今回は、町並みに焦点を当てて、沼津→原の東海道ウォークをレポートします。
心に残った風景、思わずツッコミを入れたくなったショットなど、気ままにアップします。
まず、出発地点、沼津駅前ロータリーです。この日は朝から快晴。青空に、駅前ビル・ラクーンがくっきり映えています。
ロータリーの中にあった、沼津ゆかりの人・井上靖の碑。
「もし原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。愛の力以外にはない。」
いつ建てられたものなのか確認しなかったのですが、「原子力」と「愛」を同じカテゴリーで比べているところが、今となっては、すごい違和感。
隣にはこんな碑も。
JR東海一周年記念(昭和63年4月)に建てられた、「沼津機関区略史」を記した碑。
隣にもう一つ。こちらは沼津市民憲章
1.緑と水と空、このかけがえのない自然を守りそだて、清潔な環境をつくります。
1.すすんで心身をきたえ、健康と文化の向上につとめます。
1.仕事に生きがいを見いだし、意欲をもって働きます。
1.人権を尊重し、時間と規則を守ります。
1.善意と思いやりをもって、暖かい家庭と社会を育てます。
ほう・・・ なんか、昭和の香りがする。あえて、ツッコミはしません。
ラクーンビル壁面に、「ラクーンよしもと劇場」の看板。新宿アルタみたい。ラクーンでは毎日、よしもとのライブをやっているようですよ。
川廓通りです。前回のウォークでも写真を載せましたが、朝はやっぱり光線が十分でいいですね。左手の土手に上がると狩野川です。
土手の上から。なかなか良い眺めです。ここは、広重さんの「東海道五十三次」のスポットです。前回、パチリしそびれたので、立ち寄りました。よい写真が撮れて満足です。広重さんの画と、比べてご覧ください。
御成橋付近の交差点にて。沼津宿についてモニュメントがありましたので、説明部分をアップします。
このあたり、船着き場があって、とてもにぎわっていたことが、書かれています。
本陣が並ぶ通り。前回は浅間神社のおまつりで大そうにぎわっていましたが、今日はこんな感じです。
静岡銀行を右に折れて少しの所に、こんな和菓子屋さんが。いかにも老舗っぽい古い構え。心惹かれますが、先を急ぎます。
浅間神社鳥居前です。鳥居が三つもあって、その向こうに本殿。前回はお祭りでよくわからなかったけれど、大きな境内だったのですね。
鳥居横のお茶屋さん。「するが茶どころ」という文字に心惹かれました。
ちなみに、私の育ったところは、♪狭山茶どころ♪と歌われている(○○○音頭 ドリフターズがアレンジしてブレイクしました)あの町です。
浅間神社近くの街道沿いにある果物屋さん。果物だけ売っている個人商店、最近では珍しくなりましたね。結構広い店内にフルーツがいっぱい。店主の男性が、お店の中を点検されていました。商売繁盛しますように。
びっくり。そびえ立つゴジラ。保育園の園庭です。ゴジラがお迎え。うちの末っ子(今はクールな18歳男子)だったら、泣いたかも。
チェックポイントでなかったので、前々回のレポートには載せませんでしたが、「出口見附」のモニュメントを見つけたのでアップします。
てか、「見附跡」なら、チェックポイントにした方がいいんじゃないかな? どうした、マッキー?(バイブル『ちゃんと歩く東海道五十三次』の著者・八木牧夫さん)
西高入口交差点の風景です。 足元のマンホールをパチリします。
千本松原手前の看板。「ゴミをすてちゃイヤ!」
わかったから、そんなに泣かないでね。
こちらが千本松原。
当初あった松原は戦国時代、三枚城をめぐる合戦のときに伐採され、住民は塩害に苦しめられ続けました。これを見かねた浄運寺の開祖・増誉上人が松の苗を手植えしたのだそうです。大正期に伐採の計画が浮上した時には、この地をこよなく愛した若山牧水が、先頭に立って反対したということです。
千本松原から、西の方向を望みます。海から遠い場所に住んでいる私は、海を見ると、いちいちパチリしたくなります。(富士山もいちいちパチリしたくなりますが・・・)
西間門の交差点の手前に、「間門」の地名の由来を説明するモニュメント。バイブルのチェックポイントではありませんが、興味深いのでアップします。
昔、この地南の浜で閻魔大王の首が網にかかりました。首の後ろには「天竺魔訶陀(まかだ)国)と彫られていました。村人はお堂を建て、胴体手足を作って像にしてお祀りしたという言い伝えから」「間門(まかど)」という地名がつけられたという説があります。
西間門の交差点。分かれ道になっていて、右が旧東海道、左が千本街道。「白隠正宗」の看板が、目が引かれます。
西間門の八幡神社鳥居脇にあった横断旗。
私が小学生だったころ、普通にあった黄色い横断旗(ハイ、使わせていただきました)、このごろはさっぱり置いてあるところを見なくなりましたが、沼津市では、あちらこちらにありました。持って行かれたりしないし、乱雑にもされず、きちんと入れ物にさしてあって、感心してしまいました。そんな、よくあった光景の一つです。
えーと、「ハイム ア×××ス」??? 君の名は? 先日の台風で落ちたのかな。
しばらく、こんな真っ直ぐな道が続きます。何か、面白いもの、ないかなーと歩いていると・・・
ん? 信楽焼の狸さん。玄関の前に全員集合。これだけあると、インパクト大ですよ。
片浜小学校です。なぜこれをアップしたかといいますと・・・
門の壁にあった、この地図がなかなか良かったからです。
平成26年度の卒業生が作った災害マップです。危険個所と、自治会選定津波避難ビルが書き込まれています。こういうのって、配られて家に持って帰って冷蔵庫に貼ったりするけど、それだけじゃダメ。こうして人目に付くところにあるのって、とても意味があると思います。
富士急バスのバス停。これもたくさん見てきました。写真ではわかりにくいですが、小さめ(背が低い)でかわいいです。歩いていて邪魔にならないし、安定感があって強風にも強いのではないかしら。なかなかいいと思います!
