1月5日(土)、第20回街道ウォークを実施しました。そう、記念すべき20回です。ここまで、割と長かった! 一昨年の9月に日本橋を出発し、1年3か月経っていますから。亀の歩みですが、頑張ります。
「東海道を歩いているけど、この先どうしよう」と言うと、「そこまで行ったなら、京都三条まで行くしかないでしょう」と様々な人に言われてしまいます。これにかけている時間と手間と、それから現実問題としてお金・・・ ちょっとバカかなと思いつつ、やめられない、止まらない。(あ、古いですね。これがわかった人、同年代。)
さて、その記念すべき20回目ウォーク、東海道線富士川駅まで行くか、身延線柚木駅までか、迷うところでしたが、やはり富士川より手前の柚木でした。ひたすらガンガン歩くのなら富士川まで行けそうなんですけれど、チェックポイントを全部探し、説明板を読んだりお詣りしたり、町並みにツッコミ入れながら写真を撮ったりしていると、一日に通過できるチェックポイントは35くらい、多くても40くらいだなと、このごろわかってきました。ちなみに今回通過したのは38です。それでは見ていきましょう。というか、お付き合いください。
朝のJR吉原駅前ロータリーです。前回は昼食を食べそびれお腹ペコペコで歩き疲れていたせいか、この駅の印象ははっきり言って今一つでした。「お店、ないなー」「人っ気もないなー」「なにもないなー」ってブツブツブツ・・・ でも、ごめんなさい。朝見たら、爽やかで普通に街らしい街でしたよ。駅前から、富士山見えたし。「あれ? 案外いいかも」なんて言ってしまいました。この間はごめんなさい。
参考までに、こちらが前回の写真。朝の方がお日様の具合もいいみたいですね。第一印象でああこういうなかれ。また来てよかった。反省。
馬頭観音
この日最初のチェックポイント、馬頭観音です。前回もここ、チェックしていますが、朝見るとキラキラしていますね。
またまた参考までに、こちらが前回の写真。逆光のせいもあって、イマイチ。
左富士神社
東海道を西に歩いて行くと右手に見える富士山がここでは左手に見える(左富士)という珍しいスポット。その理由は、ここだけ道が右にカーブするから。ほら、このように。吉原から歩き始めた時は右手に見えていた富士山が正面に来て、やがてこの先左手に見えるようになります。
はい、左手に見えるようになりました。と思ったら、左側に左富士神社があります。石の鳥居、わかりますか?
鳥居と社殿です。陽だまりの小さな社殿、いいですね。
社殿の手前の、これは道祖神? お正月なので鏡餅がお供えされていました。
これはお賽銭箱の近くに。足が丈夫であるようにというお願いをしているのでしょうか?
お賽銭箱にお正月飾り。今だけの情景なので、パチリしてみました。
左富士神社には、一里塚跡もあります。日本橋より34番目、「依田橋村一里塚」です。
吉原宿の3度にわたる移転に伴い、一里塚の場所も3回変わりました。最終的にこの依田橋の地域に落ち着いたのですが、塚があった場所は現在民有地なので、ここ左富士神社に「一里塚跡」のモニュメントを作りました。というような説明がありました。詳しくは写真でご確認ください。
説明もこの絵図も、なかなかわかりやすかったです。依田橋町の町内会の方、ありがとうございます。
名残りの松
左富士神社の少し先に、広重さんの絵のスポットの辺りかと思われる場所に松を植えた小さな小さな緑地があります。「名残の松」です。
敷地内には、このようなモニュメントもありました。このあたり、工場が多くて、旧街道らしい雰囲気は全くといいほど感じられないのですが、こんな心遣いが嬉しいです。
広重さんの絵の構図に似せて、パチリしました。松の左手に富士山が見えます。街道の右手には愛鷹山があるのですが、工場の建物に隠れています。広重さんの絵と、併せてご覧ください。いかがでしょう?
