てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

塩と砂糖と鳥と

今週のお題「自由研究」

お久しぶりです。

 

コロナコロナで、もともと亀の歩みだった街道ウォークは全く進まず、亀の甲羅どころかもはや石か・・・?

少しは書かねばと思い、今週のお題にエントリーしました。

えーと、自由研究ですね。

 

小学校6年生の時の自由研究の宿題で取り組んだことは覚えています。毎日毎日、新聞の地方版に掲載されている気温の報告を切り抜いて、折れ線グラフにしました。名付けて「多摩の夏の気温」(新聞の多摩版だったからね)

ショボ!! はっきり言ってすごくショボい。言うのも恥ずかしいくらい。でもまあ言い訳させてもらえば、①毎日欠かさず新聞を確保する ②ハサミで切り抜いて取っておく ③方眼紙に点をつけてつなげてグラフにするって、それなりに手間がかかったわけです。鉛筆をとんがらかさないと正確に図をかけないしね。超アナログな作業だなあ。今だったら新聞なんかでたどらなくてもデータがまとまってどこかのサイトにあるし、エクセルのグラフ機能を使えば正確でカラフルなグラフがあっという間に! 昭和の小学生、ご苦労さん。

 

そもそもどうせわかっていることを調べてまとめるって言うのは、「研究」なのか? ただの「作業」じゃん。だったら「夏休みにアイスクリームを作ってみたよ」みたいなテーマの方がいいんじゃないか? 氷と塩で作るやつ。でもって、「氷と塩でぐるぐるやるとなんでアイスになるの?」って調べる。でも、これも大方答えがわかっている自由研究のテーマの定番なのだった。そういうのって「研究」っていうのかなあ? それは調べりゃわかるただの「調査」でしょ。直球な正論で申し訳ないけれど、世間では答えがわかっていなくて自分ならではの何かが示せないと「研究」とは言えないのではないかしら? 誰かのなぞりではだめだよ。その辺のところを、学校の先生はもっと事前に子どもたちに伝えなければならないのではないかしら? 「研究ってなに?」ってことをね。

 

私がそう思うようになったきっかけは、大学生の時のゼミの教授(生涯の恩師として尊敬しています)の言葉です。私は国文学科の学生で、ゼミは近世国文学ゼミといいました。卒論のテーマを決める時、「近松門左衛門をやりたい」とか「井原西鶴」とか(「松尾芭蕉」といった人はいませんでした。教授は俳諧研究の第一人者だったので恐れ多くて避けておりました。)言う学生たちに一言。

「近松・西鶴ですか? そんなテーマは研究者がたくさんいて、あなたがたごとき学生が新しいテーマを見つけるのは至難の業です。地味かもしれないが研究者が少ないもの、たとえば地方の芸能などに自分で足を運んで調査して結果を出して学会に貢献しなさい。」

また、こんなこともありました。ゼミの実習で学生が、一生懸命に図書館で調べたことをレジュメにして発表するのを一通り聞いたあと、最後にひとこと。「で、それはどこに載っていました?」 「はい、〇〇の××××です。」 「ほー、それはあなた、孫引きですね。はっはっはっはっ」高らかに笑われ、一からやり直しを命じられたものです。

インターネットなどなく、コピペという言葉も存在しなかった頃のことです。学生たちの資料集めは自分の大学の図書館を起点に、他大学の図書館や都立図書館、時には国会図書館など。それこそ足を棒にして集めたのですが、集めるだけではダメなのです。「で、あなたはどういう考えで?」「そう思うのはなぜ?」に対する答えがないと。

孫引きはNGである、人とは違うオリジナリティを。この考えはその後の自分の生き方に、大きな影響を及ぼしていると言ってよく、今は亡きO教授は今でも私の絶対的な恩師です。

 

話がそれましたね。というのも、小学生の自由研究と大学生のゼミを一緒に考えるのも無理がありますものね。ですが、「自分だけの研究だぞ」という気持ちは子どもたちにも持っていてほしいと思うんです。

それには無理をしないことです。自分が本当に気になることをテーマにするんです。親に言われたことではなくね。これ重要。

もうひとつは、近道をしないことです。「無理をしない」と逆のことを言っているみたいだけど、さにあらず。「近道をしない」とは、「結論を急がない」ということ。気になることを深く深く掘り下げよう。掘り下げても掘り下げても満足できないくらい。そのくらい好きなことをテーマにするんです。

 

ショボかった気温調べの記憶とは別にもうひとつ、思い出に残っているシーンがあります。

あれは小学校2年生の時。母親がいないある日、台所(キッチンなんておしゃれなところではありません。あくまでも昭和の台所)で塩が入ったビンと砂糖が入ったビンを前にせっせと怪しい作業をしている私。通りかかったお姉さん(実の姉ではありません。当時、下宿している20代のお姉さんがいました。)が、「何をしているの?」と聞きます。「あのね、お砂糖とお塩を混ぜたらどんな味になるのか実験してるの。ナイショだよ。」

そうです。私はコップに水を汲んで、砂糖と塩を交代に少しずつ入れてスプーンでかき混ぜては味見をしておりました。甘いとしょっぱいが混ざると、どんな味になるのか? 「実験」という言葉を口にしたのもはっきり覚えています。誇らしい響きだったから。

ところが残念なことに、私の記憶はここで途切れております。飽きちゃったのかしら? もっとねばれば、未来の科学者が誕生したかもしれませんね。

そうそう、もうひとつ思い出しました。

3年生のときのことです。私は毎朝、家の近くの神社に行くのが日課でした。目的は境内にやってくるオナガに会うためです。オナガの真っ青できれいな姿に見とれていました。その姿からかけはなれた「ギーーーッ」という、かわいくない鳴き声の意外さも面白かった。そして、朝ここにくれば必ず会えるというのが嬉しかったんです。

家には教育熱心な親が買ってくれた子ども用の図鑑セットがあったのですが、他はともかくその中の「鳥」は、穴のあくほど眺めていました。野鳥が好きだったんです。これは今でも同じで、私は家の近くの川べりを歩いて、鳥の観察をするのが大好きです。子どもが小さいときには、ちょくちょく一緒に子ども向けの野鳥観察会に参加しました。楽しかったなあ。子どもをダシにして、本心は自分のため? また行きたいなあ。コロナが終息したら、一人でいいから観察会に参加したいと思っています。

 

あ、また話がそれてしまいましたね。

えーと、自由研究・・・。まとめますと、子どものみなさん、好きなことを思う存分掘り下げて、自分だけのなにかを見つけてね。今好きなことはたぶん、大人になっても好きなのでは? 大人のみなさん、自由研究を子どもの夏休みの宿題だと思ってしまうのはモッタイナイ。大人になっても自由研究しませんか?

これでまとまったかな? お・し・ま・い