こちらも、たびたび見かけました。「こどもかけこみ110番のいえ」を示す看板。かわいいイラストになごみます。
もうひとつ、たびたび見かけて、いいなと思った表示。「通学路 スピードはひかえめに」 かめさんの絵がかわいいです。
沼津を歩いていて、実は何度も、車の方に、道を譲っていただきました。東京なんか、めったに止まってもらえないのに。心が広い、ゆったりした地域性なのかなと思いました。前回のブログでも書きましたが、このウォークで、沼津のファンになりました。
この看板も、目立っていたのでパチリ。かわいさでは「かけこみハウス」や「通学路」に負けるけど、頑張った感があるので。
久々にツッコミしてしまいます。遊園地。
神社境内の中の「遊園地」です。
私の育ったところも、神社があって遊具があって、そこで学校帰りにたくさん遊びました。
左のぐるぐる回る遊具、回転搭というらしいですが、今では危険遊具とかで、さっぱり見かけなくなりました。
かくいう私も、校庭の回転搭で遊んでいて顔から落ちて、顔面が大変なことになったことがありました。思い出すだけで、痛い。
沼津には、昭和の風景が、あちらこちらに残っていあるように感じます。
片浜駅です。遠くから写真だけ撮って通過。
お茶屋さんの看板に、心ひかれました。(私、「狭山茶どころ」出身なので)
幟がはためいているのもいいです。
お茶屋さんの土蔵です。奥行きがすごいです。ここで、製茶をしているのですね。本場&本格的。
古い民家を一部改装した古本屋さんがありました。
大きな立派な門構えの昔ながらのお屋敷。お医者さんです。
東海道線の踏切を渡ります。(原踏切)
清梵寺前のお食事処です。風にはためいて、うまく撮れなかったのですが、ラーメンあり、かき氷あり、メニューが豊富ですね。
清梵寺から西念寺までは、旧東海道より一本南に並行している小道を歩いてみました。「白隠道」といいます。 道沿いに清梵寺、長興寺、松蔭寺、西念寺があります。
途中に、こんなおしゃれな看板がありました。
こちらが、看板のケーキ屋さん。
帯笑園。沼津の名所のひとつらしいですが、ひっそりとしていました。公開している様子はなさそう。
説明板をアップします。
原宿の有力な家、植松家のに庭園で、珍しい植物や盆栽が集められていることで有名だったようですね。管理とか一般公開とかは、まだまだ試行錯誤中のようです。詳しくは、説明をご覧ください。
明徳稲荷手前の「カタバ公園」。小さな緑地ですが、右奥に見える青い井戸に、注目です。
注意書きも、いいですね。ふりがなも、きちんと振ってあります。
「この手押しポンプは、災害の時に使用するものです。普段は花壇の水等に使ってください。子供達は一人ぅつで遊び、手押し棒以外の所には触らないこと。」
明徳稲荷の宮司さんが、「昔この辺りは、小学校の敷地だった」とおっしゃっていましたが、明徳稲荷から原駅に向かう途中に、こんな広場がありました。
高等尋常小学校跡です。説明板によれば、明治20年7月7日、原尋常小学校として開校されたそうです。昭和7年11月に暴風雨で校舎が倒壊。昭和9年に別の土地に校舎が移転するまでの47年間、原地区の教育の場でした。
ちなみにここの名前、「原駅前公園」だそうです。
路面にこんな表示を発見したので、パチリしました。
原駅の駅舎です。古い建物ですね。シンプルで味がある。
駅舎に建って町の方向を見ると、富士山が。
原駅、プラットホームです。
駅のホームからも、富士山が見えました。よい旅でした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ついついさぼりがちでしたが、また頑張って更新します。 東海道を歩く旅、次回は、原→吉原です。
また、訪ねてくださると嬉しいです。