生」は、吃音であることに臆せず、生徒に話しかけ、時には大きな声で叱ったりもします。でも、それが本当にひどいどもりなので、生徒たちはクスクス笑うのですが、「先生」は気にしません。自分の弱点をさらけ出して、真摯に生徒に向き合う誠実な先生の姿に、周囲の人は己を恥じ、変わっていくのです。

 『青い鳥』の先生は、なかなかインパクトのある魅力的な人物ですが、やっぱり私は弱さを抱えたままの「きよし」くんが主人公の『きよしこ』が好きかな。

 

 重松清さんは、吃音であることがコンプレックスだった時もあったかもしれないけれど、それをどこかで受け入れて「書く」ことに道を見出されました。有名な作家さんと同じに語ることは身の程知らずですが、私も「書く」ことは好きです。「話す」より「書く」方が得意。

 最近の教育現場では、調べて書いて発表するという一連の作業が出来て、やっと評価されることが多いですが、「調べる」のは好きだけど調べたら満足してまとめるのは嫌いな人、「書く」のは得意だけれどそれを人前で発表しなさいと言われたら困る人、「話す」ことなら誰にも負けない人、それぞれだと思います。なんでもできるスーパーマンみたいな子って、どれだけいるんでしょうか? この頃の子は大変だなあと思ってしまう。昭和の子でよかったな。

 

 えーと、話がそれましたね。そうそう、自己紹介でした。というわけで(どういうわけなんだか・・・)、私は「シとチ問題」を抱えていますが、そこそこ明るい、「書く」ことが好きな、もしかしたらちょっと変わり者。こんなまとめでいかがでしょうか。(まとまっていないかも、ですが。)

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 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

塩田武士『罪の声』

 「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」。晴れた日はてくてく歩き、雨の日はのんびり読書。

 週末の街道ウォーク(東海道)をレポートする当ブログですが、事情により「今週のお題」&時々読書のブログになっています(汗)

 今回は「読書」です。

 

塩田武士『罪の声』 講談社

 

 第7回山田風太郎生受賞&「週刊文春」ミステリーベスト10 2016国内部門第1位という触れ込みにつられて読んでみました。

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 うーん・・・どうなんだろう? 面白いと言えば面白いけど。

 

 最近の若者は(なんて言い出したらダメですが)、「グリコ森永事件」を知らないらしい。

 それは1984年、グリコの社長が誘拐されことに始まりました。2億円の身代金が要求されたものの、社長自ら脱出。ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、今度はスーパーの棚に並ぶ同社の商品に青酸カリを混入したという犯行声明が届きます。ターゲットは森永製菓、ハウス食品、不二家と、次々に代わり、国民の不安はあおりにあおられ、一時期、スーパーの棚からお菓子が消えました。

 「毒を混入されたくなかったら金を払え」ということでしたが、結局のところ犯人が「身代金」を手にしたことは一度もなかったという何とも不可解な、昭和最大の未解決事件です。事件は30年を経過した2014年に時効を迎えました。

 

 最近でこそ、「グリコ森永事件? なにそれ?」という反応が返ってきたりもしますが、あの時代、物心ついていた人ならば、おそらく誰しも強烈な印象と共に記憶に刻まれているのではでしょうか。

 なぜならば、それは後に「劇場型犯罪」と呼ばれるようになった新しいタイプでアプローチする犯罪だったからです。

 「怪人21面相」を名乗る犯人グループによるふざけた口調の声明文が新聞に発表されるたびに、国民は不安に駆られ、でもどこかでこの先どうなるんだろうと興味を覚えたりもし、踊らされていることは犯人たちの思う壺であったことでしょう。「けいさつの、アホども え」などというひらがな&関西弁で始まるとぼけた感じをまとった手紙ですが、実のところ青酸混入という無差別殺人の宣言なのであり、今思えば、犯人の狡さやしたたかさが見え透いているのに、私たちは動揺し冷静さを欠いていました。

 あれはいったい何だったのでしょうか。犯人の目的は何だったのでしょうか。

 

 そこに切り込んだのが、この本です。作者の塩田武士氏は、1979年生まれ。事件当時は5歳ということで、おそらくリアルな記憶はないでしょうが、事件に強い興味を持ち、10年以上構想を温めて、事件について膨大な資料を読み込んで作品に仕上げたとのことです。

 

 「面白いと言えば面白いけど、どうなんだろう?」と書いてしまったのは、私自身がよく知っている事件で、特に目新しい印象を持てなかったからだと思います。「面白くて、読み始めたら止まらなかった」というレビューも多数あります。「グリ森事件」を知らない人が読んだら、確かに斬新で本当に引き込まれ、読む手が止まらないかもしれませんね。私の場合、おおまかな流れは知っているので、「ああ、あれは、そういうことだったのか」と深く納得しながら読みました。そういう意味では面白かったです。

 

 実際にあった事件に取材した作品ですが、オリジナリティは、事件にかかわってしまった子どもに焦点を当てている点です。一連の「グリ森事件」では、脅迫電話に「子どもの声が使われていました。この小説では主人公の男性が、実家の引き出しから、幼いころの自分の声が録音されたカセットテープを発見する場面から始まります。たわいない親子の会話を録音したものかと思ったら、それは忌まわしい事件の恐喝に使われたセリフと同じでした。改めてネットで公開されている当時の音声を聞くと、手元のテープと全く同じ、どちらのまぎれもない幼いころの自分の声。こんなとき、あななたならどうしますか?