馬頭観世音
富士依田橋郵便局前の馬頭観音です。(馬頭観音は祠の中)
馬頭観音の隣には「南無妙法蓮華経馬頭観世音」と刻まれた石碑がありました。
平塚越碑
平家が、水鳥の羽音を源氏の軍勢と勘違いして逃げて行ったという「平家越え橋」。ちゃんとモニュメントがあるのが嬉しい。
水鳥いないけどー。普通の川だけど、そこは想像力でカバー。
東木戸跡
東木戸跡は、このような表示で残されていました。吉原宿の東側の入り口ですね。
近くに八坂神社があるようです。
身代わり地蔵
身代わり地蔵は、岳南鉄道吉原本町駅の奥にありました。
昔、寺町に悪い眼病が流行った時に、このお地蔵様に願掛けをすると治ったのだそうです。詳しくは説明板をどうぞ。
お堂です。左が身代わり地蔵。右手奥に駅舎があります。
明治天皇御小休所跡碑
目立たないので、見つけにくいかも。この日は、お正月飾りがしてあったので、見落とさずに済みました。
唯称寺
バイブルにしているガイドブック(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社)によれば、三代目住職が河童を助けたときにもらった「河童の茶壷」というのがあるんだそうです。とはいえ、そんな説明は境内には特になく・・・
本堂のどこかにあるんでしょうかね?
それにしても、空が青くてきれい。
鯛屋旅館
楽しみにしていた「鯛屋旅館」。天和2年(1682)創業で、山岡鉄舟や清水次郎長の定宿だったとか。吉原宿の街づくりの拠点でもあるようです。活気はあるものの宿場らしい面影がほとんどない吉原商店街ですが、ここはタイムスリップできそう。
ということで楽しみにしていたのですが、宿泊客というわけではないし、入りづらい雰囲気だったので、パチリしただけで通り過ぎました。
隣でお蕎麦屋さんを営業しています。この日は「定休日だったようです。
保泉寺
バイブルのチェックポイントになっていますが、なぜチェックポイントなのかは謎のままでした。
本之元神社
吉原宿の中心の神社のようですね。
読みにくいですが、一応説明板をアップします。
妙祥寺題目搭
逆光であまりよい写真ではありませんが、妙祥寺へ続く道の入り口にある題目塔です。
手前に題目塔、道の先に妙祥寺があります。
余談ですが、この辺り、道を一つ入った所に、保泉寺、木之元神社、妙正寺がそれぞれありました。街道沿いに並んでいるわけではないので、ちょっと頭を使います。 ショートカットした方が早いのはわかっていたのですが、これまでの体験では迷ってしまうことが多々あり、急がば回れということで、一つ一つチェックしては元の街道に戻ることを繰り返しました。
妙祥寺
題目塔の先にあった妙祥寺山門。
こちらは本堂ですが、なぜここがチェックポイントなのかは、例によって謎。
立安寺
またまた謎の立安寺。謎が続きますねぇ・・・
六地蔵さまの帽子が赤くてきれいだったからパチリ。お日様の光を浴びて、ひときわ華やか。
大運寺
やっぱり謎の大運寺。とはいっても、こちらはHPがありました。(帰ってから発見) 南北朝時代からあるお寺で、境内の裏手にある子育て稲荷にお参りすると、子どもの病気が治ったのだそうです。へえぇ。
山門前に不思議なお墓。気になってパチリしてしまいました。HPでもわからず。ただこのお寺、ヨガ教室を開催したこともあるみたいなんで、その関連かな?
西木戸跡
吉原宿の西側の入り口、「西木戸」があった場所です。
説明によれば、富士山修験の拠点である興法寺(富士市村山)に、東海道から来る富士登拝者を導く「村山道」の起点でもあったということです。
ここまで来まして、「夢庵まで400メートル」という看板を見つけました。前回はお腹を空かせて後半の印象がイマイチだったので、反省。今回はここできっちり昼食を摂ることにし、いったん街道を外れました。目指せ、夢庵!
ということで、ブログもここで一旦区切ります。お付き合いくださりありがとうございました。また、日を開けず、また続きをアップしますので、訪ねてくださると嬉しいです。