今週のお題「卒業」
今週のお題の「卒業」ですが・・・ 自分の卒業式ではクールにやり過ごし、これといって思い出すことはほとんどないです。「みんな、いつまでも友達だよ!!」と言って肩を抱き合うあの感じが、どうも苦手。次の進学先など、新たなステップへ進めることの方が、自分の中では重要でした。だから「卒業にまつわるちょっといい話」的なものはありません。
高校1年生の時のクラスの様子は、よく覚えています。中学校からのエスカレーターの私立の女子校であったにもかかわらず、高校というものになじめませんでした。同じ系列の高校だったのですが、中高で制服も変わるし、校舎も別。先生も中学と高校は別の方々でした。
中学までは校則がガチガチで先生も厳しかったのに、高校に入った途端、ゆるゆる。担任だった若い英語の男性の先生は、生徒たちが「歌え! 歌え!」とはやすと、校長の目を盗んで授業中にマイクを握り歌を歌いました。校長先生が巡回してくると、急に、「えー、では、教科書34ページ・・・」なんて言って。そのハチャメチャぶりを楽しむほど私は成長していなかったので、「なんてふざけたところだろう!」と半ば怒り、半ばがっかりしながら、日々を過ごしておりました。中学校を卒業したものの、気持ちが高校について行っていなかったのですね。
日本史の先生も、大学院を出たばかりの若い男性で、授業中にしょっちゅう脱線して、猥談もどき(日本史に一応関係しているのですが)になったりするんです。30分もしてさすがに、授業に戻ろうとすると、生徒たちが「え~~、もっと話して~~」と言う。「いやいや、これでもまだ試験採用の身だから、勘弁してくれよ。」「いいじゃん。」 私はそんなやり取りを冷めた目で見ておりました。かわいくないね。でもなぜか、あの時の各種雑談の内容はよく覚えているし、「ホントかい?」と半信半疑で図書館に調べにも行ったんですよね(本当でした。ただの雑談ではなかった。)あの先生、今では校長先生になっておられ、学園の広報誌では大そう立派なことを書いていらっしゃいます。
たぶんあのころのあの学校の若い男性の先生方は、校長先生に反発していたのだろうということは、生徒の身でも容易に想像できました。有名な都立の進学校からやってきた校長先生で、女子校の雰囲気からはやや浮いていて、話も長かった。
「朝礼の時、今日は三つの話をしますって言うけど、あんなに長いくせに嘘つけと思って、聞きながらよくよく数えてみたら、確かに長いが話はちゃんと3つだった。校長は実はすごい。」と教えてくれたのは、古文の先生(やはり、若い男性の)でした。
この先生の授業で印象に残っているのは、松尾芭蕉の「奥の細道」の序文を勉強したときのことです。
「月日は百代の過客にして、行き交ふ人も また旅人なり。」という文章を読んで、「これは、学校だね。」と言いました。
「生徒のみんなは旅人。学校は変わらずそこにあるけれども、生徒たちは入っては出て行くから。先生たちは、そんな旅人を見ている。」
あ、そうか。カチッと頭の中で納得のスイッチが入った音がしました。私たちは旅人なんだ・・・
自分が学校現場に勤務するようになって、ますます感じます。月日の流れとともに生徒も先生も入っては出て行く(そう、先生も、です。そこが私立の先生とは違うところ)けれど、学校という存在は変わらずそこにある。まれに閉校することもあるけれど、それでも存在は思い出の中に残る。
「卒業」というのは、旅人としてそこを通り過ぎていくときのことを言うのかな。旅人はまた別の場所(学校や職場)へ旅にでます。学校は定点観測だけれど(奥の細道の序文も定点観測の視点)、私たちは生涯旅をし続けるのですね。卒業は、その旅の、要所要所の区切りかな?
今、私が卒業したいのは、骨折にかかわる一連のこと。先月、リハビリの「卒業」を言い渡されましたが、釘抜き手術を経て、病院を無事卒業したいです。
今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。