 自分は、事件にかかわっていたのだろうか? それが事実なら、世間に知られたらどうなるのか? 大切な自分の家族を守ることはできるのか? そもそもなぜ自分が事件にかかわっていたのかもしれないのか? 両親が犯人と関係があるのか?

 さまざまな思いに押しつぶされながら真相の解明に乗り出す主人公に、好感が持てました。

 

 ページをめくる手が止まらないほど面白いわけではなかったけれど、きわめて斬新というわけでもなかったけれど、改めてあの事件を知ることができ、やはり面白い本だったと思います。

 本の中では真相が解明したことになっていますが、実際のところは謎のままです。巻末に掲載されていた参考資料、私も読んでみたくなりました。

 

 それにしても、いかにも昭和的な事件だと思いました。SNSが発達した現代では、こんな面倒な犯行声明を出すことはないでしょうし、防犯カメラがこれだけあれば、毒物混入犯の足取りを追跡することもできるでしょう。その分、犯罪はもっともっと高度になっていますが。イタチごっこです。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。ぼちぼちの更新ですが、また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

お花見のカタチ

今週のお題「お花見」

 

 今回のお題にあたり、楽しかったお花見について、思い出のアルバムをめくってみました。

 

子どもの頃、両親と

 最初の思い出は、小学校2年生の時に両親と行ったお花見です。実家ではお花見に行くという習慣がなかったのに、なぜかその年に限って、多摩湖(村山貯水池)堤防下でお花見をしようと話がまとまったのです。しかも、当日の朝、急にです。「え? なんで?」と不思議に思ったことを覚えています。

 「両親と行った」と書きましたが、正確にはもうひとり、福岡から上京してきて家に下宿していた若いお姉さんが一緒でした。長いつけまつげにくるくるパーマの、きれいなお姉さんでした。両親がやりなれないお花見を敢行したのは、今思えば、お姉さんにちょっとサービスしたかったからかもしれませんん。

 その日は、母がサンドイッチを山ほど作りました。母はサンドイッチが好きでした。特別な時は、おにぎりよりもサンドイッチ。ゆでたまご、ポテトサラダ、ツナ、マーマレード、トマト&きゅうり・・・いろんな種類があって、私も母のサンドイッチが大好きでした。

 桜の木の下で両親とお姉さんとでサンドイッチを食べました。一人っ子の私にとって、両親以外の誰かが混ざって家族行事をするのは新鮮だったし、後にも先にも両親とお花見はこの時だけ。ここだけ切り取られたかのように、懐かしくも鮮やかな思い出として、記憶のアルバムに残っています。

 

新入社員歓迎会

 あの日は本当に寒かった。まさに花冷え。新入社員として呼ばれたお花見は、夜の洗足池でした。

 お花見と言ったって、誰も花なんか見ていません。青いビニールシートに支店の人間50人が膝を詰めて座る大宴会です。しかも微妙に小雨っぽくて、寒いのなんの。新入社員として全員の前で挨拶をしなければならないし、「よろしくお願いします」と言って、ビールをついで回らなければならないし、ついこの間まで学生だった世間知らずな私は、ガチガチでした。

 それでも、なんだか楽しかった思い出として、カウントされているのはなぜだろう? 社会人になって初めての宴会。おじさんたちとお酒を飲んだのも、初。初めての体験がお花見に重なって混とんとした挙句の果てに、緊張も薄まったような感じでした。ちなみに夜桜見物自体も、人生初でした。

 あの時、朝から幹事として奔走してくださっていた入社5年目の男性社員の〇△◇さん、お元気ですか? 定年前の偉い方になっているのかしらん。バブルは遠くなりましたね。

 

子どもと公園で

 子どもたちが小さい頃は、よく子育て仲間と公園でお花見をしました。当日はお弁当持参で現地集合です。お互いの家を行き来する延長で、場所が公園になったようなもの。お弁当を食べてしまうと、親たちはおしゃべり、子どもたちは公園で遊びます。小学生のお兄さんお姉さんたちが小さい子と遊んでくれたり、遊びの輪に入る親もいたり、のどかな時間が流れます。

 私自身は、子どもの頃、お花見に行ったことは一度しかないと書きましたが、子育て時代は毎年のようにお花見をしていました。それなのに、なぜでしょう? さっき次女に「覚えてる?」と聞いたら「全然」と言うではありませんか。 幼児の頃の記憶って、曖昧なのでしょうか。

 外でお弁当を食べていたら桜の花びらがはらはらと落ちてきて、おにぎりの上にはりつきました。かわいいねと、笑いあったシーンが、映画のワンシーンのようによみがえります。私の中では色褪せずに残っている思い出。だから、子どもたちが覚えていなくても、よしとしましょう。

 

これからやりたいお花見のカタチ

 幸せな子ども時代も、懐かしいOL時代も、愛おしい子育て時代も過ぎた今、次にやりたいお花見は・・・

 そうですね、ちょっと実現するのが大変かもしれませんけれど、日本縦断長期お花見旅行をやってみたいです。3月に九州から出発して、各地の桜の名所を追いかけながら北上し、ゴールデンウィークに北海道に到達します。お宿は安いところでいいです。高い交通機関はなるべく使わずに節約。なんせ距離も期間も長いですからね。

 題して「てくてくわくわく桜前線」というブログはどうでしょう? でもお休みを取らなければならないから、今は無理ですね。当分先になると思うけれど、あまり老いぼれないうちに実現したいものです。同行人はやっぱりくろやぎ(夫・街道ウォークの同行人)ですかね。

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。ぼちぼちの更新ですが、また、訪ねて来てくださると嬉しいです。